第8回 鍾繇、字を決める
党錮の禁から一年が経過した。
鍾繇は今年、一九歳になる。
そろそろ「字」をもっていいころだ、と考えていた。
両親を早くに亡くしてしまったが、両親が自分に「繇」と名付けた由来は、族父の鍾瑜から少年時代に聞いている。
「正しき道に、人を導く人になって欲しい。」
という、願いが込められているとのことだった。
その名に呼応する字を付けたい、ここ最近の鍾繇は考えている。そして、思いついた。
鍾繇は、この字について意見をもらおうと荀爽に聞いた。
「先生、私も一九歳になりました。冠礼の儀はまだ執り行っておりませんが、まずは自分で字をと思い考えました。つきましては、先生の意見をお聞きしたく参上いたしました。」
「ほう、もうそんな歳か、あの少年が。それで、決めた字とは。」
「元常、にしようと思います。」
荀爽は目をつむって、しばらく考えた。
「なるほど。根本から秩序を匡す。名の繇との相性も非常によい。いい字であるな。これからは、元常、と呼ばせてもらおう。」
「ありがとうございます。族父の鍾瑜にも手紙で知らせようと思います。」
「いや、さすがに今回は直接お知らせするべきだ。元常、しばらく休暇を取るがよい。長社県に行くように。」
「わかりました。では、今回は直接お知らせをすることに致します。」
―翌日―
鍾繇は、久方ぶりに長社県に足を踏み入れた。
「懐かしい」
と思えるほどの、約一〇年ぶりの帰郷である。
族父の鍾瑜は、洛陽の方に何度か顔を出したことがあるが、鍾繇から会いに行くのは今回が初めてであった。
「鍾繇戻る」
この知らせを聞いて、鍾瑜は驚き、そして迎えた。
「久しぶりだな、繇よ。何か、あったのか。」
「ご無沙汰をしております。実はこの度、字を定めましたので、そのご報告に参上いたしました。」
「なに、字とな。お前ももう、一九歳か。立派になったものだ。して、その字とは。」
「元常、に致しました。」
鍾瑜は素晴らしい字である、と激賞した。そして、
「元常よ、字を定めたのならば冠礼の儀を執り行おうではないか。」
「冠礼の儀、でございますか。」
「そうだ。こういう祝い事は、儒学の徒は疎かにしては礼に適わぬぞ。」
「わかりました。具体的には何を。」
「元常、お前は何もしなくてよい。私に全て任せるように。」
こう鍾瑜は言うと、大きな声で家人たちを一堂に集めた。
そして、数日のうちに冠礼の儀を行うので、そのつもりで準備せよ、と命じた。
鍾繇は、まさかこの休暇の間に冠礼の儀を行うことになるとは思っていなかった。
鍾瑜は潁川郡に住む、思いつくだけの名士に、急ではあるがと招待状を送った。そして、近隣の者たちにも祝い事ということで、声を掛けたのである。
―数日後―
急ごしらえにしては、多くの参加者が訪れた。
もちろん、師である荀爽も出席している。荀爽の姿を見かけた鍾繇は、
「こんな急なご招待、ご迷惑ではなかったですか。」
「何が迷惑であろうか。鍾瑜殿でなければ、これだけの人を数日中に集めることなどできないぞ。」
確かに荀爽の言う通りで、族父である鍾瑜の行動力と、決めたことへの情熱のつぎ込み方は見事と言うしかなかった。
冠礼の儀は華やかに行われ、豪華な酒食がふるまわれ、参加した者たち皆が上機嫌であった。
この景色をみて、鍾繇は一つ決めたことがある。
それは、民衆がいつもこのように楽しんで暮らせる世の中をつくるために、学問を活かそう、ということである。
そのために、何が必要とはまだ断言できないものの、「政」が重要であることは、わかっている。
師の荀爽は、敢えて仕官することを避けているが、自分は機会があれば、官途に就こう、と決心したのであった。




