第34回 鍾毓、大将軍に物申す
鍾毓は、曹芳即位後も、諫言役としてその職責を果たしていた。
そして、二四四年(正始五年)に大将軍曹爽による蜀攻めが建議された。曹芳のもう一人の後見人、司馬懿は反対を示したが、この時の朝廷の状況では、曹爽に勢いがあった。
総兵力一〇万を超す、大軍の動員である。
曹爽は意気揚々と蜀攻めへと向かった。
しかし、戦果は思う様に上がらず、漢中への進軍もままならない状況となり、曹爽は増援の要請をしてきた。
この増援要請に真っ向から反対したのが、鍾毓である。
鍾毓は上奏文にて、増援しても今の戦況が変わらないこと、戦費の無駄使いであることを述べ、即時撤退が妥当である、と曹爽の要請に真っ向から反論したのである。
この上奏文により、増援は見送られたが、曹爽は戦いを継続した。結果、何ら戦果を挙げることなく、退却を余儀なくされたのである。
このことを、曹爽は逆恨みし、鍾毓を中央から追い出し、魏郡太守に移したのである。
ここで、鍾毓は郡治である「鄴」に移り、鍾会は秘書郎として洛陽に残ることになり、兄弟が初めて分かれて住むことになったのである。鍾毓が言う。
「士季よ、お前もこれで完全に独り立ちすることになる。言うまでもないが、日々、精進するのだぞ。」
「兄上。今まで、本当にお世話になりました。この士季、父や兄上に恥じぬよう、励む所存です。」
「うむ。謙虚さを忘れるなよ。それさえ忘れなければ、お前は大成するであろうと思っている。」
「お言葉、胸に刻みます。」
こうして、鍾毓は任地の鄴に旅立ったのである。




