第14回 鍾繇、董卓暗殺計画に加担する
洛陽に避難してきた荀爽に、官途に復すよう命令があった。
黄巾討伐の為に故郷に戻り、豫洲刺史王允の下「従事中郎」となり、王允の補佐を行う職務である。
荀爽は鍾繇の下を訪れて言う。
「私は官途を避けてきたが、今回は国の一大事。私に何が出来るかわからんが、今回の話は受けることにした。」
「我らが故郷の豫洲も戦火に巻き込まれていると聞いております。何卒、無事お戻りになりますよう。」
「命を無駄にする気は無いが、命を懸けて働く所存だ。特に心配していないが、甥の荀彧の事を少しばかり気にかけてもらえると、助かる。」
「お任せください。とにかく、ご無事で。」
荀爽は、黄巾討伐の為に、故郷の豫洲に戻った。
豫洲刺史王允の参謀として活躍し、黄巾討伐に貢献した。
結果、黄巾の乱自体は、一年足らずで鎮圧され、荀攸が仕える大将軍の何進の名声も上がってきた。
これを危惧したのが、宦官たちである。
何進を、自分たちを脅かす「敵」として認識したのだ。
何進は何進で、これを機に宦官から権勢を取り戻すことに力を入れるようになり、中央では外戚である何進と宦官の権力闘争が本格的に始まることとなった。
そして、この権力闘争は長々と続く。
黄巾の乱より五年経過した西暦一八九年(中平六年)の初夏、時の天子、霊帝が崩御した。
何進は妹である何皇后の子である「少帝」を即位させ、摂政として実権を握った。
そして、本格的な宦官排除に乗り出し、清流派として名を馳せていた名門袁家の「袁紹」「袁術」を登用し、更には地方軍閥を洛陽に招集して、武力をもって宦官の弾圧に乗り出した。
しかし、その計画は宦官の重鎮である「十常侍」に察知されてしまい、逆に何進が謀殺される羽目となった。
怒り心頭に発した袁紹と袁術は宦官を大量虐殺したが、肝心の少帝は、宦官が連れて洛陽を脱出してしまった。
そこを、何進の招集に応じてやってきた涼州の「董卓」が押さえて、少帝を擁して入城し、実権を握ることになるのである。
董卓は自らの政権を正当化すべく、名士の登用に躍起となっていた。そして、鍾繇にも声がかかり、廷尉正に任命された。更には師である荀爽も何進の従事中郎、待中となっていたところ、名士中の名士であるということで、董卓から、平原国相、光禄勲と立て続けに任命を受け、何と九五日の間に、一気に三公である司空に任命されたのである。
この一事においても、如何に「名士」というのが政治をする上で、不可欠な存在であったことは容易に想像がつく。
そして董卓は、家臣としてあるまじき行為に及ぶ。
時の天子少帝を廃し、献帝を擁立。自ら「相国」を名乗ったのである。そして、このことに業を煮やしたのが、あの荀攸である。
荀攸は自分の主である何進を殺されたこと、董卓の専横を許容できないということから、王允、郭図、そして鍾繇たちと董卓の暗殺計画を立案した。清流派の名士たちが立ち上がろうとした瞬間であった。
荀攸が言う。
「本来はこの話、叔父の荀爽と計画をしていた。しかし、病にて急死してしまいました。しかし、このまま董卓に専横を許せば、漢の国そのものが滅びてしまう。ここは、我々清流派の名士が立ち上がるときであろうと思うが、如何かな。」
鍾繇が言う。
「先生のことは何と言っていいやら・・・。本来なら喪に服したいところですが、そうも言ってはおられまい。公達殿の言、もっともであります。しかし、我らは軍権を持っていない。どのようにするおつもりか。」
王允も郭図も、頷いた。
「確かに我々には軍権はないが、考えはあります。」
「考えとは、一体・・・。」
「下手な策を弄せずに、ここは真っすぐに行くべきだと思っております。毒酒を飲ませることです。」
郭図が言う。
「毒酒・・・。しかし、それは毒見ですぐに露見するのではないか。」
「普通であれば・・・。しかし、董卓は酒宴ともなれば、最初の酒は毒見させても、後は思いのまま飲むばかりで、隙は多い。実は、厨房で働く女一人を押さえている。その女であれば、董卓の酒に一服盛ることは可能です。」
王允が言う。
「確かに、董卓にはそういう油断したところがある。単純な策であるが故に、存外はまるかもしれませんな。」
「左様。今度、我らが名士を中心に招待しての酒宴が催されると聞いております。その日が、決行の日となります。」
鍾繇が言う。
「その後の事はお考えですか?下手をすれば、その場で我々の首は飛びますぞ。」
「ご安心を。近侍の者たちも、心から董卓に仕えているわけではございません。天子からの密命であること、私が声高に宣言すれば、その場は収まりましょう。」
こうして、荀攸以外の三人は多少の不安を抱えながらも、董卓の専横は認められないことから、この計画に協力することにした。
しかし、事はすぐに露見した。
荀攸が買収した厨房の女があっさりと、この計画を漏洩したのである。幸い、この女は荀攸以外の名を知らなかったことから、王允、郭図、鍾繇には追及の手は及ばなかった。
荀攸はすぐに逃亡し、身を隠した。
郭図は、体調不良を理由に故郷の冀州に戻り、後に袁紹に仕えている。
王允と鍾繇は図太く洛陽に残った。
王允は引き続き尚書令として、鍾繇は新たに黄門侍郎に任命された。
この董卓暗殺は未遂に終わったが、諸侯を動かす契機になり、本格的な群雄割拠の時代に突入するのである。




