後編 現世から隠れて……。
恐る恐る足を進めていく。薄暗い中をスマホで照らしながら進む。
声はあちこちから響いており、木霊のように反響もしているから正確に聞き取るのが難しい。場所を特定するのは大変そうだ。人数も結構いるみたいだし、本当いつになったら帰れるか……。
――ガタンッ、ガラガラ。
「ひゃあっ」
背後から大きな音が響き飛び退る。躊躇いがちに背後を確認すると、外置きの棚が壊れて柄杓や手桶が落ちていた。
私はほう、と深い息を吐き出す。まだ心臓がバクバクと鳴っている。
けれど、安心したのもつかの間。足を止めた私の足を冷たい何かが通り抜けた。下からぞわっと悪寒が走る。今風は吹いていない。
「今、何か……」
通らなかった? 確認する勇気も持てず、ただ怯える。
勘違いであって欲しい。きっと風か何かだ。都合のいいことを必死に考えてやり過ごす。幸いにも冷たい感触は一瞬だけだった。私は再び歩き出す。
(早く出たい。帰りたいよ~)
「どこなの。早く帰らせて」
――鬼さんおいで。ここだよ。
――おいでませ。来てくださいませ。
奇妙に響き渡る声が私を、鬼を呼ぶ。
震える足で声のより響く方向に向かって進む。すると、視界の端に何かが過った。
「今、何か……あっ」
足元でパチッと音が聞こえる。違和感を覚えて視線を落とす。視界にはほどけた靴紐が移った。しっかり結んであった筈なのに……。
私は視界の端を過ったものを確認せず、腰を落として靴紐を整える。キュッと紐を結び立ち上がるとまた呼び声が響いた。周囲を確認するがやっぱり何もない。
結局、さっき過ったものは何だったのだろう。見回しても見つからないので追求せず先を急ぐ。
周辺のものに注意を払いながら探す。すると塀の影に白い何かがチラついていた。手に持った面を強く握りしめ、震えが止まらない声を絞り出す。
「み、みーつけた?」
これでいいのだろうか。半信半疑で声をかけると、白い影が反応してスッと消える。
――ありがとう。
姿が消えた瞬間、幼い少女の声が脳裏に響いた。心底嬉しそうな声音。こんな状況だが、声に対して怖くは感じなかった。まず1人目といった所か。
途端、辺り一帯から子供の無邪気な笑い声が響く。思わず肩を震わせ身を縮めた。その場でしばらくじっとしていると声が止む。そしてまた鬼を呼び始めた。
声音が心なしか期待に満ちているような、元気で忙しない感じだ。
歩く度にどこからか視線を感じるような気がする。
周囲の風景が不気味だから、余計に感じるのかもしれない。至る所から物音が聞こえた。物が落ちる音、水が滴る音、何かがぶつかる音やなんだかよくわからない音まで。
すぐそばを足音が通り過ぎる音が聞こえて震え上がる。今、誰かいた?
「うぅ……早く見つけないと」
本当に全員見つけたら帰れるよね?
友達の話がどこまで真実なのか不安で仕方ない。もし間違っていたら……。
「なんで私がこんな目に……」
用もないのに寺に入ったからなのか。いいや、だったら友人も同罪だろう。じゃあ何。私でない理由があったと言うのか。それはそれで嫌だ。
早く帰りたい思いが、見つけなくちゃと自分を奮い立たせる。今は信じて探すのみ。本当にこれで帰れますように――。
――鬼さんこちら。おいでませ。
「また聞こえた。近い、かも」
――どこかな、どこかな? ここだよ。
「こっちのほう?」
今度の声は近づくと途端に静かになった。遠くにいる時はあんなに聞こえていたのに。煩いくらいに聞こえるのも怖いが、黙っていられるのも別の意味で怖い。
気持ちを紛らわせる手段も乏しくて辛かった。こんな時どうしたらいいのかなんてわからない。
「え……」
また視線を感じた。どこかまではわからないけど、こちらを引きつけるような気配を放っている。そちらに目を向けようとしたら指に痛みが走った。
「イタッ」
痛みに気を取られて視線を向ける。面を持っていた手の親指から血が滲んでいた。チクッと刺された程度の小さな傷だ。
鬼面の口に血がついているのが地味に怖い。まさか、この面が指を噛んだのか?
「そんなまさか、ね」
そうこうしている内に気配が去る。また確認することはままならなかった。
チリチリと横の壁面から音が響く。白い塀の壁面である。横目で確認し、何ともないをわかって顔を向ける。今の音は気のせいだろうか。私は塀に触れた。そっと慎重に。
私が塀に触れた瞬間、壁の奥から少年の笑い声が響いた。
「きゃあっ」
驚いて反射的に手を放す。手に違和感を覚えた。
「いやあぁぁっ」
視界に映ったものに私は悲鳴を上げる。壁に触れた手が赤く染まっていたからだ。よく見たら壁にも赤い手形がくっきりとついていた。私の手がつけた模様だ。
堪えられず視線を反らし、手についたものを振り払いたくて腕を振り乱す。次に視線を投じた時には模様も赤い色もすっかり消え失せていた。
荒い呼吸に肩を揺らしながら壁を睨む。じっと凝視していた所為か、壁にうっすらと人が影が見える。
「ひっ、子供……子供が壁の中にっ」
私が叫ぶと背を向けていた影がこちらを向く。目が合った瞬間に少年は微笑んだ。またスゥっと消えていく。
――見つけた、見つけた。
――また1人いなくなった。
――次は誰? 鬼さん、早く!
子供の声が減っている。声の感じからして後三人くらい。残された声音はより一層に忙しなく鬼を呼んだ。次は私と言わんばかりに主張してくる。
残りの声は建物の中から聞こえていた。正直に言って行きたくない。外以上に中は暗い闇が広がっていて恐ろしかったからだ。でもいかないければ出られないと思う。
「行きたくないなぁ」
口ではそんなことを言いつつ、私は一歩、また一歩と足を踏み入れて行った。
薄気味悪い雰囲気の建物はひとつではない。これをひとつずつ探すのか。張り詰めた気持ちは既に限界寸前だった。ちょっと足を動かしただけでみしみしと音が鳴る。
水なんてある筈ないのに、どこからか水音が響いていた。灯りがあっても暗い。闇の向こう側からシャラシャラと鈴みたいな音が聞こえたりする。
風もないのに布切れが揺れ、ひび割れた窓の向こうに気配を感じる。
半分くらいは思い込みだと知りつつ恐怖を抑えられない。ちょっとした闇でも、その先に何かいると思えてきた。廊下の奥なんてもっと怖い。
どこまで続いているの? あの先に何かいる? いないよね?
――バキッ、とすぐ近くで大きな音がした。
「きゃあぁぁぁっ!!」
勢いよく崩れた引き戸。木製のそれは大分痛んでいたようだ。元から歪んでいたらしい扉は、無惨にも黙然となって床に散らばる。
条件反射で後退り、足元を見ていなかった私は脆くなっていた床を踏み抜いてしまった。その拍子に手に持っていた鬼面を手放してしまう。
「いったぁ~」
足を引き抜き、幸いにも持っていたスマホで辺りを照らす。落とした鬼面を探すためだ。
しかし、私が見つけたのはまったく違うモノだった。光に照らされたのは何かの布の端。
「ん?」
眉根を寄せて光を横に流す。すると、和服に身を包んだ髪の長い人形が照らし出される。戸棚の僅かに空いた扉の隙間から、身体の半分だけ覗かせていた。
よく見たら戸棚が少し傾いている。今の騒動で床にヒビが入ってしまった影響だろう。
「こんな所に人形……しかも、コレ」
奇妙なくらいに綺麗だった。なによりも暗闇の中に浮かび上がる顔が不気味だ。照らしても尚恐ろしく感じる。
『隠れ雛は見つけちゃダメよ。見つけたら……戻れなくなる』
「えっ?」
唐突に脳裏に蘇った言葉。友人が言っていなかったか?
鬼呼び寺院にただ一つある人形は決して見つけてはならない。元は厄除けの人形だったが、災厄を吸い過ぎて亡者を招く人形になったと。
蓄積されたソレの影響で、人形自体の亡者の一種になっている。だから身に着けていないと……。
「ま、まさか……」
私は目を見開いた。人形、思いっきり見てしまった。
人形がぬぅっと動き出す。こちらを睨み、ウネウネと髪が意思を持ってしまってきた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」
古びた寺院の中に私の絶叫が木霊する。私の意識は、そこでフツリと途絶えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方でこの頃、夕刻の寺では。
「あれ? どこいったんだろ」
彼女は友人の姿が見当たらないのに気づく。さっきまでそこにいた筈の姿がどこにもない。
先に帰ってしまったのだろうか。自分に黙って? いいや、友人がそんな人物だとは思えない。近くにいると信じて探す。
数十分探し続け、元の位置に戻って来た。寺の周囲も探したし、連絡もしたが見つけられない。自宅にもまだ帰っていないというから不思議だ。自分に黙って寄り道でもしているのか。
「ううん。そんな筈ない」
友人なら必ず一言がある筈なのだ。それがないのがおかしい。
「ホント、どこ行っちゃったの」
すると、寺の入り口付近に見覚えのある後ろ姿を見つける。妙に青白く儚げだが間違いない。彼女は友人の名前を呼んで駆け寄った。しかし――。
「えっ。確かにいたのに……」
駆け寄ってすぐ傍まで迫った時、急に視界が暗くなって立ち止まる。次に視界が戻った時には誰もいなかった。確かに立っていた筈だ。我が目を疑い、何度も瞬きをする。
――コロンッ、と足元で音がした。足に軽い何かが当たる感覚がある。
「いったい何?」
視線を足元に落とすと、そこには紐のない鬼の面が転がっていた。
数日後、ニュースにある報道が流れる。
それは長らく行方不明だった子供の白骨死体が突如発見されたというもの。発見された場所は昔塀があった場所の下と古い壁の中だった。前者は5歳前後の女児、後者は10歳くらいの少年のものだと判明。
新たに行方不明者となった学生2名の所在は……未だ掴めていない。