第6話 五冊目
五冊目の日誌。グランディア暦1234年。
お嬢様が二十一歳の年。最後の一年。
「この年、お嬢様の様子が変わります」
私は最後の日誌を開いた。
「殿下との接触を、お嬢様は自ら避けるようになられました。社交界への出席も減り、孤児院への訪問も控えめに。まるで――」
言葉を選ぶ。
「別れを告げるように」
謁見の間が、再び静まり返る。
「私が気づいたことがございます」
日誌のページをめくる。
「この年から、お嬢様は時折、胸を押さえるようになられました。深く息を吸うことが、増えました。そして――」
さらにページをめくる。
「毎晩、薬を飲まれるようになりました。私が部屋をお訪ねした時、小瓶を隠すようになさる。理由を尋ねても『大丈夫です』と仰るのみ」
お嬢様の表情が、わずかに歪む。
「私が耳にした、お嬢様の独り言がございます」
日誌の最後のページを開く。
「こう仰ってました『これでいいのです。殿下は、私などいない方が幸せになれる』と」
お嬢様の唇が、震える。
「他には『私は――もう、時間がないのだから』とも……私の視線に気づき、そこでお嬢様は言葉を飲み込まれました」
私は日誌を閉じた。
「以上が、五年間の記録でございます」
長い長い沈黙。
貴族たちは、誰一人として声を発しない。ただ呆然と、お嬢様を見つめていた。
王太子は、壇上で立ち尽くしていた。顔は青ざめ、唇は震えている。
「エリアーナ……」
ようやく絞り出した声は、震えていた。
「すまなかった。私は、何も見えていなかった」
壇上から降りてお嬢様へと近づく。
「許してくれ。もう一度、やり直せないだろうか」
お嬢様が、初めて表情を変えた。
悲しみと、諦めの表情。
「もう、遅いのです」
静かな声だった。
「殿下は私を見ていなかった。一度も」
涙が、再び頬を伝う。
「私を見ていなかったあなたに、未練などございません」
お嬢様は、踵を返した。
「追放を受け入れます。むしろ、それが望みでした」
歩き出す。謁見の間の扉へと。
「さようなら、殿下」
私も、お嬢様の後を追った。
「セバスチャン様! お待ちください!」
貴族たちの声が響く。
しかし私は立ち止まらない。
「私も、お供いたします」
私の声に、お嬢様が振り返った。
「セバスチャン……あなたまで――」
「最後まで、お仕えさせてください」
お嬢様はわずかに微笑んだ。痛みを堪えながらの、小さな微笑み。
「ありがとう」
私たちが王宮を後にしたとき、背後から王太子の叫び声が聞こえた。
「待ってくれ、エリアーナ!」
お嬢様は、振り返らなかった。