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2022年 光の家庭  作者: ヒトミ
第二部 日本の陰陽結び
22/26

実家への帰省と須佐之男ゆかりの地

 高尾山に行った翌日、十一月十九日、約二年ぶりに実家がある関西へ帰省した。

 実家への帰省は、十月下旬、ちょうど明子と陣馬山に行った頃に決めた。今回、関西に帰省したら絶対行こうと思っていた場所があった。あの「古代日本正史」の本で出てきた場所で、八月に東京国立博物館の特別展で行ってみたいと思った地──奈良の三輪山、大神神社、石上神宮だった。今回はゆとりを持って、約一週間の実家の滞在を予定していたから、必ず行こうと決めたのだった。

 帰省について、両親に伝えた。すると、両親は鳥取の大山近くに住む弟家族と連絡をとり、彼らに会いに行く計画を立てた。関西にいる妹も私に合わせて、数日だけ帰省することになり、久しぶりに家族みんなでの集合となった。

 鳥取にある皆生温泉の宿に一泊二日で泊まることになった。皆生温泉がある鳥取県米子市は鳥取県の西部に位置し、島根県とも近い。島根県と聞けば、血が騒ぐ。須佐之男ゆかりの地がたくさんあるのだ。宿泊翌日の旅行の予定について、弟にすかさず相談した。

「島根県の松江や雲南地域にある須佐之男と稲田姫を祀った神社三社に行きたいんだけど、遠すぎるかな?」

 距離的には宿泊地から車で約一時間の場所なのだが、弟の子供もいるので、神社に三社もつき合わすのに、気が引けていた。だから、だめ元で言ってみた。そしたら、意外にも弟は「いいよ」の返事をくれた。やった!須佐之男や稲田姫がいたとされる地に家族でいけることになった。なんて、嬉しいんだろう。心がワクワクせずにはいられなかった。


 久しぶりの帰省で、実家のドアを開けて玄関に入ると、母が迎えてくれた。

「あら、おかえり。よく帰ってきたねぇ」

 約二年ぶりに見た親の顔に、今まで以上に月日の流れを感じさせるものがあった。それと同時にこみ上げる想いもあり、涙が出てしまった。眼鏡とマスクで涙を隠し、ばれないように、元気な声で答えた。

「ただいま」


 十一月二十一日、私達家族は皆生温泉を後にし、島根県松江市にある八重垣神社に向かっていた。前日、鳥取入りし、弟家族と合流後、昨晩は旅館でゆっくりと家族水入らずの時間を過ごしたのだった。

 久しぶりの弟家族との交流では、今までにない感情も味わった。それは、わが家の初孫である姪っ子との対面でのことだった。

 コロナ禍で、一歳半になる姪っ子とは、今回が初対面だった。もう自分で立って、歩いている年頃である。そんな彼女のお世話をする弟の姿を間近で見て、感慨深い気持ちが沸き起こり、感動した。それは、友人が子供を育てる姿を見るのとは全く違った感情だった。

 弟がちゃんと「人の親」をやっている。その姿に只々感動した。わんぱくだった弟とは兄弟げんかもたくさんしたし、小さな頃から一緒に生活し、育ってきて、彼のよさも未熟さも知っている。そんな弟が一つ一つ丁寧に愛情を持って、娘に接していた。大人になって、弟の個性を受け入れられるようになってから、弟の姿から学ばされることが多くなったとしみじみ感じたのだった。

 そんなことを両親と話しているうちに、島根県松江市にある八重垣神社に到着した。

 縁結びで有名な八重垣神社では素戔嗚尊と稲田姫命、大乙貴命おおなむちのみこと青幡佐久佐日古命あおはたさくさひこのみことを祀っている。本殿の裏手には「佐久佐女のさくさめのもり」という奥の院があり、日本神話で、須佐之男がヤマタノオロチを退治する際に、この森の大杉の周囲に八重垣を造り、稲田姫を難から救った場所とされている。

 須佐之男は、ヤマタノオロチを退治した後、

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣造る その八重垣を」という和歌を詠んで、

 稲田姫との住居を須賀の地に構えたという。元々、八重垣神社はその須賀の地に創建されたものだった。しかし、その後、青幡佐久佐日古命が祀られている佐久佐神社の境内に遷座された。現在の八重垣神社のある場所がその地である。

 八重垣神社入口には、木製の大きな鳥居があり、その先の随神門を通ると、銅板葺入母屋造に切妻屋根の向拝がついた拝殿があり、大注連縄が目を引く。本殿は檜皮葺きの大社造りで、出雲大社本殿に代表される様式となっている。境内には、いくつかの境内社や宝物収蔵庫があり、境内後方にある佐久佐女の森には夫婦杉や鏡の池がある。鏡の池では、硬貨を載せた占い用和紙を池に浮かべて、ご縁の遅速を占う、縁結び占いが有名で、池周りには多くの人達が群がっていた。

 その後は、出雲国一之宮である熊野大社へ向かった。熊野大社は島根県松江市にあり、主祭神は加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)、素戔嗚尊の別名である。火の発祥の神社として、「日本火出初之社ひのもとひでぞめのやしろ」とも呼ばれている。

 入口には白い石製の一の鳥居が立ち、その後ろには朱塗りの八雲橋が意宇川に架かっている。鳥居の白と橋の朱、その背後にある山の緑のコントラストがとても綺麗だ。

 橋を渡ると銅板屋根がついた木製の二の鳥居が見え、石段を数段上ると、目の前には大きな太い注連縄が張られた銅板葺き切妻造三間一戸八脚門の随神門だ。その先、参道を真っ直ぐ進むと、大注連縄が目を引く立派な拝殿があった。銅板葺き切妻造りの平入りで切妻屋根の向拝がついている。そして、本殿は銅板葺きの大社造である。

 本殿の右には、素戔嗚命の妻である櫛名田比売命と他、六社を合祀している稲田神社、本殿の左には伊邪那美命と他、十九社を合祀している伊邪那美神社がある。その他にも藁葺き屋根で檜皮の壁面、竹縁で作られた「鎮火殿」や神楽や舞いが奉納される「舞殿」が境内にはあった。

 最後は日本初之宮である須我神社へ向かった。島根県雲南市大東町須賀にある須我神社は須佐之男と稲田比売命、そして、二人の子、清之湯山主三名挟漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)が祀られている。須佐之男命は、ヤマタノオロチを退治した後、この地に稲田姫と共に来て、「吾が御心清々し」と言い、宮を建て、この須賀の地に住んだという。

 入口には石製の鳥居があり、石段を十段ほど上がると、大注連縄が飾られた瓦葺きで入母屋造の神門があった。その先に、さらに十数段ほどの階段を登れば、拝殿・本殿である。銅板葺きで唐破風向拝付入母屋造の拝殿と銅板葺き大社造の本殿で、破風の妻板には前方に太陽、後方に月の彫刻が施されている。それほど大きくない社殿の両側には高さ約十メートルの二本の杉のご神木が真っ直ぐに立っていた。

 さらに、境内の奥の方には小さな鳥居があり、山道へと続いている。細い山道をしばらく歩いた後、竹林に入り、その中を登っていくと、「社日神社」と「御祖神社」という二つの小さなお社があった。その先をさらに進むと、「義綱神社」という石のお社が立っていた。しなやかに伸びた竹林の細道はとても雅で風情を感じさせるものだった。

 この他に、須賀神社の奥宮とされる巨大な夫婦岩が神社から約二キロメートル離れた八雲山の中腹にある。この八雲山は須我山、御室山とも呼ばれている。

 今回奥宮には行けなかったのだが、家族で須佐之男と稲田姫のゆかりの地にある神社三社を回れたことがなによりも嬉しかった。

 そして、十一月二十一日、それは、旧暦の十月の時期で、島根出雲では旧暦十月を「神在月」と呼ぶ。全国の八百万の神様達が出雲の国に集まるからだった。その時期に縁があって、この地に来られたことは、神様達からの祝福のようだった。


 『“天つ神”素戔嗚尊と“地つ神”稲田姫命の御二柱は、

  この地で結ばれた出雲の縁結びの大親神様で在らせられます。』

  (八重垣神社パンフレットより抜粋)


 このパンフレットの文のように、日本神話に出てくる原初の男女が初愛を成した陰陽結びのエネルギーをこのゆかりの地で受け取ったのだと感じた。

 八雲山を眺めながら、須佐之男が愛したこの地にお別れをし、家路に向かった。

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