第33回 鍾毓、鍾会の冠礼の儀を執り行う
鍾毓は、かつて「神童」と呼ばれていた。
しかし、更なる「神童」が身近にいることに気付いた。
大きく年の離れた弟、鍾会である。
鍾会は今年、一五歳となった。
まずは五歳の時、ある人物に「この子は大物になる」と言われた。父の鍾繇より早く、評価を受けたことになる。
そして幼年期より、「孝経」、「論語」、「詩経」にはじまり、「尚書」、「易」、「春秋左氏伝」、更には「国語」、「礼記」、「周礼」と学び、父の書である「易書」も暗唱できるほどに学んだのである。
その学識たるや、まさに神童そのものであった。
鍾毓は自分の少年時代を思い出し、過去の自分は鍾会の足元にも及ばない、と思った。そこで鍾毓は、鍾会を太学に入れて、更なる学びの環境を整えたのである。
しかし、太学でも学ぶことが無いと言えるほどの俊才ぶりを発揮し、一六歳にして「秘書郎」に登用をされることが決まったのである。
官途に就いたのは、鍾毓は一四歳と鍾会より早かったわけだが、ここまでの学識は持ち合わせていなかった。
鍾毓は、秘書郎に登用される前に、鍾会のために冠礼の儀を行った。
洛陽周辺の名士はこぞって参加し、この将来有望な俊才を一目見ようと、集まったのである。
鍾毓の字である稚叔は、父の鍾繇が決めたが、鍾毓は鍾会には自分で字を決め、それを冠礼の儀で発表するように伝えた。
まだ、少年と青年のはざまとも言える鍾会は、字を決めることに大いに悩んだ。そして一つの結論を出したのだ。
そして、字を発表する段になった。鍾毓は言う。
「会よ。皆様のまえで、お前の決めた字を披露しなさい。」
「はい。私の字は、“士季”と致しました。」
「その理由も、お伝えしなさい。」
「はい。父がつけてくれた“会”という名でございますが、私が歴史上、最も尊敬する人物と同じ名であります。」
「会・・・。士会、かな。」
「はい。その士会の字が“季”でございますので、士と季を繋げて士季としました。」
周りの名士たちはざわついた。
士会は、春秋時代一番の大国の「晋」で活躍した、政治、軍事の天才と言って差し支えない人物である。しかし、最終的に戻ったとはいえ、当時敵国であった「秦」に一時亡命し、母国の「晋」を撃破していることから、能力的評価は問題なくとも、忠義の部分で嫌気を感じる人もそれなりにいた。
鍾毓は、事前に確認をしなかったことを少し後悔した。
聞きようによっては、かなり野心的な字である。
しかし、この場で発表した以上、もう後戻りはできない。
幸い、「さすがは神童らしい字の付け方だ」と周りの人々は言い出したので、鍾毓はこれ以上、何も言うまいと決めたのであった。




