くらいまっくすの本
生まれ生まれ、生まれ続ける君に、××を。
そう願う私を見てくれやしないお前様に罰を、何度与えたことかと嘆く。私はお前さんが持ってきた本棚の前に立つ。幾つもの抱えきれなくなった物語は、『今日』でさえ増えに増え続けている。その『今日』すら、どこで区切ればいいかなんて、わかりゃしないが。まあ、知らねど知る意味も無しぞ。お前様、私はここに。いつかここに戻っていらっしゃるまで、増えに増えるこの物語達を読みふけり、やってくるモノ、死したモノ達と、話し続けましょうぞ。
あぁ、君、お前、お前様、お前さん、アンタ、呼ぶべき者共はいづこにや。誰から来ようと構いやしない。首をば長くし待ちませう。
ねぇ、ねえ、そう、そうだ、そこの子や。私の話し相手にはなってはくれないか。
沢山の者共を待ち、来るなと拒む私には、来てしまった君等くらいしか、声をかわせる相手がいないのだよ。
――――さあ、お茶会しませう。
そうして私は、一冊の本を手に取った。
「すまない、独り言が多くなってしまったね。私はこういう者なんだと、知っていてほしかったものでね。飽きぬように、茶菓子は『れぱーとりー』を多くしてみたんだが」
渋めの、深紅の茶を恐る恐る啜る彼の様子を伺い、私は、本の頁を捲りつつ、頬杖を突いて、茶菓子に目配せした。
「ほれ、そこの『ぎもーぶ』やら、『あっぷるぱい』やら。あぁ、前に食べたやつでな、『ちょこれぃと』ってのが美味かったからさ、少し多めに出してみたんだ。君くらいの歳の子らがさ、やるんだろ? 冬か春の始まりに。好いた子に渡すっていう」
彼はそれを聞いて、紅茶を吹き零しそうになったが、目を丸くしたままに、器用に零れかけた赤い滴を『てぃーかっぷ』に戻した。肩を落とし、彼は私を鼻で笑う。
「……好きなんだがなあ、ちょこれぃと……昔な、世話係が異国の大層高い菓子だと持ってきてくれたものと同じだと思うんだが、あの馬鹿王曰く、君のいた世界ではそんなに高いものではないらしいな。良いなぁ。女王でも食えなかったものをそんなに簡単に食えるとは」
私がそこまで言うと、彼は失言したと感じたらしく、紅茶の入った取っ手付きの湯呑を高足机に置いて、ちょこれぃとに手をかけた。
「今なら、沢山食べれるじゃないですか。一緒に、食べましょうよ。その為のお茶会でしょう?」
彼はにへらと笑って、立方形のちょこれいとを一欠けら、口に入れた。私も釣られて、ぎもーぶに手を出し、本が汚れないように、慎重に、口元へ運んだ。
「美味いな」
「美味しいですね」
彼は平坦にそう返すと、すぐさま紅茶を口に含み、少し遠くに置いてあった大福餅を自分の近くに寄せ、そのまま口元に一つ持っていき、ふっくらと大きなそれに、大きな口でかじりつく。
「……そちらの方が、好みだったのか?」
私が頬を膨らませると、また彼は顔を青くする。
「す、すみません……実は、チョコって、あの子があんまり好きじゃなくて、あんまり食べてなかったから、食べ慣れてなくて……大福の方が、父さんとか、包平さんとか……作ってくれて」
もう一度彼は大福をかじり、一気に飲み込むと、紅茶を急いで飲んだ。まるで、何もかも、流してしまうかの如く。
「……別に、良いんだがね」
「はい?」
「君はいつまで私にその言葉使いを続けるんだ?」
ふと思い出したことではあったが、何か、居こごち悪く感じて、そう切り出してしまった。だが、彼も彼だ。もうここで二晩寝て、六度私と飯を食ったというのに、所謂敬語を止めない。
「すみません、つい、癖で。皆、年上だったものだから」
彼は苦笑いで、また私の口元を見た。
「……アタシの事、嫌い?」
そう言うと、彼は冷静さを欠いて、顔を更に青くし、下手な笑みとまん丸い瞳を重ね合わせた。
「すみません、どういうことか、さっぱり」
「ふむ、旦那はこれでよく私を抱いてくれたんだがな。君のような子にはまだ早いやり口だったか」
「そういうこと言うの止めてよ……少し下ネタが過ぎるよ」
「下ネタに聞こえたかい? いやあ、良いねぇ、青春だ」
確かにそういう風に聞こえるようには言ったが、聞くモノによっては、意味も分からないだろう。彼は顔を赤くして、身を小さくしてしまった。まるでこれじゃあ、子供を虐める大人の構図だと思い、私は、新しい切り口を探す。
また彼が大福餅に手をかけた。
「良いね、私も好きだよ、大福餅」
「はあ。やっぱり、僕、好きなんだ。本当なら、苺の入ったやつが一番に好きなんだけど」
「この本の主人公もね、大福餅が好きだったらしくて。しかも、苺が入った、うんと甘くて酸っぱいやつ」
手に持っていた、ここにあるには薄すぎる本を、数十頁飛ばして開く。他の本よりも数段丁寧に外装を整えられていたその本を飛ばして読むのは気が引けたが、彼に読ませたい部分は始まりの部分なんかじゃない。だが、その物語の導入部分を除いてしまったら、もう先には、物語は三十頁程度しか残っていない。
■■■■年 ■月 ■日
と、グチャグチャに、幼い、懐かしみのある、少し、恐怖心を煽るような、そんな文字で、各頁の隅にそれは書かれていた。最後の三十頁、その日付は二年分しか進んでいなかった。初めの頁を見ると、全頁で十三年に満たない年月が、この本に記されているとわかった。全頁の総数は、百十二頁。十三年という時間の最後の二年を記すには、三十頁は長すぎるように感じる。それほどに濃い内容だったのだろう。ざっと、最後の頁まで目を通すと、最後の頁は、墨で塗りつぶすが如く、真っ黒に、文字が敷かれていた。
最後の文を読むと、途中で途切れてしまったようで、外装の方を探してみると、最後の、本当に最期の、彼が言った声が記録されていた。
『君の事、××してた所為かな、××』
私はてぃーかっぷを手に取り、口に運んだ。そして彼の青い瞳を一呼吸おいて眺めた。
「アタシ、行かなきゃ。アノ寂しがり屋が待ってるの」
「俺、行かなきゃ。アノお寝坊さんが待ってるから」
彼女は突然立ち上がり、両手で顔を覆った。青い瞳の入った目の端から、彼女の、欠片がポロポロと落ちてきた。
彼は突然立ち上がり、何も持っていない両手を力いっぱい握った。赤い瞳の奥から、彼の、欠片がポタポタと落ち続けていた。
二人はお互いの存在に気が付かず、二人とも同じ場所から、私を見つめていた。私の歩み寄りを望む様に、私から答えを得ようとするように。私はそれが少し羨ましくて、恨めしくて、ただただ憎かった。お前たちはこんなに近くにいれているのに、何故気が付かない。もう望みは叶っているも同然なのに。ふと、怒りが私の体を支配してしまい、小言の多いババアのようなことを言ってしまった。
「君一人、何処に行くって言うんだい。今行っても、仕方なかろ?」
嘘は吐いてはいない。あぁ、ごめんよ。二人とも。世話焼きババアの、たった一つの意地悪だと思ってくれ。
「だってあの子、足が速いんだもの。きっとアタシを取り残していったわ」
「だってあの子、足が遅いんだよ。きっと、俺が戻ってくるのを待ってる」
互いを見つめることもしない『僕』の二人は、机をひっくり返して走っていった。ただ白いだけの地平線も無いその世界の端目がけて、堕ちていった。
私は、本の八十一頁を読んだ。
「あんなにビビり屋だったのになあ。オバサン、嬉しくて泣いちゃうよ」
私がそうして蹲っていたら、あの馬鹿王が、嫌な笑み浮かべて、二人が走っていった方から、歩いてきた。
「おいおい、酒に邪魔なもんは消してしまっておけば良いのに」