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悪女と呼ばれた令嬢の真実  作者: 藍沢 理
第3章 光の系譜――エリアーナが示す真実
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第4話

 螺旋階段を降りていく。石の壁に囲まれた狭い通路。松明の灯りだけが、足元を照らしている。どれだけ降りたのだろう。感覚が麻痺してくる。


 やがて階段が終わった。


 目の前に現れたのは、円形の部屋。聖域の間、とマリエルは呼んだ。


 床には複雑な魔法陣が刻まれている。幾何学的な文様が、同心円状に広がっていた。そして部屋の中央――天井に開いた穴から、一筋の光が降り注いでいる。


 純粋な白い光。それはこの世のものとは思えないほど、神聖で美しかった。


「この光の柱の中に入ってください」


 マリエルの声が、静かに響く。


「試練が始まります。どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、決して逃げないでください。逃げれば、二度と力は目覚めません」


 私は頷いて魔法陣の中央へ、ゆっくりと歩いていく。一歩、また一歩。


 光の柱に触れた瞬間――世界が変わった。

 視界が白く染まる。何も見えない。何も聞こえない。

 そして――映像が流れ始めた。


 七歳の私。病床に横たわっている。顔は紅潮し、呼吸は荒い。全身が痛む。動けない。泣くことすらできない。


 母が傍らにいた。


「エリアーナ、大丈夫よ。すぐに良くなるから」


 母の手が、額に触れる。冷たくて、優しくて、それだけで少し楽になる気がした。


「ママ……痛いよ……」


 幼い私の声。掠れている。


「わかってる。わかってるわ。でも頑張って。あなたは強い子よ」


 母の目から、涙が溢れていた。


 映像が切り替わる。


 母が黒いローブを着た男と対峙している。ロドリゴ・ヴァルトハイム。憎むべき魔術師。


「なぜ……なぜこんなことを……」


 母の声が震えている。


「命令されたのです、アリシア様。あなたが女王になれば、困る者たちがいる。権力者は保身のために、何でもする」


 ロドリゴの声に感情はない。冷徹で、機械的だった。


「娘には……お願い、娘だけは見逃して……」

「もう遅い。呪いは既にかけられている。あなたの娘は、決して力を目覚めさせることなく、苦しみながら死ぬでしょう」


 母が崩れ落ちる。両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。


「エリアーナ……ごめんなさい……ママは……あなたを守れなかった……」


 映像が止まった。


 胸が引き裂かれた感覚。


 母は、私を守ろうとしていた。最期の最期まで、私のことを想っていてくれた。なのに私は、何も知らなかった。何もできなかった。


 涙が溢れる。止まらない。声にならない叫びが、喉から漏れた。


「お母様……!」


 膝をつく。床に両手をつく。


 悲しみと、怒りと、後悔が、全てが渦巻いて胸を締め付ける。


 でも――試練は終わらない。


 光が再び強くなる。そして――声が聞こえた。


『あなたは何のために、力を求めるのか』


 女神様の声だろうか。それとも、自分自身の声だろうか。


「ナオトさんを救うためです。彼は私のために、命を賭けてくれました。今度は私が、彼を救う番です」

『では、代償を払えるか』

「はい」

『あなたの幸せを、捨てられるか』


 一瞬、言葉が詰まった。


 幸せ。ようやく手に入れた、痛みのない日々。自由に笑える毎日。それを捨てろと?


『あなたの命を、賭けられるか』


 命を。


 死ぬかもしれない。力を目覚めさせる過程で、命を失うかもしれない。


 怖い。


 怖くないと言えば、嘘になる。


 でも――


「はい」


 震える声で、しかしはっきりと答えた。


「彼は私のために、躊躇なく命を賭けてくれました。だから私も、同じことをします」


 光がさらに強くなる。眩しすぎて、目を開けていられない。


 そして――母の声が聞こえた。


「エリアーナ」


 目を開けると、そこに母がいた。

 銀色の長髪。青い瞳。優しい微笑み。生きていた頃と、まったく同じ姿。


 母が手を差し伸べている。


「よく来たわね、私の娘」

「お母様……」


 私は母の手を取った。温かい。本当に温かい。幻ではない。確かに、母の存在を感じる。


「あなたは、本当に強い子。十四年間、あんな苦しみに耐えて。誰にも弱音を吐かずに生きてきた。私の誇りよ」

「でも、私……何もできなかった……」

「そんなことないわ」


 母が私の頬に触れる。


「あなたは、誰よりも優しく、誰よりも強かった。孤児たちを助け、貧しい人々に手を差し伸べ、誰にも見せない場所で、たくさんの人を救ってきた」


 母の目にも、涙が浮かんでいる。


「その心が、力になるの。優しさこそが、聖女の真の力なのよ」


 母の手から、光が流れ込んでくる。

 温かくて、優しくて、包み込むような光。それは母の愛そのものだった。


「恐れないで、エリアーナ。あなたは一人じゃない。私が、ずっとついてる」


 光が私の中に満ちていく。胸の奥底、魂の深い場所へ。


「さあ、笑って」


 母が優しく言う。


「もう痛くないでしょう? だから、心から笑って」


 そうだ。もう痛くない。


 笑顔を作っても、激痛は走らない。呪いは解けた。


 私は笑った。心の底から、全身全霊で笑った。


「お母様、ありがとう。ありがとう」


 涙が溢れる。けれど悲しみの涙じゃない。


 喜びの涙。感謝の涙。愛の涙。


 母の指輪が、突然眩い光を放った。


 銀の指輪が、太陽のように輝き出す。その光が私の全身を包む。


 体の奥底から、何かが湧き上がってくる。


 力だ。


 長い眠りから目覚めた、聖女の力。


 光が、私の中から溢れ出す。手のひらから、胸から、全身のあらゆる場所から。


 痛みはない。苦しみもない。


 ただ、温かくて、優しくて、満たされていく。


「これが……私の力……」


 光が爆発的に広がった。聖域の間全体を満たし、天井へ、壁へ、床へと染み渡っていく。


 母の姿が、ゆっくりと薄れていく。


「行きなさい、エリアーナ。救うべき人が、待っている」


 母の最後の言葉が、胸に響く。


 光が収まった時、私は魔法陣の外に立っていた。


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