第四話 幼なじみに気をつけて
「さて、昨日のは一体どういうことだったのか……もちろん説明してくれるんだよな?」
昼休み。恒例の誰もいない教室の中で、俺はちゅーちゅーとパックの牛乳を飲む冴倉に向かってそう言った。
冴倉の造った薬によって凶暴化&人化した犬男。
冴倉の突然のキス。
その後の俺に訪れた変化。
昨日の放課後に起こった出来事を思い返しながら、冴倉の言葉を待つ。
「じゃあ、まずは療薬についてからね」
牛乳を飲み終えたらしく、冴倉はパックを綺麗に折りたたみながら話し始めた。
「療薬が生物の細胞を活性化させる薬だっていうのは昨日話したわよね?」
「ああ」
「その大部分を占めるのが、薬を作る時に収拾した魔素なの。材料は、薬の方向性を決める為のものと思ってくれればいいわ。集めた魔素自体は過剰なものではなかった。けれど、おそらく出来上がった後も勝手に周囲の魔素を吸収し続けていたんだと思う。それによって、過剰に細胞を活性化させる薬になってしまった。ペットボトルが破裂したのも、魔素を吸収したせいで膨張したと考えれば説明がつくわ」
「なるほどな。だけどさ、あくまでも細胞を活性化させる薬だったんだろ? だったらあの犬の変化は一体何だったんだ?」
「元々が人体に影響を与える為に造ったものだから、犬には効果があり過ぎたんじゃないかしら」
「だとしても、あれだけ凶暴だったのは関係あるのか?」
「わからないわ。だけど、細胞の変化に脳が追いつかずに混乱していたのか、もしくは脳細胞自体に薬の影響が出たのか……多分、そんなところだと思う」
イマイチ理解しきれないが……
まあ、そもそも魔女なんていう存在が目の前にいるんだ。理解できないものを完璧に理解しようとするより、そういうものなんだと思うしかないのかもしれない。
「それで、その……キ、キスのことなんだけど……」
「え? あ、ああ」
小難しいことを考えようとしていたせいか、すっかり頭の中から抜け落ちていた。思い出すだけで顔が熱くなる。
そっか……そうだよな。俺、冴倉とキスしたんだ……
「何赤くなってんのよっ」
「な、何でもない」
「もしかして、き――」
「何でもねーって! いいから続きを頼む」
これ以上ツッコマレルとかなり恥ずかしい。何とか話を進ませようと続きを促す。
「……まあいいわ。昨日のキスと、その後の武人の変化は関係があるのよ」
「どういうことだ?」
「魔法っていうのは、基本的にあたしたち魔女の体液を媒介にしなければならないの。昨日の薬にも、あたしの血を入れてあったんだけど……血だと一回に使える量が限られてくるでしょう? それに昨日みたいな場合、いちいち用意する時間もないし。怪我でもしてたら楽かもしれないけど、あたしたちだって出来ることなら傷つきたくはない。だから、その……言わなくてもわかるわよね?」
「あ、ああ……」
ようは、血の代わりに唾液を使ったと。って、待てよ? いや、わざわざ考えるまでもなくそれって……
「俺に魔法を使ったってことかっ?」
「そうなるわね」
「なっ……そうなるわね。じゃねーよ! 俺の身体、大丈夫なんだろうなっ?」
「大丈夫よ。契約魔術に失敗はないわ」
「契約魔術?」
「そっ。魔女の体液を意志のあるモノに送り込むことと同時に、相手がそれを受け入れる意志を持っている時にのみ成立する術。魔女の体液を取り込むことによって、契約者は自身と魔女の力に応じた能力を得る。代わりに、契約者は魔女の下僕となり命令には絶対服従。つまり、昨日の犬を何とかしたいという意志の元、あたしたちの間に契約が交わされたわけ」
それってつまり……俺は冴倉の命令には逆らえないってことか? そういや、昨日は自然に身体が動いたよな。まるで、冴倉の言葉に従う様に……
「あたしたちが下僕に施すのは術ではなく、あくまでも力の源となる魔素。それによって起こる変化は決して有害なものではないわ」
「それはわかった。害がないってのは良い。だけどな、一つ疑問なんだ」
「何よ?」
「その契約ってのは、いつまで有効なんだ?」
その期間によって、俺の今後の自由意志が左右される。そこんとこ重要。
「それは……」
「それは?」
「わからない」
は? いや、何とおっしゃいましたかこの魔女さんは。
「またまた、そんな冗談いらないって」
「失礼ね。冗談なんて言わないわよ」
それってつまり……
「本当にわからないってことか?」
「まあ、そうなるわね。厳密に言えば、契約に期間なんてもの自体が存在しないわ。契約と言っても、結果的には魔女が契約者を使役する形になるわけだから、その効力は魔女の力と契約者の力の差によるわ。後は、二人の相性なんかにもよるみたい。力の形質が似ている場合、契約は長く持つと言われているわ」
「……で?」
「まあ昨日みたいなことがない限り、武人を使役することなんてないと思うから気にしない方がいいんじゃない?」
そうかもしれないけど……何となく、鎖を繋がれてるみたいな感じがしてイヤなんだよなぁ……
「武人は魔素を集めやすい体質だから、もしかしたら凄い能力を得られるかもね」
「そんなの嬉しくねーって……ったく、なんで俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ……」
「いいじゃない。このあたしとキスできたのよ? 素直に喜んでおきなさいよ」
何か軽く開き直ってないか? まあいいけどさ……
「あ。そういやさ」
話し始める前まで食べていた購買のパンのゴミをゴミ箱に捨てる冴倉を見て、俺は不思議に思っていたことを聞いてみることにした。
「何?」
「ここに放置したものって、その存在自体がなくなる様なもんなんだろ? なのに何でわざわざパックを折りたたんだり、きちんとゴミ箱に捨てたりするんだ?」
まあ、俺もちゃんとゴミ箱には入れてるけど。
「そういう武人だってちゃんと捨ててるじゃない」
「まあそうなんだけどさ。俺は最初そんなこと知らなかったわけだし」
「そうね……まあ、習慣ってやつよ」
習慣、ね……まあそんなもんか。
「それで、何か他に聞きたいことはある?」
「……いや、とりあえずないと思う。また何か気になったら聞くよ」
「そう。それじゃあ、そろそろ戻りましょうか」
「そうだな」
そんな言葉を交わして、俺たちは誰もいない教室を後にした。
「たけちゃん」
昨日とは打って変わり、いつもと同じ様に冴倉と別れた後、本当の教室で荷物をまとめている所で背後から名前を呼ばれた。声でも誰か分かるが、そもそもそんな呼び方をするのは一人しかいない。
「何か用か? 雅」
ちょうど荷物をまとめ終わった俺は、鞄を持ち上げながら振り返った。予想通りというか、やはりそこには雅の姿があったのだが、どこかいつもと様子が違う。
「最近さ、たけちゃん冴倉さんと仲良いよね?」
どこか棘のある物言いでそんなことを言う雅。似合わない程に険しい(?)顔つきをしているが、まったく怖くはない。と言うか、ただの膨れっ面と言った方が正しいかな。
「まあ、悪くはないと思うけど……特別仲良いってこともないぞ?」
あくまでも協力関係(一方通行の)に過ぎない関係だ。まあ、俺は向こうの弱みを握っている状態にあるわけだから、一応は対等な関係であると言えるのかもしれない。
「昨日は一緒に帰ってたよね? 今までそんなことなかったのに」
何で知ってるんだ? 見られたのか、それとも誰かに聞いたのか……まさか、あの犬男のことは知られてないよな……?
「昨日は偶然一緒になっただけだ。方向も同じだったしさ」
とりあえず、こっちから不用意な発言はしない様にしておこう。
「家の場所まで知ってるんだ……」
「いや、詳しい場所までは知らないって」
「でも、一緒に帰ってたじゃない……」
「途中までな」
どうしたんだ? 珍しく随分と突っかかってくるな。
「最近、私とも一緒に帰ってくれないのに……」
いや、それ関係ないだろ。そもそも。雅と一緒に帰ってたのっていつの話だ?
「なんて言うか、初等部の終わりくらいからずっとだよ?」
そうか。そんな前になるか……ってそうじゃないっ。
「それって最近とかそういうレベルじゃないだろ……まあとにかく、雅が気にする様な関係じゃないから」
って、何を必死に誤魔化そうとしてるんだ? 別に雅がどう思おうと関係ないじゃないか。
「むぅ~」
「大体どうしたんだよ? 今日の雅ちょっと変だぞ?」
「おかしくなんかないもんっ。たけちゃんがかまってくれないからいけないんだもんっ」
何か幼児化してないか……?
「構うも何も、普段からそこまで一緒にいないだろ。それこそ初等部の時以来」
「むぅ~」
俺の言葉に、またもや頬を膨らませる雅。ホント、ガキっぽいと言うか何と言うか……
「ねえ、たけちゃん」
「何だよ?」
「私にもキ――うぅん、何でもない」
何かを言いかけて止める雅。だけど、それを言及してはいけない。俺の本能がそう告げている。
「そっか。それじゃあ俺は帰るけど、雅はどうする?」
「私も帰る」
「そっか。なら一緒に行こうぜ?」
「え?」
え? って、俺驚く様なこと言ったか?
「いいの?」
「そんなん悪かったら誘わないって。イヤなら別に一人で帰るけど」
「イヤじゃない! 全然イヤじゃないよ!」
ぶんぶんと勢い良く頭を横に振る雅。なんだか首痛めそうだなぁ。なんて思うのは俺だけだろうか。
「えへへ~」
なんて満面の笑みを浮かべて俺の腕に抱きついてくる雅。
柔らかくて、それでいて張りのある感触が腕に……
じゃなくて!
「おいっ、何してんだよ?」
「え?」
「え? じゃなくて、離れろよ」
「えー! イヤだよぉっ」
なんて抗議の声を上げながら一層強く抱きついてくる。
この弾力がたま――って何を考えてるんだ俺は! 雅だぞ! 相手はあの雅なんだぞ!? そりゃあ、確かに体型はかなり良い……じゃなくて、ダメだ。雅だけはダメなんだ……
「たけちゃん?」
「……いや、何でもない」
そうだ。アレは忘れなきゃいけないんだ。思い出しちゃいけない。
俺は軽く頭を振って掘り起こされかけていた記憶を底へとしまい込む。
「とりあえず、そろそろ離れようぜ?」
「えー?」
まだ言うか……
「いいから離れろって」
あまり感情のこもっていないその声に、自分の声だと言うのに少なからず驚いた。そんな冷たい声に怯えたかの様に、雅は一瞬ビクッと肩を震わせたかと思うとおずおずと離れていった。
……これで、いいんだ……
「それじゃ、帰るか」
「……うん」
こうして俺と雅は数年振りに一緒に帰ることになった。
しかし、道中一切の会話はなく静かなものだった。落ち込む様に俯いたまま歩く雅の姿を見るのは心苦しかったが、俺にはそんな雅にかける言葉が分からなかった。
瑞ノ葉公園の前を通る辺りでビクビクしている様にも見えたが、それでも俺は何も言うことが出来ず――
「それじゃあ、私はあっちだから」
「ああ、そうだったな」
公園を少し過ぎた辺りの分かれ道。それは俺の部屋と藤野家を隔てる道でもある。
結局、何も会話らしい会話がないまま、俺と雅は別れてそれぞれの帰路へと着いた……