第20回 鍾繇、潼関の戦いに帯同する
西の情勢は複雑である。
涼州は現在、馬騰と韓遂が押さえている。
そして、関中は、強大な勢力はないものの、いくつもの軍閥や豪族が点在している。
そして、「漢中」には宗教国家として独立している五斗米道の国を「張魯」が押さえ、その南方益州は「劉璋」が半ば独立を保って割拠している。
一つ一つの敵としては、曹操の敵ではないが、地形が複雑であり、それが最大の敵とも言えた。
そして二一一年(建安一六年)、曹操は漢中の張魯討伐を名目に軍を鄴より出した。西の情勢と言えば鍾繇が詳しいので、既に許都で尚書令として働いていたところ、軍に合流するように命令を出した。曹操が鍾繇に言う。
「元常、お前に軍事で諮問する気は無かったのだが、今回は是非、帯同してもらいたい。」
「はい。私でお役に立てる事でしたら。」
「まず、私の狙いはどこかわかるか?」
「・・・。漢中ではなく、関中、そして涼州、でしょうか。」
「流石だ。それに奴らは気付くと思うか。」
「おそらく、すぐに気づくでしょう。そして、馬騰が入朝して不在の今、馬騰に変わり、長男の馬超と韓遂が出て来るでしょう。この二人が連合すれば、関中の軍閥、豪族も呼応して一斉に動くものと思います。」
「なるほど。一斉に動いてくれれば、好都合だ。」
「何故、でございますか。」
「個別に叩く方が手間であろう。集まったところを一網打尽にする方がたやすいというもの。」
「なるほど。そういうことでございますか。」
「ああ。何か気が付いたり、直接お前に連絡を入れてくる者もいるかもしれぬ。その時は遠慮せず、いつでも報告をくれ。」
「かしこまりました。」
鍾繇は拝礼して下がった。
この「潼関の戦い」は、涼州出身の軍師「賈詡」の見事な軍略によって、曹操軍が圧勝を治めた。馬超と韓遂は取り逃がしたが、中央にいた馬騰はじめその一族は、連座して処刑された。こうして、まず曹操は一つの目的であった関中平定をここに終えたのである。




