99第二王子は思ったよりいい人でした
転移の先は几帳面に整えられた整然とした部屋でした。
きょろりと部屋を見渡すと、本棚には戦術や、魔術、武術の本がぎっしりと詰まっています。その奥にはもう一部屋、部屋があるように見えます。
ここはアルフレッド様の自室でしょうか。
助けてくれたんだろうか……。わたくしはアルフレッド様の行動の不可解さを飲み込めないまま、上がった息を整えるように深呼吸をします。
この人はどうしてわたくしを助けようとしてくるのでしょうか? 自派閥に属していないわたくしを助けても、なんのメリットもないはずなのに……。
まあ助けないと、わたくしが第一王子側に取られた場合、アルフレッド様が切ることができる手持ちのカードが一つ減りますから、それを防ぎたいのでしょうけども。
「清廉の色盗みは……」
この部屋に連れてこられたのはわたくしだけで、あの倒れていた色盗みの女性の姿はありませんでした。
転移で連れてこられたのはわたくしだけなんだわ。それを理解すると、心の奥が軋んで息がしにくくなります。
「あの女は王に献上されるだろう。……まだあの女には呪いに染まりきっていない余白があるからな」
「王の呪いを取り除いて、余白が無くなった後はどうなるのですか?」
「……大抵の場合はその場で命を失うことが多いが、意識がある場合は内々に処分されることが多いな」
処分……。予想はしていましたが、淡々と言われてしまうと、非常さに心がぐしゃぐしゃになります。
先程の場が、あの方を城外に連れ出す最後のチャンスだったんだわ。
「わたくし、あの方に……この城から連れ出すと約束をしたんです」
消えそうな声で呟くと、アルフレッド王子は無表情のまま言葉を紡ぎます。
「……もう無理だろうな。ただでさえ、色盗みの女の数に余剰がない今、王はどんな色盗みだって、逃そうとはしないだろう」
果たせない約束なんてすべきではなかった……。希望を持たせた後、それを棄却するなんて、そっちの方が彼女にとってショックが多かっただろうに。
わたくしは自分になら助けられると安易に思ってしまったことを悔やみ、下唇を強く噛みます。
その様子を見たアルフレッド王子は、少しだけ不思議そうな表情をしていました。
「どうして、お前は弱き者にすぐ慈悲を与えようとするのだ?」
「え……?」
「お前は、自領でも身寄りのない子供に職を与えたり、実力があるのに燻っていた、料理人を引き抜いたり……。慈悲を与えるような真似をしていただろう?」
あら……。この人、思ったよりもわたくしの所業をよく知っているんだわ。調べたのかしら。
もしかして、この方はわたくしのオルブライト家の血筋だけではなく、わたくしの事業自体も知り尽くした上で、妃に迎えたいと言ったのかもしれません。
それだったら……少しは嬉しいような、恥ずかしいような……、よくわからないむず痒さが背中を駆け巡ります。
「弱いものに心を砕いて、自分を削ってまで尽くす生き方は辛さを伴わないのか?」
「辛いですよ。辛いに決まっています。自分の時間も減りますし、責任も信じられないくらい増えますから。でも、そういった人たちから目を背けて、不幸になったという事実を後から知ってしまったら……。わたくしは後悔でいっぱいになってしまうと思うのです。……ああ、あの時ああすればよかった。こうすればよかった。……そう後悔したくないから、今できることを精一杯やるしかないのです」
「理由があるのだな」
「ええ。物事には理由があります。あなたにだってあるのでしょう? アルフレッド様。第一王子を王にしたくない理由が」
そういうとアルフレッド様は目を見開きます。
「なぜわかった?」
「ご自身が王位を欲しているわけではなさそうだからです。でもなんとなく、わたくしも……。不敬な発言、ここではお許しいただきたいのですが、あの方が王位につくのはなんだか怖い感じがするのです……」
わたくしが眉を下げながら恐る恐る口にすると、アルフレッド様は力強く頷きます。
「私もあれが王になるのだけは避けたいのだ。いや、避けなければならない、だな。そのためだったらなんでもするつもりだ。
……それが私に課せられた責務だと思っている」
握りしめた拳は震えていました。どうやら、アルフレッド様の決心は堅いようです。
しかし、なぜアルフレッド様はそこまで思い詰めた表情をしているのでしょう。
「……なぜそこまで?」
「あれは第一王子だった何かだ。第一王子ではない」
「え……?」
アルフレッド様の言っていることがわからず、わたくしは顔に困惑を滲ませてしまいます。
仲がよろしくないという以前に、二人には何か道を別つような出来事でもあったのでしょうか。
というか、こんな話。以前も聞きましたよね……。
“グランドマザーは本当に優しい人だったの。今は人が変わってしまったかのように狂ってしまったけれど”
そういったスミの言葉をわたくしは思い出します。
原因は湖の女神の関与。そう先生は言っていました。
この国には一体何が起こっているの……?
「お前の立場は私にちょうどいいんだ。どうせ白纏のお前は王に消費されてしまう存在だろう? 命を守るためにも、私の陣営に加われ」
「嫌です」
隙あらば、勧誘を仕掛けようとしてくるアルフレッド様の言葉を聞き流し、即答で返事をします。
「……なんなら、私が直々に式をあげる準備を今すぐにでも整えてやろうか? 大聖堂で盛大に祝おう」
「あら式だなんて……。自分のご葬儀の予約ですか? 随分と気が早いですね」
「本当にお前は怖いもの知らずだな……」
なんだか、不思議とアルフレッド王子は……王子なのに軽口を叩けてしまうのですよね。
__だってこの方はちっともわたくしの言葉に不快感を抱いていないんですもの。
ジルフクオーツ王子は不敬な発言をすると、じわりと苛つきが滲む(そこに幼さも感じる)ので、無闇矢鱈に発言できない感じがあるのですが、アルフレッド王子は、それを楽しんでいるような気配を感じるのです。
それどころか、味方になってくれようとする気配すら感じるのです。
なぜなのかが全くわからなくて、すっごくモヤモヤするのですが……。危害を加えられないなら良いかな、と思って深く考えないようにしています。
「不敬な口をきくわたくしのことがお嫌いでしたら、どうぞ排斥してくださいませ?」
「……排斥などするか。私はお前を気に入っているんだ。だから、求婚を申し込んだ」
ん? 求婚? わたくしはその発言がうまく飲み込めずに首を傾げます。
「……あの。先ほども言っていましたが、わたくしアルフレッド様に求婚されたことありましたっけ?」
「は?」
「いや……いずれ妻になる、というようなことはおっしゃっていたと思うのですが、妻になってくれとは言われていないな……と思って」
度重なる待ち伏せと勧誘は、あくまでも派閥の強化であって、求婚ではないと考えていたのですが、あれはまさか求婚だったのでしょうか……。その驚愕の事実にわたくしは目をまんまるにすることしかできません。
わたくしが鈍いから? いや、いくらなんでも言葉が足りなすぎますよね⁉︎
「そう言った明確な言葉の類は……必要ないだろう」
「必要ですよ! わたくし、愛のある結婚をしなさいって大切な人に言われているんですから!」
わたくしは先生に言われたことを思い出します。
「あなたは、自派閥にとってプラスとなる人材が欲しいだけで、わたくしに対して愛なんてちっとも持っていないでしょう? わたくしある方と約束したんです。素敵なパートナーに出会って素敵な恋愛をするって」
そう言い切ると、アルフレッド様は片眉を上げて訝しげな表情を作ります。
「ほう? 愛情なんてチンケなものを欲するのか? 貴族らしくない意外な考え方をするな」
「チンケですよね。でも、素敵だと思いません? わたくしを口説き落とすなら、そのくらいの状況は作っていただきたいですよね」
捲し立てるように言ってしまったので、息がゼエゼエ音を立ててしまいます。
わたくしの啖呵を聞いたアルフレッド王子は、ハアー……と驚くほど長いため息をつきます。
「どうせ、お前に愛だとか恋だとか、諭したのはクゥールだろう? あの男はお前によほど執着しているらしいな」
アルフレッド様にそれを指摘されたことに、目を瞠ります。あまり関わりがないアルフレッド様の目で客観的に見ても、わたくしは先生に執着しているように見えるのかしら。
「執着……しているでしょうか」
「しているだろう? 出なきゃ、そんな魔法陣を結んだりしないだろう?」
「そんな魔法陣?」
「まさか、お前は知らずに奴と契約したのか? ……かわいそうに」
なぜか目を細めるアルフレッド様。なんでそんな可哀想な子を見る目でこちらを見てくるのですか……。
「なんだか勝手に可哀想だと思われていますが……。わたくしは先生のことはきちんとお慕いしている上で一緒に行動しているのですよ?」
「ほう……。お前は、あいつに懸想していると……」
「…………。へ?」
思っても見ない発言に変な声が出てしまいます。
懸想……? 懸想って恋愛感情があるってことですよね。
懸想……。恋……? あれ、わたくしが先生に抱えていたモヤモヤは、変ではなく、恋?
「へわっ! え、えええええーーー⁉︎」
「お前、まさか……。無自覚だったのか⁉︎」
アルフレッド王子は目を見開いて驚いています。
「これって恋だと思います⁉︎」
「は? お前は今更何をいっているのだ? お前は私がクゥールの家を訪ねた時から、ベッタベッタと執着していただろう? あの執着が懸想を言わずしてなんというのだ?」
その言葉に目を閉じて、わたくしは考えを巡らせます。
「では、先生に他の女性の方が近づくとモヤモヤするのは弟子としての独占欲では……ない?」
「……ないのではないか? というかなぜ私は奴に有利になるような言葉をかけてしまうのだ……」
ゲンナリした顔で項垂れるアルフレッド様を傍目に、わたくしはアタフタしてしまいます。
「先生は、わたくしのこの気持ちは弟子としての独占欲だって、やけに強調して言っていたのですが……」
「奴はお前の気持ちを受け入れるだけの度量がないのだろう。とんだ甲斐性なしだな……だったら私の元に嫁いだ方が、何十倍もマシだろう?」
「マシ?」
「ああ。どうせシハンクージャとの対戦が始まれば、騎士団の新卒兵は最前線に送られる。お前だって、他人事ではない。……だったら、私の妻、という立場を手に入れて、王城に篭っていた方が命は保障されるだろう?」
最前線に出る。……そうですよね。
わたくしだって、戦いの中で命を落とすのが恐ろしい気持ちはあります。
かなり利己的な人間だということは自覚していますから、自分が一番可愛いってことだって理解しています。
例えば今のわたくしがこの方の手をとって、王妃となったのであれば、シハンクージャとの戦いが苛烈を極めたとしても、王族として、珠のように守られて、どこかに隔離されるのでしょう。
__でもその選択肢に全く魅力を感じられないのです。
戦争が始まれば、先生はどうするのかしら?
もしも先生がこちらに落とされた理由が、ハルツエクデンの理を守るためだとしたら、先生は戦争に利用されるでしょう。
聖女として、力を振るうのかもしれませんし、兵器として利用されるのかもしれません。
なんにせよ、きっと優しい人だから、自分だけ隠れて難を逃れようなんて思えないと思うのです。
そんな最後まで共に戦場に立っていたいと思うのはエゴでしょうか。
わたくしは目に力を込めて、王子に言い放ちます。
「わたくしはあなたの妻にはなりません。それがわたくしにとって最善の選択肢ではないように思いますから」
「ほう? 一国の王妃の座を与えてもお前は断るのか」
「ええ。わたくしは、王子様に見染められることを夢見る乙女ではないのです」
「この国の民は王族を守る。民はお前を守る、強力な防壁となるぞ?」
「どうしてあなたは民を自分の手駒のように扱うのでしょうか。……逆ですよ。王は国民を守るため国に尽くす、民のための手駒なのです。
王になりたいと願うのであれば、すべてを守ろうという気概でいてください。そのくらいの胆力のある方でないと、仕えようとは思えません」
目に力を入れて言い切ると、アルフレッド王子はため息をつきます。
「そうか。だったら私は根気よく自派閥の利点を伝えるしかないな」
なんですか、その返し方。もっと、とんでもないことを言われるかと思っていて身を硬くしたのに、温和な言い返し方だわ。
「……なんというか、思ったよりアルフレッド様って人がいい方ですよね」
「お前は愚かすぎるのではないか? すぐに人を信用するのは……あまりにも幼稚だろう」
「信用しているわけではないのですよ? ただ、先ほどまで、つかまっていたジルフクオーツ様があんまりにもあんまりな方だったので、それに比べるとまともに見えるというだけで……」
そう言おうとしたその瞬間、わたくしの足元が急に光り始めました。
これ……あっ、捕縛の魔法陣ですっ! 急いで避けねばと思い足を捌きますが、片足は魔法陣の中につかまれてしまいます。
「ちょっと! なんですか⁉︎」
「いい人間だ、と言われるのは男として癪だからな。気が変わった。どうせなら……私の魔力で、奴の魔法陣が上書きできるか謎だが、やってみるだけ損ではないだろうと思ってな」
奴の魔法陣……? 何ですかそれ。
「なあに、婚約の魔法陣を描き変えるだけだ。危害は加えない」
アルフレッド様はニヒルな笑いを浮かべながら言い切りました。……ちょっといい人だと思ったのに、やっぱりこの王子も第一王子と変わらない悪人です!
「ちょっと! 助けてくださったのかと思えば、あなたも無理やり契約を結ぶつもりですか!」
「この機会を逃す方が愚かだろう⁉︎」
「似たもの兄弟‼︎」
「手段なんて選んでて、王座なんて奪えるか!」
取っ組み合いの中、力の差で開けてしまったわたくしは押し倒され、勢いの中で目を瞑ります。
あああ! もう無理だ!
そう思った瞬間です。
バチンッ!
「⁉︎」
太いゴムを弾いたような鈍い音を立てて、光を帯びた魔術的拒絶反応が目の前で起こります。
は、弾いた⁉︎ アルフレッド様が手にしていた魔法陣は、瞬く間に部屋の隅へと弾き飛びました。
「やはり契約の上書きは難しいか……。奴の魔力が私のものよりも、上等なのだろう」
どういうこと……? だって最初の婚約者であったエメラージ様とは婚約の魔法陣を作動させる前に婚約破棄になりましたし、その後誰とも婚約をした覚えはありません。
なのにわたくしは、婚約の魔法陣を誰かと結んでいる……?
しかも、その言い方だと、あたかもわたくしが先生と婚約の魔法陣を結んでいるように聞こえるではないですか。
混乱した頭で、ぐるぐると考えているとふわりと優しい風が流れ込んできました。
床が、ピカリと光るとそこから人影が現れます。
あ、焼いたケーキの匂い。ひだまりのお布団みたいな優しい匂い。
それはいつも訪れている空間に漂っている、大好きな香りでした。
「やあ、リジェットご機嫌よう。迎えにきたよ」
穏やかな、笑みの中に背筋が凍るような冷ややかさが混ざっていました。
現に、わたくしに馬乗りになっているアルフレッド様の顔には冷や汗が滲んでいます。
でも、その表情にわたくしはどこか無敵さを感じてしまいます。
「先生……」
聴き馴染みのある優しい声にわたくしがどれだけ安心したか……。
きっと先生には想像もできないでしょうね。
いい人ですね! って言われる人のポジションの可哀想さ。
次はまた火曜日にでも……。




