第42回 鍾会、再び出陣する
再び寿春に嵐が訪れる。
今度は「諸葛誕」が挙兵して、反乱を起こした。
司馬昭自ら出陣し、鍾会も帯同した。
しかし、今回は敵もこちらも規模が違う。
諸葛誕の総兵力は一五万、更には先の反乱で呉に逃亡した文欽が、一族郎党を率いて参加、諸葛誕の反乱の後押しをしたのである。
これに対し、司馬昭は自ら出陣するだけではなく、曹髦の親征とし、その兵力は総勢二六万という大軍であった。
諸葛誕が本拠地とした寿春城は、もともと防御に適した城であり、司馬昭は包囲戦を展開することにした。
この包囲戦は、実に約九カ月に及び、消耗戦の様相を呈してきた。兵糧不足が露呈したことにより、諸葛誕と文欽の方針が合わなくなり、諸葛誕は文欽を処断してしまった。
その処断に納得がいかず、文欽の子供たちは魏に降伏、諸葛誕の反乱軍の内部崩壊が始まった。
この大乱の平定に大きく寄与したのは、実は鍾会の策謀であった。
呉からの援軍の総勢は八万であり、総大将は「朱異」であった。その朱異を支える一翼として、二万の兵を率いていたのが呉の名族「全氏」から代表として出陣していた「全懌」である。
鍾会は、この全懌に目を付けた。
以前、亡命してきた「全輝」に手紙を書かせて送り付けたのである。
「懌に告ぐ。私がこちらに亡命をしたことで、全氏全体を危険視する論調が、呉では広まっており、全氏の排斥もやむを得ず、と言う方向で検討がなされているという情報が入ってきている。そなたほどの名将であれば、速やかな進退の判断が出来よう。決して、誤りのないように。」
この書面を全懌はあろうことか信用し、戦意喪失の上、自軍二万の兵とともに、魏に投降してしまったのである。そのことによって、呉の援軍は体を為さなくなり、撤退を余儀なくされた。
呉の力を借りることが出来なくなり、諸葛誕は覚悟を決め、生死を共にすると誓った者たちと最後の突撃を行うが、魏軍に打ち砕かれ戦死。ここにようやく、諸葛誕の乱は平定されたのである。
手紙一通の策謀で、鍾会が魏軍を勝利へ導いたのである。




