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魔王軍の使者が現れてから三日後。
辺境リグナの空は、不自然なほど静かだった。
嫌な静けさだ。
戦場では、嵐の前ほど風が止む。
俺は剣を研ぎながら、酒場の主人に言った。
「今日は早仕舞いしろ」
「何か来るのか?」
「たぶん」
説明はしない。
直感だ。
勇者の背後で生き延びてきた勘は、こういう時ほぼ外れない。
夕暮れ。
空が裂けた。
紫の魔法陣が幾重にも重なり、黒い門が開く。
転移。
しかも大規模。
門から現れたのは――
四体の上級魔族。
そして、その中心に立つ白銀の鎧。
人型。
だが、角がある。
瞳は金。
背後に揺らめく黒炎。
「……魔王直属か」
周囲の空気が重くなる。
住民は逃げ惑い、女騎士は剣を抜くが、足が震えている。
白銀の魔族が俺を見る。
「見つけたぞ」
声は冷たいが、怒気はない。
「勇者殺しの兵士」
町がざわつく。
最悪だ。
知られたくなかった肩書きが、こんな形で広がるとは。
「魔王様はお前を招いている」
「断ったはずだ」
「今回は違う」
魔族はゆっくりと歩み寄る。
「試すのだ」
「何を」
「お前が“ただの兵士”であるかどうかを」
上級魔族が一斉に動いた。
町の四方へ散開。
虐殺だ。
俺は舌打ちする。
選択肢はない。
俺は地面を蹴った。
最初の一体へ一直線。
速度は勇者ほどではない。
だが、無駄がない。
最短距離、最小動作。
喉を裂く。
上級の皮膚は硬い。刃が止まる。
魔力を流し込む。
勇者の戦いを観察し、盗み、改良した自己流。
刃が通る。
一体目、沈黙。
背後から炎。
転がって回避。
二体目の腹部へ刺突。
骨が硬い。
刃を抜かず、捻る。
絶叫。
崩れ落ちる。
息が荒くなる。
勇者と違い、俺の魔力は有限だ。
だが止まらない。
三体目の腕を切断。
四体目の首を刎ねる。
血と黒煙が町を覆う。
残るは白銀。
彼は拍手した。
「見事」
「お前も試験官か」
「いいや」
魔族は兜を外す。
端正な顔。
冷徹な眼。
「私は魔王軍四天将、アルヴェイン」
空気がさらに重くなる。
四天将。
勇者がいなければ倒せなかった階級。
「魔王様は言われた」
アルヴェインは静かに告げる。
「勇者を殺したのは憎悪か、正義か、それとも空虚か」
「答え次第で処遇を決めよ、と」
「……暇なんだな、魔王は」
「余裕があるのだ」
事実だ。
勇者はもういない。
「質問だ」
アルヴェインが剣を抜く。
白銀の刃。
「なぜ人間を守る」
「契約だからだ」
「それだけか」
「それ以上でも以下でもない」
沈黙。
次の瞬間、衝撃。
速い。
重い。
腕が痺れる。
剣がぶつかり合う。
俺は後退し、体勢を立て直す。
アルヴェインは本気ではない。
だが、強い。
勇者と互角とまではいかないが、それに近い。
何合も打ち合う。
地面が砕け、壁が崩れる。
町の外へと戦場が移る。
「お前は、空だな」
アルヴェインが言う。
「憎しみも理想も薄い」
「あるさ」
剣を押し返す。
「俺は嫌いなんだ」
「何を」
「選ばれることが」
一瞬、アルヴェインの目が細くなる。
「勇者は選ばれた」
「魔王も選ばれた存在だろ」
俺は踏み込む。
「俺は選ばれない」
横薙ぎ。
防がれる。
「だから、自分で決める」
刃を滑らせ、鎧の隙間へ。
浅い。
だが血が出る。
アルヴェインは距離を取った。
そして、笑った。
「合格だ」
「は?」
「お前は魔王軍には向かん」
剣を収める。
「だが敵としては実に厄介だ」
空間が歪む。
「いずれ本隊が来る」
「その時、お前は選ばれる」
「世界に」
転移門が再び開く。
「それまで生き延びろ、兵士」
アルヴェインは消えた。
町には瓦礫が残った。
だが生き残った。
女騎士が俺を見る。
「あなた……何者なの?」
同じ質問だ。
俺は答える。
「傭兵だ」
それ以上でも、以下でもない。
だが胸の奥で何かが軋む。
勇者の空席。
魔王の余裕。
四天将の警告。
世界は確実に、俺を中心に回り始めている。
面倒だ。
本当に面倒だ。
それでも。
剣はまだ折れていない。
ただの兵士は、今日も生き延びる。
世界がどうなろうと。
――少なくとも、俺が見える範囲だけは守る。
物語は、まだ終わらない。




