事故物件の地縛霊が、転生先までついてきた件
社会人一年目の春。
毎日終電帰りの私が辿り着いた我が家は、最寄駅から十五分、かなり古いアパートで、部屋は狭くてユニットバスだけどリノベーション済み、そして家賃は格安という物件だった。
私が二階端の玄関ドアに近づくと、鍵を取り出さずとも自動でかちゃりと開いて、ドアも開くというオートロック仕様。
この家に元々そんな機能はない。
けれど私は気にせず、開け放たれたドアから室内へ入る。
当たり前のように、扉は自動で閉じる。
「ただいまー」
すると暗闇の塊から何かがぬっと現れると同時に、部屋の電気がパッとつく。
そこにいたのは、頭からつつーっと血を流している一人の青年だった。
しかし私は特に驚かない。
たとえその血が拭っても拭っても一向に顔から取れない代物だろうが、彼の足が地上から浮いていようが。
彼は私を見ると、血まみれの顔でニコッと笑った。
「おかえり、今日もお疲れ様!」
彼の名前は佐久間俊。
私の同居人――もとい、この部屋の地縛霊である。
◆
そもそもこの家を内見に行った時は、彼の存在を認識できなかった。
というか、急いで物件を決めないとと思って、ろくに部屋をちゃんと確認していなかったのだ。
ちなみに彼はその時、押し入れの隅に座っていたらしい。
私がきちんとそこを見ていたら、まずこの物件を契約しなかったことだろう。
引っ越しの説明の時も、不動産屋は特に何も言っていなかった。
前の住人も見えなかったらしい。
そして私には特に霊感はない。
なのに、彼と波長でも合ったらしく、私だけが入居初日に彼の姿が見えてしまった。
勿論ビビッて大声で叫んだ。
運び終えた荷物を手あたり次第投げまくった。
けれどそれらは当たることなく、投げつけた荷物は、すべて彼に届く直前で空中にピタリと静止し、そのまま見えない何かの力でふわりと床に下ろされてしまった。
私は腰がへなへなと抜けて……そのまま気絶した。
次に目を開けた時、私はベッドに寝かされていた。
彼が運んでくれたらしい。
彼はただの地縛霊ではなく、物理干渉能力――主にポルターガイストが使える超強力な幽霊だった。
しかし彼の顔には私を呪ってやるという悪意は感じられず、頭から血を流して浮いていること以外はいたって普通の青年に見えた。
年は大学生くらいだろうか。
そこそこのイケメンである。
それから話を聞くと、どうもお風呂場でうっかり足を滑らせて頭を打って亡くなったらしい彼、佐久間俊は、ある未練があって成仏できないという。
「僕、生前はずっと一人ぼっちだったから……誰かと一緒に、楽しく生活してみたかったんだ。それが未練みたいで」
申し訳なさそうに笑う彼は、誰かと温かい日常を共有することに強い憧れがあるのだという。
地縛霊歴は十年だそうだ。
悩んだ末、私はとりあえずここに住むことに決めた。
引っ越しするにもお金がかかるし、これ以上お手頃な家賃は滅多に出ない。
私との生活が楽しいものになるかは不明だけど、満足すればそのうち成仏するんだろうし、それまでは別にいいかなと思ったのだ。
ただ、ルールは決めた。
「とりあえず、お風呂と着替え覗いたら速攻で除霊する人呼ぶから」
『の、覗かないからっ!!』
顔を真っ赤にして叫ぶ俊は、遊び人に見えるほどに甘いマスクのくせに、中身はどうもピュアな純情青年らしい。
それから二人での奇妙な共同生活が始まった。
地縛霊だという彼は、特に私を脅かすでもなく、初めは、私がご飯を食べたりテレビを見たりしているのを興味深そうに眺めているだけだった。
見られているという圧は少しうざいけれど、実害はない。
いや、害どころか、私にとってはそのうち利点の方が多くなった。
目覚ましが鳴っても起きない私を、彼は全力で、見えない力で揺すって起こしてくれる。
起きたものの頭の働かない私に、彼お手製の朝ごはんを私の口に入れ、その日着る服の準備も済ませてくれる。
ちなみにお昼用のお弁当も作ってくれている。
当然晩御飯も用意してくれている。
掃除もしてくれるので、部屋は見違えるように綺麗になり、お風呂だって毎日沸かしてくれる。
実体のない彼は物には触れられないものの、己の能力を器用に使いこなしているのだ。
包丁で物を切ったり、スポンジでお風呂を掃除したり、洗濯機のスイッチも押せる。
実に素晴らしい地縛霊だ。
強いて難点を上げるとすれば、たまにお風呂場の一部に、血の塊が出現することくらいか。
彼が頭を打ちつけた、いわく付きの場所だ。
放っておけばそのうち消えるので、気にするほどでもない。
そしてやはり俊の内面は純情だった。
私がお風呂上がりについいつもの癖で、うっかり全裸で冷蔵庫の前でビールを飲んでいたら、
『だ、だめだよ女の子が、そ、そそ、そんな破廉恥な姿で……!』
と言って、目を逸らしながらこちらにタオルを投げて寄こす。
面倒だなと思いながらも、私は渋々服を着る――そんなやりとりが毎日続く。
家からは出られない地縛霊だが、便利だしまあいいか、と私はすっかり彼に胃袋と生活を握られていた。
彼が楽しんでいるかは不明だけど、少なくとも私はちょっと楽しかった。
そんなある日、私は不慮の事故に遭った。
雨の日の交差点、スリップしてきたトラック。
どん、という衝撃とともにアスファルトに投げ出され、徐々に意識が薄れていく。
痛みよりも先に、ひどい疲労感が襲ってくる。
走馬灯のように駆け巡る記憶の中で、なぜか最後に頭に浮かんだのは、部屋で私の帰りを待っているであろう、頭から血を流した彼の姿だった。
……今日の晩ごはん、ハンバーグだって言ってたな。
いらないって、伝えられなかった。
俊との生活は楽しくて、お帰りって言われるの、結構好きだったんだけど。
もう少しだけ、一緒にいたかったな……。
そこで、私の意識は途切れた。
◆
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
次に目覚めた時、私は自分の声に驚いた。
視界には見知らぬ豪華な天蓋付きのベッド。
手足はやけに短く、どう頑張っても、
「あーうー」
しか言葉が出ない。
ぼやける視界に、豪奢なドレスを着た美しい女性と、同じく煌びやかな衣装の男性が覗き込んでくるのが見えた。
「おお、なんと愛らしい。金糸のような髪は君にそっくりだ」
「ええ、あなた。私たちの可愛い天使……」
両親と思しき二人は、金髪碧眼美女と、赤茶髪で緑瞳のナイスガイ。
どちらもあきらかに日本人離れしている。
それに彼らの言葉はなぜか理解できるけど、日本語じゃない。
部屋の隅には、頭を下げるメイドたちの姿もある。
両親らしき二人の話から察するに、彼らは大貴族だということが分かった。
そして、私は彼らの子供だということも。
ひとしきり私を愛でたあと、二人は多忙なのか部屋を出ていった。
ベッドに再び寝かせられ、メイドが少し離れた隅に控えている今の状態を見て思う。
これ、ファンタジー小説で読んだことのある展開だ。
まあ、ブラック企業で働くよりは、大貴族の赤ちゃんとして生きていくのも悪くないかも。
今世こそは、目指せ夢のスローライフ!
そう思って、ふと横を向いた瞬間。
『…………』
ベビーベッドの傍らに、頭から血を流した見慣れた男がポツンと浮いていた。
「あぶぅーっ!?(なんで俊がここにいるの!?)」
『わ、分からないけど、気づいたら僕もここにいたんだよ!! 晩ご飯のハンバーグこねてたら、急に目の前が真っ暗になって、すごい力で引っ張られて……!』
混乱した俊は状況を確認しようと壁を抜けようとした。
だが、私のベッドから五メートルほど離れた瞬間、見えないゴム紐に引っ張られたように「ぶるんっ!」と勢いよくこちらに弾き戻されてしまった。
『い、痛っ……! えっ、なにこれ、君から離れられない!?』
それから色々試したけど、俊は私の半径五メートルから離れることができないみたいだ。
どうやら彼はあの部屋からは解放されたものの、代わりに私を中心とした一定距離から離れられない――そう「私に地縛」してしまったようだった。
『もしかして……君との生活が楽しかったから、もっと一緒に過ごしたいって僕が強く願っちゃったのが原因かな……? ご、ごめん!』
申し訳なさそうにシュンと縮こまる俊。
しかしだ。
思い返せば、私も死の間際、同じようなことを考えていた。
もう少しだけ、一緒にいたかったな、と。
つまり、諸々推察するに、私たちの想いが交錯した結果、彼が世界をまたいで私についてきてしまったと。
しかも幽霊のままで。
「あー、うー(まあ、離れられないんだし、これからもよろしく)」
『あ、うん、こちらこそよろしくお願いします』
二人一緒に転生してしまったものは仕方ない。
俊には地縛霊ならぬ、守護霊的な感じで頑張ってもらおう。
こうして、異世界での第二の人生(+一霊)が幕を開けた。
――しかし、私たちはまだ気づいていなかった。
俊が、魔法が存在するこの世界において、いかに規格外で凄まじいチート級の存在であるかということに。
◆
生後三ヶ月。
ベビーベッドの中で声を出しながら、私は少し離れたテーブルの上にあるガラガラを欲しがった。
大人の意識はあるのにあんな玩具に魅了されているのは、完全に赤ん坊の性である。
それに気づいた守護霊もどき、もとい俊が気を利かせて、ポルターガイストでフワフワとガラガラや、ついでに哺乳瓶を引き寄せてくれた。
すると、たまたま部屋に入ってきた両親とメイド長がそれを見て、驚愕のあまり目を見開いた。
「なんと! 赤子でありながら、無詠唱で『引力魔法』を使いこなしているじゃないか! この子は天才だ!」
俊の姿が見えない両親は、号泣しながら私を抱きしめてきた。
私はただ寝っ転がってミルクを飲んでいただけである。
生後半年。
夏場の寝苦しい夜のことだった。
寝汗をかく私のために、俊が幽霊特有のヒンヤリとした冷気を出して室温を快適にしてくれた。
おかげで私は朝までぐっすりだった。
しかし翌朝。
私のとてつもない魔法の才能を確信した両親がわざわざ王都から招き入れていた高位の魔法使いが、部屋に漂う残留魔力――私から言わせればただの霊気なのだが――を感じ取って顔面を蒼白にしていた。
「寝ている間に、無意識でこれほどの魔法を展開し続けるとは……底知れぬ魔力量ですぞ!」
戦慄する魔法使い。
私はただ涼しく爆睡していただけである。
そして、七カ月が経ったある夜。
屋敷に黒装束の暗殺者が侵入し、私のベビーベッドに刃物を構えて忍び寄ってきた。
絶体絶命のピンチ――かと思いきや。
突然の不審者に私以上にビックリした俊が、渾身のポルターガイストを発動させた。
『だ、誰っ!?』
ドンッ!! という轟音とともに、暗殺者は見えない力で壁の果てまでブッ飛ばされ、一撃で白目を剥いて気絶した。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士団長は、倒れた暗殺者とベッドでキョトンとする私を見て震え上がった。
「赤子でありながら、凄腕の暗殺者を不可視の魔法の一撃で沈めるとは……!! なんという恐ろしい力!!」
屈強な騎士団長がその場に平伏する。
いや、私は本当に何もしていない。
『びっくりしたぁ……』
と、私の横で胸をなでおろしている人物こそがその力を使った張本人なのだが。
かくして私は、『百年に一人の大魔法使いの再来』『触れずともすべてを吹き飛ばす無詠唱の申し子』として周囲から異常なほど崇められることになった。
いや、本当に私は何にもしていないんだけど……。
どうやら俊の力はこの異世界とすこぶる相性が良かったらしく、アパートにいた頃よりも明らかに物理干渉の威力が上がっている。
なんなら霊力を魔力に変換するコツまで掴んだようで、とんでもないチート級の存在へと進化しつつあった。
『見てみてっ、火の魔法使えるようになったよ!』
はしゃいだ声をあげた俊の手の上には、火……っていうか、天井まで届くどでかい火柱がどんっと乗っていた。
「ばぶっ!? ばぶぶー!(この家を燃やす気!? すぐに消して!)」
火柱はメイドたちに見られていて、一歳にも満たず言葉すらまともに操れない私の評価は、ますますうなぎ上りになった。
当然ながら、霊感のない彼らに『目に見えない幽霊の仕業だ』なんて赤ん坊の私が証明できるはずもない。
いや、赤ん坊でなかったとしても、彼らには俊の存在が見えないんだから、どっちにしろ説明はできないんだけど。
おかげで私は、この先『規格外の天才令嬢』としてなんやかんやと面倒事に巻き込まれていくことになるのだが――まあ、優秀で最強の守護霊が四六時中そばにいるのだ。
私はこの少し騒がしい異世界同居ライフを、彼と一緒にのんびりと楽しんでやろうと思うのだった。




