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花婿が来るまでに

作者: 亀山

「今日はよろしく」


腕捲りをしながら鏡に向かってにこりと話しかけると彼女はくすりと笑ってもちろん、と頷いた。



「本当、こんな日が来るなんてなー」

俺も歳をとるもんだ、としみじみと言ってやれば彼女はそんなに違わない癖に、と可愛らしく口を尖らした。

この日のために伸ばした黒髪はさらさらと手触り良く彼の手の中を滑り落ちた。軽く霧吹きで濡らしてドライヤーで乾かしてやる。すこし乱れていた髪は少しの工夫でまっすぐになる。彼女の髪質は嫌というほど知っていた。

「あーそうそうこれこれ」

「そんな親父臭いこというなよ、せっかくの花嫁衣装が泣いてるぜ?」

まるで孫に肩たたきをしてもらう爺さんのように目を細める彼女に彼は苦笑した。


その身にまとっているのは白いドレス。華奢な身体に胸元にあしらわれた薄紅色のコサージュが良く似合う。

本日は、彼女の人生一番のハレの日。結婚式、だった。

そして彼は彼女のメイクとヘアメイクを担当するスタイリスト。

といってもブライダルスタイリストは他に居る。彼はあくまでも彼女の仕上げを担当するのだ。

本来彼の勤める美容院では花嫁のメイクは女性スタイリストが担当するのだが、彼は特別だった。なにしろこの日のため花嫁担当になれるように猛烈に勉強し、方々に頭を下げて回ったのだ。

彼は、ずっと彼女のヘアを担当していた。デートがあると泣き付かれてはメイクもしてやった。彼女の初デートのメイクとヘアアレンジは彼の作品である。

そう考えるとかれこれもう十数年の付き合いになる。だからこのハレの日にはぜひ彼にやってもらいたい、と花嫁立っての希望だったのだ。


その彼女はくすくすと笑いながら頭を振った。

「だって、気持ちいいんだもん。私、こんなふうに髪かまってもらうの一番好き」

「・・・へぇ」

鏡のなかの彼女はそれこそ日だまりの中の猫のようだった。目を閉じているおかげで彼の表情に触れることはない。

こっちの気も知らないで。

心の中で呟き、けれど彼はいつものひょうきん者を繕った。


「なら、サービスしちゃおっかなー」

「あ、いたたたた!そういう乱暴なとこは嫌い!いたい!!」

グイ、と髪を上げてやれば彼女は悲鳴を上げた。少しの鬱憤を晴らすためだったのだが、大人げなかった。少し反省して彼はごめん、ごめーんと口先だけで謝り、けれど丁寧に櫛で彼女の髪をまとめて行く。

ある程度簡単にピンで仮止めし、前髪も容赦なく上げて行く。額をさらけ出した鏡の中の彼女はわかりやすく拗ねていた。

「なんで、もう せっかくの式なのに」

「だからごめんって お詫びに今日は特別綺麗にしてやるよ」

「それが仕事でしょー」


軽口を叩きあいながら彼女の肌にぽんぽんと化粧水をしみこませたコットンをはたき、水分をしみこませていく。

冷たいと彼女は身をよじっては笑う。くすぐったがりなのだ。初めて彼女に化粧を施したときにこの体質にひどく手を焼かされたことを覚えている。

今は慣れたものでそっと触れてやれば彼女が子供の様にくしゃっと笑うことさえ知っている。


「ほらほらこれぐらい我慢しな。いつもやってることだろ」


言いながら手のひらで温めた乳液を彼女の輪郭を包むようにしみこませると手のひらの中でぷくりと頬が膨らんだ。


「でも自分でやるのと人にやってもらうのって違うんだもん」

「じゃあ自分でやってもらおうかな?」

「私を綺麗にできるのは私じゃないもん」

「……よくわかってるじゃん」


どうせ、不器用ですよーと舌を出す彼女。不自然な彼の一拍はどうやら気にしなかったようだ。



そう、彼女を一番綺麗にできるのは彼だけなのだ。

たまに失敗するパーマも彼女に限ってはふんわりと綺麗にまとまるし、切りすぎも長すぎも無い。

メイクなんてカットより苦手なのに彼女が相手だとビューラ―で瞼を挟ませることも無いし、アイラインを描くとき誤って目の中にペンシルを入れそうになったこともない。

全て完璧に整うのだ。

それと同時に彼女を他の美容師が担当すると何かしら失敗する。店一番カットの美味い先輩がうっかり前髪を切りすぎた事もあったし、メイクしか取り柄の無い後輩が見事に彼女の眉毛を書き間違えてしばらく目を当てられないほど落ち込んだこともある。

だから、彼女を一番綺麗にできるのは自分だけ。彼女を一番綺麗に笑わせることができるのは俺だけ。

一番のハレの日に彼女が彼を選んだのも当然と言えよう。


けれどせっかく彼女を一番綺麗にしても彼の元に留まることはなかったわけで。


「悔しいなぁ」


思わず零した彼の言葉に彼女は目を閉じたままなんのこと?と聞いた。

ベースメイクを終え、アイメイクを行っている途中だった。白い衣装に映え、色気を出すようにアイシャドウは赤系統に決めた。ラメ入りのそれを薄い色から順にブラシで瞼の上に乗せて行く。

「なんでもないよ」

俯きかけた彼女の顎をくいと上げさせ、頬に手を当てて固定する。ふると震える短い睫毛さえもなんだか愛おしくて、何度も見た筈の光景も慣れるものではない。


「あ、目ぇ開けんなよアイラインやるから」

「んー」

全幅の信頼を預けきった、そんな顔で彼女は素直に彼の命令を聞く。

そんなに信頼されては意に背くことなんかできやしない。そう苦笑しながらも真剣に睫毛の上にペンシルを走らせると彼女に目を開けさせ、目と睫毛の間も慎重に黒く塗りつぶしていく。

ビューラ―で睫毛を上げ、マスカラをつけてやる。そのうえにつけまつげも二枚もつけると彼女はバサバサと瞬きをしながら不平を漏らした。


「目が重い」

「文句ゆーな 今までにないくらい睫毛長くみえてるんだから」

「私綺麗?」

「まだまだ」

「ちぇー」


どこかの妖怪の言葉を吐く彼女に適当に合わせてやりながら彼は目尻の端にブラシを滑らせる。赤の軌跡がほんのりと肌に映え、垂れ目を色っぽく強調させる。さらに目の周りにラメを散りばめてラインストーンも3つ接着剤でくっつけた。けれど夕方に光る明け星のように煌めくそれは彼女にとって違和感しか抱かないらしい。


「目の周り、つけすぎじゃない?」

「せっかくの結婚式だ、主役は派手ぐらいでちょうどいいんだよ」


不安そうな彼女に自信満々で言ってやると彼女はそうかな、ときょとん顔だ。そしてしみじみと鏡をみる彼女を放っておいて彼はベースメイクに使ったのとは違うファンデーションを取りだした。


「え、なにまだファンデするの?」

「ちょっと色変えて顔を立体的にすんだよ。あれだ、トリックアート」

「ひどっ!」

「文句なら平坦過ぎる自分の顔に言え、いや、黙ってろ。粉が口ん中はいるぞ」

「…うぇ」


せっかく綺麗に整えた眉毛を嫌そうにしかめる。

眉間のしわを解すと今度は困ったように眉尻を下げた。けれど律儀に黙ったままなのは前喋りながらメイクをしていて粉っぽくなった想い出があるからに違いない。

鼻と目の間、眉の下などと軽くつけて、最後にまた別のファンデを取り出せば彼女はそれこそうんざりとした顔をした。

「…まだ?」

「まだまだ、ほらしゃきっとしな」


パールの成分が入ったそのファンデは通常の物よりも白く、つけるとラメよりも高級感のある煌めきを顔に添える。

光が何処に当たるかを考えて額や眉間、さらには露出している鎖骨のあたりにまでブラシを滑らせれば、油断していたのか彼女はくすぐったさに喜色の混じった悲鳴を上げた。


「く、くすぐった…!」

「はいはいご愁傷さま」

肩を上げて首をすくませる彼女に次の化粧道具の用意する彼。じっと見つめられる視線に気付き、彼は心底嫌そうな顔をした。

「目、閉じてろよ 見られると照れる」

「変なの」

くすくす笑いながら大人しく目を閉じた彼女に心おきなく頬紅をつける。赤過ぎず、薄すぎず。ケバケバしくない、健康的な頬を心かげる。


「顔上げてろ」

くいと顎を固定し、つけるのは上品な紅のルージュ。半開きの口をなぞり、紙を挟ませて色を抑えると紙には綺麗なキスマークがついた。しばらく彼女を眺め、彼は満足したように頷いた。


「よし、次は髪だ」

「ねえ、まだ目を開けたらだめ?」

彼女の質問に答えずに彼はウェットティッシュで手を拭くと手早く上げていた髪を下ろして今度は丁寧に櫛とムースで固めて行く。

なるべくシンプルに、という注文だったので、小さな三つ編をいくつも編み込んだお団子に逆毛でボリュームアップさせ、つける髪飾りは白く可憐なコサージュ。今日のために自腹を切った贈り物はまだ箱の中だ。

前髪は左斜めに固めて余った髪はそっと耳にかけてやる。そのときふと耳朶に指が触れて一瞬身体に電撃が走る。が、彼は冷静を装って何事もなかったかのように笑みを浮かべた。

彼女の耳たぶには涙の形をした透明な雫が下がっていた。


「ねえまだー?」

「まだまだ」

ヴェールをつけてやり、箱の中の贈り物を取り出す。小さなティアラはヴェールを固定し、誇らしげに煌めいた。

「まーだー?」

くすりと笑い、彼は腕捲りを解く。


「もういーよー」


ふと目を開けた彼女は美しかった。きょろきょろと鏡の中の自分を見、頭を振っては髪型を確認する。そうして全てを確認すると彼女は彼に笑いかけた。


「どうしよう!私、どうしよう!!」

喜びのあまりあわあわと手をあちこちに振る。その仕草さえ可愛かった。

ラメが、パールが、ラインストーンが、ティアラが光を反射してより一層彼女を眩しく見せた。

いや、一番眩しいのは彼女自身か。身の内よりあふれる喜びが幸せが彼女を綺麗に見せている。


「ありがとう」

そう破顔する彼女は本当に。


「くやしいなぁ」


彼はもう一度呟いて彼女に笑いかけた。


「きれいだよ 世界で一番」


ぽとりと彼の目から涙が一滴流れ落ちた。流れ落ちると止まらなかった。


ガラスの靴をシンデレラに履かせるのは魔法使いではない。

彼は、それを良く知っていた。



「きれいだよ」






こちら活動報告のほうで蛇足話を上げていますので、よろしかったらそちらもご覧になっていただけると嬉しいです。



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― 新着の感想 ―
[一言] 大人な感じの恋愛が良かったです。あまりこういう雰囲気の話はないので、新鮮でした。もっと読みたいと思いました。あと、男の人がかっこいいです♪
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