少年は呼ぶ
【登場人物】
有栖院アリス:不老不死世界にやってきたレベルMAXの勇者。奴隷種のセツナと暮らし、獣人のアバンの店でバイトをする。
セツナ:アリスを慕う奴隷種。不老不死世界にやってきたアリスにいろいろ教えた。
アバン:妻に先立たれ、男手一つで子供を育てるシングルファザー。アリスとセツナを店で雇い、何も知らない二人の生活をサポートする。
アクアード:王宮の魔術師。世界の真実を知っている模様。
家に戻るとセツナは無言のまま、アリスの出血を止めて包帯をぐるぐると巻く。
ソファーに腰をかけるアリスの足元で、地面にセツナは膝をついて手際よく処置をする。
セツナの震える指先にぎゅっと胸が締め付けられた。ペンダントを手の中で転がし、ぼーっと窓の外を眺める。
「…それは」
「それ?」
「…いえ」
ようやく口を開いたかと思いきや、また口を閉ざして視線を落とす。
気になるなら気になると言えばいいのに、セツナはいつも遠慮をして一歩下がっている。奴隷種という生まれのせいなんだろうけど。
(魔女ジュリアとか自信気に名乗ってた奴とは思えない)
セツナの言う魔女と奴隷の違いも判らないうえ、あのアクアードという男が言う『同じ理由』というのは何を意味しているのか。
仮にアバンの奥さんが人間だったとして、自分との共通点が何かもわからない。奥さんだけでなく殺した兵士たちも同じってことになるけど。
セツナは包帯を巻き終えて立ち上がった。
離れようとする彼女の手首を掴んでアリスは引き留めると、自分の膝の上へと座らせた。
「セツナ、聞きたいことがあるなら聞いて」
「…聞きたいことなんて」
「これ、気になるんでしょ?」
首からペンダントを外し、セツナの首へと下げる。
肩から腕を回して、ペンダントトップをセツナの手のひらに乗せた。
十字架に指輪が二つ引っかかるそれから、セツナは視線を逸らす。
「勇者様のそばにいられるだけで私は幸せです。奴隷の私には…」
「その奴隷ってやつ、やめてくんない?」
「それは…。そういう存在なので」
「じゃあ魔女って言ってたのはなんだったのさ」
アリスの問いに、セツナは肩から力を抜いて答えた。
「奴隷種は種族です。魔女は奴隷種の中で治癒能力を持つ存在を言います。先ほど会ったアクアード様は魔術師で、魔女と違って王族の人間から生まれます」
「へえ、面白いね。魔女は奴隷種からしか生まれなくて、魔術師は王族からなんて」
「…そうですね。アクアード様のような魔術師なら体の一部も復元可能です。でも魔女は中途半端な存在で自らの治癒しかできません。それもほんのかすり傷程度の」
悔しそうにするセツナはうつむきながら涙を流す。
「私は奴隷です! 勇者様の隣にいることがおこがましいことも分かっています。でも、それでも知ってしまったんです…!」
「セツナ」
「その名前だって!」
セツナはアリスの襟を両手で掴み、ソファーに押し倒した。
「その名前だって大切な人からとって名付けたのでしょう!? 勇者様と一緒にいるだけで奇跡なのに、一緒にいてはいけないのに、代替品になれただけでもすごいのに…」
アリスの頬にはセツナの涙が零れ落ちた。
純粋で無垢な涙に、アリスはポツリと呟く。
「セツナとあの子は真逆だよ」
脳裏に彼女を思い浮かべながら、セツナの頬をそっと撫でる。
「あの子の名前はセツナなんて名前じゃない。それに君を代わりにするなら、『セツナ』なんてつけないよ」
「勇者様…」
「その勇者ってやめてよ」
「で、でも…」
「呼んでくれないなら、僕も君を奴隷って呼ばないといけなくなるよ?」
「うぅ…」
口を開いたり、閉じたりとするばかりで、いっこうに名前を言ってくれる気配はない。
そして自分の上に跨る彼女は、決心がついたように僕の名前を呼んだ。
「アリス様」
外から光が注ぎ込み、彼女の髪がキラキラと輝く。
優し気な眼差しに、柔らかな微笑み。
「セツナ、もう一回」
「え、っと…。あ、アリス様」
「うん」
「アリス様」
「うん」
「もぅ…何回呼ばせる気ですか?」
「うん、何度でも」
ああ、この世界は残酷だ。
「セツナ」
君がまた僕の名前を呼んでくれるなんて、ここは地獄だ。
………
……
──王宮庭園──
アクアードは庭園にやってきて、ある人物の後ろで膝をつき頭を垂れた。
「あの子たちは元気にしていたか?」
「王の言う通り、素敵なお方でしたよ」
「そうか」
王と呼ばれた彼は膝をつくアクアードに振り返る。
アクアードの頭の上に少年のような小さな手を乗せて優しく撫でた。
「貴方の言う通り優秀ですね。世界の真実に気づくことも近いでしょう」
「そうか」
「このまま生かしておくつもりですか? 本当にこの世界の──」
アクアードが顔をあげた瞬間、彼の口は王のそれで塞がれた。
アクアードの瞳に映る麗しい少年。黒い髪は艶やかで、小さな唇は微かに笑みを浮かべる。
目元の黒子に、冷たく鋭い赤い瞳。
アクアードは王のその姿に先ほど会ったある少年を思い浮かべた。
「あの子たちはどんな結末を迎えるだろうなぁ」
王の楽し気な声に、アクアードは先ほどの二人を思い出す。
愛してしまったがために取り込まれてしまった二人。
あぁ、なんてこの世界は残酷なんだ。
「アクアード、どうかしたか?」
「…いえ」
「私を取り込んでおいて、私に嘘をつくのかい?」
「ッ…も、申し訳ありません! 私はただっ!」
「冗談だよ。相変わらず愛い奴め」
きっといつか知ることになる。
この世界の残酷さを、この世界の歪んだ真実を。