四十四、合気道の技
私は考えた。
時雨さんは受験生だ。
いくら私を守るためだからって、毎日迎えに来てもらうのは、やっぱり時間を使わせる。
たった十分の道のり・・
私一人で帰れるよ。
しかし、私がいくら断ったとしても時雨さんは聞き入れないだろう。
でも、自分の身は自分で守らなくちゃね。
そこで私は合気道を習うと決めた。
もう入会も済ませたのだ!
駅の裏側に道場はあった。
このことは、時雨さんにも美琴にも紬にも内緒だ。
時雨さんに言ったって、「そんなことしなくても、俺が守ってやるぜ」って言うに決まっている。
美琴と紬に言ったって、興味本位で覗きに来るに決まっている。
だから私は一人で通うと決めた。
稽古は週末の土曜日だ。
慣れれば回数も増えるらしい。
今日はバイトが終わった後、初稽古の日だ。
よーーし、やってやるぞ~~!
「もしもし、時雨さん?」
私は時雨さんに電話をかけた。
「おう、小春か」
「あの、今日のお迎えはいいですから」
「なんでだよ」
「終わるの、夕方ですし、人もたくさん歩いてますし」
「ダメ、行くから」
「いいえ、夜だけでいいです」
「お前、設楽の言ったこと気にしてんのか?」
「違いますって~。夕方はほんとに大丈夫ですから」
「ダメだっつってんだろ」
「どうしてですか~。平気ですってば」
「ダメなもんはダメ。行くからな」
そう言って電話は切れた。
やっぱりね・・こうなるのよね。
仕方がないか・・一旦家に帰って道場へ行くしかないよね。
ほんとは、とてもありがたいし、感謝もしてるけど・・
私のために時間を使わせるのは、この時期だからダメなのよ・・大切な時期なのよ。
こうなったら一日も早く習得して、時雨さんを安心させないとね。
そして、バイトも終わりの時間になり、時雨さんが迎えに来た。
「小春~」
「あ、はい」
「帰るぞ」
「あらま~!イケメン青年!彼女を迎えに来たの?」
昆田さんがそう言った。
「そうっす」
「いいわねぇ~~、今からデートでしょ~」
「違うっす」
「照れなくてもいいわよ~~。顔を見りゃわかるんだから~」
「はあ・・」
「じゃ、お先に失礼します」
私は昆田さんに挨拶をした。
「薄柿ちゃん、お疲れ~」
そして私たちは店を出た。
「はああ~~・・あのババア、相変わらずだな」
「あはは。まあ、いいじゃないですか~」
「イケメン、イケメンって、しつけーったらありゃしないぜ」
「でも昆田さん、いい人ですよ。私は好きですよ」
「そうか。お前がそう思ってんなら、それに越したことはねぇけどな」
「さて~帰りますか」
「小春・・」
「はい?」
「お前、なにを急いでんだ?」
「え・・」
私は知らず知らずのうちに、早歩きになっていた。
「いえ・・別に」
「トイレでも行きてぇのか」
「ちっ・・違います!」
「あはは。ならなんで急ぐんだ?」
「別に・・急いでなんかいませんよ」
「そうか。俺の気のせいか」
時雨さんって勘がいいんだな・・
やがて私のアパートの前まできた。
「明日もバイトか?」
「はい」
「そっか。わかった。じゃな」
そして私は急いで部屋に入り、道場へ行く準備をした。
えっと・・取り敢えずはジャージでよかったよね・・
タオルと・・着替えのTシャツと・・
あっ・・そだそだ・・入会金っと・・月謝も今日払うのかな・・
余分に持って行こう。
そして私は家を出た。
うひゃ~~・・時雨さんのアパートの前を通らないといけないわ・・
見つからないように・・
私はアパートを通り過ぎ、やがて駅の裏側に着いた。
やっと着いたわ・・
中へ入ろうっと・・
ガラガラ・・
「こんばんは・・」
「あっ、薄柿さんだね。この間はどうも」
この人は桂さん。合気道の先生だ。
中年のおじさんだけど、背が高くてイケメンで、とてもかっこいいのだ。
なので、この道場には女性の生徒も多かった。
「どうぞよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ。では、体をほぐしてね」
「はい」
私は柔軟体操をし、しばらく様子を見ていた。
するとベテランさんだろうか、中年の女性が次から次へと男性を倒していた。
す・・すごいな・・
私もあんな風にできるのかな・・
いや・・できるのかなじゃなくて・・やるのよ!
そして私は基本的なことから習い始めた。
「合気道は、身体のバランス感覚が大事でね。それと呼吸ね」
「はい」
「基本的には、最初は一人で稽古してもらいます。まず受け身からね」
「はい」
「私の動作をよく見て覚えてね」
「はい」
そして桂先生は受け身を何度も見せてくれた。
「私以外にも上段者の型をよく見てね。これを見取り稽古と言います」
「はい」
「では、受け身を繰り返しやってね」
「わかりました!」
私は先生にアドバイスを受けながら、受け身を何度も繰り返し行った。
「それとね、日常生活の中でも稽古はできるんだよ」
「そうなんですか」
「例えば・・きみ、高校生だよね」
「はい」
「通学電車の中で、座らずに、つり革も持たずに、身体のバランス感覚を養うんだよ」
「そうなんですね」
「あと・・バランスボールなんかもいいね」
「そうなんですね」
「とにかく合気道は、身体のバランスが大切なんだよ。まずはそれを繰り返し稽古してね」
「はいっ!」
「それと道着のことなんだけど、こちらで購入しますから、後でお金を払ってね」
「はいっ!」
「次の稽古日には用意できますからね」
「はいっ」
その後も、私は受け身を必死で練習した。
よーーしっ!やってやるからな~~!
私はバイトと違って、合気道の稽古は楽しかった。
特に運動神経がいい方ではないけど、日頃のストレス解消になってるのかな・・
とにかく、やる気満々だった。
私はその後、バランスボールも購入し、家ではそれに乗って練習していた。
身体のバランスが大事なんだよね・・
通学時は、もともとあまり座れることなどなかったし、満員だから自然と足を踏ん張ってなきゃいけなかったけど・・
それでも私は意識的に、なるべくフラフラしないように、バランスを保つことを心掛けていた。
そうこうしてるうちに、稽古の日数も増え、私は見る見るうちに上達していった。
先生にもとても筋がいいと、褒められていた。
やっぱり好きこそものの上手なれって、ほんとだったんだわ。
幸いにも美琴や紬、そして時雨さんにもバレることはなかった。
バイトも殆ど仕事を覚えきり、私の気持ちは前を向いていた。
あんなに悩んでいたのが、嘘みたいだわ。
やっぱり日々の積み重ね・・ほんとにこれが大事よね。
合気道もそうだわっ!
継続は力なりよ!
やがて季節は十二月も中頃を迎えていた。
もうすぐ冬休みかぁ~。
私はそんなことを考えながら、家で一人稽古に励んでいた。
受け身はもう完璧だよね。
後は実践なんだよねぇ・・
道場では何度も相手を倒してるけど、それはあくまでも稽古だもんなぁ。
あ・・時雨さん、いるかな。
よし・・
私は時雨さんに電話をかけた。
「もしもし、小春です」
「おう、なんだ」
「時雨さん・・今、お一人ですか」
「うん。そうだけど」
「お兄さんは?」
「まだ仕事」
「東雲さんは?」
「由名見と会ってっけど、もうすぐ帰ると思うぜ」
「そうですか・・」
「なんだよ」
「今から行ってもいいですか」
「ああ。いいぜ」
そして私は時雨さんちへお邪魔することにした。
お兄さんと東雲さんが帰って来ないうちに、実行しないとね・・
ふふふ・・
時雨さん、驚くだろうな。
「こんばんは」
「おう、上がれよ」
「はい、お邪魔します」
時雨さんはちゃぶ台で勉強をしていた。
「あ・・勉強中だったんですね・・」
「別にいいよ」
そう言って時雨さんは、教科書類をしまった。
「で、なんだよ」
「あ・・いや、別になにってわけでもないんですが・・」
「なんか用でもあったんじゃねぇのか」
「いえ・・特には・・」
どうしようかな・・
そうだ!私が背を向けると、きっと時雨さん・・後ろから抱きしめてくれるに違いないわ。
「小春・・」とか言って・・
そうだ、そうしよう。
そして私は時雨さんに背を向けた。
座ってても技はかけられるよね。
えっと・・肩越しに腕が伸びてくるでしょ・・んで、片方の手を取って・・前に倒すのよね。
あれ・・来ないな・・
どうしたのかな・・
振り向いてみると、時雨さんは妙な表情で私を見ていた。
「お前、なにやってんの」
「あ・・あはは・・別に・・」
「なんか背中が物を言ってる感じだぜ」
「あはは~・・そ・・そうですか・・」
ちょっと、わざとらし過ぎたかな・・
どうしようかな・・
えぇーい。もう一度背を向けてみるか。
そして私はまた背を向けた。
「だから、お前、なにやってんだよ」
「なにも・・」
私は背を向けたままそう言った。
「背中が痒いのか」
「げっ・・ち・・違います~~!」
私は向きを変えてそう言った。
「お前・・変なこと言うし、今度は変な行動か・・謎だな・・」
「な・・謎って・・」
かぁ~~~・・ダメだ・・
よーーし、この際、はっきり言うか!
「あのっ!時雨さんっ」
「なっ・・なんだよ」
「私を襲ってくださいっ」
「は・・はあああ?」
「わっ・・私をっ!」
「あのな・・お前、マジでどうしたんだよ」
「後ろからでも前からでも、どうぞ!」
「なっ・・」
時雨さんは絶句していた。
ひぃ~~~・・ち・・違うんですけどぉぉ~~~・・
そういう意味じゃ・・ないんですけどぉぉ~~~・・
「あのっ・・違うんです・・」
「お前さ・・頭おかしいぞ」
「違うんですぅぅ~~・・」
「お前な・・そんなこと言って、俺が本当に襲ったらどうすんだよ」
「え・・」
「それでもいいのか」
時雨さんはいつになく、真剣な表情だった。
「あのっ!そういうことではなくてですね・・」
「小春・・てめぇ・・俺をからかってんのかよ」
「いえっ!からかってなんかいません!」
「だったらどういうことだ!」
あれぇ~~・・変な空気になっちゃった・・
「あのっ・・すみません・・帰りますっ!」
私はそう言い、立ち上がって出て行こうとした。
「小春っ!」
すると時雨さんは、後ろから私の腕を掴んだ。
はっ!
来たっ!来たぞっ!
今だ!
私は時雨さんの腕を掴み、そのまま前へ倒した。
やった・・やったぁ~~~!出来たわ!
「痛っ・・小春・・てめぇ、舐めた真似してくれんじゃねぇか」
「いえ・・あのっ!違うんです」
「さっきから違う違うって、なにがちげーーんだよ!」
「じ・・実は・・今のは合気道の技なんです・・」
「はあああ?合気道?」
時雨さんは座りなおしてそう言った。
「実はですね・・」
私は合気道を習い、かなり上達していることを時雨さんに言った。
「つか・・なんでそんなもん習ってんだよ」
「だって、時雨さん、私のために時間を使ってくれて・・受験勉強が疎かになってるんじゃないかと思いまして・・」
「はっ、なってねぇし」
「んで・・やっぱり自分の身は自分で守らなくちゃって思って、それで習い始めたんです」
「っんなことしなくったって、俺が守ってやるっつってんだろ」
「いいえっ!それではダメなんです。私、時雨さんに迷惑かけたくないんです」
「迷惑じゃねぇーっつーの」
「でも、今のでわかったでしょ。私、誰かが襲ってきたら、ああやって倒せるんです」
「そうかよ・・」
「だから、お迎えはもういいですから・・」
「・・・」
「それで、私、自転車も買うことにしたんですよ」
「そうかよ」
「徒歩よりずっと安心でしょ?」
「まあ・・な・・」
「だから私のことは気にしないで、勉強に励んでくださいね」
「そっか・・わかった」
やったあ~~~!やっと納得してくれたわ~~!
「でもな・・」
「はい?」
「お前をアメリカに送り届けるまで、俺がお前を守ることに変わりはねぇからな」
「時雨さん・・」
「わかったか」
「はい」
時雨さん・・なんていい人なんだろう・・
ほんとに優しくて・・男らしくて・・
「んでさ、さっきお前が背中向けてたのって、俺に襲わせようとしてたのか」
「そうなんです~」
「お前な!俺をバカにすんじゃねぇよ!誰が襲うかよ!」
「す・・すみません・・」
「ったく・・俺をなんだと思ってんだ」
「すみません・・」
「まあいいさ。んで?もう一辺、俺を倒してみろよ」
「え・・」
「襲ってやるからやってみろよ」
「いいんですか!」
「ああ」
そして私たちは立ち上がり、お互いを見合った。
「前からでいいのか」
「そうですねぇ~、どっちでも」
「そっか。んじゃ行くぞ!」
そして時雨さんは私に襲い掛かってきた。
私はまた時雨さんの腕をつか掴み、それを捻って倒した。
「痛っ・・くそっ・・」
「ね?私って強いでしょ?」
「うるせぇ!今度こそ・・」
「さあ~~!どこからでも掛かって来なさい!」
そして私はまた時雨さんを倒した。
「小春・・おめぇ、マジですげぇわ」
「そうですか~~!よかった!」
「よくそんな小さい身体で・・パネェわ・・」
「合気道は、身体の大きさとか関係ないんですよ」
「へぇーそうなのか」
「はい~」
「よーーし、今度は後ろからだ」
「掛かって来なさぁ~~い!」
そして私は後ろを向いた。
すると時雨さんが襲い掛かって来た時だった。
ガラガラ・・
「あっ・・!こら!健人!てめぇ~~~!小春ちゃんになにやってんだ!」
そう言ってお兄さんが帰って来た。
ひぃ~~~!また変なとこ、見られてしまった~~!
「いやっ・・これは・・ちげーーんだ!」
「つべこべ言い訳無用!てめぇよくも、か弱い女の子に・・」
「いえっ・・お兄さん違うんです!」
私は時雨さんの腕を掴み、倒した。
「こういうことなんです・・」
するとお兄さんは、また引くくらい驚いていた。




