第41回 鍾会、初陣に出る
洛陽に急報が入る。
魏と呉の隣接する重量拠点である寿春にて、征東将軍の「毌丘倹」と揚州刺史の「文欽」が反乱を起こしたのである。
日に日に強まっていく司馬師の専横に対しての反発であった。
この討伐戦に、鍾会は帯同することになった。
鍾会にとっては、初陣といえる。
初陣と言っても、陣頭に立って戦うわけではなく、司馬師の補佐という、軍師的な立場での参戦であった。
鍾毓は、出征前で忙しくしている弟に敢えて会いに行った。
「士季よ、この戦、勝算は立っているのか。」
「はい。ご心配には及びません。」
「大将軍自ら、ご出陣なされるとか。」
「はい、その側で軍政や戦略の補佐に携わるように、とのご指示を頂いております。」
「そうか・・・。士季よ、身の丈に合わぬことをせぬよう、心がけて、この戦に臨むのだぞ。」
「もちろんです。私にとっては、初陣と言えますので、出来もしないことを、提言したりするつもりはございません。」
「そうか。それならよかった。必ず、無事に戻るのだぞ。」
大将軍司馬師自らの遠征ということで、その準備は速やかに、そして確実に行われていた。そして、準備が整うと、早々に寿春に向けて出発したのである。総数一〇万の大軍である。
毌丘倹たちは、情報によれば総勢五万、ということで、倍の兵力となる。
毌丘倹たちは、呉や、他の魏の者たちにも声を掛けたが、期待したような反応はなく、毌丘倹は敗走を余儀なくされ、捕縛され斬殺、文欽は呉に逃亡した。
鍾会は、この戦で、毌丘倹、文欽が完全に兵を掌握していないことを見抜き、兵士たちに投降を呼びかけるなど、その戦力を削り、士気を低下させることに成功、一定の軍功を挙げることが出来た。
意気揚々と洛陽に引き上げるだけと思われたが、ここで司馬師の眼の病気が悪化し、何と、死に至ったのである。
しかし、司馬師が死んだとしても、その弟の司馬昭がいる。
司馬昭はすぐに全権を掌握、大将軍・都督中外諸軍となり、全ての権力を手放すことはなかった。もちろん、鍾会は司馬昭に従った。
こうして鍾会は無事に初陣を終えただけではなく、次なる権力者司馬昭に仕えることになるのである。




