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2022年 光の家庭  作者: ヒトミ
第一部 本然の自分に還る
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祝福準備

 心を揺さぶられるような衝撃的な体感はしばらくの間、抜けずにいた。

「あなたのアダムはちゃんといるのだから──」

 神様が準備して下さっている運命の人のことだろう。

 それを信じて、多恵ちゃんのお父さんが言った「祝福に向けての準備」を出来る限りやっていこうと決めた。

「神様の祝福」の儀式は年に一回、もしくは半年に一回の間隔で行われる。出会いの多くは信者同士の見合い形式となるが、外部の一般の人が教会に賛同すれば、それで成立することもある。

「神様の花嫁になるように心を備えなさい」と教会ではよく言われるが、これはどんな人が与えられても、受け入れることのできる心の器をつくっていきなさいという意味だ。だからと言って、紹介される人全てを絶対に受け入れなさいということではない。

「神様を迎えて幸せな家庭を築く」ことが目的だから、紹介されてからも交流を重ねながら相手を知っていく期間はあり、最終的には本人同士の合意で決まっていく。

 ご縁とは不思議なもので、たとえ紹介だったとしても、自然とその人に見合った人、波長の合う人と出会って、結婚という形で納まっていくから面白い。信仰初期に私がお世話になったお姉さんを含め、本当に幸せそうに家庭を築いている周りの人の姿を何度も見た。


 だから、私も次の儀式を目指していくことにした。これまでの聖書や経典の音読、お祈りをはじめとする信仰生活に加えて、出来る限りのこと──教会に来る若い世代の子達や教会の学びを始めた人達への話を聞いていくことにした。

 入教して五年以上たち、この頃には教会のお姉さんになっていた。信仰初期で出会った教会のお姉さん達は家庭を持ち、若い信仰の二世達がたくさん教会に入ってきていた。一言で信仰の二世と言っても、信仰の度合はまちまちで様々な子達がいた。

 多恵ちゃんのように神様や教会について親にしっかりと教えられて育った子もいれば、そうでない子達もいる。自分で信仰をつかみとって入教していく親世代と違って、二世の子達は、自分で神様や信仰を求めて来ているわけではないので、彼ら自身の中で信仰を確立することが難しかったりもするのだ。

 私は、神様の導きやたくさんの霊的体験もあったから、ここまできたけれど、そうできたのは、同時に、信仰を築く過程の中で、たくさんの話を聞き、時に諭し、育ててくれた教会のお姉さん達の存在があったからでもあった。彼女達が注いでくれた愛があったからこそ、今の私があり、それは、なにものにも代え難い、貴重な経験となった。その感謝の想いも含めて、祝福の準備に励んでいったのだった。


 祝福の準備を始めて、二か月程たったある日、教会の祝福を担当する人が声をかけてきた。

「あなたに紹介したい人がいるのだけれど、いいかしら?」

 と言って、相手の写真とプロフィールが渡された。恰幅がよく、気がよさそうな男性が写真からこちらを見ている。一目見て、悪い人ではなさそうだが、直感的にピンとくるものはない。

「三日間、お祈りをして進めるかどうかの返事をちょうだいね」

 と言われて、三日間お祈りをした。初めて紹介された人だったので、一度は会ってはみたけれど、自分の中で腑に落ちるものがなく、結局お断りをした。

 今まで信仰生活で「隣人を愛する」ことに精を尽くしてきたのに、いざ候補者が目の前に現れると、受け入れられない自分が存在し、そんな自分にがっかりした。

 今まで長年積み上げてきたものは一体なんだったのだろうか。愛の器、心の器がちっとも育ってなかったように感じるのだった。そうやって色々な想いを抱えながらも諦めず進んでいったけれども、結局目指していた儀式の日程には見合う相手と出会うことができなかった。

 多恵ちゃんのお父さんにあの時、言われた言葉が響いた。

「色々な環境が内外共に整ってきた流れで、祝福とは与えられるものなのだよ」

 今回は、色々な条件が満ちていなかったのだと思う反面、心のどこかでは最短のゴールを期待して、そのために頑張っていた私は、やっぱり悲しかった。それに加え、周りの教会の人が祝福を受けている姿を見ると、なおさら虚しくなった。思うようにうまくいかない。いよいよ全てに燃え尽きてしまった。


 体調を崩して動けなくなった時にも感じたことだが、一旦止まってはじめて見えてくるものや風景というものがある。今回、それは長い共同生活の中で抑えていた感情と自分の身なりだった。

 この頃は教会を出て、三部屋にリビングダイニングキッチンがついたアパートの一室に七人で暮らしていた。二部屋は各自の私物が置かれ、身支度する場であり、一部屋は祈祷室だった。

 教会より快適で、プライベートがない空間での共同生活には慣れていた。けれども、雰囲気は共同生活初期の頃から大分変わっていた。

 昔は信仰生活を訓練と捉えていた信仰の一世のお姉さん達が大半で、規律を守った生活がなされていたのだが、時が経つにつれ、二世が多くなり、しっかりと管理する教会スタッフも人手不足でいなくなり、いつしか最低限のルールだけで、野放しになった場となってしまっていた。

 昔の雰囲気を知っていた私を含む何名かは、なんとかしたい想いはあったが、信仰のレベルがまちまちで、気分に波がある子達をまとめあげていくことは一筋縄ではいかなかった。

 そんな居心地が悪い場からもっと早くに立ち去ればよかったのかもしれない。けれども、それをしなかったのは、ここから祝福を受け、幸せそうに家庭を持って旅立っていった一世のお姉さん達の姿を見てきたからだった。私もその一人になりたかった。だから、ここを出ることを踏みとどまっていたのだった。

 そういった状況の中で、信仰歴や年齢もお姉さんだった私は、出来る限り彼女達を愛し、受け入れようとしたけれど、心の中には知らず知らずのうちに長年の共同生活でできた負の感情が蓄積されていたのだった。

 もう一つ、当たり前のように、見なかったようにしていたこと──自分の身なりだ。

 共同生活だったから、当然なのだが、私物や衣服をしまう収納スペースは狭く限られていた。最低限の荷物で生活していたけれど、昼は社会人として働いていたから、服装は職場にも着ていける無難な色、デザインのものばかりをいつしか選ぶようになっていた。昔はおしゃれすることが好きだったのに、気づけば全身地味な色をまとった当たり障りのない私が鏡の前にいた。

 全てに疲れきってしまった自分だけが虚ろにそこに存在していた。

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