第46回 鍾会、姜維と戦う
三路進軍が実行された。
長安を拠点に、鍾会が一〇万の大軍を率いて、漢中を目指した。この時、漢中を守っていたのは名将の名高い「姜維」ではなく、「張翼」であったが、多勢に無勢、一撃のもと、漢中を明け渡すことになってしまった。
この時、姜維はどこにいたのか。姜維は左遷され「沓中」と言う場所におり、漢中陥落を聞いて、急いで「剣閣」に移動した。
剣閣に入った姜維は奮戦をし、鍾会は剣閣をなかなか抜くことが出来なかった。
ここで、奇襲部隊を率いる鄧艾軍の登場である。
蜀の厳しい山道を踏破して、蜀軍が全く警戒をしていなかった「陰平」の険しい間道を強行突破し、間道を抜けた先にある「江由城」は、何もなせぬまま、すぐに降伏した。
綿竹城では、諸葛亮の子である「諸葛瞻」が奮戦するも、戦死、綿竹城も陥落した。
そして鄧艾はその勢いのまま、成都城を包囲したのだ。
この時、蜀の天子である「劉禅」は、魏軍が自領に攻め込んできたことを知らなかった。姜維からの書面を、宦官の黄皓が隠ぺいしていたのだ。
成都にはまだ戦える力があったが、あっさりと降伏をした。
剣閣にこもり奮戦していた姜維も、この報に接して、鍾会に降伏した。
こうして、ここに蜀漢は滅亡したのである。




