第3話
エマさんに事情を説明し、馬車の手配を頼んだ。彼女はナオトさんの傍に残り、治療魔法で容態を保ってくれるという。
「無事に帰ってきてね」
「必ず」
エマさんの言葉に、私は頷いた。
セバスチャンと共に馬車に乗り込む。御者が手綱を取り、馬が動き出す。シルヴェリアの石畳の街を抜け、北の森へと向かう道。
窓の外を流れていく風景を眺めながら、私は母のことを考えていた。
母は浄化の力を持っていた。そして呪いで封じられ、命を奪われた。
私も同じ道を辿るはずだった。でもナオトさんが、その運命を変えてくれた。
今度は私の番だ。
馬車が森の中へ入っていく。木々が両側に迫り、木漏れ日が揺れる。半日ほど揺られ続け、ようやく開けた場所に出た。
そして――目の前に現れたのは、息を呑むような光景だった。
白亜の神殿。
大理石で造られた荘厳な建築物が、緑の中に佇んでいた。尖塔が天へ伸び、その先端には黄金の十字架。壁面には精緻な彫刻が施され、ステンドグラスからは色とりどりの光が漏れていた。神聖という言葉が、これほど似合う場所があるだろうか。
馬車が止まる。降り立つと、まるで空気が違った。澄んでいる。清められているような、そんな感覚。
神殿の扉が、ゆっくりと開いた。
一人の女性が姿を現す。四十代半ばほどだろうか。白い法衣を纏い、胸には銀の十字架。穏やかな微笑みを浮かべているが、その瞳には深い智慧が宿っていた。
「お待ちしておりました、エリアーナ様」
私の名前を知っている……?
「私はシスター・マリエル。この光の神殿の長を務めております」
「なぜ……私の名前を……」
「お母様、アリシア様から伺っておりました。いつか、娘が訪れる、と」
母が。
母は、私がここに来ることを知っていたのだろうか。
「お母様は、私が来ることを……?」
「予感なさっていたのでしょう。聖女の血を引く者は、時に未来の断片を見ることがございます」
マリエルが神殿の扉を大きく開く。
「どうぞ、中へ。お話しすべきことが、たくさんございます」
神殿の内部は、外観以上に荘厳だった。
高い天井。石柱が整然と並び、その一つ一つに聖女の物語が彫り込まれている。床は磨き上げられた白大理石。奥には祭壇があり、光の女神像が安置されていた。天井のドーム状の窓から注ぐ光が、床に複雑な光の紋様を描いていた。
マリエルが祭壇の前で立ち止まった。振り返って私を見る。
「エリアーナ様。あなたは浄化の聖女の末裔です」
やはり、本当だったのだ。
「千年前、世界を闇に沈めようとした魔王がおりました。その魔王を、一人の聖女が浄化した。光の魔法で、魔王の心から闇を祓い、人間へと戻したのです」
マリエルが祭壇の女神像を見上げる。
「その聖女の血統が、エルドリア家に受け継がれてきました。しかし時代と共に力は薄れ……今では、ほとんど失われたと思われていました」
「でも、お母様は……」
「アリシア様は、数百年ぶりに強い力を持って生まれた方でした。だからこそ、恐れられたのです」
マリエルの表情が、わずかに曇る。
「ロドリゴ・ヴァルトハイム。あの男は、権力者に雇われてアリシア様を殺しました。聖女の力が、彼らにとって脅威だったから」
憎しみが込み上げてくる。母を殺した者たちへの、抑えきれない怒り。
「そしてあなたにも、同じ呪いをかけた。力が目覚めないように。しかし」
マリエルが私の目を見つめる。
「呪いは解けました。あなたの中に眠る力は、目覚める準備ができています」
「本当に……私にも、力が……?」
「はい。しかし、試練を乗り越えなければなりません」
マリエルが歩き出す。祭壇の脇にある、小さな扉へと。
「光の試練。それは、あなた自身と向き合う儀式です。過去を受け入れ、覚悟を決め、そして――自分の弱さを認めなければなりません」
扉が開く。螺旋階段が、地下へと続いていた。
「恐れを捨てられますか?」
マリエルの問いかけに、私は即答した。
「はい」
迷いはなかった。ナオトさんを救うためなら、どんな試練でも乗り越えてみせる。