目覚めの咆哮
桜庭先輩研究部、初めての部会の翌日。平和な金曜日の放課後。妖犬わんちゃの撮影が一段落すると、優都と迷と佐川先輩は、そのまま雑談へと移行していた。
「今期よまちぃ本気ヤバいのですよ。」
「期末悪いと夏季休暇中に出勤らしいよ。 優都くんは感触どう?」
「平均くらいですよ。」
「優都様やっぱり頭いいんですね!?」
「いや、どうだろう…。暗記は得意なだけ。」
優都は暗記が得意なだけで、一夜明けると全てを忘れるので身にならない。
真昼は暗記も勉強もしないし、点も取れないが、しかし落ち込まないので能天気なものだ。
「真昼様はどうでしょうか?」
「もう一人の霊感の子?」
「真昼様のご実家は有名な悪霊祓いの家柄だそうで…。」
迷と佐川先輩の会話を横で聞きながら、
(真昼どうしてるだろう…。写真とれたかな…。)
優都はボンヤリそんなことを考えていた。
「彼って兄弟はいるのかな?」
「どうでしょう…。優都様は知っていますか?」
急に話を振られて我に返る。
「はい! なんでしょうか?」
「真昼様です。ご兄弟は?」
「えーと…、あれ? そういえば…。」
そして、優都は何か大切な事を思い出した。
それと同時に、大切な事を忘れていたということも思い出した。
「確か、お兄さんが…。」
「そうなんですか~。」
「祓い屋の兄弟! なんかカッコいいねー!」
会話は途切れずに続いていく。しかし、優都はそこで一度足を止め、二人の会話の行方を追いかけなかった。
(そうだ。真昼にはお兄さんが…、こんなに大切な事、なんで忘れてたんだろう。)
すると、そこへー…。
「神様ー!」
遠くから金髪の美少女がてけてけ駆けて来る。
「みすてぃ。」
迷も気がついた。瑞埜澄音だ。
透き通るような白い素肌が、スカートの下でチラチラ見え隠れする。学園一の美少女が、そのしなやかな足で駆けてくる姿だ。
廊下に白い薔薇の幻影すら見える。
さらにその後ろからは諏訪部長も追いかけて来るが、真昼の姿だけ見当たらない。
(あれ…? 真昼は…?)
瑞埜は走って来た勢いのまま、優都の胸にダイブする。
「神様!大変なんです…!」
ふわっと軽い瑞埜の体を、優都は椅子に座ったまま受け止めた。
「ど、どうしたの?」
甘い香り。瑞埜が顔を上げると金色の髪の上を光がサラリと流れて、そして美しい青い星のような瞳とかち合う。
「稲早くんと、椿先輩が…、旧校舎に入って行ってしまったのです。」
真昼とうちゃぎ、終了のお知らせ。
瑞埜のこの言葉に驚いたのは、優都だけではない。迷も佐川先輩も、その場の全員の声が揃う。
「旧校舎?」
「遅れて来た写真部の方だと思うのですが、女の子と一緒に稲早くんが…。それで、その後を追って先輩も旧校舎の中に入ってしまったんです。…どうしたらいいですか?」
どうしたらいいですか、と言われても、三人を連れ戻すより他にない。
かつ生徒だけで勝手な行動はとれないのも正直なところだ。
旧校舎と言われれば、優都の頭には兎が以前口にしていた『学園七不思議』が浮かぶ。
「兎は怪談話がある旧校舎なら、心霊写真が撮れると思ったのか…?」
「兎様なら危険な場所へ行く前に、先輩に相談すると思うのですが…。」
兎は迷が思っているより、勝手に行動する生き物です。
円卓を囲む佐川先輩と迷と優都。その優都にしがみつく瑞埜と、その奥に立つ諏訪部長。
全員で現状を考察する。
「大平ちゃんに誘われたんじゃないかな。彼女はおとなしい子だけど、写真に対しては積極的だから。
ただ、旧校舎は古い木造で釘が出ているところもあるから、今は先生方が倉庫に使う以外は立ち入り禁止のはずだよ。」
諏訪部長の言葉に、佐川先輩は口元に指を当て、
「そうだよねぇ。」
と相槌。
「ところで、金曜日の怪談って誰か知ってる?」
この質問には、はいっと迷が手を挙げた。
「金曜日は鬼…、放課後に渡り廊下へ続く扉を開くと、鬼が出て来て食べられてしまう、というやつですね!」
この話を聞いて、優都はゾッと寒気がする。気温が二度ほど下がったような。
季節柄、雨が降っても湿度が上がって暑くなる一方で、寒気を感じるほどではないのだが。
「よりによって、鬼が出る日か。なんか、心配だなぁ。」
「とにかく、誰かに相談しよう。」
という諏訪部長の提案に、誰もが賛同する。
「はい。では、桜庭先輩研究部の顧問、渡辺先生を呼んで来ましょう。」
迷が勢い良く席を立つ。
推しが絡んでいる案件だけに、悠長にしていられないのだ。
「あの、それではそろそろお尋ねして宜しいでしょうか…。」
不意に瑞埜が口にしたその言葉に、全員の注目が同じ一点に集中した。
テーブルの上で、退屈そうに顎をつけて寝ている、一匹の犬。それは尻尾をゆらゆら揺らし、時折ケホッと炎を吐いている。
わんちゃだ。瑞埜と諏訪部長は初見になる。中でも瑞埜の目力は凄い。
「も、もふもふ…!」
こんな時に不謹慎だが、すっかり目の前のワンコに目を奪われている。
「あ、えっと、妖怪『迎え犬』を星の御使いとして契約したんだ。名前は、わんちゃです。」
という優都の素人には全く何も伝わらない説明。瑞埜はコアラのように優都にしがみついたままで、目の前の妖犬の可愛さにゴクリと唾を飲む。
「妖怪って…、こんなに可愛いもふもふの事だったんですね…!?」
嵐の旧校舎。暗雲の下で、強風と大雨に晒されている。雲の上では閃光が走り、ゴロゴロと不気味な唸り声まで響く。
雷が来そうだ。
その木造校舎の一階、体育館と繋がる渡り廊下の扉の手前で、真昼は鬼の少女と刃を交えていた。
「はああ…!」
気合いを込めて踏み込んだ真昼の手の甲に重なるように出現しているのが星の剣。
それは防戦する鬼の爪を何度も打ち付け、キン、キン、と甲高い音をたてる。
(あの瞬間移動だけ面倒だからな。スピードにはスピード勝負で、移動先を限定する。)
百戦錬磨の真昼にとって戦略は星の数ほど。今の状況を打破する戦法を記憶から選び出して立ち回る。
『剣技とは…。』
パンと乾いた木の割れるような音がして、鬼の少女の爪が砕け飛ぶ。
「君の知っている星神使いは、俺ほど剣の腕は立たなかったようだな。」
真昼の剣は単調な攻撃にならないよう、横に振り抜いた剣を手元で半回転させ、下から切り上げ。そこから今度は体ごと捻って、逆サイドからの振り下ろしに続く連撃の型だ。
止まることのない剣撃で圧倒し、その上空からは大きく開いた餓者髑髏の口が迫り来る。
追い込み漁。
(契約を交わした星の御使いは、傍に置くだけでも霊力を共鳴し高め合うことで単純にステータスアップになる。
でも俺と餓者髑髏は付き合いが長いから、戦術的なコンビネーションもバッチリさ!)
大気を震わせて迫る餓者髑髏の巨大な口を、鬼の少女は姿を消して回避する。
攻撃域の広い巨体の餓者髑髏から逃れる為に、再び神速で真昼の背後へ回り込み、姿を現すのだ。
というのを、真昼は読んでいました。
「もらったあぁぁ!」
肩を動かすだけでも天井を押し上げる餓者髑髏の果てしなく大きな体。建物全体を揺るがす振動。
その中で、真昼は足を順番通り動かす丁寧な回れ右をした。
餓者髑髏の背骨が当たって遥か高い天井のシャンデリアを砕く。その破片を一身に浴びる太平童子へ、振り返った真昼がまさに星の剣を振り抜こうというところだった。
ギイィ…
と音をたて、渡り廊下へ繋がる扉が開く。
「椿ー? 稲早? 誰かいるか?」
よく知った声が聴こえてくる。それと同時、全てのものが姿を消した。
全てとは、全てだ。
音もなく。
太平童子を名乗る鬼も、真昼が従える星の御使い、餓者髑髏も。真昼が戦っている間、兎を守る為に閉じ込めていた星の骨組みも。
窓を叩く影も。泣き叫ぶ声も。
その全てだ。
真っ白だった視界は、電気の通っていない古い木造校舎らしい暗闇へと帰ってくる。
つまり、なんも見えんくなる。
真昼は振り抜いた剣が空振りしたまま、廊下に立ち尽くした。荒い息を整えるのに、少し時間がかかる。
「…ワタル先生?」
真昼の元へと歩み寄ってくる、一人の教師。雷鳴が轟き、雲が光るとその顔が照らし出された。
「何やってんだお前。」
ホントにそれなんですよ。
「えーと…。」
なんて答えようか迷ってしまう。
「今、ここに生徒の姿をした鬼がいて、その鬼に兎が旧校舎へ拐われて来て、その鬼を退治しようと今俺が…という…アレでですね…。」
最初の勢いはどこへやら、捲し立てる真昼の説明は徐々に尻すぼみになっていく。
「オニ?」
上品に髭を生やした渡辺先生の首が、やや傾く。真昼の背後を覗き込むが、特別変わった様子は無い。
延々続く廊下に、並ぶ教室の扉が雷のピカッで浮かび上がる。ごく普通に嵐の日の学校だなぁ~という感じ。
「俺には何も見えないけど、椿がそう言うなら何かいるんだろうな。とはいえ、ここは古い校舎で足下も危ないし、さっさと外に出た出た。」
と言って軽~く追い立てられてしまうので。
「えぇ…。」
真昼は剣をしまうと、しぶしぶ兎を担いで外に出た。
(仕留められそうだったのに…。)
と少し惜しい気持ちを残しつつも、この場を離れる。
こうして真昼と旧校舎の怪との邂逅は、突然起こり、唐突に終わった。
一歩外へ出ると、優都を含め写真部と桜庭先輩研究部の合同メンバーが集まっている。
学園七不思議の話を知っているからなのか、皆一様に戦地から帰還する兵士を待つような、深刻な表情だ。
「…真昼!」
出迎えた優都の顔を見て、真昼はようやく現実に帰って来たような気分。
「やぁ。優都。わんちゃの写真は撮れたかい?」
先程までの事は全て、夢だったような。
嵐は渡り廊下の中まで降り込み、肩を冷たい風が叩いて行く。
そして、突風が開かれた扉から旧校舎の中へと飛び込み、強烈な風の唸りが響いたのだった。
「…っ怖い。」
思わず瑞埜が小さく弱音を吐くほどだ。
まるでこの旧校舎に、新たな風が吹き込んだかのような。魔物達の目覚めの咆哮のようにも聴こえた。
迷は真昼の背の兎に駆け寄り、血で濡れた真昼の服に気がつく。
「真昼様…血が…! やはり鬼が出たのですね…。」
「あぁ。禍の箱は確かに存在するようだ。」
自分で口にしておいてハッと気が付く。仮に箱が本体なら、あの振り抜いた剣が鬼を捉えていたとしても、真昼に勝ち目は無かったのでは。
最初に廊下いっぱいの顔を真っ二つにした時も、手応えは無かったのだから。
まぁ、いいか。終わったことか。今更だし。
「太平童子…。そして残る六つの箱、か。」
真昼は再び旧校舎の扉を振り返る。入った時は抵抗を感じ無かったその場所に、今は深い闇を感じた。




