日本の陰陽結びと光の家庭
点と点が繋がっていく──それは神社巡りにおいても言えることだった。
二〇二一年初めに受け取った「日本の尊厳の回復」というメッセージは、神武天皇以前の神代の中心人物であり、国津神の中心存在であった須佐之男命と饒速日命のことだった。そして、神社巡りを通して、国津神のエネルギーが整い、天地の陰陽結びが成就されたのだ。
人や地、エネルギーなど全ておいて、中庸、調和のとれた状態が本来の自然の状態であり、陰と陽の融合から、新しいものが生みだされていく。
天地和合のエネルギーが日本の中心である東京に帰着し、そこから日本全域へと展開していくだろう。
そして、宗教の主流な流れも日本、韓国をはじめとする極東の地で帰着する。中東からヨーロッパ、アメリカへと続いてきた一神教の流れと、インドやアジアで広がっていった多神教の流れが、この極東の地で集約されていくだろう。一神教を陽とし、多神教を陰とした陰陽統合が今の時代に成され、新しいエネルギーや新しいものが生み出され、新しい時代が創られていくのだろう。
そして、私個人においては、今までの教会で学んだ一神教の教えと、神社巡りによって培われた多神教の教えが一つに繋がっていくのだった。人生の中で経験した学びと体験は全て必要なものだったのだ。
『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるには時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。』
『伝道の書』第三章第一節から第十一節、『聖書(口語)』(日本聖書協会、二〇〇八年)
私が好きな聖書のフレーズである。
神様がもたらした体験を通して、私が本当に辿り着きたかった場所が見えてくるのだった。天地和合のエネルギーが整った場で、家庭を築く。本来の自分に繋がって生きる男女が重なり、織りなす家庭である。そんな男女が生み出す陰陽の調べはどれほど美しいのだろうかと思う。
これこそが「光の家庭」であり、私が築きたかった家庭のあり方なのだと全てを終えた時に悟ったのだった。これを体験するために私はこの地球に生まれてきたのだと今はそう言える。
そして、その光の家庭を実現する時がやっと来た。
自分という個の中で今ここに全てを帰結させた。
神様達や大好きな人達と過ごした時間には、ぬくもりが宿り、風景や体験がより鮮やかに濃く映る。そして、それはいつまでも色あせずに、あたたかさを持って残るのだ。そんな美しい思い出の一つ一つが珠玉のように集まり、私の一部となったのだった。
たくさんの先人達の想いと神様の導きと共に、光の家庭がようやく実現されていくだろう。
そう信じ、「新しいものが宿る」この東京新宿の地で、この物語を天に捧げた。




