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2022年 光の家庭  作者: ヒトミ
第二部 日本の陰陽結び
13/26

天と地の陰陽結び

 遊就館や鹿島神宮に行ってから一か月が立とうとしていた二月のある日のことだった。

 正月に受け取ったあのメッセージが頭に残る。

 日本の尊厳、日本の地に関すること──。

 ふと、思い立ち、前年から読みふけっていた「だるまんの陰陽五行シリーズ」の「火の章」を開いた。「火の章」は主人公の皆本くんが日本各地を巡りながら、陰陽五行に詳しいだるまんから日本史の裏のことや神社・神様について学んでいくという話だった。その中で天津神と国津神のページが目に留まった。


 『天津神と国津神は天と地の陰陽関係であり、

  天皇家は天を司る天津神の子孫だと任じていて、

  秦氏は土着の神である国津神への信仰が厚かった。

  当時の為政者は国津神のパワーに脅威を感じ、

  国津神のエネルギーをなきものにしたく、

  国津神の封印という形で表向きは天皇に対する忠義を通した

  ……国津神は隠されている!』 

  堀内信隆『だるまんの陰陽五行 「火」の章』

(三冬社、二○○九年)四十六、四十七頁


 地のエネルギーが封印されていて、この地の陰陽のバランスがとれていないと推測し、「秦氏」をキーワードに関東の渡来人の歴史について調べてみた。

 関東の渡来人に関連する地域は主に二つあった。一つは、現在の埼玉県日高市、飯能市の地域で、七一六年東国七国、高麗人一七九九人を武蔵国に移住させて、設置された高麗郡があった地、もう一つは高句麗から渡来した高麗若光が上陸したという伝説がある神奈川県の大磯だった。

 これらのキーワードや情報、歴史を一つ一つ紙に書き出して、整理していく。全て書き終えた瞬間、新しいメッセージが心にストンと落ちてきた。

「国が開かれる……」


 夢中になってやっていたら、深夜二時を過ぎていた。気づかぬうちに日が変わっていたのだ。

 そして、それは奇しくも、二月十一日、建国記念の日だった。

 まず埼玉県日高市にある高麗神社に行ってみようと決めた。スケジュール帳を開き、カレンダーをチェックする。休めそうな日があった。次の祝日、二月二十三日、天皇誕生日だ。国家的な祝日にメッセージを受け取って、次の陰陽結びを行う地に行けるなんて、不思議だけどなんて面白いんだろう。

 早速友人明子に声をかけたら、行けると言う。そして、彼女は言った。

「高麗神社に行くのなら、聖天宮もいいと思う。五千頭の龍が昇る宮なの」


 二月二十三日、天皇誕生日の祝日、友人明子と私はなぜか調神社に向かっていた。始まりはこうだ。

「だいう先輩の体調が悪いから、調神社に行きたいの」

 と明子が言うので、この神社も日程に加えたのだった。しかし、よくよく後で話を聞いてみると、だいう先輩は人ではないらしい。

 職場にいる超特大うさぎで、「大兎先輩」と明子が勝手に命名し、呼んでいるのだという。なんとも明子らしい。写真を見せてくれた。手足を伸ばして寝そべった大兎先輩は私の身長におよぶのではと思わせるほど巨大で、寝そべっているのに貫禄があり主のようだった。

 埼玉県さいたま市浦和区にある調神社つきじんじゃに着いた。ここは社名が月と同じ読みであることから月待信仰がある神社で、境内のいたるところで月神の使いとされるうさぎを発見することができる。狛兎や手水もうさぎである。

 確かに大兎先輩の体調回復の祈願にはもってこいの場だ。大兎先輩がきっかけだったけれども、月の宇宙エネルギーを受け取るように神様から導かれたように感じて、次へ向かった。


 埼玉県日高市にある高麗神社こまじんじゃに到着した。高麗神社は渡来人で高句麗王族であった高麗若光こまのじゃっこうを祀っている。

 車を降りると、トーテンポールのような見慣れない顔を持つ二柱の石の柱が私達を迎えてくれた。柱の下部にはそれぞれ「天下大将軍」「地下女将軍」という文字が彫られている。上部の顔は二つ互いに異なるが、ぎょろっと飛び出した目、ニンニク鼻と琵琶のような鼻、大きな八本の歯がむき出しになり、ガハッと笑ったような顔はこちらをみつめる。なんとも言えないパンチがきいた奇怪な顔だ。

 これは「チャンスン・将軍標」と呼ばれるものらしい。高句麗があった朝鮮半島では魔除けや道しるべを目的として村や寺院の入口にこの標柱を立てる風習があったそうだ。

 鳥居を抜けて参道を進むと、左手に水天宮登り口が見えたが、時間がなかったので、こちらは今回省略した。そのまま進み、約十段の石段を登って、唐破風が正面にある神門を抜けると本殿に着いた。銅板葺き一間社流造の本殿だが、正面手前の外拝殿は二○一五年の増改築によって建てられたものなので、すっきりとまだ新しい木でできた建物の印象を受けた。


 参拝後は神社から車で約三分のところにある聖天院しょうでんいんへ向かった。聖天院勝楽寺は七五一年に高麗若光の菩提寺として創建された真言宗智山派の寺院である。ここにも入口にはチャンスンが立っていたが、高麗神社のよりおとなしめの顔だ。

 入口には瓦葺で総欅木造の二層楼閣となる風神雷神門がどっしりと構えていた。楼門をくぐって石段を上る。境内は小高い丘のようになっていて、中門を通ると阿弥陀堂、そこからさらに石段を登っていくと最上段付近には、巨体でムキムキと筋肉質な仁王像が対で待ち構えており、その先が本堂だ。ここで参拝をする。

 本堂を正面に左に位置する鐘堂の脇を抜けて奥に抜けるとさらに広がった場が見えてくる。そこには高さ十六メートルの在日韓民族慰霊塔が立っていた。慰霊塔向かって左側には孔雀色の彩色が目立つ朝鮮様式の八角亭と呼ばれる建物があり、また、向かって右側には高句麗の王である広開土大王や日本に初めて漢字を伝えたとされる王仁博士といった韓民族の偉人の石像が四体並んでいた。

 慰霊塔の奥にはさらに道があり、道を上がっていくと、森林に入る。その中に両脇に狛獅子を侍らして堂々と座って構えている一体の石像があった。朝鮮半島の建国神話に登場する古朝鮮の王、檀君様だ。

 日本の地でまさか檀君様に会えるとは思っていなかったのでびっくりした。大陸や朝鮮半島から流れて来たエネルギーがこうして目の前で現れているかのようで、檀君様に深々とお辞儀をして挨拶をした。

 全ての参拝を終え、鐘堂の隣にある高麗若光の石像と明子と共に高麗郡があったとされる地を一望した。空はまだ明るかったが、龍の鱗のような大きな太い鱗雲と白いお月様が出ていた。天と地が結ばれたのだと感じた。


 本日最後の訪問地、五千頭の龍が昇る聖天宮へ向かった。閉門の十分前に着く。館の入口スタッフの人が閉門準備を始めようとしていたところだった。門の外からしか拝めないかなぁと思いながら、スタッフの人におそるおそる聞くと、

「まだ、入館かまいませんよ。どうぞ」

 と感じよく入れてくださった。やった!

 埼玉県坂戸市にある聖天宮せいてんきゅうは道教の最高神である三清道祖さんせいどうそを主神とする台湾の道教のお宮である。黄色い瓦屋根と赤い柱はひと際目を引く。鮮やかな龍や鳳凰の彫像を含め、細部の至るとこまで細やかな装飾が施されていて、まさに豪華絢爛な廟である。立体的で緻密な龍柱や九龍網を見ていると、興奮しすぎて、閉館近くほぼ人がいないことをいいことに回廊で思わず二、三度、ジャンプをしてしまった。

 参拝は台湾式だ。説明書きを読んでいると、スタッフの方が丁寧に教えて下さった。どこまでも優しすぎる。時間を気にせず、しっかりと祈った後で、台湾式のおみくじもひいた。一対の陰陽を表す木製の「神杯」を投げ、出た組み合わせでおみくじをひく。

旋乾転坤せんけんてんこん・天地をひっくり返す、国家の大勢を一新する』

 と書いてあった。どうやら天と地を結ぶことができたらしい。一日の最後に与えられたこの言葉を天からのメッセージと受け取り、この日の陰陽結びを完了した。

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