第五話 二人目の魔女
「それじゃあ、転校生を紹介するぞ」
週明けの月曜日。教室全体が気だるい雰囲気だったのが、担任のそんな言葉でクラス中が騒然となったのは当たり前の反応だろう。
「せんせー、冴倉さんが転校してきてまだ一週間ちょっとですよー?」
「普通は違うクラスとかじゃないのか? まあ可愛い女の子だったら許すけど」
とまあ、色々な言葉が教室中を飛び回る。先生なんか耳を手で押さえていらっしゃる。そりゃあこんだけ騒いでたら煩くてかなわんでしょうな。
「……静かにしろ!」
あ、キレた。
先生のブチキレタ一言で、一瞬にして教室中が静まり返った。おー、凄いな先生。
「なんでも冴倉の知り合いだそうで、本人たっての希望でこのクラスに割り当てられたんだ。まあそれはどうでもいい。入っていいぞ」
先生のそんな言葉に従って教室に入ってきたのは、金髪の美少女だった。
つかつかと歩き、教壇の横に立つ。正面を向くと、その顔つきが随分幼いものだと分かる。いや、顔つきだけじゃない。背も随分低いし、体型も……って、これは失礼か。
目じりは少しつり上がっているが、ニコリと微笑んだその笑顔は十分に可愛らしい。
髪型は……金髪ツインテールって本当にいるんだな……
「自己紹介を頼む」
「はい」
担任の言葉に答えた彼女の声は、とてもキレイな声だった。冴倉の声もキレイだと思ったけど、あの子も劣らない良い声をしてる。
「アリア・エル・ファージアスです。日本は初めてですが、皆さんどうぞよろしくお願いしますね」
そう言って微笑んだ彼女――アリアの笑顔に、一体何人の男子がヤラレタことか……
念の為に言っておくが、俺は別にその気はないからな……
「アリアちゃんって、日本語うまいよね。初めて日本に来たとは思えないっ」
「冴倉さんとは知り合いって言ってたけど本当?」
「髪キレイだよねー。羨ましいなー」
昼休み。転校生定例の儀式中だ。小柄で可愛らしい容姿のアリアに、男子どころか女子連中もヤラレテいる様だ。むしろ、女子の比率の方が高くないか?
「ああ、可愛いなぁ。アリアちゃん……」
何せ、俺の隣りで雅までが呆けている始末だ。
あれ? そう言えば冴倉の姿がないな。
「あの、ちょっといいかしら?」
キョロキョロと教室内を見回していると、いつの間にか転校生が俺の目の前にやってきていた。
「あなた、南月と仲が良いらしいじゃない?」
どこか冴倉を彷彿させる態度のでかさだ。いや、ちょっと傾向が違うか……って、そうじゃなくて。
「何か随分とキャラが違うな?」
「そ、そんなのどうでもいいじゃないっ。それにあたしは南月と違って猫被ったりしないわよっ」
猫を被るというより、存在そのものが猫っぽい気がするんだが……
「何か言ったかしら?」
「いえ、何も?」
ギロリと睨まれたかと思うと、ものすげー寒気がした。何と言うか、冴倉と同種の危険を感じた気がする。
「ん?」
「どうかしました?」
こいつが冴倉の知り合いってことは、やっぱり……
「いや、何でもない」
一応、他の人間にバレたらいけないことになってるって言ってたし、俺が知ってたらマズイだろう。
「それで、仲が良いっていうのは?」
「別にそんなでもないさ。たまたま家が近かったから、それで話が盛り上がっただけだよ」
まあ嘘だけど。
「ふーん。そう……」
納得はしてないみたいだけど、どうやらこれ以上は言及してくるつもりはないらしい。
「ならいいわ。じゃあね」
そう言って教室を出ていく転校生。あれ? でもまだあいつの席には女子連中が集まってるみたいだけど……
どういうことだ?
「たけちゃん」
「ん?」
隣りから声をかけられ、そっちを向く。
「アリアちゃんには手出しちゃダメだからね?」
「……出さねーよ」
まったく、こいつは俺をどういう目で見てるんだか……
さてさて。気がつけば放課後だ。いつもなら冴倉の実験に付き合わされるところだが……
昼休みの時もそうだったが、気がついたら冴倉の姿はもう教室にはなかった。
アリアの姿もない。
「探してみるか……」
なぜか、そんな気になった。
一応鞄を持って教室を出る。一番可能性が高いのは、やはりこの教室そのものだ。だけど、あいつがもし誰もいない教室に入っているんだとしたら、俺にはその中に入る術がない。さて、どうする……?
教室の前で考え込んでいると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。そこまで慣れ親しんだ声じゃない。だけど、最近良く聞く様になった声――
「冴倉の声?」
いや、間違いない。これは冴倉の声だ。そう理解した瞬間、教室の入り口が歪み始めた。まるで空間そのものが渦を巻く様に、その歪みは広がっていく。
中の様子は見えない。だが、声だけはハッキリと聞こえてくる。
「あんた、何しに来たわけ?」
「そんなの決まってるじゃない。南月を倒す為よ!」
これはアリアの声か……?
「あたしを倒すって……魔女同士が争ってどうするのよ……」
呆れた冴倉の声が聞こえてくる。溜息まで聞こえてきて、さすがにちょっと驚いた。
「だって、このままじゃあたしが南月よりも劣ってるみたいじゃないっ」
「何言ってるのよ、もうエルの称号を得たんでしょう? だったら、まだ一人前とも認められていないあたしに突っかかる必要ないでしょう」
「大アリよ! 自分の師匠に一人前と認められていなくても、南月が里からエルとして相応しいと言われたのはいつ? それを辞退したのはどこの誰?」
「あれは、師匠がまだあたしには早いって言うから……」
「そもそも、あんたの師匠は規格外なのよ!
「それはまあ、あたしも分かってるけど……」
何だか、冴倉にしては珍しく弱気だな。それだけアリアが凄んでるのか、それともその師匠とかいう魔女が凄いのか……
「それはそうと……南月、誰かにバレたりとかしてないわよね?」
「え?」
「え? じゃないわよ。ほら、例えばあの……何て言ったっけ? 早瀬 武人だっけ?」
アリアが俺の名前を口にした刹那、ただ歪んでいただけの空間がしっかりとした元の形――教室の入り口へと戻った。いや、変わったと言うべきか。その扉の続く先は、俺たちが普段授業を受けている教室じゃなくて、今まさに冴倉とアリアが話をしていた異空間なんだから。
「あ、武人」
「……早瀬武人。やっぱり知ってるみたいね」
呆然と俺と見つめる冴倉と、何やら背後からゴゴゴゴなんて音が聞こえてきそうな程に険しい顔つきをしているアリア。
「歪曲された空間に入り込むなんて、どうやら普通の人間とは違うみたいだけど……それと魔女の掟とは関係ないわ。死になさい!」
何やら物騒な叫び声を上げたかと思うと、アリアは手の平に魔素を集め出した。
これは、何と言うか……
「武人! 避けて!」
呆然と成り行きを眺めたままになりそうだった俺だったが、冴倉の声で我に返り横に跳んだ。次の瞬間、巨大な氷柱が俺の立っていた位置を通り過ぎた。
「何だよ、今の……」
「今度こそっ」
って、呆けてる場合じゃない! 俺はアリアの魔法と思わしき追撃をから逃げる為に走り出した。
一般生徒のいる前じゃ、魔法も使えないはずだからな。
だが、俺の読みは外れた。と言うか、そんなに甘いもんじゃなかった。あの氷柱こそ放ってこないものの、アリアは俺を執拗に追いかけてきたのだ。
「待ちなさい!」
どこから持ち出したのか、以前冴倉が乗っていた様な竹箒に乗って、勢い良く俺に向かって飛んでくる。
「そんな人前で空飛んでて良いのかよっ?」
「残念ながら、今のあたしは普通の人間には見えてないのよ!」
それって、俺は無意味に声を張り上げながら走り回ってる変態に見えるってことじゃないのか……?
って、考えてる暇なんかねー!
向こうは飛んでいるとは言えここは校内。それ程自由が利くわけじゃない。何とか地の理を活かして逃げ切ろうと、必死に走り回るが……
一向にアリアとの距離は離れず、全く休む暇もない。
このままじゃ、俺の体力が尽きる方が確実に早い……
「冴倉ー! ちょっとは助けようって気はないのかよー!?」
なんて叫んでみたが、もちろん冴倉に期待は出来ないよな……
「そんな大声出さなくたって聞こえるわよっ」
「うわっ!」
いきなり目の前に冴倉が現れて驚きを隠せない。
「ってあれ? ここは……」
誰もいない教室。どうなってるんだ?
「あたしたち魔女は、下僕を自在に自分の元に呼び寄せることが出来るのよ」
俺の疑問に答える様に、冴倉はそんな言葉を口にした。
「それならもっと早く呼び出してくれよ……」
おかげでこっちはヘトヘトだ。
「しょうがないじゃない。ある程度ここから離れてくれないと、直ぐにアリアも気づいて戻ってきちゃうかもしれないんだから」
それもそうか。にしても……
「やっぱり、あいつも魔女なんだよな?」
「それを今聞く?」
聞くまでも答えるまでもない問いかけ。ってか……
「まあそうだよな。それで、何であいつは俺の命まで狙ってくるんだよ?」
「前にも言ったでしょう。あたしたち魔女は、その存在を知られてはいけない。知られた場合は、その者の記憶を操作するか、それが出来ない場合は……」
消す。ってことか……はぁ……
「それで、こういう場合はどうすればいいんだ?」
「どうするもこうするもないわよ。納得させるしかないんじゃない? あの子を」
「いや、だからそれをどうやって納得させるんだって話なんだけど……」
「うーんと……力ずく?」
あ、そうですか……
「ってか、冴倉の下僕だから知っててもいいとかないのか?」
「そんなに頭の回る子じゃないわよ」
そうですか……
「力ずくっても、俺にはあいつをどうこうする力なんてないぞ?」
「何言ってるのよ。今自分でも言ったじゃない。あたしの下僕だって」
「それって……ああ!」
そうか。冴倉に魔素を注入してもらえば、俺の身体能力はあの犬男以上のものになるんだ。それなら、魔女相手にだって引けを取らないかもしれない。いや、絶対に勝てる!
「証明してやればいいのよ。自分じゃ、武人には敵わないってことを」
「わかった。それじゃあ頼む」
「はいはい。任せないっ」
なぜかどことなく嬉しそうに近寄ってくる冴倉。その距離はどんどんと縮まり――
気がつけば、その唇が触れていた……と同時に流れ込んで来る冴倉の――
「うわぁ!」
思わず飛び退く俺。
「なななっ。何すんだよ!?」
「何って、武人の下僕化?」
「って、毎回しなきゃいけないのか?」
「そういうわけじゃないけど……その方が手っ取り早いし、何より新しい能力が得られるかもしれないから」
「そ、そうなのか?」
「そうなんです」
って、どうしてこいつはこんなに楽しそうなんだ? 前回は結構嫌がってたと言うか、恥ずかしがってたはずなんだが……
「とにかくっ。アリアをやっつけちゃいなさい!」
「言われなくてもっ……」
と反論しようとしたが、それよりも早く俺の身体を動いていた。マスターである冴倉の言葉に従ったのだろう。俺自身の思考が理解しないままに、気がつけばアリアの目の前に立っていた。
「どこに隠れたかと思えば、そっちから出てくるなんてね。覚悟でも出来たのかしら?」
そんな声が聞こえてくるが、今の俺にとってはどうでもいい言葉だ。覚悟なんて必要ない。あるのはただ一つ。マスターの言葉に従うという意思のみ。
俺の不穏な気配を察したのか、アリアはそれ以上無駄口を叩こうとはしなかった。彼女が唾を呑み込む音が聞こえた。だが、それすらも俺には緩やかに流れる俺以外の時に過ぎない。
アリアが手の平に魔素を集めようとするが、それが終わるよりも早く彼女との距離を詰めた。アリアの驚く表情が目に映る。だが、それだけだ。
俺は彼女の首を右手で掴み、箒から地面へと叩きつける様に下ろす。
「ちょっ! 何するのよっ? 放しなさい!」
そんな言葉が聞こえるが、ただ音として認識するだけだ。それは、俺にとって何の意味も持たない言葉に過ぎない。
苦しそうに表情を歪め、もはや声を出すこともままならない様子のアリア。必死に魔素を集めようとしている様だが、意識が集中出来ないからかそれすらも叶わない。
「まさか、体質とは逆に魔素を霧散させるなんてね……それが新しい能力かしら?」
背後から、マスターの声が聞こえてきた。だが、任務遂行の前ではマスターの言葉ですら意味を成さない。それが命令ではない限りは。
「武人。もう十分よ。放してあげなさい」
「…………」
俺は何も答えず、しかし命令には従う。
「武人?」
「え? あ、ああ……」
あれ? 俺、今までどうしてたんだっけ?
記憶が曖昧だ。いや、違う。俺は確かに自分の意思でアリアと対峙した。それは覚えてる。だけど、その間の意思が希薄なんだ。強化された身体能力を駆使して――いや、そんな表現はいらない程簡単にアリアを無力化した。だけど、その時俺は何を考えていた……?
「武人」
「何だよ?」
「しっかりしなさいよ。あなたが勝ったんだから」
勝った? ああ、そうか。まあそういうことになるのか。
「けほっ」
俺の背後で、アリアが苦しそうにむせている。
……ああ、俺がやったのか。俺が……アリアを、殺そうとした? いや、そんなバカな……
だけど、確かにこの腕にはアリアを押さえつけていた感覚が残っている。
「あ――」
「あんた! 一体何なのよ!?」
何なのと言われても……
「武人はあたしの下僕よ。だからあんたが余計な心配する必要はないし、手を下す必要もない。そもそも、あんたじゃ武人には敵わない。諦めなさい」
「うぅぅ……」
冴倉の言葉に、俺をジーっと睨んでくるアリア。その視線が何を訴えているかは分からないが……
「まあ、手出ししてこないならこっちからやり返すこともない。つーわけで、これからよろしくな。アリア」
何がよろしくなのかは自分でも分からないけど、何となくこいつとも長い付き合いになる気がして手を差し出した。
「ふんっ。あんたと馴れ合うつもりはないわっ。それと気安く呼ばないでちょうだい!」
「ああ……そういや、みんながアリアちゃんアリアちゃん言ってるから、自然と名前で呼ぶのが普通になってたわ」
心の中でだけど。
「とにかく! 今日の所は見逃してあげる!」
そんな捨て台詞を吐いたかと思うと、アリアは再び箒に跨りどこかに飛んで行ってしまった。
「あたしたちも帰りましょうか?」
「そうだな」
色々と不安も覚えるけど……
今はまあ、気にしない方がいい。
そんな風に結論付けて、俺と冴倉も帰ることにした……