ドラゴンは焼き鳥と出会う
意識が静かに浮上してきた。
ここは...どこだ?
見覚えのない天井、見覚えのない部屋。人間の匂いが濃く漂っている。混乱する頭で記憶を辿ると、徐々に昨日の出来事が蘇ってきた。
そうだ、黒ローブの男と戦っていた。あの忌々しい術者め。私は森で奴と対峙していたのだ。禍々しい魔力を纏った男で、ドラゴンである私に対しても一歩も引かない不遜な者。
豚を使って森の聖域を穢そうとした男。
戦いは激しく、互いに傷を負いながらも決着がつかないまま続いていた。
そして、その時に召喚されたのは...獅子頭の巨大な化け物。ジャガーノートと呼ばれる凶悪な魔獣。あの圧倒的な力にねじ伏せられ、意識を失ったのだ。
ドラゴンの誇りが許さない。あのような化け物に屈服するとは。
くそっ!
思わず咆哮が口から漏れた。ドラゴンとしての本能が、屈辱的な敗北に対する怒りを表現していた。部屋の窓ガラスが振動するほどの野性的な叫び声。
「グォォォォオオオ!」
部屋に響く威圧的な声。と同時に、慌ただしい足音が廊下から聞こえてきた。複数の人間が駆けつけてくる気配がする。
ドアが勢いよく開かれ、一人の女性が飛び込んできた。見覚えがある。確か昨日、森で見かけた人間の女だ。小柄で藍色の髪、心配そうな大きな瞳をしている。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」女性が息を切らしながら心配そうに声をかけてきた。
私はここはどこだ、人間よ?と答えた。
しかし、女性は困惑した表情を浮かべるばかりだった。当然だ、人間が竜言語を理解できるわけがない。
女性は必死に何かを考えているようだった。そして突然、表情が明るくなった。
「あ、そうか!」女性が何かを思いついたような表情になった。
—ビリーです。私の名前はビリー。昨日、森で加勢いただいた者です。通信で話しましょう
突然、私の頭の中に透明な声が響いた。これは精神通信、テレパシーの一種だ。
なるほど、精神通信か。これなら言語の壁を越えて意思疎通ができる。便利な能力を持っているようだ。この人間、思っていたより有能かもしれない。
『...聞こえる。私はアイヴィだ。ここはどこだ?』
—町の宿屋です。あなたは気を失っていたので、こちらで休んでいただいていました。ギルドの方々と相談して、安全な場所でお休みいただこうということになったんです
『そうか...やはりあの獅子頭の化け物にやられたのか』
屈辱的だが事実は事実だ。ジャガーノートの圧倒的な再生能力と破壊力の前に、私は敗北した。
—はい、お怪我はどうですか?どこか痛みますか
『いや、問題ない。その後奴らはどうした?』
—協力して撃退しました
協力して...か。人間たちが連携してジャガーノートを倒したというのか。興味深い。
—服はギルドの方が用意してくれました。とても親切にしていただいて...体調がいいようでしたら、ギルドに報告に行きませんか?詳しい事情をお聞かせいただけると助かります
ギルドか。人間たちの冒険者組織だったな。助けてもらった恩もあるし、協力すべきだろう。
『分かった。案内してくれ、ビリー』
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アイヴィさんと一緒にギルドに向かう道すがら、私は内心ドキドキしていた。
本物のドラゴンと歩いているなんて、夢のようだった。人間の姿をしているけれど、その立ち姿からは威厳が滲み出ている。金色の美しい髪、深いエメラルドの瞳、そして何より纏っている圧倒的な存在感。
『ビリー』突然、精神通信が入った。
—はい、何でしょうか?
『腹が減った』
え?
『あそこで売っている串に刺さった肉は何だ?』
私が振り返ると、道端の屋台で焼き鳥を売っているおじさんがいた。香ばしい匂いが漂っている。
—あ、あれは...これは確か資料で見たことがあります。焼き鳥というものですね。鶏肉を串に刺して焼いたもので...
『試してみたい』
—え、えーっと...
結局、私たちは焼き鳥屋台に立ち寄ることになった。アイヴィさんは興味深そうに焼かれている鶏肉を見つめている。
「お嬢ちゃんたち、何本いる?」屋台のおじさんが愛想よく声をかけてきた。
「えっと、二本お願いします」
受け取った焼き鳥を、アイヴィさんに渡した。彼女は慎重に一口齧った。
その瞬間、アイヴィさんの目が大きく見開かれた。
『うまい!』
思わず精神通信で叫んでいた。その表情は驚きと喜びに満ちている。
『これほど美味な食べ物が人間の町には普通にあるのか?』
—あ、あの...
私も一口食べてみた。確かに、お屋敷で食べていた高級料理とは全く違う、素朴で力強い美味しさがあった。
『あっ、あっちは何だ?』
今度は別の屋台を指差している。そこでは肉まんを蒸している。
—肉まんですね。これも資料で...小麦粉の皮で肉を包んで蒸したもので...
『それも食べてみたい』
あ、はい。
またしても屋台に向かうことになった。肉まんを買って、アイヴィさんに渡す。
一口食べた途端、また目を輝かせた。
『これも絶品だ!ふわふわの皮に包まれた肉の旨味が...』
『あれも美味そうだ。あっちのは?』
次から次へと食べ物の屋台を見つけては質問してくる。私はてんやわんやになりながら説明に追われた。
—あちらは焼きそばですね、資料では麺を炒めたものと...そっちはクレープというお菓子で...
そして実際に食べる度に、アイヴィさんは感動の声を上げていた。
『このクレープというもの、外はカリッとして中は甘く素晴らしい!』
アイヴィさんの食べ物への興味は留まることを知らず、歩く度に新しい屋台を発見しては目を輝かせていた。ドラゴンらしい威厳はどこへやら、まるで初めて人間の町を見る子供のようだった。
『全部食べてみたい』
—え、えーっと...無理です
私のお小遣いにも限界がある...
ギルドに到着すると、朝の忙しい時間帯で多くの冒険者たちが行き交っていた。私たちが入ると、アイヴィさんの圧倒的な存在感に多くの視線が集まった。
受付で昨夜の詳細を報告していると、アイヴィさんは黙って私の隣に立っていた。その佇まいは女王のような気品があり、周囲の冒険者たちも自然と敬意を示しているようだった。
「それで、ドラゴンの女性...アイヴィさんと意思疎通が取れているんですね」受付の職員が安堵の表情を浮かべた。
「はい、でも無事に回復もされて良かったです」
その時、入り口から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「よう、ビリー。朝からドラゴン娘のおもりか」
振り返ると、ジンさんとライトさんが入ってきた。ジンさんはいつものように軽やかな足取りで、ライトさんは礼儀正しく歩いている。
昨日の戦いでのジンさんの勇姿を思い出す。
アイヴィさんが声のするジンさんの方に振り返った時だった、突然、アイヴィさんの足元に光る魔法陣が現れた。
最初は小さな光だったが、瞬く間に複雑な幾何学模様を描きながら拡大し、どこか禍々しい気配を放っていた。
『何だ、これは—』アイヴィさんが警戒の声を上げた時、魔法陣から突然巨大で醜悪な手が突き出してきた。それは人間のものとは明らかに違っていた。ごつごつとした黒い鱗に覆われ、鋭い爪を持つその手は、明らかに魔物のものだった。
その手がアイヴィさんの足首を掴んだ。
私は反射的に彼女を掴んだ。
アイヴィさんが強烈な力で魔法陣の中へと引きずり込まれる。
『ビリー、手を離せ!』アイヴィさんが精神通信で叫んだ。
横目でジンさんとライトさんが走って来るのが見えた。
それがギルドで見た最後の光景だった。
最後に聞こえたのは、ジンさんの叫び声だった。
「ビリー!」
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気が付くと、私とアイヴィさんは全く違う場所に放り出されていた。
辺りは薄暗く、巨大な植物が整然と並んでいる奇妙な空間だった。天井は見えないほど高く、迷路のように入り組んだ通路が続いている。空気は重く湿っており、どこか不吉な気配が漂っていた。
植物たちは普通の木々ではなかった。幹は太く黒ずんでおり、葉は深い紫色をしている。そして時折、まるで呼吸をするかのように微かに揺れていた。
—ここは...私は震え声でアイヴィさんに通信した。
『分からない。だが、間違いなく危険な場所だ』
アイヴィさんは立ち上がり、辺りを警戒した。ドラゴンとしての本能が危険を察知しているのか、その表情は非常に厳しいものだった。
この鬱蒼とした植物の迷宮は、明らかに人工的に作られたものだった。自然にこのような場所ができるはずがない。誰かが、何らかの目的を持って作り上げた空間なのだ。
そして、遠くから何かの気配を感じた。
『ビリー、私から離れるな。ここは何かの罠だ』
—は、はい...
私はアイヴィさんの側に身を寄せた。彼女の温もりが、この不気味な場所での唯一の安心材料だった。