東京のへそと神社巡りのカギ
大磯の地を訪れた後、いつものように地図を開き、大磯にピンを立てた。訪れた場所にはそうやってマークをして、時々それを眺めるのが好きだった。
ふと、関東エリアの地図を眺めながら、気づいたことがあった。二月に行った埼玉県日高市、先日の千葉神社、今回の大磯の三点を結ぶと、東京を囲う三角形が出来上がっていたのだ。陰陽結びで「場」ができた。日本の中心である東京に出来た場がなにかのカギになるのかもしれない。そんなことを思いながら、六月、七月は府中、世田谷、箱根の地に足を運び、場を整えていった。
七月二十八日、明子と映画を見る予定で待ち合わせたのだが、その前に私達は東京の杉並にいた。「東京のへそ」と呼ばれる神社があると明子から聞き、興味を持ったのだった。
武蔵国の三大宮の一つで、「多摩の大宮」や「武蔵国八幡一之宮」とも呼ばれている大宮八幡宮である。応神天皇、応神天皇の親である仲哀天皇、神功皇后を祀っていて、「東京のおへそ」として、日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る場所だという。
大きな朱塗りの一の鳥居、二の鳥居をくぐり、広い石畳の参道を真っ直ぐに進んでいくと神門があった。神門をくぐると大きな夫婦銀杏の木が立っている。その先に総檜造りの拝殿が見えた。千鳥破風付入母屋造、唐破風軒流れ向拝平入り、本殿と拝殿の二棟が連なった権現造の重厚感を感じさせる社殿であった。
社殿を前に左側には、赤い鳥居が幾重にも連なった大宮稲荷神社、三宝荒神社、その隣には、若宮八幡神社、白幡宮、御嶽榛名神社、社殿右側には菅原道真を祀った大宮天満宮もある。一万五千坪ある境内には、弓道場やお茶室もあり、とても広大だ。
全ての参拝を終え、新宿へ向かった。ランチは都会の片隅でそばを食べた。地方の神社や山にいくとそばを食べたくなるが、こうしてたくさんおしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ新宿でも、私達はそばをすすっている。その光景がなんだかおもしろかった。やっぱり明子とは兄弟みたいな感覚なのだった。
ちょうど大宮八幡宮に行った頃、神社巡りのカギとなるような面白そうな本を手に入れた。「記紀以前の資料による古代日本正史」という本である。著者原田常治氏が各地の神社を訪れて、出雲の須佐之男一族、九州の日向国、卑弥呼、神武天皇等について実証的な調査をして書かれたものだった。
古事記や日本書記は当時の編集員達によってお伽噺のような神話形式にしてごまかして書かれたものと仮定し、神社訪問から得た情報を元に記紀以前の歴史について解き明かしていく内容となっている。須佐之男を含む出雲、大和一族の系図や卑弥呼を含む日向一族の系図も載っていて興味深い。本文の一部をここで紹介しよう。
『国がなかった時代は、水の湧き出るところや川の傍に人間が住んで、
そこに部落長ができて、日本が何千、あるいは一万ぐらいの部落に
なっていた点の時代であった。
それが西暦一四二、三年頃、出雲の木次というところで、
須佐之男が当時出雲一の豪族といわれたヤマタノオロチという人を倒した。
その木次事件がきっかけで、日本という国の形ができはじめた。
その「点」の時代から「面」の時代にかわりはじめたのは西暦一四二、三年頃である。
今の天照大神は、もちろん古事記、日本書記、少なくとも持統天皇以前には
天照大神ではなかった。その以前の天照大神は男の人であった。
須佐之男命の五番目の子供(饒速日命)で、天照国照大神という諡号になっている。』
原田常治『記紀以前の資料による古代日本正史』
(同志社、一九七六年)三十四、三十五頁
自分が知っている神話の話と違いすぎて、びっくりした。
日本神話のスサノオのヤマタノオロチ退治の話は、高天原を追放されたスサノオが出雲の国に降り、アシナヅチとテナヅチという名の、泣いている老夫婦に出会うところから始まる。
スサノオは老夫婦に泣いている理由を尋ねると、老夫婦は答える。ヤマタノオロチという大蛇が毎年来て、娘を一人ずつ食べていった。最後の娘であるクシナダヒメが食べられるのを悲しんでいると言う。
話しを聞いたスサノオはオロチを退治する代わりにクシナダヒメとの結婚を持ちかけ、老夫婦はそれを承諾する。スサノオは八つの頭と尾を持つオロチを退治するために、八垣根と八つの門を作り、それぞれの門に強い酒を準備する。そして、クシナダヒメを守るために、櫛にして自分の髪にさして戦いに備えた。
オロチが現れると、オロチは強いお酒が入った八つの桶に惹きつけられ、酒を飲み、酔っぱらってしまい眠ってしまう。その瞬間をスサノオがオロチを倒し、その後スサノオとクシナダヒメはめでたく結婚したという話である。
古代日本正史の本では、スサノオやヤマタノオロチ、クシナダヒメが実在していた人物として解説されていて、とても興味深かった。
そして、初めて、須佐之男の息子である饒速日命の存在を知った。どうやらこの国の始まりにおいて「須佐之男」と「饒速日命」の親子の存在が重要のようだった。




