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第六話

「ガンツさん、気になってることがあるんですけど……聞いていいですか?」


あれから数日。

ノアは毎日所定時間を整備デッキで過ごすようになった。

ガンツから教えられながら艦の動力部やそこに連なる様々な計器類の見方、乗組員たちから持ち込まれる“要整備”の機械や道具類といったものの点検や時に修理を行う。


「おん? なんだ、疑問はそのままにすんな、次からは気になったその場で言え」


ガンツは自分の顔ほどもありそうな巨大なサンドイッチをむしゃむしゃと齧りながら怪訝そうに眉根を寄せている。


「艦のエンジンって熱……じゃないですよね。これ、何で動いてるんですか?」


そう言って見上げるのは唸りを上げる巨大な“炉”とも言うべき鉄の塊。

淡い青の光を散らしながら動き続けるそれはノアの知っている“エンジン”とはあまりにもかけ離れていた。

これだけ傍に立っていても暴力的な熱は感じない。石油のような燃料を燃やしてその圧力で艦を動かしているわけでないことは確かだった。


「……………………すまん、記憶喪失なんだったか」


ガンツが驚愕で目を丸くしたあと天を仰いで顔にぺしゃりと手のひらを叩きつけながら唸る。


「どこから説明して欲しい? 聞いた感じ熱を使った動力機関のことはわかってるみたいだが……というかむしろよくそんなマイナーなのを知ってるな」


自分が知っているエンジンの王道をマイナーと一刀両断されたことに苦笑いが漏れる。

しかしながらそれはつまりこのエンジンはやはり熱を使っているわけではないということだった。


「えっと…………ぜんぶ……?」


「なんで疑問形なんだ。……かァ、お前さんがあんまり自然に作業するからわかってるもんだと思っちまってたなあ。というかわからないでなんでできるんだ」


そんなことノア自身にもよく分からないのだからそう言われても困る。


「ミラさんは手続き記憶なんじゃないかって。体に染み付いた言葉や計算能力は記憶を失ってもなくならないから……って言ってました」


「はっ! 良いね、腕っこきってわけだ!」


心底愉快そうに笑い、ガンツはのっそりと立ち上がる。

そして腰のツールベルトに掛かるポーチにささっていたくるりと丸まったノートを取り出して作業台の上に置く。


「さて、この世には“エーテル”ってもんがある。小難しく言えば現実に干渉し得る情報力場ってことになるんだがまぁんな細かいことはいいか。

以前にバーナーの回路をバイパスしてリミッターを外したって聞いてるからな。それができたならすくなくともその時にエーテルそのものは感じてるはずだ」


あの時機械の中を走っていた光や、いま目の前のエンジンが放っている光がそのエーテルなのだろうか?


「えっと今エンジンが光ってるのは」


「これは励起光ってやつだ、エーテルそのものじゃないがまぁ関連現象だな。覚えなくてもいい」


ノアはこくりと頷く。

それを見とめたガンツもまた満足気に頷くと説明を再開した。


「で、エーテルはうまいことすると様々な現象を引き起こしたり、時には物理法則そのものを書き換えちまうことができる。

大雑把に言うとこのエーテルを機械が扱える形に変えてそれを使って動いてるのが方術機械で、そのまま扱うのが方術だ」


つまるところ、そのエーテルという魔法の素を使って物理的に機械を動かしているということなのだろう。

この陸上艦という巨躯を稼働させる莫大なエネルギーが無から生み出されているに等しい。

いや、きっと専門家からすればそんなことはないのだろうが、少なくとも現状ではノアはそのように理解する他なかった。


「術士はこなれれば理屈上大抵のことはできるが、休みなく動くことはできない。方術機械は休みなく稼働し続けられるが融通が利かん。おれたち技師はそんな融通の利かん機械でどう生活を楽にしていくか頭を捻るのが仕事ってわけだ」


そこまで言ってガンツは水筒を手にとって呷る。


「……ん、もう空か。腕のいい方術士どもならこういうときに水筒の中に水を満たすこともできるんだろうが、まぁおれたちは大人しく食堂で補給するしかないわけだ」


「ためしてみてもいいですか?」


「試すって何を──」


方術。ガンツはそう呼んだが要するに"魔法"ということだ。

わくわくするなという方が難しい。

あるいはほんの少し"今"というものに慣れてきて気が緩んだのかもしれない。

ノアは想像する。世界に満ちたエネルギーのもとを引き寄せて、成形していくイメージ。彼女の水筒の中に水が満ちていくイメージ。


──あ、できる。


その確信とともに彼女の水筒に手をかざす。


「うぉっ!?」


彼女の驚愕の声とともに水筒からまるで噴水のような水柱が立ち上がる。

反動で地面へ向かって水筒が吹き飛んで派手な金属音を立てて跳ね返った。

水筒どころか浴槽の水をぶちまけたかのような水量がデッキの天井に叩きつけられてバシャバシャとスプリンクラーのように降り注ぐ。


「…………………………おい」


怒鳴り声ではなかった。 むしろ、魂が抜けたような、ひどく掠れた声。 ガンツは、最後の一切れだったサンドイッチのハムが水たまりへ消えていくのを、ただ無言で見つめていた。 天井からは、雨上がりの雨樋あまどいのような勢いで水が滴り、二人の作業着を無慈悲に濡らしていく。



「あ……えっと、ごめんなさい、加減が分からなくて……」


「加減って次元じゃねぇだろぉよ……」


ガンツは顔にかかった水を手のひらで拭うと大きくため息を吐く。


「…………しっかし、よりによって、上がりと同時かよ。嘘だろおい」


「えっ、あ、今からモップ掛け……ですか?」


「当たり前だ。このままにしといたらデッキが錆びちまう。……だが」


ガンツの視線が、ふとノアで止まった。 その眼差しは鋭いが、どこか気遣うような柔らかさが混じる。彼女は無造作に腰に巻いていた大きな防寒用のボロ布を解くと、ノアの頭からバサリと被せた。


「……お?」


「お、じゃねえよ。……いちいち鏡が要んのか?」


言われて、ノアは自分の胸元に目を落とす。 白い布地が肌にぴたりと張り付き、陶磁器のような肌の白さや、自分でもまだ見慣れない「女性としての柔らかな曲線」が、残酷なほど鮮明に透けていた。


「うわっ……あ、え、えええ!?」


「安心しろ、ここは今おれとお前しかいねえ。……だが、もうすぐ交代の連中が来る。その恰好でモップがけってわけにもいくめぇ」


ガンツは自分の濡れた短髪をわしゃわしゃと掻き、ノアの肩にポンと手を置いた。


「おれも芯まで冷えちまった。掃除の前に、一回立て直すぞ。……おら、ついてこい一風呂浴びるぞ。モップ掛けは『それから』だ。残業だからな?」


「……うぅ、はい。すみません、ガンツさん……」


ノアは大きな布に包まり、真っ赤になった顔を隠すようにして、ガンツの頼もしい背中を小走りで追いかけた。


 ***


 整備デッキから続く通路は、艦内特有の乾燥した風が吹き抜けている。濡れた作業着が肌に張り付き、体温を容赦なく奪っていく。

 女湯の分厚い鉄扉を開けると、そこにあるのは立ち並ぶロッカーやベンチ。壁際には洗面台と鏡がいくつか設置されていて、それらとセットになるように櫛やドライヤーによく似た機械。

 有り体に言えば、脱衣所である。


「あれ? ガンツさんにノアちゃん……って、なんでそんなにびしょ濡れなんです?!」


 据え付けられている洗濯槽が横倒しになったタイプの洗濯機から衣類を取り出していたミラが、頭の上の耳を不安げに揺らしながら声を上げる。青い瞳を白黒させ、取り出したばかりの洗濯物をかごに預けて慌てて歩み寄ってくる。


「いろいろあってな、見ての通りの濡れ鼠だ」


「なんでもいいですけど、なんでせめてちょっとでも拭いてから来ないんですかぁ……二人とも風邪ひいちゃいますよ!」


 呆れ気味の笑顔で嗜めるように言って、彼女は洗濯籠の中から乾燥したてでふわふわのタオルを取り出して二人に手渡す。


「わるいなミラ。風呂上がりに使わせてもらう。……お前も入ってったらどうだ?」


「うぅん……そうですね、いつもシャワーだけじゃ味気ないですし……。……ノアちゃんも、ゆっくり温まってくださいね」


「は、はい」


 タオルを受け取りながらそう応じたところで、ピタリと動きが止まる。

 なにか重大な問題を見逃している気がする。


 ——女湯じゃないか?!?!?


 あまりにも自然な流れで連れてこられてしまったせいで気付いていなかったが、これは由々しき事態だ。

 艦で世話になってから数日。日々の汗を流すのはもっぱら割り当てられた船室のシャワーブースであり、そこで体を洗うことにすらどことない罪悪感が伴っているのだ。

 にも関わらず、今この場は——


「おい、ノア。さっさと脱げ、一緒に乾燥機に入れちまうぞ」


 勢いよく乾燥機の中にびしょ濡れの作業着を叩き込みながら言うガンツは、ノアの内心の狼狽など知る由もない。

 小さな背丈、解かれた三つ編み、力強くしなやかな筋肉に覆われた体、わずかに尖った耳。

 種族の違いからなのか、聞くところによれば五十歳を超えているらしいというのに、どう高く見積もっても二十代くらいにしか見えない顔つき。


「……………………………………お邪魔しましたぁ」


 おずおずとそのまま脱衣所を抜け出そうとするが、ヌッと横から伸びてきた手がノアの濡れた作業着の後ろ襟を引っ掴む。


「体が冷えると風邪をひきますよ」


 どこか有無を言わさない凄みのある笑顔でミラが言う。

 もっと押しの弱い人ではなかったのか。なんて戦慄を覚えながらも彼女の手から抜けられる様子はさっぱり無い。握力が違いすぎる。


 ——詰んだ……。


 どうやら逃げ場はないらしい。

 仕方なしにひとつのロッカーの前へ戻ると緩慢な動作で濡れた作業着を脱いでいく。

 ノアは、自分でもまだ不慣れな細い手足と白い肌が露わになりつつあることに、言葉にできない居心地の悪さがある。

 これから直面する問題に比べれば些細なこととも思えるのが幸いなのか、不幸なのか、判断がつかないが。

 そもそもこの乾燥機はどれくらいの時間で服を乾かしてくれるのだろう。一体どれだけの時間湯船に浸かって目を閉じてくつろいでいる振りをすればいいのか皆目見当がつかない。


「おーし、それじゃあ入るか」


「………………はぃ」


 蚊が鳴くような声で応えて浴室に入ると、立ち込める蒸気が視界を白く遮られた。

 タイルを打つ水音、桶が床を叩く乾いた響き。

 立ち込める湿った温かさが冷えた体に心地よいのが何故だか悔しい。

 ノアは入り口に近い洗い場の一角に座り、プラスチックの椅子から伝わる臀部のヒリつくような冷たさに肩を竦めた。

 バルブを捻ってシャワーを頭から被ると、髪にこびりついていたオイルの重みが、濁った水と一緒に足元へ流れていった。


 ——平常心、平常心。女湯だなんて、意識したら負けだ。

 

 ふやけた指先。爪の間に残る、機械油の黒い染み。

 石鹸の泡が細い肩を伝い、自分とは到底思えない柔らかな曲線を描いて落ちていく。その一滴一滴と、排水溝へ流れる汚れを眺めて心を落ち着ける。

 再びバルブを捻って泡を流すとできるだけ周囲を見ないように限界まで目を細めてよちよちと浴槽へ歩いていく。

 ざぶりと湯船に浸かると熱で皮膚が痺れるような感覚がして湯の温かさが体の芯を温めていくようだ。


「ふぅ……」


「気持ちよさそうですね」


 心地良さに思わず吐き出した吐息に、ちゃぷりとノアの隣で湯に身を沈めながらミラが笑う。


「ハイキモチイイデス」


 ギュッと目を瞑りながらそう答える。


 ——なんだ……?


 目を瞑っているはずの視界に、何かが映る。

 無数の光の欠片が集まっていく。

 自分たちの背後に、何かが現れる。そんな予感。


「……ッ?!」


 思わず目を開いてガバッとそちらを向く。

 それとほぼ同時だっただろうか。立ち込める湯気がドクンと脈打つように浴室の一点に吸い寄せられる。瞬間、球体のように空間がぐにゃりと歪み、青い燐光を放ちながら弾けた。


「……おや? 妙なところに出ましたね」


 さっきまで誰もいなかった空間に、見知らぬ誰かが立っている。

 黒と見紛うほどの深い青の外套で体型はよく分からない。口元は楽しげに歪められ、くつくつと笑い声をこぼしている。

 しかしそれよりなにより目を引いたのは、あるべきものの無い眼窩だった。

 異様。


「テメェ……ッ!」


 誰もが呆気にとられて動けずにいる中、最初に反応したのはガンツだった。

 近場の樹脂製の手桶を掴むと凄まじい勢いでその闖入者へ向けて投げつける。だがそんな直撃すればただでは済まなそうな一撃はその人物に到達する直前で突如弾けて粉々に砕け散った。


「失敬失敬。この通り、見えておりませんので怒らないでください」


 信じられない光景に目を見開き立ち竦むガンツを、外套の男の何も無い洞が捕捉する。


「おや? 誰かと思えば“鉄騎”のガンツさまでは? お元気でしたか?」


 まるで旧友に会ったかのような気安さで、微笑みさえ浮かべて声かける男の仕草への違和感。


 ——見えてるのか?


 目のない眼窩で何を捉えているというのだろう。

 異様だ。

 あまりにも。

 先程まで暖かく心地よかった浴室の空気がじとじとと肌に張り付く不快さに変わっていく。


「テメェみてぇな変態に知り合いはいねぇ」


「そうでしょうとも。わたくしが一方的に存じ上げていただけでございますから」


 空気が張り詰める。

 パキパキと男の周囲の湯気が凍りついていく。気づけば3人の首元に鋭い氷の刃が突きつけられていた。


「あなたとお話してみたい気持ちもありますが、今回は別の仕事がありまして。大変申し訳ありません」


 身動きの取れなくなった三人を順々に、男が何かを見るように首を動かす。


「……ふむ、おかしい。たしかに検体101番の感応波形を捉えたのですが……」


 ——(ルカ)のことだ……!


 妙な確信。

 おそらく同じ確信を得たのだろう。ガンツとミラがちらりと視線でノアを見た。


「か、空振りだったならお引き取り願いたいのですが」


 ミラが震える声でそう告げる。


「艦内をくまなく探してからそうします。お構いなく。……それはそれとして」


 やはりというべきか、当然というべきか、男はくつくつと笑いながらミラの言葉を拒絶してゆったりと歩き出した。

 真っ直ぐにノアを目指して。


「あなた面白い色をしていますね? 見たことの無い色だ……もうすこしよく見させてください」


 ぬっと男の手が伸ばされてノアに近づいてくる。

 何も無い眼窩にオーロラのような美しい輝きが見えるような気がして、その輝きが(ルカ)ではなく自分(ノア)を捉えているようにしか思えなくて射竦められる。

 男の指が心臓の辺りに触れそうになるその瞬間、出入り口の扉が弾け飛ぶ轟音が響き渡り一筋の青い閃光が空間を支配した。


「汚ぇ手をどけろヴィジル!!」


 一続きのたった一動作で全ての氷刃を叩き割った青い閃光——ジークが吠える。


「おや?」


 ノアに向けて伸ばされていた男の腕の肘から先が寸断されてぼちゃんと湯船の中に落ちる。

 片腕を失ったはずの男はまるでそんな事は気にしていないかのように薄らとした笑みを浮かべて、至近で己に刃を突きつけるジークへと顔を向けた。

 血が流れ出るはずの腕からはなにもこぼれ落ちない。ただただ断面が覗いている。


「お久しぶりですジークさん。ここは貴方の艦でしたか」


「失せろヴィジル」


「お断りします」


 瞬きする間に頭上に生成された巨大な氷刃がノアとジークを目掛けて降ってくる。

 対する彼は舌打ちしながら剣を一振して氷刃の軌道を逸らすと、一瞬のうちにノアを抱き抱えて飛ぶようにしてその男から距離をとった。


「無事か?」


「は、はい……」


 ノアを抱き抱える手つきは優しいのに、彼の内側で煮えたぎる怒りが渦巻いているのが、据わった目と硬質な声が如実に語っていた。


「探し物の邪魔をしないでいただけますか?」


「俺の艦、俺の部下だ」


 二人が睨み合う。

 お互い迂闊に動けないのだろう。闖入者の男の顔は相変わらず薄ら寒い笑みを浮かべていたが、立ち姿から先程までの泰然とした緩慢さが消えている。


「……困りました。このままあなたと踊っても良いのですが、そうすると艦ごと探し物を壊してしまいそうだ」


「勝てる気でいるのか?」


「護れる気でいるのですか?」


 沈黙。

 ほんの数秒だというのに、無限とも思えるような静寂が流れた。


「わかりました。今回はわたしが我慢します。特別ですよ?」


「次は殺す」


「楽しみにしています」


 男が楽しそうにふっと手を掲げる。


 ——治っている……?!


 切り離されたはずの手を、敢えて使ったのだろう。

 ドクンと再び立ち込める湯気が男に向かって吸い寄せられ、彼を中心に空間が球状に歪んでぶわりと青の燐光が溢れ出した。

 それが収まるのと同時に、既にそこに男はいなかった。


「……行ったか。……お前ら無事か?」


 おおきく息を吐いて長剣を鞘に収めると、ジークは周囲を見渡して三人の無事を確かめる。

 ……そして。

 事態が収束し、ようやくジークは自分が「どこに」立っているのかを理解したようだった。

 

「……………………すまん」


 ジークは顔に手を当て、深い溜息を吐いた。

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