蛇のマーキング
藤谷要はRTされなくても牙が特徴的な蛇の人外がマーキングをする話を書きます。 #獣人小説書くったー http://shindanmaker.com/483657
というツイッターの企画に参加させていただきました!
木漏れ日で雨露が眩しい森の中。私は息を殺しながら茂みに隠れている。そんな私にだんだん近づく不穏な足音。
「ハンナ、どこにいるんだ? 出ておいで」
聞き慣れた男の声に私の心臓の鼓動が速まる。
秋が深まった実りの季節は忙しい。今日は早朝から天候に恵まれて、活動するには最適な日だった。
仲間たちと共に私も森の中で木の実を採っていたところ、あの男を目撃して一目散に逃げ出した。
冬に備えるのは、兎族の私たちだけじゃない。厳しい冬を越すために蓄えようと、恐ろしい肉食の獣たちも活発になる。
だから、私たちは警戒しながらも恵みの森へ足を運ぶ。
ただ、あの化け物は。今、私を執拗に探すあいつは、私だけを狙っている。
そして残念なことに、あいつから逃げられた事は一度だって無い。
「見つけたよ、ハンナ」
上手く木の葉を使って身を隠していたはずなのに、こいつは躊躇せず掻き分けて、私を難なく見つけ出した。
視界に映る銀色に輝く長い髪。
風に揺れる銀糸と容貌の美しさに思わず目を奪われる。しかし、鮮血を思わせる紅い爬虫類の瞳と、片方しかない鋭い牙を確認した瞬間、私は恐怖に包まれた。
兎族の中でも貧弱な私は一族の中でも下っ端だ。
いつも上長に雑用を言い渡されて、扱き使われている。そんな私が集落から離れた場所で、蛇族のこいつにいじめられても、誰も助けに入ろうとしない。
むしろ、私と関わって面倒な目に遭うのは御免だと見て見ぬふりをしている。
「止めて!!」
必死な私の制止の声なんて、こいつ――ヴィンセントは聞いてくれたことなんてない。
私を地面に押し倒して、両手を押さえつけて、意地悪ばかりするのだ。
悔しさと怒りで目が涙で滲むが、拭うための私の手に自由はない。
ヴィンセントが去った後、私の身体に残る彼の気配。仲間にとって天敵の臭いを纏った私に近づく者はなく。
気まずそうに遠くから私を見つめるだけだ。
私は一人ぼっち。全部あいつのせいで。
蛇族のヴィンセントに出会ったのは、ずっと昔だ。幼い頃、集落近くの森で遊んでいたら、仲間と逸れてしまい、迷子になったことがあった。
その時、そこで倒れていたあいつを見つけたのだ。
あいつはぼろぼろに傷ついた身体で地面に伏せていた。白銀の鱗に覆われた大蛇本来の姿を晒し、まさに瀕死の状態で。
さらに、だらりと開いた口を見れば、大きな左右の牙のうち、一つは無残にも折れていた。
蛇族は化け物級で希少種だ。他種と比べて魔力が飛び抜けていて、大きさや姿を自由に変えられる。さらに高い攻撃力と毒牙を持ち、奴らと争ったりしたら恐らく丸のみで一溜まりもない。圧倒的な存在によって、周りから畏怖されている。
そんな蛇族に私が近づいたのは、ただ単に私が子供で無知だったからだ。
純粋に私はあいつを心配して、知っていた薬草を拾い集め、持っていたお菓子を分け与えた。
後で蛇族が恐ろしい存在だと知って、あの時に何も酷い目に遭わなくて良かったと安堵したくらいだった。
そして、その出来事を忘れるくらい年月が過ぎて、いつものように森の中へ入った時、ヴィンセントに再会した。
でも、私は彼の事を全く覚えてなくて。独特の双眸から彼が蛇族だと分かった瞬間、悲鳴を上げて逃げ出したくらいだ。
それから彼によって嫌がらせの日々が続いている。
今日も脇腹をくすぐられ、兎族にとって弱点である尻尾や耳を嫌というほど触られた!
必死の私を嘲笑う、あの余裕たっぷりの笑顔。いつ思い出しても腹立たしい。
ただ、不思議なことに。
あいつは意地悪をするものの、私を食べる気はなさそうだということだ。
私のふかふかの毛皮に憎たらしいほど自分の身体を擦りつけて臭いを残していく。
弱者をいじめて憂さ晴らしでもしているのだろうか。それとも、自分より下等な兎族に助けられたことが屈辱だったのか。
あいつの考えていることは、私には分からない。
臭いは水で洗い流せば落ちるが、そもそも兎族は水に濡れるのが嫌いだ。
他の香りで誤魔化そうとしても、彼の嫌がらせは頻繁で効果が無い。
我慢して集落で過ごしていたが、他の年頃の雌が次々と番を見つけていく中、私だけが取り残されて焦っていた。
私だって恋がしたい。けれども、あいつの臭いが残った私に声を掛けてくれる物好きな雄はいない。
私は渋々ながら決断をするしかなかった。
そういう訳で、天気が良い日を狙って、私は水浴びに出かけた。
川の浅瀬で身体を浸し、毛に付着してものを洗い流す。水分を吸った毛皮は重く、本当に気持ちが悪い。
やっとの思いで川から上がり、安堵のため息をついた直後、私は恐ろしい出来事に遭遇する。
私たち兎族を捕食する魔獣と鉢合わせてしまったのだ。
黒い毛皮に覆われた、鋭い牙を持つ肉食獣に。
身を翻して逃げ出した私だが、敵の四本足の俊足には敵わず。尖った爪が胴体に突き刺さって捕らわれて、地面に転がった拍子に足に深く噛みつかれた。
「いやぁぁぁ!!」
私の絶叫が辺りに響き渡る。激痛が私を襲い、足が麻痺したように動かない。
目の前には、私の喉元に喰いつこうとする獣の大きな牙が――。
絶体絶命の状況に思わず目を瞑った時、私の身体に重く圧し掛かっていたものが急に無くなった。
「えっ!?」
驚いて目を開ければ、そこには黒い獣を丸のみしている大蛇の姿があった。
白く美しい蛇の鱗が陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
――ヴィンセントが私を助けてくれた?
あいつは大きな獲物を飲み込んで捕食が終わった後、人型に変身して地面に倒れている私のもとへと駆け寄って来た。
「ハンナ! 大丈夫か? すぐに手当てするから死ぬんじゃないぞ……!」
血相を変えたあいつは、私の足を押さえて必死に止血しようとしていた。
首を動かして自分の足を見れば、血が傷口から流れていて、その周りは赤黒く濡れている。
出血によって身体の力が抜けていく。自分の急激な変化に私は死を予感せずにいられなかった。
「私、死ぬのかな……」
私がぽつりと弱音を呟けば、俯いていたヴィンセントは頭を上げて私を見た。
「そんなこと言うなよ……。ハンナが死んだら、……俺が困るだろ!」
ヴィンセントの目から涙が溢れ出していた。
「本当は仲良くなりたかったのに……! どうせ何しても怖がられるからハンナの気持ちを無視して酷い事ばかりして……! もしハンナが死んだら俺……!」
あいつは号泣しながら、嗚咽混じりに色々と白状する。
予想外の告白に私は驚いて、言い返したいことは山ほどあった。でも、意識が遠のいて出来そうにない。
瞼を閉じる瞬間。それまでの誤解が解けて、温かな気持ちに包まれて。
私はとても穏やかだった。
死ぬかと思ったけど、運良く私は助かり、療養の日々を送っている。
ただ前と違うのは、私の隣にヴィンセントが張り付いていること。
あの時に自分の気持ちを白状したあいつは、何かが吹っ切れたのか。意地悪ばかりしていたくせに、今では私を甘やかすくらい世話焼きになっている。
私の集落にまでついて来て、私の傍で生活している。そんなあいつに口出しできる勇気ある仲間はいないので、あいつは好き勝手し放題だ。
私の手前、ヴィンセントは兎族を襲う気は無いらしい。集落を狙う肉食獣ばかり主食にしていて、むしろ仲間たちは助かっているみたい。
「ほらハンナ、ご飯持って来たよ」
「あ、ありがとう……」
別に酷いことをされなければ、私だって普通に対応する。
あいつを見れば、にこにこと嬉しそうに私を見つめていて、私への好意はバレバレだ。
それが何だか照れ臭くて、私は反応に困ってしまう。
「俺はね、ハンナがあの時助けてくれて嬉しかったんだ。嫌われ者で誰からも優しくされたことが無かったから」
ヴィンセントの打ち明け話に私の心は酷く揺さぶられる。
彼と再会した時、悲鳴を上げて逃げ出した私。
彼は「こんにちは」と普通に挨拶して私に近づいただけなのに。彼が蛇族というだけでパニックになり、「話を聞いて欲しい」と願っていた彼を無視した。
そう、きっと私は彼を傷つけた。だから彼はあんな意地悪な態度しか取れなくなってしまったのだ。
それから傷は癒えて、私は普通に暮らせるようになった。
季節は厳しい冬になり、寒さに弱い蛇族の彼は部屋で私に抱きついていることが多い。
「ハンナは温かくていいな」
きっと私の毛皮はヴィンセントの臭いでいっぱいだ。
他の仲間には嫌がられるけど、最近の私はそれをまんざらでもなく思っている。
彼が意地悪していた頃、私に執拗に臭いを残していったのは、他の雄に盗られないようにするためだったらしい。
そんな彼が何だか可愛く感じる自分がいる。
お読みいただき、ありがとうございましたm(__)m