101とりあえず一番マシな人にプロポーズしておきますね
何を言われたのか検討もつかず目をパチクリとさせていると、先生は眉間に皺を寄せながらため息をついて、ことの顛末を教えてくれます。
「まだ君が王都に来る前、僕が体調を崩して魔法陣教室を休みにした日があったでしょう? その日にリジェットが僕を裏切らないということが形でわかる様にって結んだ契約があるでしょ? それ、婚約の魔法陣だよ」
「え、えええええ⁉︎」
あれ、婚約の魔法陣だったのですか⁉︎ 驚愕の事実にわたくしは口をあんぐりと開けることしかできません。
「やっぱり、知らなかったんだね……。そんなことだと思ってたよ」
「だ、だ、だって! 先生がお書きになった魔術書には一切そんなこと書いてありませんでしたよ⁉︎」
「地方に住む魔術師の中には、需要が高く、かつ単価の高い、婚約の魔法陣のみを描いて生活を成り立たせている者もいるんだよ。そういう者たちの恨みを買いたくないから、僕が書いた本ではあえてぼかした表現で書いていたんだけど。……でもよく読めば、婚約の魔法陣だってわかるように『この国において一般の魔術師が作れる最高位の誓約系統の魔法陣』ってちゃんと書いたでしょ!」
そんなことを言われても、オブラートに包まれた文章を読み取る能力なんてわたくしにはありません!
「あああ……。わたくしそれを読んで、この魔法陣なら先生に信用してもらえると思ってしまったんですね……」
「君は馬鹿だねえ。……せめてもっと深読みをしてもらえないかい?」
「頭がよくなくて申し訳ありません……。百本ノック式で勉強を覚えるタチなので、応用的なことがいかんせん苦手で……」
「もう結んでしまったものについては仕方ないよ。あの時点で君の動きを止められなかった僕にも落ち度はあるからね」
「すみません……」
ああ。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいで、先生に頭が上がりません。うっかり大事故に巻き込んでしまったことが急に発覚したせいで、先生が好きだとか、この気持ちは恋かも! とか、そんな浮かれあがった気持ちがまるで箒で綺麗に掃いてしまったかのように、どこかへ追いやられてしまいます。
「でもなあ……。婚約の魔法陣は一回使ってしまうと、効果を解くのに必要なものが多くてちょっと厄介なんだよね……。手持ちの材料だと足らないんだ。
リジェットがパートナーにする人間が、僕より高位だったら、解かずに塗り替えが可能なんだけど、この国に僕より高位の人間はそもそもいないからね……」
「だから、アルフレッド王子は塗り替えられない、とおっしゃっていたのですね……」
「何あいつ、塗り替えるなんてしたの? 無理矢理? ……とんだ下衆じゃないか」
それを下衆と言ったら、無知ゆえだとしても無理矢理婚約の魔法陣を結んだわたくしはもっと下衆になります……。知らないことは罪ですね……。スミマセン……。
「というか、婚約の魔法陣って塗り替えができてしまうんですね……」
塗り替えられてしまう程度の誓約なら『この国において一般の魔術師が作れる最高位の誓約系統の魔法陣』とは言えないのではないでしょうか。
「……まあ、それはあまり一般的には知られていないけどね。要は、そう信じられていれば、人間はそういうものだと言う認識で機能するから、誓約として問題はないんだよ。あの莫迦王子は魔法陣が描けるらしいから、何かしらのタイミングで抜け道があることを知ってしまったんだろう」
「アルフレッド王子は魔法陣を描くことができるのですか?」
ということはあの白い空間に招かれたことがあるということでしょうか。
「そうだよ。あまり彼とは親しくないから、湖の女神と接触したかは知らないけれど」
アルフレッド様が魔法陣を書くことができるなんて……。そういえばヨーナスお兄様が昔、魔法陣が描ける同級生がいると言っていましたが、わたくしはてっきりステファニア先輩のことだと思っていました。と、なるとあのバラの魔法陣はアルフレッド様のなのかしら。
「ということは、アルフレッド王子は完全な黒を宿し、それを扱うだけの知識も有しているということですね……」
厄介な敵? が先輩騎士にいるという事実にわたくしは口から魂を飛ばしそうになります。
「まあ、そこはうまくやってよ。念のために君が自分で結婚相手を決めるまでは婚約の魔法陣はとかない方がいいだろう。婚約の魔法陣については、リジェットの社交界デビューまでに解いてあげるから、ちょっと待ってて」
この国では十五歳で成人の扱いになり、成人した貴族の子供たちは社交パーティーに足を運ぶよう、各家庭の投手に命じられます。
そこでの社交の目的は家同士の結びつきを深めること__有り体にいえば、婚活なのです。
ただ、騎士団に入団した女子団員は、嫁入りに適さないと家から烙印を押され、入団をしたという経緯がある方がほとんどです。
ちなみにステファニア先輩はヨーナスお兄様という相手がいらっしゃいますし、社交の必要がないと判断し、社交界デビューはしない方針のようです。
「……わたくし、騎士団に所属しますが、社交界デビューするのでしょうか?」
「情勢にもよるだろうけど……。セラージュだったら、デビュタントだけはきちんと済ませるんじゃないかな……。デビュタントを済ませたということは、ハルツエクデン国の貴族であるという一種の証明になるからね。その後はもしかしたら控えるように言われるかもしれないけれど」
幼いうちから嫁ぎ先が決まっている御令嬢もデビュタントだけは、済ませますものね。
後三年で成人ですか……。それまでに情勢が安定していれば、今の悩みは全て吹き飛ぶのですが。なかなか現実は難しいでしょう。
「でもリジェット。考え方を変えれば、君が僕との婚約を結んでいるという事実は君を守る盾になる。僕との婚約があれば、他の人間は魔法陣の塗り替えをすることはできない。不本意な婚約を無理やり結ばされることを避けることができるんだ。……だから、嫌だろうけどこの婚約状態はしばらく、このままにしておいてくれないか?」
「先生はそれも踏まえて、婚約の魔法陣を解こうとはしなかったのですね?」
「単純に解くのがすごく面倒な魔法陣だからということもあるけれど……。まあ、そうだね。大丈夫。君にパートナーが見つかるまでには必死に解くから」
なんならこのまま解けなければ、先生もわたくしも誰とも結婚をできない、ということになります。
実質、先生はわたくしのもの。
__それ、めちゃくちゃ都合がいいじゃないですか。
「無理に解こうとしなくとも良いですよ? わたくし先生となら、婚姻が結ばれても構いません」
「は?」
あら、わたくしったら勢い余ってプロポーズをかましてしまいました。
……先生、その。驚きすぎて目玉が溢れてしまいそうな顔、やめてくださらない?
驚いて、言葉も出ない先生に向かって、わたくしはこの婚姻が成立することが、いかに合理的なのかを切々と説明します。
「だってそれが一番合理的だと思うんですよ。わたくしのこの感情が恋愛感情に伴う懸想でないとしても、わたくしは弟子として、先生の存在が他の人間の手に渡ることを恐れています。それに今まで出会った殿方の中で先生が一番まともですもの!
だったら、伴侶となってくださるのが一番、魔術誓約的にも確かな手段です!
そもそも、貴族の結婚は家同士の結びつきを深め、自分たちの家を繁栄させるためのものであって、恋愛感情は必要ありませんもの」
「……ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って、どうしてそういう思考になるんだ? いくらなんでもサンプル数が少ないでしょ! そもそも僕は貴族ではないよ」
「それでもオルブライト家および、ハルツエクデンの貴族として、先生の叡智を諸外国に渡すわけにはいきません。わたくしが先生と縁を持つことはオルブライト家にとっても利点があります!」
先生はわたくしの大演説を薄目になりながら聞いていました。絶対あれ、大半を聞き流していますね。
「君が考えていることは大体わかった。だけど……どうしてそう婚姻にこだわるんだ」
「わたくし今回の誘拐騒ぎの時、恐ろしくなったのです。もし王子の誰かに婚約の魔法陣を使われて、無理矢理王家の一員にされてしまった時、先生はわたくしに飽きてしまうかしらって。今までは先生の飽きたら捨てます、という態度が気楽で、心地よかったのですけれど、それって飽きてしまったら永遠に先生にお会いできないってことだな……と思って。そうしたら、すごく悲しい気持ちになってしまったのです」
これが、恋愛感情でないならば、わたくしはどれだけ我儘なのでしょう……。まるで、お母さんから片時も離れたくない子供のようではないですか……。
でも、自分の感情を言葉にして伝えておかないと、先生は離れていってしまうから……。
「だから、絶対に破れない約束のような……契約が欲しかったのかもしれません」
半泣きになりながらそう伝えると、先生は困ったような顔をしてわたくしの顔を覗き込むように屈みました。
そうして頭をガシガシと撫でながら、子供を宥めるような仕草を見せます。
「君は僕の唯一の弟子だよ。君を捨てることは今の僕にはできない」
「本当ですか?」
「本当に決まっているでしょ? だって、最近の僕は君に関する魔法陣ばっかり研究しているんだよ? 君に危害を加える輩を殲滅したり、危険を排除する魔法陣を研究したり……」
「殲滅……、排除……」
不穏なワードに、半目になってしまいますが、わたくしが思っているよりも先生はわたくしのことを大切に思ってくれているみたいですね。
「でも、僕は君と婚姻を結ぶ気はさらさらない。第一、君にとってのメリットはあっても、僕にメリットがないだろう?」
「本当ですね……。先生にメリットがありません」
「はあ……。全く。何を言い出すと思ったら……」
明らかにつかれた顔をしています。
ただ、その疲れた表情は言い合いに疲れた、というように見えて、わたくしの発言に嫌悪感を抱いた、という感じは受けません。
「んー。では。先生にとってのメリットが提示できるような存在にわたくしがなれたら、もう一度求婚してもいいですか?」
「は?」
先生はもう一度目を大きく見開きます。なんだか今日は先生にこんな表情をさせてばかりですね。
「だってそうしないと、先生は誰かに取られてしまうかもしれないでしょう?」
「まさか……本気で?」
「ええ。本気です。恋愛感情の有無なんてどうでもいいですが、わたくしは先生がどこかにいってしまったら困りますもの。
でも……今のわたくしにはまだ、それを提示できるだけの力がないので、保留ということにしておきましょう」
「保留……」
先生は、光を通さない瞳で、しりすぼみにな口調になりながら、つぶやきます。
「そう。保留です。こういう話題は一気に煮詰めると、うまくいかなくなりますから。それに、こういう話をしすぎると、先生はわたくしのことを面倒に思って、どっかに逃げてしまいそうです。と、いうことで、一度この話題は終了にしましょう」
「なんていうか……。君って本当に情緒がないよね?」
「あら? 情緒たっぷりに縋った方がいいですか?」
上目遣いになりながら、先生の顔を覗き込むと、露骨に嫌そうに眉間に皺がよります。
「いや……。絶対に遠慮するけど」
「でしょう! ではこのお話は終わりです!
……というわけで、今日の出来事をまとめましょう。王位継承争いってやつは本当に厄介ですね……」
「君、本当に切り替えが早いな……」
先生は空気が抜けたような、変な顔になりながらも言葉を返してくれます。
「今日は両王子にお会いしましたけど……。どうしてか、仕えるという気にならないのですよね。お二人とも王と呼ぶにはなんというか……器が矮小すぎるのです」
「おお……。リジェットは結構バッサリというんだね。逆にリジェットが使えるのにふさわしいと思う人物は誰なの?」
「あんまり附に落ちませんが、一番王としての振る舞いに近いものを見せてくださったのは、以前お会いしたオフィーリア姫ですかねえ?」
先生の隣にいた、ということに胸の中がもやもやした、という事実は捨てられないのですが、あった瞬間、平伏してしまうような高貴さと、懐の深さ、純粋なだけでない悪辣さを覗かせていたことで、王らしさを感じた事実なのですよね……。
誰かに従うのならば、この人に従わなければならないと思わせてくれるような求心力が必要だと思うのです。
その言葉を聞いた先生は目を丸くして、わたくしの顔を見ていました。
「僕としては、オフィーリア姫が一番、君にとって安全な未来を用意できる人だと思うんだ」
「先生はあの方に仕えていらっしゃるのですか?」
わたくしの問いを受けた先生は横に首を振ります。
「僕は立場上、王の所有物ということになっているから、書類上の主人はこの国の王だ。でも、今の王は僕を使役するだけの条件を満たしていないからね。僕はフリーな立場だよ。
今の僕が一番応援したいのは姫様かなあ。あの方が一番、この世界を見通す力がある」
「見通す?」
「ああ。ラザンタルクの人間に多い特徴なんだけど、未来を予知するっていう特異体質を持つ人間がいるんだ。この国の色盗みと同じように固有魔術を持つものだね。“先読み”と呼ばれているよ」
「先読み……そんな魔術があるんですね」
「とは言っても、色盗みと違って先読みはみんながみんな一定の力を持っているわけではないんだよ。少しだけ先が読めるものもいれば、勘がいいね、程度で済まされるものもいる。だからラザンダルクではそこまで尊ばれない能力らしい」
その言葉を聞いてわたくしは、マルト出身のニエのことを思い出します。ニエも鋭いというか、未来が見えているんじゃ、と思うような発言をすることがありました。
マルトはラザンダルクとの国境沿いからそう遠くない場所にありますから、彼女がその能力を持っていたとしても不思議ではありません。
「でもその中でも別格の力を持った人間も存在する。中にはこの先全ての道筋が鮮明に見えてしまう人間もいるんだ」
「え⁉︎ そんな能力って……無敵じゃないですか⁉︎」
「それがね……。先読みができる多くの人間はその力に溺れて身を滅ぼすことが多いんだ……。高度な術者は自分がみた未来と違う未来に出会ってしまった時、対応できずに死んでしまうことが多いらしい。
だからこそ、精度の高い先読みができる人間は自分が見た未来通りに物事が進むように、必死になって周りとの調整を重ねる傾向にあるね……。どうやら未来が見えるというのは諸刃の剣なんだ」
「オフィーリア姫はどの程度、先読みの精度を持っていらっしゃるんですか?」
「彼女の先読みの精度は……恐ろしく高い。ほとんどの事案が、彼女の知っている未来の通りに今が行われているよ」
わたくしはカフェで不自然に出会ったオフィーリア姫のことを思い出します。
あの神がかったタイミングの良さは……。
「だから、オフィーリア姫はわたくしがあのカフェにいることを知っていたんですね?」
「そういうことだろうね。あの日僕たちはレナートとの会談の予定だったんだけど、姫様は最初から“四人で行く”とレナートに伝えていたから」
わたくしは全てのことがオフィーリア姫の手の内であったことに驚きます。
まさかあの場で、オフィーリア姫と先生が一緒にいるところを見てへこんでしまったことも彼女にとっては必然だったのかしら……。そう思うと得体が知れなくて、とっても恐ろしく感じてしまいます。
「となると、オフィーリア姫は自分が三国を統一すると言ったのは単なる狂言ではなく、そうなる未来が見えている……ということですか? にわかには信じられないのですが……」
「僕も正直、信じられない部分はあるよ。でも、今まで彼女が言ったことは大筋外れてはいない」
「……たとえばどんなことを彼女は言ったのですか?」
「シハンクージャで革命が起きた時も、ピタリと時期を当てていたよ」
「でも、王城の内部にいる方ですもの。そのくらいの情報は知っていたんじゃないですか?」
「姫様は情報から完全に隔たりがある離宮に住んでいるから、情報を仕入れることはできないよ。しかもシハンクージャは鎖国状態じゃないか」
「それにしたって……。それだけじゃ信じられません」
「それだけじゃないよ。これから、現ハルツエクデン王が亡くなるらしい」
「え……」
「少なくとも夏の終わりには」
先生を呪った王は呪い返しを受け、病床に伏していると噂で聞きましたが、そんなに体調が悪かったのかしら。
となると、同じだけの苦痛を味わっていた先生はどれほど辛い中、生活を送っていたのでしょう。
先生は湖の女神との契約で百年間死なない、という恩恵を受けていますが、それは反対に言えばどんなに苦痛でも死ねない、ということなのです。
そう思うと、わたくしは自分の寿命を失って、先生の苦痛を取り除いた、ということは先生にとってものすごくありがたいことだったのかも知れません。
先生がわたくしの不敬極まりなく、わがままな発言を受け入れ、赦してくださるのは、その負い目もあるのかも知れない……。そう思うと、先生に少しは好かれていると思っていた自分が、恥ずかしくなります。
「リジェット? 大丈夫? 体調が悪い?」
少し考え込んでしまっていると、黙ったわたくしのことが心配になったのか、先生が顔を覗き込んできます。
「いいえ、なんでもございません。……王の寿命が短いということに衝撃を受けてしまったのかも知れません」
「……まあね。もちろんその情報は国内に出回っていないし……。ただ、そうなるとオフィーリア姫は完全に王の婚約者ではなくなるからね。婚約の魔法陣は相手が亡くなったら勝手に破棄される仕組みだからね。……そうなったら彼女は間違いなく動き出すだろう」
オフィーリア姫にはどんな未来が見えているんだろう……。わたくしはちっとも想像もできない未来の恐ろしさに、頭を抱えることしかできませんでした。
思い立ったら即行動。それがリジェットイズム。
次の更新は土曜日です。次の話で騎士学校一年生編は最終話です。




