第六話 幼なじみに気をつけて・リターンズ
「たけちゃんたけちゃんっ」
昼休みに入った途端、隣りから子犬の鳴き声の様な声が聞こえてきた。
「何だよ雅、騒がしいぞ」
「あうぅ……そんなに邪険にしなくてもいいじゃない……」
別に邪険にしてるつもりはないんだけどな。
「で、どうかしたのか?」
「今日の放課後って、空いてるかな?」
「えっと……」
俺自身に特に用事はない。だけど冴倉からの呼び出しがないとも言い切れない。
って、別にあいつに呼び出されたからって絶対に行かなきゃいけないわけじゃないんだけど……
「たけちゃん……」
チラリと冴倉の方を見たからだろうか、雅はやけに哀しそうな目をして俺を見つめてきた。その目がほんの少しだけ潤んで見えて、俺は慌てて言いつくろう。
「大丈夫! 今日は空いてる。んで、買い物にでも付き合って欲しいのか?」
「うん。食材の買い出しに行こうと思ってるの」
ああ。なるほどね。
「荷物持ちが欲しかったわけか」
「えへへぇ。こんなことたけちゃんにしか頼めないもん」
「そうか?」
雅が頼めば、クラスの男子連中なら大概はOKしてくれると思うんだけどな。
「うんっ」
って、そんな嬉しそうな笑顔を俺に向けないでくれ。勘違いしそうになるから。
「まあそれは構わないんだけどさ。いつもはどうしてるんだよ?」
「あ、うん。いつもは妹に手伝ってもらってるんだけど、今日はちょっと予定が合わなくて」
「それなら今日じゃない日にすればいいのに」
「だってそれじゃあたけちゃんと一緒に――じゃなかった。本当はもっと早く行こうと思ってたんだけど、ちょっと買い出しに行けなかったの。だから今日行かないと、もう今日の晩御飯も作れないんだよ」
それはまた随分とギリギリだな……
「そんなに必死にならなくてもちゃんと手伝うって。今日の放課後だろ?」
「う、うん」
「わかった。そんじゃ、俺飯買いに行かなきゃいかんから」
「うん、行ってらっしゃい」
いや、行ってらっしゃいって何か違うだろ。
まあいいや。今は飯だ飯。
出遅れた分を取り戻すべく、俺はダッシュで購買へと向かった。
「あの子、使えるわね」
直ぐ近くで、そんな呟きがあったとも知らずに……
放課後。
俺は雅がやって来るのを校門で待っている。今日は用事が出来たことは冴倉には昼休み中に伝えておいた。てなわけで、ホームルーム終了と同時に雅に声をかけたら、アリアちゃんに話があるって言われたから校門で待ってて。とのこと。
まあそれはいいんだ。呼び出し主がアリアってのが何となく嫌な予感もするが、昨日のこともあってか昼休みに冴倉から良い物を貰った。一見ただのアメ玉だが、実は魔素の塊という代物。作り手が冴倉ということもあり、冴倉自身の持つ魔力もきちんと含まれている。つまりこれを口に含めば、擬似的にではあるが下僕としての力を発揮出来るというわけだ。いつでも冴倉と一緒にいられるわけじゃないからな。これはかなりありがたい。
「雅の奴、遅いな……」
腕時計を見ると、俺が校門に来てからもう30分が経つ。アリアの話ってのは、そんなに長くかかるものなのか?
「お待たせ、たけちゃん」
「おわっ!」
顔を上げようと思った瞬間に声をかけられ、思わず驚きの声を上げてしまった。
と、目の前には雅の姿があった。
「あ、ああ……」
とりあえず頷いておいたが、何となく雅の様子が変だ。
どこがおかしいとはハッキリ言えないけど、そうだな……いつもの様な朗らかさがなく、どことなく雰囲気が暗い。
「それじゃ、行こう?」
と、笑顔を向ける雅。だけど、その笑顔にさえも何となく違和感を覚える。
「たけちゃん?」
一向に動き出そうとしない俺に、一度は歩き始めていた足を止めて振り返る雅。
いつもと変わらない笑顔。いつもと変わらない仕草。だけど、何かがおかしい……
その違和感はじょじょに大きくなっていく。
一歩、雅が俺に近づいてきた。
思わず、一歩退く。
「どうしたの? たけちゃん」
そのいつも通りの表情が、怖い。なぜかそう思う。
いや、待て。いつも通りの表情? 違うだろ。雅の表情はこんな表情じゃない。
「大丈夫?」
心配そうに俺の顔を覗き込む雅の表情が脳裏に浮かぶ。だが、今目の前にいる雅はずっと笑顔のままだ。その言葉に感情はこもっている様に聞こえるが、それが余計に怖い。笑顔で、心底心配しています的な声。その矛盾が、目の前にいる雅が普通ではないことを証明している。
「むしろそれは俺が聞きたいね……大丈夫か? いや、こんな質問は無意味か……」
「何言ってるの? 私はいつも通りだよ?」
いつも通りじゃないから言ってるんだけどな……
「たけちゃん」
「……何だよ?」
「やっぱり、冴倉さんの方がいいんだね……」
「は?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「私のものにならないたけちゃんなんて……いらない!」
訳の分からないことを言い出したかと思うと、雅は突然俺に殴りかかってきた。雅くらいとろい動きなら下僕化しなくても余裕でかわせる。そう思っていたんだが……
「おっと!」
思いの他雅の動きは素早く、避けるのがギリギリになってしまった。まあ、それでも避けられない程じゃない。
「…………」
雅が、ジッと俺のことを見つめ――いや、睨んでいる。いつもの膨れっ面じゃない。まるで親の仇でも見るかの様な目つきだ。
「雅……?」
思わず息を呑む。だが、俺の心情などお構いなしに雅は再び襲いかかってきた。
「雅!」
正気に戻ってくれればいいと必死に呼びかけるが、雅は何の反応も示さない。ただ俺に殴りかかってくるだけだ。
雅の攻撃を何とかかわしつつも、俺は呼びかけ続ける。だが、効果は全くない。どうしたらいいんだよ……
「あーはっはっ。いい気味ね、早瀬武人!」
そんな声が聞こえてきたのは、俺たちの頭上からだった。
「その声は……アリアか!?」
「その通り!」
見上げると、自信満々に答えるアリアの姿が目に映った。竹箒にまたがり空に浮いている。
「さすがのあなたも、幼なじみに手は出せないでしょう? これであたしの勝ちは確実ね!」
「って、やっぱりお前の仕業か!」
「さあねぇ~。あなたはせいぜい幼なじみと戯れていればいいのよ」
アリアのそんな言葉で、俺は今雅に襲われているのを思い出した。ハッと視線を上空から雅に戻すと、もうその距離はないに等しかった。
拳を振りかぶる雅。寸での所で飛び退き、何とかそれをかわす。
「ちっ。しぶといわね」
くそっ。ここから届かない場所にいると思って……
待てよ? 雅があんなんになってるのは、間違いなくアリアの魔法のせいだ。って言うことは、雅の身体には魔素が集まってるはず。それが見えないってことは、体内に入り込んでるんだろうけど……
俺はポケットにしまっておいたアメ玉を取り出す。こいつを渡された時に聞いた俺の新しい能力。それは、魔素を霧散させるものらしい。っていうことはだ。魔女の魔法を無効化することも出来るんじゃないか?
「感謝しなさいよ? この辺り一帯は周囲から遮断してあげてるんだからっ」
なんてアリアの嫌味な声が聞こえる。だが今はそんなことはどうでもいい。
これは賭けだ。既に発動している術まで無効化出来るかどうか……
最悪、上にいるあいつさえ何とか出来ればいいんだ。俺は覚悟を決めて、冴倉に貰ったアメ玉を袋から取り出し口の中に放り込んだ。
丸呑みじゃ意味がない。かと言って舐めてる時間はない。つーわけでボリボリと噛み砕く。
そんな間にも雅の攻撃は止んでいない。って言うか、多分アレって強化されてるんだよな? にしては、雅の動きはせいぜい一般高校生男子くらいの動きだ。我が幼なじみながら情けない。って、逆に助かってるわけだけど……
と、無駄な思考を繰り広げている間にアメ玉の効果が現れてきた様だ。
身体そのものには変化は見られない。だけど、ぼんやりと淡く全身が光に包まれている。
……違うな。これが、魔素だ。いつもの下僕化とは違い、俺の意識は完全にしっかりとしている。魔素に包まれている。と言うよりは、この魔素は俺から溢れ出ている様にも見える。雅に視線を向けると、雅も俺と同じ様に魔素に包まれている。
なるほど。この魔素が身体強化をしているわけか。
そんな思考を巡らせていたにの関わらず、いまだに雅は俺の元へは辿り着いていない。冴倉は俺の最初の能力をただの身体強化だと思ってるみたいだけど、こうして意識がハッキリしている今は、それが正確ではないことに気がついた。
俺の最初の能力。それは、俺以外の時の流れを遅らせること。いや、俺だけが時間の流れから逸脱しているのかもしれない。どちらにせよ……
「この状態でなら、負ける気がしないな」
雅が俺の元に辿り着くよりも早く、こちらから距離を詰めてやる。俺は雅にしてみれば一瞬の内に彼女の背後に回り込んだ。俺の姿を見失い、慌てた様に周囲を見回そうとする。だが、遅い。
俺が雅の背に触れると、まるで俺のことを嫌うかの様に雅から漏れ出す魔素が散っていく。
「何あれ? どういうこと……?」
上空で、アリアが信じられないものを見たかの様に言葉を漏らす。
なるほどな。これも冴倉の読みは少し違ってたみたいだ。俺の第二の能力。魔素を霧散させるわけじゃなく、おそらく回帰させているんだ。だから術として形になっている魔素も大気中に帰っていく。もっとも、触れていないと効果は発揮されないみたいだが……
十分、魔女にとっては脅威的な能力だろう。
「終わったな」
気を失い、倒れかけた雅の身体を支える。そっと地面に横たえさせ、俺はキッと上空にいるアリアを睨む。
「術の無力化? そんなの反則じゃない……」
「反則なのはお前の考え方だろう? 無関係の人間まで巻き込みやがって」
「だ、だって……」
「だってもヘチマもねーんだよ! 降りてきな! 今度こそとっちめてやる!」
「うぅ……」
何かアリアの奴泣き出しそうなんだけど……
一瞬前までは本気で怒っていた俺だったが、目を潤ませて今にも泣きますよ的な雰囲気のアリアにそれ以上は何も言えないでいる。
「あたしが……このあたしが南月の下僕なんかに負けるわけにはいかないのよ!」
泣き出しそうな瞳のまま、それでも今までの様に勝気な視線で俺を睨みつけるアリア。
それは、俺に対する怒りではない。おそらく、アリア自身が自分に感じている怒り。そして……
「冴倉に、嫉妬してるのか?」
「そんなわけないでしょう! あたしはアリア・エル・ファージアス。ファージアス家の次期当主にして、エルの称号を持つ魔女なんだから!」
アリアの言っている意味を理解することは出来ないが、それが彼女を支えている何かだと言うことは察することが出来た。だけど、それでも俺も負けるわけにはいかない。それは俺自身が感じているものなのか、それとも冴倉の下僕として感じているものなのかは分からない。だけど……
「お前が俺を倒そうって言うなら相手になる。だけどな……他の無関係な連中を――雅を巻き込むのは止めろ」
「……分かったわよ」
意外にも、アリアはあっさりと頷いた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「他の連中には手を出さない。それに、しばらくあんたにもちょっかい出すのを止めるわ」
「あん? まあそれはありがたいけど……信じていいのか?」
「ファージアスの名にかけて誓うわ。少し、あなたのことを観察することにするから」
「はあ?」
何を言ってるんだこいつは……
「自惚れでも何でもなく、あたしと南月に魔力の差はそんなにないわ。それなのにあなたにそれだけの能力があるのは、多分あなた自身の潜在能力が高いから。だから、しばらくあなたのことを観察する。あなたの能力の秘密を明かせれば、対抗手段も出てくるかもしれないし」
なるほどね……
「わかった。そういうことなら信じるよ。だけど、俺にそんな潜在能力があるとも思えないけどな」
「冗談でしょう? 魔素を回帰させるなんて芸当、今までに聞いたことないわ」
へー。さっきので俺の能力の気がついたのか。ファージアスってのはどうやら魔女の名門みたいだけど、誇張でも何でもないみたいだな。その辺りは冴倉よりも秀でてるんじゃないかと思う。
「ともあれ、そんじゃあ改めてよろしくな」
「ええ。こちらこそ」
昨日は出来なかった握手。それを今日は交わすことが出来た。これはきっと厄介事なんだろう。だけど、今はそれを受け入れてる俺がいる。これってやっぱり、冴倉の影響なのかな……
「うぅん……」
と、背後で雅の呻き声が聞こえてきた。
慌てて振り返り、雅の元に駆け寄る。背後でアリアが飛び去って行く気配を感じたが、あいつのことは心配しなくても大丈夫だろう。それよりも今は……
「大丈夫か? 雅」
「う、ん……? たけ、ちゃん?」
「ああ」
目を覚ました雅の身体を起こしてやる。っても、途中まで起こしたら自分で起き上がったけど。
「私、今まで何してたの……?」
「さあな。貧血か何かで倒れたんじゃないか? ここに来たら雅が倒れてたから驚いたぞ」
と、我ながら良くいきなりこんな出まかせ出るなぁ。
「そう、なんだ……?」
「ああ。それより、大丈夫か?」
「……うん。大丈夫。ごめんね? 心配かけて」
「気にすんなって。それより、買い物行けそうか?」
「大丈夫。それに今日行かないとどうしようもないし」
たまには外食とかでもいいと思うけど……まあ、そういうのは言わない方がいいだろう。
「それじゃあ行こうぜ」
「うん。ありがとう、たけちゃん」
それが何に対する感謝だったのかは分からない。だけど、それを追求するつもりもない。
俺は雅の買い出しに付き合い、荷物を藤野家に届けてから自分の部屋へと戻った。
とりあえずの難は、これで終わったのかな?
そんな風に思うと、今日は良く眠れる気がした……