第九話 魔女になりたいお年頃
「早瀬くん」
銃を持った男が校内に侵入するという大事件が起きた翌日の放課後、今まさに席を立とうとしていた俺に声をかけてきたのは、ついこの前も同じ様に声をかけてきた中津川 彩だった。
何だか嫌な予感がするんだけど……
「何か用か?」
「用がなきゃ話しかけちゃいけない?」
それってすげー意味深な発言なんだけど……
「別にダメってことはないけど。用もないのに話しかけてくるタイプには見えないからさ」
「そんなことはないけど……まあいいわ。用ならあるから」
まあそうだよな。無駄に雑談する程仲が良いわけじゃない。そもそも初めて話したのがつい最近のことなんだから。
「で、どうかしたのか?」
「昨日のことなんだけど……」
昨日のこと。中津川がそう言った瞬間に俺は立ち上がり、その場から離れようとした。が――
「待って!」
そう言いながら俺の左腕をつかむ中津川。引っ張られる様な形になり、倒れそうになったが何とか堪えた。
大した運動神経してやがる。
「逃げるっていうことは、やっぱり何か知ってるのね?」
……どうやら、アリアの認識障害がきちんと働いていないらしい。いや、他の奴らにはしっかり効いてたみたいだけど。中津川は人一倍冴倉たちのことを怪しく思ってたからな。効きが弱いんだろう。
「さ、さあ? 何のことだ?」
首を傾げてとぼけてみるが、どこまで通用するやら……
「皆は納得してるみたいだけど、どうにも記憶が曖昧なのよね」
「痴呆でも始まったのか?」
なんてボケてみたが、すかさず中津川のチョップが俺の頭に炸裂した。
「今のは伝家の宝刀、トリ――」
「そういう一部の人間しか分からないネタは止した方がいいわよ?」
それもそうだな。って、中津川は分かるのか……意外だ。
「それと、変に話を逸らそうとしても無駄よ。さあ、知ってることを全部話してもらいましょうか?」
そう言いながら妙に迫力のある表情と言うか雰囲気で俺に寄ってくる中津川。
「って、近い! 近いから!」
あまりの顔の接近具合に、初めて冴倉とキスした時のことを思い出してしまった。ああ……多分今の俺顔真っ赤なんだろうなぁ……
「……ああ、なるほど」
そう言いながら手をポンと叩く中津川。どうやら俺が顔を赤くした理由に気がついたらしい。
「意外」
「あん?」
唐突な一言に、思わず素で返してしまった。
「何がだよ?」
「いろんな子に手出してるから、もっと女の子に慣れてると思ってたんだけど……」
「だからそれは誤解だって前に言っただろ!?」
「そうね。でも、浮気してるのが勘違いとしか言われてないと思うけど?」
それは雅とのことを言ってるのか? それこそ勘違いなんだが……
「どれも勘違いだよっ」
ああもうっ、面倒くさいっ。
「まあいいわ。で、白状する気になった?」
「そんな話の流れじゃなかっただろうに……」
「いいから。白状するの? しないの?」
何て強引な奴なんだ……
「だから――」
白状するもしないもない。そう言おうとした俺の言葉を遮って、帰ったと思っていた雅がいつの間にか戻ってきていて横から口を挟んできた。
「もしかしてそれ、昨日の話?」
「……ええ、そうよ」
一瞬何かを考えた様な間を置き、中津川がそんな風に頷いた。
これは、雅を味方につける気だな……
「そう言えば……たけちゃん、いつの間に武道なんて習ったの?」
あ……
「藤野さん、その話もっと詳しく聞かせて?」
「え? あ、はい」
しまった。雅ならこっちの味方についてくれると思ったけど、こいつはこいつで天然っぷりを発揮してくれそうだ。もしかしたら、雅にもあまり認識障害が働いてないのかもしれない。
ただ皆が俺が武道を習ったとか言い出したからか、それとも昨日の動きのことをある程度覚えていて言ってるのかは分からないから判断は出来ないけど。
「いつも一緒にいるわけじゃないけど、毎日真っ直ぐ帰ってたみたいだったし、そんな素振り全然なかったんですよ。それに、面倒くさがりのたけちゃんがそんなに続けられると思わないし」
何気に失礼な奴だな……いや、まったくもって否定出来ないけど。
「それに、もしも続けてたら、そういう話は進んで誰かにしてると思うんです」
「へぇ……」
雅の言葉になぜか満足気に頷いて、こちらに視線を向ける中津川。反論があるなら聞くけど? とでも言っているかの様だ。
「で、白状する気になった?」
「案外しつこいな……」
「そうかもね」
その言葉の真意はつかめないが、どちらにせよ俺から言えることは何もない。俺からバラしたなんてことになったら、あの二人に何をされるか分かったもんじゃないしな。
「とにかく。俺は何も知らない。行くぞ、雅」
「え? あ、うんっ」
これ以上雅が余計なことを言わない様に、雅を連れて教室を出る。中津川は諦めたのか、それ以上は何も言ってこなかった……
「あ」
雅と一緒に校門を出た所で、俺は教室に忘れ物をしたことに気がついた。
「悪い。今日出された宿題忘れてきた」
「それって、藤村先生のやつ?」
「ああ」
「それじゃあ、取りに行った方が良いね」
そう言って苦笑を漏らす雅。
その反応は当然だ。藤村先生というのは数学の教師のことで、俺の知る限り高等部一宿題を出すのが好きな先生だ。突然宿題を出し、それをやってこなければ必殺のチョークが飛んでくる。ただしチョークは本物じゃなくて奴お手製のゴムチョーク。体罰問題防止の為の最終兵器だそうだ。宿題さえ出さなければ面白い先生なんだけどな……
「無理矢理連れ出したみたいなもんなのに、悪いな」
「うぅん。気にしないで」
「そっか? まあ、あんまり謝っても雅が困ってパニックになりそうだからな」
「そっ、そんなことでパニックにならないよぉ」
「だといいけど。って、そんなこと言ってる場合じゃないか。のんびりしていると宿題やる時間なくなるからな」
「そうだね。どうする? 私ここで待ってる?」
「いいよ。先に帰っててくれ」
「そう?」
何かちょっと残念そうなんだけど……まあいいか。
「ああ。それじゃあ、また明日な」
「うん。また明日」
そう言って手を振って、俺は踵を返して教室へと戻った。
えー……
たった今、戻ってきたことを後悔した。
俺は今、教室の外にいる。廊下から教室の中を覗き込んでる形になってるわけだが……
「二人とも、そろそろ正体を教えてくれてもいいんじゃない?」
と言うのは、ついっさきまで俺に突っかかってきていた中津川の声。
「いい加減にしてくれる? 一体あたしたちの何が知りたいって言うの?」
明らかにイライラしたこの声は冴倉のものだ。
「思い出したの。昨日、ここで何が起こったか」
「そりゃあ、あんなことがあったんだから誰も忘れないんじゃないかしら?」
「そうね。クラスメートが突然消えたと思ったら、次の瞬間には教室の扉の前にいて、あっと言う間に銃を持った男を倒したなんて、普通は忘れないと思う」
でも、忘れてた。そんな意味を含めているんだろう。覚えていたのは、ただ俺がいつの間にか習っていた武道で犯人を倒したということだけ。そしてそれで納得しているクラスメートたち。気がついてしまえば、その状況がいかにおかしなものであるかハッキリとしてしまう。
「まるで、クラス全体が魔法にでもかかったみたい」
まさしくその通りだ。だけど、それをあの二人が明かすわけにはいかない。
「あのさ、さっきから何を言ってるの? クラスメートが消えたとか、魔法とか。そんなのあるわけなじゃない」
これはアリアの声だ。今まで黙っていたのが不思議なくらいだが、アリアが言うと説得力が感じられない言葉だな……
「……あのね」
アリアの言葉にしばらく黙っていた中津川が、ふとそんな言葉を呟く様に言った。
「わたし、昔魔法使いに会ったことがあるの」
「え?」
中津川の言葉に声を発したのはアリアだ。冴倉も驚いた表情を浮かべてはいるが、声は何とか抑えたらしい。
「車に轢かれそうになった所を助けられたの。その時、助けてくれた人は確かに空を飛んでた。わたしを抱えたまま、箒に乗って……そう、まるで御伽噺に出てくる魔女みたいに」
冴倉たちの他にも、この街に魔女がいるのか? いや、昔の話だって言ってたし、もういないのかもしれない。
「その時から、わたしも魔法使いになりたい。そう思う様になったの。そういった類いの本もたくさん読んだ。だけど、結局何も分からなかった。だから、あなたたちは最後の頼みの綱なの。ねえ、教えて? あなたたちは魔法使いなの?」
いつも俺に話しかける時の様な口調じゃない。ものすごく真剣な口調だ。だからそれは、きっと嘘なんかじゃない。中津川の本心なんだろう。
「……なるほどね」
少しの沈黙の後、それを破る様にそんな言葉を発したのはアリアだった。
「藤野雅に効きが悪い理由は分かってたけど、あなたも昔魔法の影響を受けてたのね」
ん? それってどういう意味だ?
「その言葉、じゃあやっぱり……」
「一つ忠告しておくわ」
その幼い外見とは裏腹に、ひどく冷たい声を発するアリア。魔女として――ファージアスという名門に生まれたが故か、厳格な雰囲気をまとっている。
「あたしたちには、命を賭けなければならない使命があるわ。この世界に足を踏み入れれば、二度と真っ当な世界には帰れない。それでも、あなたは知りたい?」
「……ええ」
少しだけ逡巡し、中津川はしっかりと頷いた。何がそこまで中津川を駆り立てるのだろうか? それ程までに、魔女なんかになりたいのか? ただ、幼い頃に魔女に助けられたというだけで。
「あなたの覚悟は分かったわ。南月、あの方が日本に来るのはいつ?」
「予定では十日後よ」
「そう……十日後、あたしたちの里で実質最高位にある魔女が来日するわ。その方に伺いを立てるから、それまではこれ以上あたしたちのことを詮索するのは止めてくれるかしら? もちろん、今日話した内容を他の人に吹聴するのも」
「分かったわ」
何だか良く分からないけど、中津川とのことは決着が着いたらしい。
「あと、そこに隠れてる早瀬武人。出てきなさいよ」
あ、バレてたのか。
アリアに言われるままに、俺は教室の中に入る。
「あんた、盗み聞きが好きなの?」
「いや、たまたまだからな?」
「まあいいけど……聞いての通り、中津川彩は一応関係者になったから」
「みたいだな。でも、信じていいのか?」
俺の場合は脅されてるし、今はもう残念ながら無関係とは言えない状態だ。だが、中津川には何の強制も働いていない。
「大丈夫でしょう。さっきの目、本気みたいだったし」
そう言ったのは冴倉だ。どうやらアリアが話してる間、ずっと中津川のことを観察していたらしい。
「あたしもそう思う」
「二人がそう言うんなら俺は構わないけど……」
そんな風に言いながら、視線を中津川に向ける。
あ、何だか非難の目を向けられてるなぁ……
「やっぱり、早瀬くんは知ってたのね?」
「まあな。むしろこの二人よりよっぽど口堅かったと思うぞ」
「そうね」
俺の言葉に魔女二人は軽く睨みを効かせてきたが、中津川はそんな風に言って苦笑を漏らした。
まあ、これでクラスの中ではあまり気を遣わなくて済みそうだな。そう思うと、気が楽になる。
「ところで、武人は何しに戻ってきたわけ?」
冴倉のそんな言葉で、俺はそもそも何の為に教室に来たのか思い出した。
危ねー。本気で忘れるとこだった……
「宿題忘れたから取りに来ただけ」
「あ、そうなんだ……」
呆れ混じりに冴倉がそう言った。アリアと中津川も同じように溜息を吐いている。
「何だよ。別にそれくらいいいだろ? 大体文句を言われることでもないし」
「誰も文句なんて言ってないでしょう?」
まあ確かに。
「お前らも早く帰って宿題やった方がいいぜ? 二人は知らないだろうけど、藤村は宿題忘れてきた奴にはゴムチョーク飛ばしてくるからな」
「何それ?」
食いついてきたのはアリアだ。ま、性格的にそうだろう。
「知らないか? 昔のマンガとかに出てきてたんだけど、悪さをした生徒に教師がチョークを飛ばす奴」
俺のそんな言葉に、魔女二人は首を横に振る。知らないのか……
「まあ、そんな定番ネタがあるんだが、藤村はそれを実際にやってたらしい。だけど体罰とかの問題が出てからは使えなくなったから、自分でゴム製のチョークを作ったんだよ。いや、チョークって言っても形だけなんだけどさ。それを代わりに飛ばしてくるんだ。藤村曰く体罰問題防止の最終兵器らしいんだけど……あれも結構痛いんだよな……」
経験者は語るって奴だ。
「へぇ、あの人面白い先生だったんだね」
「まあな。宿題を出すことを除けば人気高いぜ? な? 中津川」
「そうね」
俺の言葉に、おかしそうに笑いを堪えながら頷く中津川。それは、藤村が面白いからではなく、俺たちの会話や様子がおかしく思えたから出た笑いだろう。
ま、暗くなられるよりはいいかな。
「とにかく、俺も帰って宿題やらなきゃいけないから。今後のことを話すなら明日な」
「はいはい。前から思ってたけど、武人って勉強出来ないみたいだもんね」
「そう言う冴倉は随分勉強が出来るみたいで、羨ましいこった。中津川も出来そうだし、アリアは……」
「あ、ちょっと今こいつは頭悪いな。みたいなこと考えたでしょっ?」
「いや、そんなことないぞ? 被害妄想だ」
「うぅ……言っておくけど、あんたよりは頭良いからねっ」
「そんな自信あるなら、次のテストで勝負でもするか?」
「のぞむところよ!」
かくして、俺とアリアは次のテストで勝負をすることになった。
その詳しい話も後日ということになり、俺たちは帰ることにした。
中津川の家は校門を出ると反対方向。アリアは冴倉と一緒に住んでるらしく、途中まで3人で帰った。
少しだけ今後のことも話したけど、まあ詳しいことはまた今度。ということで二人と別れた。
今は宿題のことを考えないと……
はぁ……
ま、何とかなるだろ。
はじめて冴倉と会った時のことを少し思い出しながら、俺は一人帰路に着いた……