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されど神に感謝すべし(結成編)  作者: 近衛モモ
Happy dog
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焔の化身



 その日、一人の学生が道の上で頭を抱えて丸くなっていた。


 酷い頭痛に悩まされているのだ。


 彼は名前をユウトと言って、明るい茶髪に深い緑色のブレザー、白いシャツ、チェックのズボンという学校指定の制服に身を包んでいる。


 彼の目の前には、黒い影が立っていて、鼻も口も目も無く、かろうじて輪郭で人だとわかる程度のものだ。


 そういう黒い影は街の中のそこかしこにいて、例えば自販機の横に座り込んでいたり、信号の無い横断歩道を横切っていたり、公園のベンチに横になっていたりするのだけど、ユウトはそういうものに遭うと、決まって具合を悪くするのだ。


「誰なの? どうして欲しい? 祈ったらいい?」


 この霊は、雑貨屋にいた頃から優都について来ていた。


 頭が痛いと自然とそうしてしまうのだろうが、痛みを堪えようと眉間に力を入れてしまって、ユウトはまるで地面から人を睨み付けるような目になっている。


 その目は赤く血走り、まるで悪魔が人に取り憑く時のように、目玉をギョロつかせて相手を睨むのだ。そういう目だ。


 場所は食料品を扱う店の裏手で、住宅街へ繋がる道路がある。人通りの無い道で、時折車が通りかかるものの、うずくまるユウトには一瞥もくれず、走り去っていくばかりだ。


「神様、大丈夫ですか?」


 対峙する黒い影とユウトの後ろには、もう一人、女学生が立っていて、今は心配そうにユウトに声をかけているところだった。


「何か見えるのですか? 怖いものですか?」


 女学生の方はとても美人で、同じ仕様の深緑の制服にスカート、膝まである黒いソックス。肩にかかる金色の髪が、夕暮れにキラキラと輝いている。


 その輝きが丁度、近くを流れる川の水面の光の乱反射に似ていた。


「瑞埜さん、すぐ傍に霊がいるんだ。俺、頭がすごい痛くなる。いつもこうなるんだ。ごめん。」


 ユウトは自分が悪くなくても、ごめんを言うのだ。

 たまに「お前は悪くなくね?」と人に言われて、それを言われると返事に困ってしまうことがある。


「霊というのは、人ですか。それとも、妖怪などの類いのことなのですか。」


 女学生は名前をミズノと言う。


 ミズノには、この黒い影が見えていない。それで、学校帰りに夕飯の買い出しをした優都が、買い物袋を突然手から落として、地面に倒れ込んだように見えるのだ。


「人だとは思うけど…。星々の全ての御使いは、我が声に答えよ。愛する方は傷を負われて、羊のごとく迷いて…。」


 ユウトが唱えるこの口上は、彼が唯一知っている、黒い影を消す手段。これまでも再三唱えて来たそれを、ここでまたゆっくりと口に出す。


「星々はその枷を壊し、月に歌を寄せ、愛する者の安らぎを祈り賜え。」


 ユウトが言葉を唱えると、目の前にいた黒い影は、じんわりと浮き上がるように色がついていく。


 まるでフィルムで写真を撮った時のような感じで、時間が経つと姿が浮き上がって来るのだ。


 フードのついたゆったりとした服を着ている。体格などで男性だということは判断出来た。


「…あ!」


 さらに一つ驚いたことは、ユウトはその服装の男を、ここ最近で見たことがあるのだ。


 後輩に親睦会に誘われた日、幼馴染と再会した日、秘密基地に招かれた日、まさにあの日のこと。


 優都はこの霊に遭遇し、学校の帰り道で動けなくなってしまった。


(また、この子…!)


 ユウトの幼馴染が、ユウトを助けようと剣で切り裂いたあの霊だ。真夜中の学校に忍び込んだ時には、その幼馴染が、あれは獣の霊だと言っていた。


 さらに。


 この上、驚くのには、その霊は再び姿を変えて今度は四足獣の形になった。犬だ。


 黒い影が人になり、人が犬になる。その犬というのは随分体が大きく、ブロック塀に囲まれた二階建ての民家ほどの大きさがあるのだ。隣に立っているオレンジのカーブミラーが可愛く見える。


 そして、それは灰色の毛で覆われていて、内側から燃えるような赤色が透けている。火の入った炭のような色だ。体毛の一本一本が針のように鋭い。焔の化身だ。


 瞳は深い青。薄く開いた口には牙が覗く。三角おみみ。


「わんちゃん…!」


 優都はくまちゃんの他にわんちゃんやうさちゃんも好きです。


「真昼が言っていたのって、こういうことか。人に化けれるの?」


 ユウトの言葉に、後ろに立っていたミズノはよくよく目を凝らしてみる。


 目尻が痛くなるほど力を入れて目を凝らすと、彼女にも陽炎のような空間の揺らぎが見えた。



 それしか見えないが、まだ陽炎が立つような季節でもないので、そこに何かあるのは明らかだ。


「人に化ける犬…? 私、本で読んだことがあります。犬の妖怪は色々といますが、総じて『化け犬』というような呼ばれ方をしていると。」


 このミズノという女学生について説明すると、彼女は読書が趣味なのだ。それも、砂漠の姫を盗賊が奪いに来て恋に落ちるようなロマンチックな本ではなく、妖精の図鑑だとか、世界中の教会の写真を集めた本だとか、そういう自分の想像力を補填するものが好きなのだ。


 それで、彼女は妖怪の図鑑にも目を通したことがあり、次のように口にした。


「確か、『迎え犬』という妖怪がいると本で読んだ事があります。『送り犬』という人を殺す妖怪と対になる存在で、『迎え犬』はなついた人間を守るそうです。


『迎え犬』に出会った時、食べ物をあげたり、お経を読んであげた人になつくと、書かれてありました。」


「お経は無理だけど、祈りなら。前に出会った時に唱えた記憶がある。」


 あの日、優都は霊障を抑えようと咄嗟に祈りを唱えたのだ。すると黒い影は人の姿に変わって見せた。


『迎え犬』は、優都に祈りを唱えて貰ったことが嬉しくて、仲良くなろうと人の姿に化けたのかもしれない。


 そして、今も住宅一棟ほどの大きさのある巨体で姿勢を低くし、優都に鼻を近付けている。黒いお鼻はトラックのタイヤくらいデカイ。


(真昼がこの霊を斬った時、倒したんだと思ったけど…。この霊の正体を知っていて、手加減してくれたのかも。)


 そうと思うと急に気が変わって、優都は頭痛を堪えて立ち上がることができた。そうして、『迎え犬』の熱い鼻先を優しく撫でる。


「そういうことなら、できれば仲良しになりたいな。」


 優都は近所に犬を飼っていた人もいなかったので、こういう時にこれといって犬に関係した思い出が蘇ってくるということもない。


 ただ、前傾姿勢で自分より小さな優都に頭を垂れて、気持ち良さそうに鼻を撫でられている迎え犬の姿は、とても可愛らしかった。目がシュッと細くなる。


 揺らぐ蝋燭の炎のように、輪郭と背景の境が曖昧に見える。三角おみみがピン。


「怖がったりして、ごめんな…。」


 大きく息を吸って、ゆっくり吐いて。親睦会の肝試しで訪れた屋敷でそうしたように、優都は呼吸を整えた。


 こうすると優都のなかで霊視をする準備が出来るのだ。頭痛の代わりに優都の頭の中には、一つのイメージが浮かんでくる。


 雨の降る荒廃した街。古い記憶だ。建物も、道路も無く、焦土の上を痩せた犬は一匹で歩いている。


 途方もなく、焼け残った残骸の下から食べれそうなものを拾っては、また歩く。


 誰かを探しているようだ。


 体中、泥と雨に汚れながら、空の見えない煙の中を。


「淋しいんだね。」


 優都がその獣の霊と鼻を付き合わせている間、ミズノは後ろで見えない光景に想い馳せていた。


 何か起こっているのは確かだが、優都が立ち尽くしてたまに独り言を呟いている様子しか、窺い知ることはできない。


(不思議と、見えないのにわかります。何か優しい事をしていると。私の神様が、何かを救おうとしていると。)


 そんなミズノの頭の中に、不意にある男の顔が思い起こされる。


 一見して穏やかな表情で、しかし、どこか冷たい印象を与える目をしている。何も映らない瞳。漆黒の髪色。退屈そうな声色で囁く。



『君が『ユウト』であってるのかな? とりあえず、一番可愛い子を選んだんだけど。』



 そう問いかけてきた男の顔。


(あれは一体…、誰だったのかしら。)


 ミズノが考え込んでいる隙に、優都が鼻を撫でた犬の霊は、再び人形をした黒い影に戻っていた。


 そのまま、買い物袋を拾い直す優都の背中にぴったりついて離れようとしない。


「あ、瑞埜さん待たせてごめん。か、帰ります。」


 スーパーで買った食材と、雑貨屋で購入した『くまちゃ』グッズ。全て拾ったことを確認してから、優都は瑞埜に声をかけた。


 この霊は、このままくっつけて帰る気なのだ。今までの優都からは考えられないような行為だが、きっと大丈夫だろう。


 真昼なら、優都を倉庫には閉じ込めない気がして。


「あ…、もう大丈夫なのですか?」


「あぁ。買い物まで付き合わせてごめんな。暗くなる前に帰ろう。」


「霊は?」


 ミズノのこの質問に、ユウトは困ったような笑い顔になる。


「飼えるか聞いてみるよ。」







 その後、優都は家に帰って家中に大興奮で「くまちゃ」グッズを並べた。


「このくまちゃはここでしょ、このくまちゃはここでしょ、このくまちゃはいつも一緒にいたいからここでしょ!」


 この時間が楽しいんです。


 丸型クッションの横にはお腹ピュウピュウのくまちゃ、お台所にもキッチングッズでくまちゃ。これで優都のお城はまた少し優都色に染まった。


 大満足です、えへへ。


 優都は部屋の中を趣味のもの一色で染めがちだ。もっと言うと、この場所しか自分の自由にできる場所がないので、趣味が色濃く出てしまう。


 お店の紙袋は折り畳んでエコバッグにするつもり。





 それから一度部屋の外へ出ると、次は自分の家の鍵ではなく秘密基地の鍵を使った。


 真昼に報告しなければいけない。この日、優都の身に起きた大きな出来事を。


「真昼、入っていいか?」


 秘密基地の扉を開けると、そこには常に変わらない安心感がある。


 つまり、縦に長いダイニングキッチンの空間に、暖かな照明。壁際に寄せたテーブルセットに、冷蔵庫や食器棚が並び、そこで真昼が一人スマホを弄っている。


 住宅販売のCMみたいな安定感だ。帰りたくなる家。


 優都がいつ訪ねて来ても、真昼は嫌な顔一つしません。というか、いつになったらここに住むんだい? と思っています。


「やぁ、優都どうしたの…うおおお。どうしたんだそれは。」


 静かに驚いた真昼の目には、優都の肩に乗る小さなワンちゃんが見える。肩乗りサイズです。変幻自在です。説明終わり。


 灰色の毛並みに内で燃えるような赤色。それはそのままに、尻尾だけが長くなり、先に行くほど細くなって、煙のように優都の顔の周りを取り巻いている。鼻も少しぺちゃこくなって、目もパッチリ大きなデフォルメ仕様。


 胸のところの毛がフカフカしていて、手触りが良さそうだ。


「真昼に頼みたいことがあるんだけど、…前にこの家のことを好きに使っていいって言っていたよな?


 犬も飼っていい? ちゃんとお散歩もするから。」


「優都の肩に乗っているそれは犬ではないね? 僕それ見覚えあるなぁ。優都に会った日に斬ったやつだね。再生早かったね。」


 という口振りを聞く限り、真昼が手加減をしたように見えない。全力で振り下ろした刃の重さが、敵を討ち取るのに足りなかったようだ。


 優都は木製テーブルに買い込んだ夕飯の材料を広げて袖を捲る。


「真昼、この子って犬の霊? 妖怪?」


「犬の霊が長く生きて強い霊力を持ち、妖怪になったもの。『迎え犬』だよ。」


「すごい! 瑞埜さんの言う通りだな。」


「一年生の子?」


「うん。本が好きだからなのかな? 妖怪に詳しくて。」


 それを聞いて真昼は顎にスマホを当てる。霊を視る力を持った優都。霊に詳しい真昼。さらに部員の中に妖怪に詳しい人間がいるというのは、有難い強みだ。


「妖怪の図鑑担当がいてもいいかもな…。顧問も決まったし。」


「顧問決まったんだ。渡辺先生?」


「うん。今まで全くよく見たことが無かったけど、いい人だね。」


 真昼は自分のクラスの先生をあまりよく見たことがないです。毎日をザックリ生きている。


「部活の話もまとまってきたし、嬉しいことが多いから、優都が妖怪飼うのも許そうかな?」


「今日の晩御飯は肉豆腐だぞ。白菜あるから。」


 優都は牛肉のパックを顔の前に掲げた。次にお豆腐をぽいぽいっと作業台に置き、冷蔵庫の横にそのまま転がしてあった大きな白菜をうんとこしょと持ち上げ、白菜と一緒にポーズを決める。


 お夕飯は肉豆腐だよのポーズ。


「採用。元々この秘密基地には妖怪もたくさんいるし。是非、犬でも妖怪でも飼ってください。 そして早く肉豆腐の支度を。」


 夕飯で懐柔される真昼。


 胃袋を掴むと物事が上手く運ぶことを、優都は学習した。


「名前はわんちゃにする。」


「ん? 優都? それはダメだよ?」


「わんちゃ。」


「そんな感じの名前のクマがいるね? 僕知ってるよ。商標権だよ。」


「くまちゃじゃないから。わんちゃだから。」


「いや、ほとんど変わらないんで…。」


『わんちゃ』と優都に命名された犬の妖怪。改めて真昼に『迎え犬』と紹介されたそれは、ピョコンと優都の肩を下りると、少し離れた出窓のところまで歩いて行った。


 そこには知らないうちに、花弁の大きい赤い花の鉢が置かれていてる。わんちゃはその傍らに寝そべると、ぺったりと伏せて目を閉じた。


「出窓が占領されちゃうな。」


 真昼の静かな抵抗は、優都が豆腐のパックをバリッと開けた音に掻き消された。


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