74隠れた計画を知ります
予定変更。相変わらず、リジェット視点です。
体調を崩したスミを送るためにわたくしたちは、シュナイザー商会を後にします。
ぐったりとして、目を覚さないスミの姿は見ているだけで痛々しく、わたくしの心まで痛くなってしまいます。そんな彼女の背中をマハが、眉を下げて心配そうに撫でていました。
「ごめん。お前にスミをおぶってもらって……」
マハは初めて会った時に見た、威嚇をするような態度とは対照的な申し訳なさそうな表情を浮かべていました。
救護すべき人間がいる。こんなシチュエーションの時、体格的には、一番背の高い先生がスミを運ぶのが順当でしょう。
しかし残念ながら、先生にはそれが可能なだけの腕力がありません。
わたくしが呪いを排出したと言っても、先生は日頃の生活は魔法陣に頼りきりなので、相変わらず、鍛えてはおらず、ひょろひょろなままです。
途中までは、マハが頑張って背負いこむような形で運んでいたのですが、マハも馬力があるタイプではないらしく、途中で疲れた様子を見せていたので、一番筋力があるわたくしが運搬係を申し出たのです。
騎士を目指して、日夜トレーニングを積んでいるわたくしにとってはスミはさほど重くはありません。
わたくし自身、体格は小柄な方ですが、力だけはあります。成人しているスミもそこまで大きい方ではなかったので運びやすいなあと思っておぶり始めたのですが、そんなわたくしを見てマハと先生は唖然としたような変な表情を浮かべていました。
……なんですか、わたくしの脳筋具合に驚きでもしましたか? ……あなたたちも鍛えればいいんですよ、鍛えれば。
二人を半ば無視しながら、スタスタと宿に歩いていきます。
歩いている途中、わたくしはマハに聞きたかったことを尋ねてみます。
「スミは先生とレナート言葉にショックを受けて倒れてしまったんですよね? でも……。どうしてそんなにショックを受けたのでしょう」
スミは倒れてしまいましたが、端で話を聞いていたわたくしにはそこまでショッキングな内容には思えなかったのです。まあ、不敬と言えば不敬ですが。
「僕にとって湖の女神は、邪悪で、人の人生を狂わせるような存在だったけれど、スミにとってはそうではなかったのかもしれないね。スミは大聖堂で育ったと言っていたし、幼い頃から、湖の女神への信仰心を強く持って生きてきたんだろう。彼女はこの世界ので得た自分の人生を気に入っていたようだし、運命自体を恩寵のように感じていたのかもしれないね」
「恩寵……」
スミは前の生でも、人生を生き切ることが許されずに、無念の死を遂げたと言っていたことを思い出します。
そんな彼女にとって自由に動ける環境を与えてくれた、湖の女神は敬いを持つにふさわしい人物だったのかもしれません。
「……自分の寿命を削って、権力者に振り回され、弱者のために生きることが、恩寵かよ」
マハは苦しげな表情で吐き捨てるように言います。
マハはスミの従者めいたことをしていますし、スミに心酔しているように見えたので、スミの選択を受け入れ、応援していると思っていたのですが、実際のところは彼女の選択に思うところがあったようです。
あ……。そういえば先ほどレナートがマハは呪い子だと言っていましたものね。
人より長い寿命をもつことで、大好きなスミがいなくなった人生をどうやっても歩まねばならないマハにとっては、その期間はできるだけ短い方がいいのでしょう。
「マハは……。スミに長く生きてほしいのですね」
その言葉を聞いたマハは、驚いたように目を見開き、そっぽを向いて何も返事をしてくれませんでした。
その姿がいじらしくも切なくも見えて、わたくしは何もいうことができません。
この二人ができるだけ長く、ともに歩めますようにと、わたくしには願うことしかできないのです。
*
スミとマハが王都での本拠地にしている宿は中心部からは少し離れたところに位置していました。
素朴な石づくりの小さなその宿は、けして華美ではありませんが、二人で王都に滞在するだけであれば、十分な設備のように見えます。
わたくしたちは入り口のエントランスにいた支配人らしき従業員に頭を下げ、客室内に入っていきます。
小花柄でクリーム色の壁紙が貼られた室内に入ると、なぜだか懐かしさを感じてほっとしてしまします。
どの調度品も、使い込まれていると同時に手入れが行き届いていて、レトロで上品。そんな客室を好むスミはとってもセンスのいい女性だと言うことが、この客室から見てもわかります。
わたくしはベッドにスミをゆっくりと下ろし、寝かせました。
「マハ……。スミはいつからこんな感じなのですか?」
そうスミを起こさないように静かに問うと、マハは苦い顔をして質問に答えました。
「俺と会ったときには、結構体調が悪かったかな……。でも、こんなふうに出先で倒れるようなことはなかった。
俺とスミは二年くらい一緒に旅をしているんだけど、体調が悪いのを隠せなくなったのはここ一年ってところかな……。それまでは頑なに出費を拒んで、宿なんて取らずに森にテント張って野宿をしていたし……」
まさかの野宿という言葉に、わたくしは口をあんぐりと開けてしまいます。
「の、野宿⁉︎ 一応ですけど、スミって役職持ちの貴族ですよね⁉︎」
図書館でも爵位が高いものでないと入れない資料室に出入りしていたので、わたくしよりも爵位が高いのは確かなのです。……多分、侯爵位なのではないでしょうか?
そんな疑問にマハは、冷静に答えます。
「スミは生まれが孤児で、育ちも大聖堂だったから、本人的には貴族であるって認識は薄いんだよ。王立図書館に行くときくらいしか貴族だとは名乗らないし」
そういえば、宿の部屋の中を見ても、ものはそこまで多くなく、カバン一つに入ってしまうくらいのものしか置かれていません。収納の魔法陣を使っているのかと思いましたが、それにしてはカバンにものが使っている感じがするので、それも使っていないのでしょう。
どうやら、スミは本当に節制した生活をしていたようですね。
「どうして、スミはそんなに出費を嫌っていたのかしら?」
マハに視線を向けて尋ねると、言いにくそうな顔をして答えます。
「スミはね……。白纏の子がグランドマザーの手に落ちないように保護をしているんだ」
「保護?」
「うん。この国の色盗みはもうほとんどいないけど、スミとの旅の中で、三人見つけたんだ。もう彼女たちはまだ最初の石も奪われていなくて、グランドマザーにあったら、寿命をとられてしまうから、スミが隠しているんだよ。
ほとんどの資金はその白纏の子を隠すために使われているんだ」
「……え。なんのために?」
「リジェット……。その物言いは……」
わたくしは自分の体調が倒れてしまうほど悪いにもかかわらず、人を優先して助けようとするスミに対して疑問を持ってしまいます。
疑問符を頭に浮かべていると、それを見ていた先生に軽く、窘められてしまいました。
「君だって、国に危機があったら騎士として命をかけて戦うだろう? スミにとってはそれが他の色盗みの命だったんだよ」
先生の一言でスミの行動が少し理解できたような気分になります。でも……。それにしたって……。
「あまりにも善人すぎません? 自分の命が危ないっていうときに人のことを優先させるなんて……」
「知らないよ。でもスミはそういう性分なんだ。自分を犠牲にしてまで、人を助けたいなんてさ……馬鹿だよね」
マハはスミの髪を優しく梳きます。優しい視線から、マハがスミを心から慈しんでいることがわかります。
「俺がスミと出会ったのも、スミの旅の途中だったんだ。スミが目星をつけていた、白纏の子が隔離されていると噂があった村に、一緒に閉じ込められていたのが俺だったんだ。
ずっと長い間、建物内に閉じ込められていたから、でた後も俺は世間に疎くてさあ。外の世界に出てもそこでどう生きればいいかわからなくて。そこで捨てて行ってもよかったのに、スミは『一緒に旅することで生き方を見つけたらいい』って言って同行することを許したんだ。俺は呪い子で、図体は小さいけど、中身は大人なのに」
マハは一体幾つなのでしょう……。
でもその経緯を聞くと、スミがマハを保護してしまった気持ちが少しわかるような気がしました。
わたくしがマルトでニエに目をかけたように、スミも旅をするうちにマハを見つけてしまったのでしょう。
話をよくよく聞くと、マハは推定二十三歳なのだそうです。
詳しく年齢がわからないのは、マルトのような荒廃した村で生まれ、二型の呪い子特有である成長の遅さを見た村人たちが、マハのことを気味悪がって、村で一番強固な建物に閉じ込めて、そこから何十年も出ずに育てられたからだそう。
そこまでするかしら、と一瞬思ってしまいましたが、マハはこの国の平民の中だと珍しい、豊富な魔力を表す、綺麗な黒髪を持っていますし、情報が少ない村人たちにとっては脅威だったのでしょう。
殺してしまうにしても、下手なやり方だと命懸けで呪いをかけられることがありますから、難しいのです。仕方がないことだったのかもしれません。
そんなマハにとって、スミは世界を教えてくれた恩人なのでしょう。
そして、スミにとっては何も知らない、危なっかしい子供に見えたのかもしれません。
「きっと放っておけなかったんでしょうね」
そう呟くとマハは小さくだろうね、と呟きます。
「スミといろんなところへ一緒に旅をしたよ。運よく国境を超える転移陣を手に入れてからはハルツエクデンだけじゃなくて、ラザンダルクやシハンクージャの方にも足を運んで、二人でいろんなものを見た。
新しいものを目にするたびに、スミは嬉しそうに色を盗むんだ」
「え? 待って。和平が成立して行き来がさほど厳しくないラザンダルクはわかるんだけど、ほぼ鎖国状態のシハンクージャにも行ったの?」
話に割り込んできたのは先生です。慌てた様子で、マハに声をかけます。
シハンクージャとハルツエクデンは隣国ですが、国交が途絶えています。国境沿いには魔鉱でできた高い塀がそびえ、人っ子一人通さぬ、厳しい管理がされています。以前わたくしのお兄様であるへデリーお兄様もその国境沿いの地域に赴任していました。
「うん。スミと旅する中で出会った旅芸人の男が、スミのことを気に入ってさ。シハンクージャに通じる転移陣を持っていたんだけど、魔力が少なくて使えないっていうから貰い受けたんだ。俺は腐っても黒髪だから魔力は余っているし、スミも黒く滲みができてからは自分一人でも使えるよ。
ハルツエクデンではシハンクージャって野蛮な国だって言われているけど、場所によっては結構落ち着いて暮らしやすいところもあるんだよね。しかも平民の中にわらわら黒髪はいるわ、呪い子やら白纏やら、この国じゃ珍しくて排斥されかねない要素もちが多い。スミはもしかしたらシハンクージャの方が俺は暮らしやすいんじゃないかって言って連れて行ってくれたんだ」
「そうなの……それにしても特殊な経歴だね……」
先生は感心したように頷きます。
「スミが匿って位る白纏の子も今はシハンクージャにいるんだ。シハンクージャには髪色の薄い人間と髪色が濃い人間——ちょっと平均とは違った魔力を持つ人間が集まって暮らしている集落があって、そこなら白纏は珍しくないから。もちろん、彼女たちの希望は聞いてるよ。今は集落の人にも受け入れてもらえて穏やかに暮らしている。今でもたまにスミは資金の差し入れに行くために通ったり連絡を取ったりしてるし」
マハの言葉を聞くと、二人の旅路が見える気がします。きっと楽しいことだけではなく大変なこともたくさんあったのでしょう。それを乗り越えて、共に暮らしていった時間が、マハとスミの荷物から読み取れます。
擦り切れた、カバン。ベッドサイドのテーブルに置かれたスケッチブック。つぎはぎに繕われた洋服たち。
二人の荷物は少ないですが、周りを見渡すと、見えるものの中には歴史が詰まっていることがわかります。
「シハンクージャにいても、ラザンタルクに行っても、外に出て、たくさんの色を見られるのが何よりも幸せだって、目を輝かせてさ……俺はそれをみるのが……。本当に、本当に好きだった……だから……。それを止めるなんて俺にはできなかった」
ポロリと一粒、マハの目から涙が流れ落ちます。
「いつまでも二人で旅をしていたかった。色盗みを止めることができたら、スミはもう少し長生きできたのかな……」
独り言のように呟いたマハの言葉があまりにも切なくて、わたくしは何も言えなくなってしまいます。
スミは色盗み、という能力が心の底から好きだ、と目を輝かせていっていました。
それは彼女の大切なライフワークで、自分の命をかけてもやり遂げたいことだったのでしょう。
「あなたは、わたくしの石を盗んで欲しかったんじゃないですか? でもスミはこんな風になってまでわたくしの石を奪わなかった」
そうわたくしが呟くと、眉間の間に皺を寄せてこちらを向いたマハが自重気味に白状し始めます。
「あんたとスミがあの場で会うようにセッティングしたのは俺だよ」
「……やっぱり、そうだったのですね」
苦くて、重い空気が空間を支配します。わたくしはその苦さに耐えられず、つい下を向きます。
わたくしには誰かを犠牲にしてでも、運命を変えたいという気持ちが痛いほどわかるからです。
「俺はスミにあんたの寿命を盗んできてくれと言った。俺のために。俺を一人にしないために」
マハの目には下を向いたらこぼれてしまいそうなくらい涙か溜まっていました。
「半分脅しみたいなものだった。俺を大切にしてくれているなら、一人にしないでくれよ、ってみっともなくすがってさあ。……でもスミはお前の寿命を盗むことはしなかった。いや……できなかったんだ。スミは純粋すぎる。出会った頃は他人に頼ることもできなくて、俺に指図することもできなくて、いつも困った顔をしていたよ……」
悲しい呟きに、わたくしも同調するように涙を流してしまいます。どちらかというとわたくしはわがままな性格で、どんな手を使っても自分の欲望を叶える気質の人間なので、わたくしの寿命をスミに奪わせたかったマハの気持ちがわかってしまうのです。
「やっと、やっと、俺たちの間につながりができて、一緒に生きるって決心をしたときにこれかよ……」
切ない言葉は、小さな部屋の中に溶けるようにすい込まれていきました。
自分の寿命が短いにも関わらず、人のことを優先するスミの行動は、リジェットには理解不能だった様です。まだ彼女はこの時点では若いですから。君もどんどん思考が変わっていくんだよ。
次は スミ視点です。愛せなかった女 です。スミの過去と優しさのお話。




