間話 ここにいるのは食えない人間ばかり
クゥールとリジェットさんの二人が部屋から出ていくと、急にこの部屋の温度が下がった気がした。
この位の高い人間をもてなすために作られた来賓招待用の一室に今残っているのは、ボクとオフィーリア姫と、ニーシェと呼ばれたオフィーリア姫の従者だけだ。従者はオフィーリア姫の後ろで行儀よく両手を重ねて立っていた。
十歳の少年ほどしか背丈のないボクにとって、この商談部屋の椅子は少し大きすぎる。少し体を前にずらすと、机との距離がちょうど良くなった。
ボクはもう一度、目の前に座る、オフィーリア姫と目を合わせてにこりと笑みを作る。オフィーリア姫も今は害なんて成しませんよ? と言わんばかりの笑みを返してきた。
……この人は今は害をなさないが、ボクと争う立場になったら、容赦無く潰しにかかってくるだろう。そんな気配が漂っている。
「レナート。今日はあなたとお話ができて本当によかったわ。わたくし、ずっと二人でお話がしたかったの。できれば王城ではないところでね」
オフィーリア様は威圧的を表情に混じらせて、笑みを深めた。気を抜くとぐらりと意識が飛びそうになる強い魔力を、隠すつもりはないらしい。
「どうして、当店にいらっしゃったのですか?」
「三国で一番、王様に近い人にお願いしたほうがいいと思って」
その言葉に一瞬、息を呑む。
「王……ですか? ボクが? いやはや……。とんでもない。ボクはただのしがない男爵位の呪い子ですよ。しかも、完全に実家と縁が切れていますから、一代限りの成り上がりですし」
「本当に?」
オフィーリア姫は射抜くような視線で、こちらを見た。
「あなた、シュナイザーではなく名前を変えて、ラザンダルクにも……。それに鎖国状態になっているはずのシハンクージャにも百貨店を出店しているでしょう?」
それをオフィーリア姫が知っていることに驚く。他国への出店はシュナイザーの幹部でも知らぬものがいるくらいのシークレットな情報だ。
他国での百貨店は完全に他国での従業員だけで運営している。ボクが代表を勤めているだけで完全な別会社なのだ。
「時として巨額の金銭は、王をも動かします。王は地位であって力ではないですからね。動かすのはいつだって力を持つ者です。資本を持っているものが、この国を制するのだと、わたくしは思っています。三国で一番多くの資本を持っているのは間違いなくあなたでしょう」
げ、なんでバレてるんだろう。ボクはオフィーリア姫の情報源が気になり始める。
ラザンタルクにはハルツエクデンにはない特殊な情報収集ツールがあるのかもしれない。ラザンタルクは魔法陣ではなく、魔術具の研究が盛んに行われている国だ。
クゥールからチラッと聞いた話だと、オフィーリア姫はご自分でも魔術を学んでいるらしい。
勉強熱心、と言うよりは末恐ろしさすら感じる。
「そういえば今日、城の離宮はどうなっているんですか? まさか無人にしておくことはできないでしょう?」
というか、一国のお姫様が(しかも和平のために使わされて、形の上では囚われの身になっているはずの)護衛を一人だけ連れたくらいで、街に出てくるなんて、とんでもない話だ。
この方なら何かしらの手筈は整えたのだろう、ということは想像できる。でもそれが何なのかはボクにはわからない。
「大丈夫ですよ。あちらには身代わり人形を置いてきました」
「身代わり人形? クゥールが使うあれですか? あれは動かないですから、いくらなんでも姫さまの代わりにはならないでしょう?」
ボクは以前、クゥールが使った身代わり人形を目の前でいたことがあった。まるで命が宿ったかのように瞬きをする、精巧な人形だとは思ったが、あくまであれは人形だ。
「わたくしが使う身代わり人形はクゥールの使うものとは違いますからね。クゥールにあの人形の作り方を教えてのはわたくしなんですよ。でも、クゥールが使う人形は核がありませんが、わたくしの人形は核があるんですの」
「核……。ということは姫さまが使っている人形の材料は……」
「ええ。人間ですね」
なんともなさげにさらりと言う。ううん。やはりこの姫さまはくせものだ。王族関係者からの情報だと、ものもはっきりと言えぬ、控えめな女性だ、という話だったがそれは間違いだろう。
この姫さまはボクや、クゥールと同族だ。
そのことにブルリと身震いがした。
それは怖さではなく、湧き上がる喜びだった。
ボクはこの世で一番金儲けが大好きだ。しかし、次に好きなのは波乱だ。
__なぜなら、波乱は儲かるから。
「ねえ、レナート。シュナイザー百貨店ってなんでも揃うって本当?」
ほんとう? と一文字一文字、はっきりと聞き取れるくらい強調してオフィーリア姫は言った。
「ええ、そこはなんでも揃うシュナイザー百貨店、及び商会。なんでも用意して見せましょう!」
ボクは両手を広げて大袈裟に身振りを見せる。
この姫様は一体何もお求めになるんだろう。
「現ハルツエクデン王の首も?」
「おおう。これはなかなか大層なものを……」
ボクは想像通りの答えに目を輝かせた。
「そろそろ、婚約を長引かせるのが面倒になってきたから、処分したいと思っていたところなの」
オフィーリア姫はにっこりと笑みを携える。それを“悪いこと”だとは微塵も思っていない顔だった。
まるで、もうこのドレスはあってもクローゼットを圧迫するだけだから捨てましょう、と言っているような軽やかさがある。
「そうですか……。オフィーリア姫様の大事な決断に当店を選んでいただけたことはとても嬉しいことですね。
しかしオフィーリア様。わが百貨店に注文をしてまで、王を殺す必要はないのではありませんか?」
「あら。なぜ?」
オフィーリア姫様は面白そうに聞き返した。
「だってあの方は、もう死ぬでしょう」
それをはっきりと口に出すと、オフィーリア姫は「まあ」と少しわざとらしく、形だけ驚いたような様子を見せた。きっと彼女も知っていたのだろう。
「こちらにも王の容体の情報は入っていますよ。なんてったって、ここはシュナイザー百貨店。国中の噂が集まるところですから」
王城にはもう、余白のある色盗みの女はいない。王はみな、彼女たちの能力を使い切ってしまった。
呪いの侵食に耐えられなければ、一般的な人間の体はそのまま朽ち果ててしまう。
こちらから手を下さなくとも、王がもう長く持たないということは明白だった。
「あなたの見立てでは王はいつごろ亡くなるかしら」
「半年……。と言うところですかね」
「まあ、長いわ。もう少し短くならないかしら?」
そこまで長引かせると、彼女と現王の婚姻が成立してしまうのだろう。いざとなったら、彼女自身が手を下してしまうのかもしれないが、自分がやったという証拠はできるだけ残したくないという気持ちはよくわかる。
でも、ボクはその仕事を受けようとは思わなかった。
だって……。
「そういえばオフィーリア姫様、こんな話はご存知ですか? 半年ほど前、王城の警備が妙に甘くなった夜、王は大きく体調を崩された……というお話です」
クゥールが久しぶりにオフィーリア姫と接触したその日、クゥールは手土産をシュナイザー百貨店で買った。自家用ではない、贈答用の商品を買ったことに違和感を持ったボクは部下を追っ手につけていた。まさかラザンダルクの姫に会うとは思っていなかったけれど、面白いことになりそうだったので、王城の防衛の魔法陣を一部緩くしてやったのだ。王城の防衛の魔法陣は大半がクゥールの手で作られたものだが、一部はシュナイザー百貨店が販売したものが使われていた。
……全く。追っ手をつけても気が付かないなんて、クゥールは抜けているもいいところだけど。
「呪い返し……。クゥールが近づくと、王自身の呪い返しが強く生じるってことですね?」
「ええ。それは身を焼くように、強く、強く生じるそうですよ」
「と、言うことは王を殺すには、こちら手を下さなくとも、クゥールを王城にご招待するだけでいい……と」
「ええ。なんとも簡単ですね」
ボクがそういうと、オフィーリア姫は酷く安心した様子を見せた。
「では本当にわたくしたち何もしなくともいいんだわ。だって、そろそろ王は動くでしょう? 王でなくとも王子の誰かが」
「リジェットさんの獲得に……ですね」
王は呪いを取る、色盗みとして。
第二王子は自分の伴侶として。
第一王子は……。鑑賞物としてだろうか。
それぞれがオルブライトの娘を手に入れたい、そんな欲求を抱えている。大人気だなあ、なんて茶化し気味に思って見たり。
ボクはオルブライトの娘がその誰かの手に落ちたら、クゥールはさも当たり前のように取り返しに行くと踏んでいる。お気に入りのおもちゃだって、クゥールはいうけれど、特別に情をかけているようにしか僕には見えない。
そうすれば、王にクゥールは近く。すると王は、己がかけた呪い返しの影響を強く受けて、死ぬ。
オフィーリア姫だってそのシナリオは視野に入れているはずだ。
「クゥールは……リジェットさんにそこまで執着しているのかしら……」
オフィーリア姫は少しだけ心配そうな表情を見せた。
「しているでしょう。ボクはもう一度、怒り狂ったクゥールを見たくて堪らないんですよ! あれは面白い見世物です!」
「……彼がその状況に陥るように、お膳立てくらいしたほうがいいかしら?」
「まあ、しなくても、あの二人は隙だらけですから、勝手に攫われてくれるとは思いますけど。念のため僕の方で、騎士学校に警備上の穴くらい開けておきますか」
「あらあ。助かるわ。わたくし、予定調和がとっても好きなの。とっても安心するでしょう?
……それにしても騎士学校の防衛の魔法陣もシュナイザー百貨店の商品だったのね」
「そうですよ。クゥールのものを見本に、うちのお抱えの魔術師に作らせました。所詮模倣品なので、オリジナルには劣りますが……。王城でも使われていますよね。あなたの住居近くだけに」
__それを使われるってことは、あなた、大分王に軽んじられていますね。
その意味をもった言葉を口にした瞬間、オフィーリア姫の隣に立っていた従者がギロリとした視線でこちらを見た。視線だけで人を殺せそうな鋭い視線だ。うっわー、こっわ!
ボク、あいつ苦手だわ〜。っていうか、あの従者、従者にしては身に纏っている魔力が複雑すぎやしないか? まるで、複数の人間の魔力を無理やり一つの場所に収めたような複雑さが目に映る。
しかも、あの面持ち……。見覚えがあるんだよね。
誰だろう……。そう思って、記憶の引き出しを漁ると、とんでもない人物に行き当たって、ボクは息を呑んでしまった。
__シハンクージャの前王に似ているんだよ!
本人とは人相が違う。目元が似ているな……。という程度だけれど。従者の目は、虹彩が角度によって様々な色に変化するように見える。まるで、シャボン玉の表面が角度によって色を変えるみたいだ。
それは市井に王族の血縁が多いシハンクージャの人間の中でもより王族の血が濃く流れている人間にのみに現れる色彩だったと記憶している。市井の中から王になるものはその資質をより多く受け継いだ、先祖返り的な人間が大多数だとも聞いている。
……でも、それだったらなんでラザンダルクの姫君とシハンクージャの人間が?
その二国はハルツエクデンを跨いでいるため接してもいない。シハンクージャが鎖国状態の国であるということも影響して、二国間の国交は皆無のはずだった。
噂が集まる百貨店の主人として情報戦には強いと思っていたが、まだまだボクにも知らない部分があるらしい。他国向けの諜報部隊、十人くらい増やそうかな……。
「ごめんなさいね、今日は発注をしに来たつもりだったのに、ただの相談になってしまったみたい」
「いえいえ。こういう時間も大切かと思いますよ。この時間でボクはあなたのことをよく、知ることができましたから。とても貴重な時間でした」
お互いに完璧に作られた貼り付けの笑顔で挨拶を交わす。
「次の時は多めにいろんなものを発注するわ。ねえ? あなたも用意しているんでしょう? ……今後、必要なものを」
今後。その言葉にボクは笑みを深める。
「ええ、もちろん! 戦争は百貨店として見逃せないビジネスチャンスですから!」
ボクが邪悪な笑みを深めると、オフィーリア姫も緩やかに笑みを深めた。
それを見て身体中の血が湧き上がるのを感じた。ああ、なんて楽しいんだろう。
__この人は王になる。それだけの能力と器を兼ね備えている。
ボクはそれを瞬間的に察してしまった。
しかし、彼女は今すぐに王になろうとは思っていないだろう。
この人はその時を冬が明けるのを冬眠して待つ動物のように、じっと待って、自分から動くことはしない。王子同士に殺し合いでもさせるか、はたまた戦争のいざこざの中で静かに葬り去ってしまうのか。
__どの手段を使うにせよ、きっとその顛末は鮮やかなのだろう。
ボクはそれを見たい。心から見たい。
どうせボクには呪い子としての長い人生が待っている。凪のような穏やかさのある人生もいいが、波乱が多少ある方がボク好みだ。
まだ若いのに、よく先が見えるお嬢さんだ。
ボクは心の中で彼女に感服し、その波乱に満ちた行く末に胸をときめかせた。
レナート回でした。儲かることが大好きなんだね……。
次は木曜日です。