3前世の記憶があるみたいです
自分は女だから王家の剣になることができない——その事実を知った日。わたくしはあまりのショックで、夜から熱を出し寝込んでしまいました。
今までのこと、これからのこと。いろんなことを、ぐるぐるぐるぐる……。考えすぎたせいで、知恵熱を出したのでしょう。でも知恵熱にしては、あまりにも辛い脳内を焼き尽くされるような高熱がわたくしの体を襲います。
「ううう……頭が割れるように痛いです」
夜が明けそうな時間になっても、あまりの熱さで眠ることができません。
長い時間うなされていたためか、握りしめたシーツも寝汗で濡れています。きっと、直接身につけているネグリジェはそれ以上にびちょびちょでしょう。
寝返りもうてないほどの苦しさで眠ることもままなりません。口からは熱せられた空気が、ぜいぜいと痰が絡まったような音を立てながら排出されていきます。
今日は不寝番でないはずのラマが、心配そうな顔でわたくしの額の汗を拭き取っています。
ラマはわたくし付きの侍女の中でも、一番わたくしに心を砕いてくれる優しい従者なのです。
でも、彼女は明日も早いはず。わたくしは彼女に無理をさせぬよう、主人として導かねばなりません。
「ラマ……。もう……部屋を……下がりなさい」
わたくしは息も絶え絶えになりながらも、なんとか吐き出すように告げます。
「ですが……。お嬢様……」
「外には……別の侍女も……いますから。あなたばっかり……無理をしないで……」
そういうとラマは一瞬眉を潜め苦しげな表情を見せましたが、わたくしの負担になると判断したのか、大人しく引き下がります。
「……かしこまりました。何かありましたら躊躇せず、専用のベルでわたくしをお呼びください」
ラマはまだここにいたいと願うような、心配そうな表情を浮かべながらも、扉の前で一礼をして、部屋から下がっていきました。
*
部屋に一人きりになるとお父様の声が、頭によぎってしまいます。
「お前を騎士学校などにやるわけがないだろう」
騎士を夢みたわたくしにとって、その言葉は恐ろしいほどに残酷な言葉でした。
もう少しで手に入りそうだった、ずっと憧れていたものが手に入らない。
……それがこんなにも辛いなんて。目標を失ったわたくしはなんだか生きる気力さえ失ってしまったような気分になりました。こんなに体調にあわられてしまうほど、精神を揺らすなんて、生まれて初めての経験です。
体力が熱に奪われ、だんだん指の先にも力が入らなくなっていきます。
——もしかしたらこのままわたくしは死んでしまうかも。そのくらい、経験したことのない体調不良です。
これは、本当に知恵熱の症状なのでしょうか……。
眠れないので天井をずっと見ていましたが、目を開けていると、部屋の中のものが近付いてきたり、遠くなったり……視点が反転していくような症状まで出るようになっていきます。
気持ち悪いなあ、と思いながら耐えていると、そのうち、目の前がだんだんモヤがかかったように白くぼんやりとした部分が多くなってきます。さすがにもう意識を保つことさえ辛いようでした。
意識を失う手前でわたくしはふと、考えます。
あれ? そういえばどうしてわたくしはこんなに騎士になりたかったのでしょう。
わたくしは王城での事件のあとあの少年の後を追うように騎士になりたいと、王家の剣に憧れを持ちました。
騎士であるお父様やお兄様たちを見てかっこいいと思うから、淑女教育よりも好ましいから、というのももちろん理由としてあります。
けれどもそれ以外にも、もっと根本的な、大切な理由があった気がするのです。あの男の子に、わたくしが憧れるきっかけとなった感情が。
肝心なことなのに、それがなんだったかどうしても思い出せません。熱が出て、頭が朦朧としているからでしょうか?
よく眠って熱が下がって、明日また考えれば思い出せるでしょうか?
なんだか答えが思い出せず気持ちの悪い疑問を抱えていましたが、ここでタイムアップのようです。思考はだんだん途切れていきます。
わたくしは熱による疲労で夢の世界へと旅立ちました。
*
気がつくと私は白い空間に一人ぼっちで立っていました。
「ここ……はどこでしょう?」
あたりを見回しても何も物がありません。ただただ霧がかったように白い空間が永遠に広がっているだけです。果てがなくどこまでも続く、見たこのもない異空間に呆然と立ち尽くしてしまいます。
音もなく、静かな空間で不気味なのに、なぜか恐怖感が湧きません。
ぼーっと、立ち尽くしていると、いきなり目の前に大きな板が現れました。
急な変化に驚いてそちらを見ます。浮き上がっているその板は縦幅はわたくしの体の倍以上、横幅はその倍以上ありそうな見たことのない代物でした。
「これはなんでしょう? 何かの魔術具でしょうか?」
見たことのない魔術具のような大きな板を見て、目をぱちくりと瞬かせていると、板はいきなり黒く光り、ウィンと音を立て、起動しました。
そこには次々に絵がまるで動いているように映し出されていきます。絵は驚くほど鮮やかに描かれ、だんだん現れるスピードが速くなっていきます。
……何ですか、これは?
頭には疑問符が浮かび上がりますが、板の絵は止まりません。浮かび上がる絵はまるで見たままを映し出したように繊細に描かれて誰か見て、感じた記憶をそのまま映し出しているようでした。
映っているのは一人の女性です。
その女性は黒く長い髪をしていて、目力が強くキリッとした印象を受けます。背丈も大きく、絵に映り込む男性と比べても、そう変わらないくらいの大きさに見えます。
まっすぐに腰まで伸びた髪を、後ろで一つ結びにまとめた髪型が女性の凛々しさを強調していて、なんだか男性のような格好良ささえ感じてしまう麗人。
ああ、わたくしもできるならば、こんなに風な見た目の女性に生まれたかったです……。凛々しい格好良さに憧れるわたくしは映っている女性に、そんな憧れすら抱いてしまいます。
見ているうちにわたくしはなんだか違和感を感じ始めました。この女性はわたくしと全く正反対の見た目をしています。……なのにどこか懐かしい気がするのです。
その女性はわたくしと同じように剣を振っています。様子が少し違うのはいつもわたくしが使っているような鉄で作られた真剣ではなく、茶色く艶のある木製の剣を使っていることです。
あたりを見渡すと、わたくしが日頃過ごしているような煉瓦造りの家などはなく、家々は全て木造でした。
服も、ドレスではなく、一枚布を塗って、腰の位置で帯状の布で縛ったような、どこか懐かしい形の装束です。
——もしかしたら、この板に写っている世界は、こことは少し違う世界なのでしょうか。
しばらく女性の様子を見ていると、急に視点が切り替わります。
女性は彼女と同じような服装をした専用の運動着を着た、父親らしい人物に話しかけられています。
「忍、君に道場を継がせることはできない」
忍、と呼ばれた女性はまさか、と言う表情を顔に浮かべて父親らしい男性の顔をじっと見ています。
重苦しい雰囲気から察するに、どうやら女性は今のわたくしと同じように望む未来を得られない状況にあるようです。
女である、たったそれだけのことなのに……。この忍さんも理不尽に胸を痛めているのですね……。
昨晩お父様に言われた言葉が頭を過り、またあの、どうしようもない苦しさがわたくしの胸に湧いてきます。
女性は現実に打ちひしがれているように見えました。
忍は父親に食い入るように言い返すします。
「どうして私に道場を継がせられないのですか?」
父親らしい男性は重みのある言葉で吐き出すように言いました。
「それはお前が女だからだ」
父親は間髪入れず言葉を返しました。
忍はその言葉に衝撃を受けて目を見開いています。
「お前のような女性に道場をまとめる事は無理だ。この道場には手練の男どもがたくさんいる。その頂点がお前のような女であると言うことは世間にとっても、この道場の者にとっても、許されることではないだろう」
忍の目はまだ諦めていなようです。一縷の望みをつかむように言葉を紡ぎます。その黒い瞳は、戸惑いに揺れていました。
「そんな事はございません。私はこの道場の誰よりも力量があります」
「強い、弱いの問題ではない。お前が女であると言うことが問題なのだ」
まあ……。彼女のお父様はなんてひどいことを言うのでしょう。今にも忍は涙を流しそうな瞳をしています。
つうっと、顎へ涙が流れ落ちます。わたくしは忍の気持ちに同調して、ポツリと涙を流してしまいました。
「「私はこの道場を継ぎたい。それだけなのに」」
その言葉が自分の口から出てきたことにわたくしはハッとしました。
わたくしはこの言葉を知っています。この言葉を自分の口に出したことがある……。その確信をわたくしは持っています。なぜ……そう思うのでしょう?
次の瞬間頭が揺さぶられるような、衝撃が走りました。黒い板ではなく、わたくしの頭のなかに直接映像が流れ込んできたのです。
記憶は痛みとともに容赦無く次々にながらこみます。その痛みに耐えながら、わたくしは膨大な記憶の波を一つ一つ精査するよう確かめます。
その中の一つがわたくしの頭の中にこぼれ落ちてきました。
きっとこれも、忍にとってターニングポイントになる記憶なのでしょう。
「どうしても私と一緒にはなってくれないのね」
重々しい声で忍がそう告げたのは、彼女の恋人であった男性でした。愛おしさを孕んだ熱っぽい視線が、忍から男性へ向けられています。
忍は目の前にいる、細身の男性と恋仲にあったようです。
しかし、親族に結婚をするなら家業である道場を継ぐことができる人間しか許さない、と強く言いくるめられていました。
彼は祖父の代から貸し本屋を営んでいる家に生まれていました。彼もまた、添い遂げるのであれば、家をともに守ってくれる女性を伴侶に望んでいました。
気持ちはお互いにいくらあっても、状況が二人がともに生きるということを許さなかったのです。
男性は苦しげに視線を外し、弱々しく呟きます。
「君は君を立場ごと幸せにしてくれる男を伴侶に選ぶべきだ。もちろん、僕も」
男性の言葉に心の中では絶望しているくせに、強がって表に出すことはしない忍は、できるだけさっぱりとした雰囲気を醸すように心がけながら、一言一言、言葉を絞り出します。
「そうね。そうかも知れない。じゃあ、元気でね」
無言で去っていく男を忍は見つめるだけで、追うことはありませんでした。
*
その後の忍は後悔してばかりでした。
道場を継ぐことを諦めたこと。
父親が決めた男と婚姻を結んだこと。
自分の好いた男とは離れ離れになったこと。
義務として子供を産んだこと。
——自分の人生を愛せなかったこと。
……何ひとつ、自分で物事を決められなかった自分自身を、心底軽蔑していたこと。
忍は亡くなる直前、後悔を口にしていました。
「自分が道場を告げないと諦めて、周りの人間が望むとおりに人生を歩んできたけれど、どうしてこんなに苦しいのだろう。
……あの時、どうして道場を奪い取ってでも夢を叶えなかったのだろう。
……あの時彼を追いかけなかったのだろう。
悔やんで、諦めたことをひとつでも叶えられたなら、私の人生はもっとマシだったかもしれない。
どんなに悔やんでも、もう時を戻すことはできないけれど」
悲しそうに呟く忍。忍の感情とわたくしの感情が一つのものとして、重なっていきます。
黒髪の女性が亡くなった時、記憶の中の映像はその流れを止めました。
そうか、わたくしは忍だったのです。忍としてわたくしは生き、そして死に、この体に記憶を引継ぎまた生まれ変わったのです。
わたくしは忍の命が終わる時の、願いを思い出します。
「来世、というものが本当にあるなんて思ってはいないけれど。もしあったならば、夢を諦めず、自分の気持ちに寄り添って生きたい。
今度こそ、自分の人生を自分で決めたい!」
なんだか、頭の中のモヤが晴れた気がいたします。わたくしは目が覚めるような気持ちになりました。
いけない。わたくしは今世でも前世と同じ間違いを犯すところでした。
人の意見に賛同し自分を無理矢理納得させ得た人生なんて悔いが残るだけです。
もう、わたくしは決めました。今世では自分の道を貫くのです。
誰かに決められた人生を送って、死ぬ時に後悔をする一生なんてもうまっぴらです。
誰かに決められた選択ではなく自分の選択で失敗してもそれはそれで諦めがつく気がいたします。自業自得ですから。けれども最初から選択権を放棄して、他人に決められた人生を二度も歩むなんて愚かな真似は致しません。
「わたくしは……絶対に王家の剣になるのです。何が何でも」
ベッドの中で胸を抑えわたくしはわたくしに誓いを立てました。
……何かこの決意を形に表したいものですね。
この決意を忘れないように目に見える形に残したい。そう思ったわたくしは何か良い方法がないか、思考を巡らせます。
……そうだ髪を切るのはいかがでしょう!
忍の記憶には失恋すると髪を切る文化がありました。気持ちを入れ替え、目に見える形で後悔を削ぎ落とす儀式は、魂の禊のように思えて、とっても清廉にわたくしの目には移りました。
騎士になるのであればこの髪は短い方がいいですね。決めたら行動が素早いわたくしは、キャビネットの引き出しからハサミを取り出し、肩のあたり髪に当てました。
このくらいでいいかしら? えいっ!
軽さを確かめるように頭を左右に降ります。
手に握られた髪の束はずっしりと重さすら感じます。その代わり頭は重みから、解放され、軽やかで気分がいいです。
わたくしは髪を肩ほどまで切り、バサっと勢いよくゴミ箱に捨てました。ラマに見られたら所作が雑だと怒られてしまいそうですね。でも気分がいいので仕方がないのです。
あーなんだか、わたくし、とっても気持ちがすっきりといたしました!
すっかり熱が下がったわたくしは、晴れやかな気持ちで眠りについたのです。
……まあ、深夜のテンションで行動したことに後々後悔するのですけども。
ちなみに、忍さんのあだ名は武士でした。かっこいい系の方で女子校でキャーキャー言われていたタイプなのでリジェットとはかなり見た目が異なります。
次話は明日公開します。明日から書きだめが尽きるまで平日一日一話更新していきます。果たしてノンストップで最終回を迎えられるのでしょうか⁉︎
次は4家族に反対されました です。