5二人の強くしなやかな女性に感服です
何がなんでも騎士になる! そう決めたところまでは良かったのですが……行動に移すのはなかなか難しいようです。
誰にも相談せず髪を切ってしまった境に、わたくしに対する屋敷の者たちの目は、次第に冷ややかなものへと変化していました。
わたくしが全ての勉強を終え、中庭で一人、剣の素振りをしていると、使用人たちがかわいそうなものを見る時の、嘲笑うような目でこちらを見てくるのです。
剣の自主練を終え中庭から自室へ移動する際に「お嬢様は意味のない努力がお好きなようだわ」なんて囁きを実際に耳にした時には……悲しくて、涙腺が一瞬緩んでしまいました。
自室に戻ったわたくしはソファにぐったりともたれながらラマが用意した紅茶を気怠い気分で飲み込みます。家の中にはこんなに使用人がいるのに、その中に一人も味方がいない現実を受け止めながら。せめて一人でも、自分が望んでいる生き方を、応援してくれる人がいたとしたら、環境にこんな虚無感を抱かなかったかもしれません。
ぼんやりともの耽りながら、ふと窓の方を見ると、空の向こうから何かがこちらに飛んでくるのが見えました。それを薄目で確認したラマは慌てて窓を開けます。
飛んできた物体は開いた窓からすうっと部屋の中に入り、やがてわたくしの腕に止まりました。
それは小鳥のようにおられた紙でした。動きを止めた小鳥は静かにピカッと光ります。
あ……。これはお手紙の魔法陣です。
お手紙の魔法陣は送り主が魔力をこめることで、動く仕組みになっていますので、わたくしが魔力がないことを知らなかった頃から扱うことを許されていた、数少ない魔法陣の一つです。
「誰でしょう? あら、おばあさまから?」
宛先を見ると確かにヒノラージュ、とおばあさまの名前が書かれていました。
手紙には近いうちに自信が住む別邸へ面会に来て欲しい、との内容が書かれていました。
いきなり呼び出されたことに面食らってしまいます。
というのも、実はわたくしとおばあさまは血の繋がった親族ではありますが、あまり面識がないのです。というかこの世界の貴族たちは家族だからといって、毎日顔を合わせたりするような関係性ではないのです。
貴族の子供たちは早いうちに親から離され、乳母や使用人達に育てられるのが一般的です。
お父様やお母様でも、月に二度ほど言葉を交わすくらいの関係性の希薄さですから、それよりも縁の遠いおばあさまなんて、もっと会うことはありません。
おばあさまとは、以前に一度ご挨拶をしたきりで、そのあとは一度もお会いしたことがありません。
でも顔はしっかり覚えています。びっくりするくらいお父様にそっくりでしたから。きりりとした精悍な顔をした方で、垂れ目でマロ眉のわたくしとは似ても似つかぬ顔をしている、素敵な女性でした。
はあ……。わたくしのこのふんわりフェイスは本当に誰の血筋なんでしょう。よそからお嫁に来たお母様だって、わりときりっとした顔つきをしているのに……。
おばあさまは現在、オルブライト家本宅の西に位置する森の中にひっそりと建つ、別邸にお一人で住んでいらっしゃいます。表向きには、療養ということになっていますが、もう長くないのだろうというのが、オルブライト家のお抱え医師の見立てでした。
お父様達は、今の時点でおばあさまが遠くないうちに亡くなるものだと確信しているようで、凍土へ送るための術師を、早めに確保しておこうという話をしていたのだとか。
この辺りの情報は諜報が得意なラマから伺っていますし、お父様付きの従者も似たようなことを言ってい真下から、正確な情報なのでしょう。
わたくし達が住んでいる、ハルツエクデン国とその周辺国では、亡くなった人間の遺体を国々の北に位置する凍土に送る習慣があります。凍土は人間が住むことはできないほど気温が低く、氷に覆われた静かな土地だとされています。
そこへ向かうことができるのは、弔いの一族と呼ばれる専門の魔術師のみでです。弔いの一族は彼らにのみ使うことができる魔法陣を用いて、遺体を凍土に運び出します。
凍土は忍の記憶にあった墓のようなものではなく、死体をただ打ち捨てるように葬る、音もないただただ広く、静かな場所だそうです。
この世界ではではそれが当たり前で、誰もがそういうものだ、と考えているので、その行為に対して恐ろしい、だとかおぞましいというマイナスの意見が交わされることはありません。
その儀式はこの世界の常識として、ただただ静粛に行われていくのです。
忍として生きた記憶を手に入れると、今までの普通が揺らぎ、常識というものに意を唱えたくなりますけど。
しかし、それは無駄なこと。世界が変われば、常識も変わってしまうのだという事を受け入れる努力しながら噛み砕いていくしかないのです。
この世界の埋葬以上に異なるのが、この世界の瘴気という概念の存在です。
瘴気は森に住む魔物や、病人の体から出る、有害物質のことです。瘴気が何なのか、詳しい全貌は解明されていません。
この世界では病気の方と長い時間共に同じ部屋で過ごすと、瘴気が体に移って、健康な人間の体を蝕むとされています。
そのような考えから、おばあさまはわたくしたちが暮らす本邸から切り離されるように、別邸に追いやられたのです。
そんな扱いをするなんて酷い、と思ってしまう気持ちも多少はありますが、仕方がない部分もあるのでしょう。忍の記憶の中でも結核に罹った時はサナトリウムに隔離されましたから。
おばあさま……。体調を崩されてしばらく様子を伺えていませんが、面会ができるほど、体調はよろしいのでしょうか?
手紙の内容をラマに告げると、ラマは心配そうにこちらを伺います。
「リジェット様、わたくしも共に参りましょうか?」
「いいえ。今回はいいわ。わたくし一人でいった方が良いでしょう。瘴気に当たる人間は少ない方が後始末が楽でしょう? それに、おばあさま付きの侍女が屋敷まで迎えにきてくれるみたいですよ?」
「ああ、あの呪い子の……」
ラマはそう口に出してしまった後、少し気まずそうな表情を見せました。
呪い子、とは体のなかにある魔力の八属性の魔力のうち、無の要素を多量に含んで生まれた人間の通称名だそうです。魔力についての色々なことは最近知ったことが多いので付け焼き刃な知識なのですが……。
自分に向けられた魔力を無効化する特性を持つ彼らは、一見最強のように見えますが、あまりにも強い要素の弊害で、子供を持つことができないそうです。それ以外にも弊害はあるらしいのですが、絶対数が少ないので、未解明なことも多い謎多き人々です。
しかし、彼らはその特異体質の恩恵として、瘴気による肉体の腐食を受けないという利点も併せ持っています。
病人が発する瘴気で自身の寿命を削らなくて済むのです。
病人がいる貴族の家などで重宝されるほか、聖職者になると高位が与えられるので、決して蔑まれるような身分ではありません。
ちなみに弔いの一族も呪い子の要素を持ち合わせていると言われています。
ただ、弔いの一族は自身の子供を持つので、何が線引きになっているかはわたくしにはわからないのですが……。
「ラマ、この後の予定は?」
「剣のお稽古がなくなりましたから、このあとはお時間がありますよ」
「では、早いうちにおばあさまをお見舞いに行った方が良さそうですね。わたくしの代わりに連絡を返していただいても?」
「かしこまりました」
ラマはすぐに手持ちのお手紙の魔法陣に返信を書き込み、鳥のような形に折り畳みます。そのまま窓を開け、魔法陣を放ちました。
すると一、二分返信が返ってきました。
「すぐにこちらに迎えがくるそうです。リジェット様。玄関に参りましょう」
わたくしは離宮で待っている、おばあさまの遣いの侍女をお待たせしないよう、急いで玄関へ向かいました。
*
玄関の扉を開けると、紺色の髪をした女性が待ち構えていました。この方が噂の呪い子の方でしょう。
女性は優しい鈍色の瞳を持っているのに、どこか冷ややかな印象を持つ印象的な美人でした。
——あ、この人少しも表情が変化しないんだわ。
普通の侍女であれば、会った瞬間、愛想よく笑顔を返してくれますが、この方はピクリとも笑いません。
「お待ちしておりました。わたくしはヒノラージュ様専属の侍女のノアでございます。リジェット様のお迎えにあがりました」
ノアは無表情のまま挨拶をして、上等教育を受けた侍女らしく、綺麗な一礼を見せます。
「忙しいだろうにわざわざありがとう」
「いえ、とんでもございません。一人で瘴気を纏われた方の元に行くのは危険ですから。瘴気に当てられて、そのままどこかへ彷徨って、ふらりと消えてしまう方も稀にですがいらっしゃいます。案内役がいた方が安全ですよ」
わたくしも知らなかったのですが、あまり耐性のない人の中には瘴気に惑わされて、方向感覚がなくなってしまう人がいるらしいです。
瘴気とはそんなに強い害を及ぼす物質なのですね。
その影響を全く受けないというのだから、この呪い子のノアはとてつもなく価値ある人材なのでしょう。
*
ノアに先導され、わたくしたちが暮らしている本邸から、森の奥にある別邸に向かいます。
木々に覆われて影を落とされた森は暗く沈んだ印象をうけます。森の奥に入るにつれ、日光は生い茂る木々に阻害され、光がだんだん届かなくなっていくのです。真昼のはずなのに、あたりは夜のように真っ暗でした。
あまりの暗さで足元が見えにくくなったところでノアは持っていたランタンに火をつけました。
その姿があまりにも絵になりすぎて、なんだかノアが死者の国の遣いのように見えてしまいます。
しばらく歩くと、やっと別邸の前までたどり着きました。そんなに距離はないはずなのに、長い距離を歩いたような疲労感に襲われます。これが瘴気による影響でしょうか? 体調不良とは違う、今までに出会ったことのない倦怠感に首を傾げます。
「入室の前によろしいでしょうか、リジェット様。ヒノラージュ様にお会いするのに一つ注意点がございます」
「なんでしょうか」
「ヒノラージュ様は全身が瘴気を帯びている状態です。決して、ヒノラージュ様の体に触れぬようにしてください」
重々しいノアの声に、わたくしは手をぎゅっと強く握ります。
……この世界ではそれだけ瘴気というものが脅威とされているんだわ。
ノアが別邸の扉を開けた瞬間、わたくしは眉をしかめました。奇妙な匂いが屋敷から漂ってきたからです。
おそらく初めて嗅ぐそれは、甘さと苦さが入り混じった不思議な香りでした。記憶に染み付くような印象的な匂いで、鼻をつまみたいほど臭いというわけではないのですが、どうも気になるな……と言う感じ。本能的によくない匂いだということが、わかってしまう匂いです。
建物に入って真っ直ぐ廊下が続く廊下の角を曲がった部屋がおばあさまの寝室がでした。寝室の扉を開けるとそれまで微かに漂っていた匂いがぶわりと一気に鼻腔を襲います。
「リジェット、よくきてくれましたね」
しゃがれた声でそういったおばあさまは、以前会った時よりも、ぐっと痩せたような気がいたします。
胸ぐりの開いた艶のある素材のネグリジェから痩せ細って妙にごつりと目立つ鎖骨が見えてしまっていました。
起き上がろうとしたところで、クラリと後ろに倒れそうになってしまていたので、慌てておばあさまの元へ駆け寄ります。ノアが無表情でそれを受け止めて、背中にクッションを入れたり体の向きを変えたりして、おばあさまが起き上がりやすい体勢を作りました。
これがおばあさま……。
かつてのおばあさまは領主になるために、婿養子としてやってきたおじいさまが早くに亡くなってしまったため、その当時まだ幼かったお父様に代わり、女領主として、一人で伯爵家の屋敷を切り盛りしていたと聞いています。
その手腕は素晴らしく、手先が器用な領民の長所を生かし、手工芸関連の産業を発展させ、その功績から優れた領主として国の中でも有名な存在になるほどだったそうです。
しかし、今のおばあさまからはそんな面影は感じられません。そこには体を悪くした老女が一人、ベッドに横たわっているだけ。かつての栄光は全く感じられませんでした。
「リジェット様はこちらにおかけください」
ノアがベッドの隣に一人掛けのソファを用意してくれたので、そこに軽く腰掛けます。
おばあさまの顔がよく見える位置に座ると、肌の色が浅黒く変化しているのが見えてしまい、衰弱具合がこちらにひしひしと伝わってきます。
「色々と、本邸が慌ただしい時に、あなたを呼び出してごめんなさいね」
「いえ、そんな……」
その言葉の抑揚から、おばあさまはここ数日のわたくし周辺のいざこざを知っていることが伺えます。声の端々からわたくしをいたわるような雰囲気が伝わってきました。
これはおばあさまからも、釘を刺される流れでしょうか? ついつい、そのあとの展開を頭に思い描いてしまい、心を固くして、おばあさまの瞳を覗き込みます。
「セラージュに聞いたのよ。リジェットは騎士になりたいのね?」
「……はい。そうです。——おばあさまも馬鹿な夢だと笑いますか?」
答えも聞いていないのに、否定されるのを決めつけたような聞き方をしてしまいます。
しかし、おばあさまから返ってきたのは、わたくしの想像とは正反対の言葉でした。
「普通の人間ならばあなたを止めるべきかもしれない。女であれば女らしい立場を全うした方がいいっていうのが正しいのでしょうね。——でもね、リジェット。わたくしはこの家で唯一それを言えない立場の人間なのよ」
「……え?」
「リジェットはセラージュにわたくしの夫が悪い時期に亡くなったから、仕方なく女だてら領主仕事を受け持ったと聞いているんじゃないかしら。でもね……それは違うの。わたくしはね、リジェット。幼い頃から領主になりたかったのよ」
おばあさまの呟きにどきり胸が鳴ります。
「オルブライト家の一人娘として生まれて育って、この家を繁栄させることがわたくしの使命だと思って育ったわ。生まれた頃から領主になりたかった。そのために必要な知識はいくらだって身につけたし、努力もしてきたの。だけど、この家はあなたの祖父であり、わたくしの夫であるサラフィーユが入り婿となって引き継ぐことになってしまった。その決定を受けて、わたくしはどれだけ自分の運命を呪ったかわからないわ。どうして湖の女神様はわたくしに全てを託してくださらないのって」
おばあさまの骨ばんだ手が小刻みに震えます。そこには隠されていた悔しい思いが滲んでいるようでした。
「でも、諦めずに、腐らずに生きていたら、運のつきが回ってきたのよ。サラフィーユが病気で急死して、セラージュもまだ幼かったがために実質的にわたくしに領主の座が回ってきたの。諦めなければ、夢が叶うこともある。わたくしはそれを実証したのよ。……例えそのせいで、体が瘴気に蝕まれてもね」
お父様が少し前に、おばあさまは領主として無理して体を壊したのだ、と言っていたのを聞いてしまったことがありました。それは半分は合っていますが、半分は外れていたのかもしれません。
だっておばあさまは、こんなに晴れ晴れとした顔をしているのですもの。
「リジェット。騎士は素晴らしい職業だけども、危険が伴う職業だわ。セラージュだって、多くの同僚を戦場で亡くしているの。それは一人や二人ではないのよ。……あなたはそれでも騎士になりたいと望むの?」
おばあさまの黄昏のようなオレンジの瞳がわたくしを心配する様に揺れています。
「ええ、わたくしはそれでも騎士としての人生を望みますわ。
……例え、戦場で命を失っても、わたくしが自分自身で選んだ人生を、わたくしは歩むのです」
わたくしが強い視線をおばあさまに向けると、花が綻ぶようにおばあさまは笑いました。
「……そう。あなたは決めたのね」
おばあさまはどこか覚悟を決めたような表情をしていました。
「どうして急にわたくしを呼び出して、こんな話をしてくださったのですか?」
そう言うとおばあさまはふんわりと優しい笑顔をわたくしに見せてくださいました。
「最後に死ぬ前に、あなたに伝えなくてはならないと思い立ったのよ。あなたはわたくしによく似ているから心配で……。意思のある女は煩く思われるでしょう? でもね、わたくしは意思を持って生きたことにちっとも後悔していないの。自分の人生を自分で選択することは、とっても素敵なことだから。……だからわたくしくらいは味方になろうと思って老婆心で口出しをしてしまったのよ」
そう呟いたおばあさまの言葉が今のわたくしにはあまりにも心強くて……わたくしは思わず一筋、涙を流してしまいました。そんなわたくしを見たおばあさまは泣かないで、と温かい温度の言葉をかけてくださいます。
「まあ、そうは言ってもきっとわたくしはもう長くないでしょうから、あなたの助けにはなれないかもしれないわ」
「そんな! おばあさま!」
「いいえ。自分のことですもの。自分が一番わかってしまうのよ。わたくしがいなくなってしまう前にあなたと話ができて本当によかった。わたくしが凍土に眠ることになっても、あなたの事を見守っているわ。——あなたの未来に幸あらん事を」
……わたくしはこの優しく揺れる瞳をいつまで見ることができるのでしょう。
「リジェット様、こちらに長くいらっしゃるとお体に支障が出るかもしれません。……そろそろ御退室の準備を」
ノアが時計を見ながらわたくしに告げます。
もう少しだけ。もう少しだけおばあさまの話を聞きたい。そんな気持ちを抑え、わたくしは席を立ちました。
わたくしはその姿を焼き付けるように、記憶の中に写し込み、おばあさまの姿を見送るように屋敷を去りました。
*
本邸へ送ってくれたノアは、帰りも無表情を貫いていました。どうして少しも笑わないのでしょう。
……やっぱり死にゆく人を見送るというのは、仕事であっても辛いことなのでしょうか。
彼女はどんな気持ちでこの仕事を続けているのだろう。心情が気になって、わたくしはつい尋ねてしまいました。
「ノア。あなたはおばあさまに使える前も別の方に仕えていたの?」
「ええ、以前は同じ領地内のルーツビット子爵家で同じように働いていました。その方が亡くなったので、こちらに呼ばれまして」
「そう……。変なことを聞くかもしれないけれど、亡くなる人を見送り続けるって辛くないかしら? ……ごめんなさい。言いたくなかったら答えなくていいわ」
「辛い、と言えば辛いですね。しかし、それと同時に他の何事とも比べられぬ、得難いドラマを見ることができる興味深い職種だとも思います。不思議なことにわたくしが見送る貴族の皆さんは皆それぞれ魅力的な人たちばかりでしたから」
表情には全く現れていませんが、ノアの目の奥がきらりと輝いた気がしました。
「突然ですが、リジェット様。小説を読むときにリジェット様は一番どこで感動しますか?」
「え?」
本当に突然の不思議な質問に疑問符を浮かべることしかできません。
「どんな物語が始まるかワクワクするプロローグですか? 主人公の性格がありありとわかってくる序盤? はたまた大冒険が繰り返される終盤でしょうか?」
好きな部分なんて考えてもいなかったわたくしは、目をパチクリと瞬かせました。
「わたくしは物語のエピローグが大好きなのですよ、リジェット様」
「エピローグ?」
「そう。エピローグです。物語のラストには全てが詰まっていますから。その物語の中でワクワクしたこと、辛かったこと、感動したこと、心揺さぶられたこと、その全てがラストに詰められているのです。
……わたくしの仕事はいわば、そのラストを一緒に迎えることなのです。変に思われるかもしれませんがわたくしはこの仕事とこの人生を愛しているのです」
「……すごいわ。とっても素敵ね」
「ありがとうございます。そう言っていただけると幸いです。給与面で言ったら、聖職者になった方が遥かに稼げるのでしょうけど……。未だにわたくしの親族は聖職者になれって口うるさく言ってきますしね。でも一番大事なのは自分が人生で何を得たいかです。わたくしは好きなことを選んで、それを生業にしているだけです。様々な方との出会い、別れ、楽しみ、悲しみ、を感じる。その全てをわたくしは愛してしまっているのですよ」
ノアは表情には出ませんが、主張に熱が入っています。その言葉の一つ一つがわたくしには輝いて見えて仕方ありません。食い入るように耳を傾けます。
「リジェット様はお若いですからこれからいろんなことがあるでしょうけど、諦めずにいれば、いつかは愛すことのできる素敵な人生を掴み取れますよ」
「……ありがとうございます」
言って欲しかった言葉を、思っても見ない人から言われてしまってびっくりしましたが、心がぽかりと暖かくなってきます。
やっぱり、自分の人生を自分で決めている人は眩しいです。
「わたくし、勇気が出てきました。送ってくださって本当にありがとうございます」
最後までノアは無表情でしたが、手を振ってくれます。わたくしも手を振ってノアをそのまま見送りました。
__なんだかわたくし、思っても見なかったエールをもらう時間に恵まれたみたいですね。
まだ胸に残る暖かさを心に感じながら、わたくしは本邸に戻って行きました。
*
本邸に帰るとラマに、すぐ湯あみをするように促されます。
いつもであれば湯あみの手伝いはラマ一人だけですが、今日は他に三人の侍女が入ってきて、総出で体を磨き上げるように洗われます。きっと本邸への瘴気の持ち込みを防ぐための処理なのでしょう。
長い洗浄がやっと終わって、夕食に向かうと廊下を歩いているとお母様とすれ違いました。
きっとお母様にも別邸を訪れ、おばあさまと面会したことが伝えられているのでしょう。お母様はおばあさまに対して良い感情を持っていません。二人の間には溶かすことのできぬ厚い氷のような嫁姑問題があったようです。
お母様はわたくしの方を一目見て眉を顰めるような表情を見せました。
「まあ、リジェット。おばあさまのところへ行ったの? きちんと湯あみは終えたかしら? 瘴気がこちらの屋敷に持ち込まれたら大変ですからね」
どこかトゲトゲとした口調を感じてしまい、ムッとしてしまいます。
おばあさまの事をそんなに疎ましげに言わなくてもいいじゃないですか。
「ええ、きちんと身は清めましたわ」
「そう。ならいいのだけども」
お母様はそれだけ言って、足早にその場を去って行きました。
*
部屋に戻って、わたくしは今日お会いした、二人の女性の生き方を頭に思い浮かべます。
諦めずに領主の座を掴んだおばあさま。
誰に何を言われようと自分の心情を貫くノア。
どちらも、強くて美しくて、ああ、できることならあんなふうに生きたいと切望してしまう生き方でした。
二人ともきっと、周りの人間に様々なことを言われたでしょう。
二人ほどの立場があれば利用しようと思う人だってきっといるはずです。
それをしなやかに立ち回ったことで、二人は得たい人生を得たのです。
きっとおばあさまはみんながいう通り、そう遠くない未来に命を落とすでしょう。それでもきっと、わたくしの前歴者の"忍"みたいに後悔はしないはずです。
——だってあんなに安らいだ顔をしていたんですもの。
わたくしも二人のように、死ぬときに後悔しない人生を選ばなければなりません。
わたくしは小さく自分の心に誓いを立てました。
——おばあさまの訃報が届いたのはそれからすぐのことでした。
病床のおばあさまとミステリアス侍女ノア。
ノアはこの物語の転換期にのみ現れるキャラクターです。チェシャー猫的な? 羊男的な?
次は 6さようならを言わなければなりません です。月曜日に更新します!