間話 君は提燈1
リジェットの先輩、ステファニアのおはなしです。
今までの私の人生は暗がりの中を一人で、歩いてきたようなものだった。
本当であれば、私の足元を照らし、無償の愛を与え、守ってくれる家族という存在が私をはぐくむべきなのだろう。
しかし、それは私にとって脅威や重荷でしかなかった。
私の生まれた、ベルリア家は代々ハルツエクデン王に仕える近侍を輩出している家系で、女として生まれた私は近侍ではなく、次代の王の伴侶になるために教育を受けていた。
しかし、次代の王は簡単には決まらない。何しろ正室が産んだ第一王子は、魔力があまりにも薄い金髪だったからだ。
この世で最も尊い色は黒だ。潤沢な魔力量を表す、何にも塗り替えられることがない黒は、それだけで私たちに畏怖を植え付ける。それは王の証とも言えるだろう。
例外として、聖女達が持っていた、緑がかった金髪も尊ばれるが、あれは次元の違う力の話だ。
この世界では黒を持たぬ王族は王族として認められない。
王としての資質を持たぬ正室の子、という立場の危うい人間が王位継承権一位である。そんな状況を危惧し、過敏になって動いたのは、私の父だった。
「次代の王の伴侶に自分の娘をあてがいたかったが……。よりにもよって、ステファニアの髪色は氷のような青だ。……金よりは濃く、王子の髪色を染めてしまうが、塗りつぶしを許される黒ではない。
第二王子は側室の子だ。いくら凄艶な黒をその身に宿していたとしても、王になるべきお方ではない」
父はいつも私に、出来損ないの道具を見るような視線を向けた。
ああ、父は私が黒を持ち合わせていないことを嘆いているのだ。
私が黒を持ち合わせていたら、第一王子の伴侶となって、婚姻の儀式を済ませれば、第一王子に黒を授けることができた。王に王としての証を授けた、忠臣の家として、ベルリア家は栄えることができただろう。
私の父は立派な黒色を持っていたので、娘の私にもその性質が受け継がれることを期待していた。しかし、生まれたのは氷のような薄い青。
彼にとって私は自分の計画に余分な娘だった。そして、自分の望んだ形の娘を産めなかった妻もまた同じだ。
そんな、自分の力とならぬ家族は父にとっていらない存在でしかなかったのだろう。
__妄執に駆られた父は家族を処分しようとした。
そして、まだ子供が産める年齢の、黒髪を持つ伯爵家の未亡人を家に迎えようと計画をした。やり直そうとしたのだ、何もかも。
最初に狙われたのは母だった。不幸な事故を装って、のティーカップの中に毒を仕込んだ。優雅なティーパーティーが一転、殺害未遂現場となった。
幸いにも、母には毒見がついていたため、可哀想な侍女がその毒を受けただけで、母は生き延びることができた。
「ステファニア! この家はおかしいわ! 誰も信用できない。旦那様はわたくしたちを廃そうとしているのよ⁉︎」
縋るように泣きつく母。泣きたいのは私の方だった。子供の自分に何ができるだろう。
母は次第に精神を病み、貴族としての役割をこなせなくなるまで、衰弱してしまった。
そうして、母は生家に返されることになった。しかしそこに私を連れていくことは許されなかった。
私という存在は何かしらの手札として残しておきたかったのだろう。王族に嫁ぐ事はできなくとも、ベルリア家の血を引き継ぐ私は、養育だけはしておけば、他の名家と婚姻で家を繋ぐ駒となる。娘は己の保身に役立つ道具でしかない。我が父ながら、貴族的な考え方をする男だ。
そんな父が嫁げと告げたのは、五十も年上の侯爵家当主だった。いくらなんでもふざけている。
……許さない。
父を殺してでも、運命を変えたい。そう決心した私は、自室で執務にあたっていた、父に奇襲を仕掛けた。
闇が深々と広がる、深夜近く。その日の父は王城での仕事を家に持ち帰っているため、夜遅くまで一人きりで職務に当たっていたのだ。
幼い頃から慣れ親しんだ、細身の、だが無骨な光を放つ鈍色の剣を腰にさし、灯りが消えた廊下をひたひたと歩く。
頭の中は、なぜか静かだった。
あの男の思うようにはさせない。それしか考えられない。
私は扉を開けた瞬間、目の前の執務室にいた父に向かって刃を振り上げた。
ドッと重量がある何かが床に転がる音がした。
落とせたのは左手だけだった。文官としての職務をこなしている父は武官としての才能もあり、鍛錬を積んでいたため、少女と言っていい年齢だった私にはいささか卸しにくい相手だったのだ。
すぐに私は床に沈められ、拘束をされてしまう。
それでも、私からの攻撃をかわせなかったことに、父は驚愕しているように見えた。
切りかかってきた娘に対して、反撃した父は私の右目を小刀で刺した。本気で殺そうとしたのだ。
しかし、それ以上の攻撃は彼にはできなかった。
「なぜだっ! なぜ、私は剣を握れぬのだ⁉︎」
「わからないのですか? 父上。あなたは私が生まれた時に、私に守護を与えたでしょう?」
父はハッとした表情を見せた。
「だから、あなたは私を殺せない! ザマアみろ!」
守護は契約だ。
この国では口付けは一種の契約的な意味を持つ。授けた相手に、害意を持たないことを証明するための儀式にあたり、どの家でも親は子供へ守護を与えるため口付けをする。子供を守るという義務を親が負うのだ。
しかし、子供から親への祝福は義務付けられていない。よほど仲の良い平民の家族であれば祝福を授けることもあるのかもしれない。だが、親であっても、罪を犯せば、切り捨てなければならない貴族の子供たちは決して、祝福を親に与えたりはしないのだ。
守護という枷を持たずとも、貴族の子を持つ親は子供を管理する技量を求められる。もしも管理ができず、反逆を許した場合は、貴族の子を持つ親として、落第点をつけられてしまうのだ。
父は娘である私を完璧に管理していると思っていたのだろう。その油断が謀反を招くのに。
愕然とした表情の父。滑稽でたまらなかった。
右目を潰した私の顔はあまりにも醜く、王子の伴侶として隣に立つだけの器量を失った。
父は自身の腕を切り落とした私のことを憎んでいた。しかし、彼には私の他に血が繋がった子供がいないため、排斥することは躊躇われたようだ。
後から聞いた話だが、父は王の近侍として同じ時を長く過ごしていたため、呪いの影響を少なからず受けてしまっていたらしい。
その影響で子を持つことが難しくなってしまったそうだ。
このまま家に置いておくのも目障りだが、自分の目の届かないところで生活されるのは容認できない。だったら、その剣の腕前と魔法陣作成の能力を生かして、騎士団に入り国に貢献せよ。
それが父が私に下した判断だった。
何もかも終わったと、屋敷の人間は言っていた。
その発言を聞くたびに私はほくそ笑んだ。
終わった? 何を言っているんだろう。私はこれで自由を手に入れたのだ。
牢獄のようなベルリア家を飛び出した私は、実力だけでのし上がれる世界に足を踏み入れる権利を得た。
そうして私は騎士団へと入れられたのだ。
血の滲むような努力をした。
そこで一人の男と出会う。
それが、のちの恋人であるオルブライト家のヨーナスだった。
ヨーナスは一言で言うと器用な男だった。
第二王子をたてたのか、一点差の次点で入学すると、その後も調整したかのように次点にとどまり続けた。
勉学も実技も、一流。それだけに留まらず、様々な階位の人間が集まる騎士学校内での当たり障りのない良好な人間関係を築くのも得意で、私はその姿に何度舌を巻いたかわからない。
なのに、その男はいつも私に世話をやく。いつでもそばにいてくれる不思議な存在だった。
座学でつまずいた場所があれば、彼の兄たちが使用した対策ノートを惜しげもなく譲ってくれ、男子生徒ばかりで着替える場所がなく困っていれば、オルブライト家のお抱え魔術師が描いた遮蔽の魔法陣を写させてくれた(オルブライト家の魔術師のレベルは魔術省に潜り込んでいた私のレベルを遥かに超えていた)
謝礼を支払おうとすると、
「好きでやっている事だから気にしないでくれ」
と言って引き下がる。
私はヨーナスがなんのために、ここまでよくしてくれるのかわからず、首を傾げる事しかできなかった。
「なあ、なんで君は私なんかによくしてくれるんだ?」
「私なんか……っていう言い方はよくない言い方だ。私は君と仲良くしたいと思っているから、話しかけているだけだよ」
柔和な微笑みをこちらに向けてくる、この育ちの良さそうな坊ちゃんが何を考えているのか、私には全く読めなかった。
「まあ、君がいつも一緒にいてくれるから騎士学校生活は思ったよりも寂しくはないけど」
私はこの生活が、もっと孤独で、打ちひしがれるようなものだと想像していたのだ。
「日中はずっと君がいてくれるから、寮にいる時以外は寂しくないね」
「……そのうち、その寂しさも忘れる時がやってくるよ」
「どうして?」
「妹が入学してくるんだ」
「妹……? オルブライト家は女子も騎士学校に入れる文化があるのか?」
「いや、本人がそれを望んでいるだけで父上は反対しているよ。でもあの子は何がなんでも騎士学校に入学するよ」
それは断定的な言い方だった。ヨーナスはたまに未来のことをまるで、その結果が決まっているように言うことがある。
「父上の反対がある状態では、騎士学校の入学試験でさえ受けられないのではないか?」
「ああ、あらかじめ頼れる知人の元に入学試験で使う道具は用意しておけばいいし、妹は少しの壁くらいは諦められない性格だからきっと入学試験を突破してくるよ」
私はそう言うものなのか? と自分を無理やり納得させながら、この男は何を考えているのだろう、と思考を巡らせた。
一学年も終わりにさしかかったある日、私あてに一通の手紙が届いた。手紙の差出人は父だった。
「っ!」
その手紙には父が母との離縁を決め、新しい後妻を迎えたことが記されていた。
しかもその奥方は新たな命を腹に宿しているらしい。
お前はすぐに要らぬ駒になる、と言うことがしたためられていた。
お前は不要だ。事実を突きつけられると、目の前が白んで見える。こんな家から出てやる、私は父の情などいらない。そう家との関係を切り離して生きていたはずなのに、いざ突き放されると、心の中を掻き乱される。
もう二度と、ベルリア家には戻れない。
その事実を思い知った時、無性に心が痛んだ。
ああ、では誰があの家を守るのだろう。迎え入れられた後妻はベルリア家に代々伝わる品物たちの歴史的価値がわかる人間だろうか。王の近侍を代々務めたベルリア家には、代々の王から賜った歴史的価値のある宝物も多く存在する。目先の金銭に目が眩み、売り払われることだけは避けたい。
代々仕えてくれている、従者たちだって、ベルリア家にしてみれば財産だ。ただ家の管理をするだけではなく、王都の内情に詳しく、街での情報を集め、粛々と仕事をこなす彼らの運用を正しく行えるだけの器量が父にあるだろうか。
考えて初めて気がつく。
私は父とは道を同じくできなくとも、ベルリア家という家のことは愛していたのだ。
あの家は私の家だ。
他の誰にも渡しやしない。
しかし、生まれる子供が男児であったら……。私は間違いなくお払い箱だ。どうすればいいんだ。考えても、何一つ手出しできない自分の無力さに、嫌気がさす。
「顔色が優れないね」
演習中。ヨーナスに声をかけられて私はハッとした。
「す、すまない。考え事をしてしまったようだ」
「君の頭を悩ませているのは、もしかしたら、君の父上かな?」
なんでわかるんだ、と慄きながらも小さく頷く。
父の進退は伯爵家の子息であるヨーナスでも情報を得られてしまうほど有名な話なのかもしれない。
「ああ……。今更ながら生家に未練があることに気がついてしまってね」
引き攣った笑みを浮かべながら告げると、ヨーナスはゆるりと笑った。
「大丈夫だよ。君の父上は新しい奥方を迎え入れても、子を儲けることはないから。間違いなく、君がベルリア家の後継だよ」
__まただ、と思った。
ふわりと笑みを浮かべたヨーナスの発言に目を瞠る。その言い方は、まるでもう未来が決まっているかのような口調だった。
しかしそれを否定しにくいのは何故だろう。ヨーナスはまるで、自分には証拠がある、とでも言いたそうな様子だ。
なんだ、この違和感は。
そういえば、国政の中枢を担っている人間の会話で聞いたことがある。
__ラザンダルクには、この国の色盗みの女のように、変わった固有魔術を持つ人間がいると。
それは“先読み”と呼ばれている
その名の通り、未来を見通す能力のことで、ラザンダルクの人間でもごく一部のものしか持っていない特性だと。
ヨーナスが生まれたオルブライト領はラザンダルクとの国境に位置している。それに、現オルブライト家の奥方はこの国には珍しい、ラザンダルクの血を引いた男爵家の御令嬢だったはずだ。
「君は……。まさか“先読み”なのか?」
「うーん、私の能力は完全ではないし、精度も低いんだよ。その気があるくらいの些細なものだ。もっと精度が高い“先読み”はこれから起きるほとんどのことが手にとるようにわかる、っていうけれど、私はそんなにわからないからなあ」
それでも、未来を見通す力があることはすごいことだ。
……そうか。私はヨーナスがマメな男だ、と勘違いしていたが、先を読んで前もって必要なものを用意していただけだったのか。
その日私は、無害そうな名家の坊ちゃんが、意外と工作を得意とし、狡猾な男であることを知ったのだ。
ヨーナスはなんで試験に必要なものを先生の家に用意して置けたのか? の回答回です。




