第4話
螺旋階段を降りていく。石の壁に囲まれた狭い通路。松明の灯りだけが、足元を照らしている。どれだけ降りたのだろう。感覚が麻痺してくる。
やがて階段が終わった。
目の前に現れたのは、円形の部屋。聖域の間、とマリエルは呼んだ。
床には複雑な魔法陣が刻まれている。幾何学的な文様が、同心円状に広がっていた。そして部屋の中央――天井に開いた穴から、一筋の光が降り注いでいる。
純粋な白い光。それはこの世のものとは思えないほど、神聖で美しかった。
「この光の柱の中に入ってください」
マリエルの声が、静かに響く。
「試練が始まります。どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、決して逃げないでください。逃げれば、二度と力は目覚めません」
私は頷いて魔法陣の中央へ、ゆっくりと歩いていく。一歩、また一歩。
光の柱に触れた瞬間――世界が変わった。
視界が白く染まる。何も見えない。何も聞こえない。
そして――映像が流れ始めた。
七歳の私。病床に横たわっている。顔は紅潮し、呼吸は荒い。全身が痛む。動けない。泣くことすらできない。
母が傍らにいた。
「エリアーナ、大丈夫よ。すぐに良くなるから」
母の手が、額に触れる。冷たくて、優しくて、それだけで少し楽になる気がした。
「ママ……痛いよ……」
幼い私の声。掠れている。
「わかってる。わかってるわ。でも頑張って。あなたは強い子よ」
母の目から、涙が溢れていた。
映像が切り替わる。
母が黒いローブを着た男と対峙している。ロドリゴ・ヴァルトハイム。憎むべき魔術師。
「なぜ……なぜこんなことを……」
母の声が震えている。
「命令されたのです、アリシア様。あなたが女王になれば、困る者たちがいる。権力者は保身のために、何でもする」
ロドリゴの声に感情はない。冷徹で、機械的だった。
「娘には……お願い、娘だけは見逃して……」
「もう遅い。呪いは既にかけられている。あなたの娘は、決して力を目覚めさせることなく、苦しみながら死ぬでしょう」
母が崩れ落ちる。両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。
「エリアーナ……ごめんなさい……ママは……あなたを守れなかった……」
映像が止まった。
胸が引き裂かれた感覚。
母は、私を守ろうとしていた。最期の最期まで、私のことを想っていてくれた。なのに私は、何も知らなかった。何もできなかった。
涙が溢れる。止まらない。声にならない叫びが、喉から漏れた。
「お母様……!」
膝をつく。床に両手をつく。
悲しみと、怒りと、後悔が、全てが渦巻いて胸を締め付ける。
でも――試練は終わらない。
光が再び強くなる。そして――声が聞こえた。
『あなたは何のために、力を求めるのか』
女神様の声だろうか。それとも、自分自身の声だろうか。
「ナオトさんを救うためです。彼は私のために、命を賭けてくれました。今度は私が、彼を救う番です」
『では、代償を払えるか』
「はい」
『あなたの幸せを、捨てられるか』
一瞬、言葉が詰まった。
幸せ。ようやく手に入れた、痛みのない日々。自由に笑える毎日。それを捨てろと?
『あなたの命を、賭けられるか』
命を。
死ぬかもしれない。力を目覚めさせる過程で、命を失うかもしれない。
怖い。
怖くないと言えば、嘘になる。
でも――
「はい」
震える声で、しかしはっきりと答えた。
「彼は私のために、躊躇なく命を賭けてくれました。だから私も、同じことをします」
光がさらに強くなる。眩しすぎて、目を開けていられない。
そして――母の声が聞こえた。
「エリアーナ」
目を開けると、そこに母がいた。
銀色の長髪。青い瞳。優しい微笑み。生きていた頃と、まったく同じ姿。
母が手を差し伸べている。
「よく来たわね、私の娘」
「お母様……」
私は母の手を取った。温かい。本当に温かい。幻ではない。確かに、母の存在を感じる。
「あなたは、本当に強い子。十四年間、あんな苦しみに耐えて。誰にも弱音を吐かずに生きてきた。私の誇りよ」
「でも、私……何もできなかった……」
「そんなことないわ」
母が私の頬に触れる。
「あなたは、誰よりも優しく、誰よりも強かった。孤児たちを助け、貧しい人々に手を差し伸べ、誰にも見せない場所で、たくさんの人を救ってきた」
母の目にも、涙が浮かんでいる。
「その心が、力になるの。優しさこそが、聖女の真の力なのよ」
母の手から、光が流れ込んでくる。
温かくて、優しくて、包み込むような光。それは母の愛そのものだった。
「恐れないで、エリアーナ。あなたは一人じゃない。私が、ずっとついてる」
光が私の中に満ちていく。胸の奥底、魂の深い場所へ。
「さあ、笑って」
母が優しく言う。
「もう痛くないでしょう? だから、心から笑って」
そうだ。もう痛くない。
笑顔を作っても、激痛は走らない。呪いは解けた。
私は笑った。心の底から、全身全霊で笑った。
「お母様、ありがとう。ありがとう」
涙が溢れる。けれど悲しみの涙じゃない。
喜びの涙。感謝の涙。愛の涙。
母の指輪が、突然眩い光を放った。
銀の指輪が、太陽のように輝き出す。その光が私の全身を包む。
体の奥底から、何かが湧き上がってくる。
力だ。
長い眠りから目覚めた、聖女の力。
光が、私の中から溢れ出す。手のひらから、胸から、全身のあらゆる場所から。
痛みはない。苦しみもない。
ただ、温かくて、優しくて、満たされていく。
「これが……私の力……」
光が爆発的に広がった。聖域の間全体を満たし、天井へ、壁へ、床へと染み渡っていく。
母の姿が、ゆっくりと薄れていく。
「行きなさい、エリアーナ。救うべき人が、待っている」
母の最後の言葉が、胸に響く。
光が収まった時、私は魔法陣の外に立っていた。