ドラゴンの援軍
地響きが次第に大きくなり、木々がざわめき始めた。そして—現れた。
森の向こうから姿を現したハイオークの軍勢を目の当たりにした瞬間、私の全身が氷のように冷え切った。
通信で感じ取っていた映像とは比較にならない、圧倒的な威圧感。身長は優に2メートルを超え、筋肉の塊のような体躯。そして何より恐ろしいのは—彼らの目だった。
血走った赤い瞳に宿るのは、純粋な殺意。理性のかけらもない、ただ破壊することだけを求める獣の目。私の膝はガクガクと震え、立っているのがやっとだった。
ジンさんは既に戦闘態勢に入っていた。刀を抜き放つ音すら立てずに、するりと鞘から刃を滑り出させる。その動作は水の流れのように滑らかで、まるで刀と一体化しているかのようだった。
「ビリーさん、私の後ろにいて」ライトさんが大盾を構えながら言った。「絶対に前に出ないで」
ライトさんの盾は通常の倍以上の大きさがあった。そして彼が何かを唱えると、盾の周囲に淡い光の膜が展開された。
「『領域拡張』」ライトさんが短く呟いた。
光の膜は私の周囲まで覆い、まるで透明な壁に守られているような安心感があった。
最初のハイオークが突進してきた。その瞬間、ジンさんが動いた。
まるで影が滑るように—いや、影そのもののように彼の姿がぼやけた。次の瞬間、ハイオークの脇をすり抜けて背後に回り込んでいる。
刀が一閃。
血しぶきが舞い上がる前に、ジンさんは既に次の敵に向かっていた。倒されたハイオークは、自分が斬られたことにすら気づかずに崩れ落ちた。
「影分身」
ジンさんの姿が九つに分かれた。それは単なる残像ではない。実体を持った九体の分身が、ハイオークの大群を完全に包囲した。
本体のジンさんが正面から突撃する。刀身が空気を裂く音すら聞こえないほどの速度で、ハイオークの胸部を一閃。心臓を正確に貫いた刃を、血の一滴も刀身に残さずに引き抜く。
左の分身は低い姿勢から足元を狙った。膝関節を一刀で切断し、バランスを崩したハイオークの首を回転斬りで飛ばす。首が宙に舞う間に、既に次の標的の懐に潜り込んでいる。
右の分身は最も凄惨だった。ハイオークの両腕を十字に斬り落とし、絶叫する間もなく喉笛を掻き切る。血飛沫が弧を描いて舞い散る中、分身は一歩も動じずに次の敵へ刃を向けた。
九体が織りなす殺戮の舞は、まさに地獄絵図だった。しかし、その恐ろしさの中にも芸術的とすら言える完璧な技術があった。触れるものすべてを斬り裂き、命を刈り取る九柱の死神による絶望的な舞踏。
わずか十数秒の間に、五十体を超えるハイオークが血の海に沈んだ。九体のジンさんの刀身には一滴の血も付いていない。まるで血すらも斬り捨てたかのような、人間を超越した殺人技術だった。
一方のライトさんは、大盾を巧みに操り、私に向かってくるハイオークの攻撃をことごとく防ぎ各個撃破していった。
「『防壁展開』!」
ライトさんが叫ぶと、彼の盾から光の壁が張り巡らされ、まるで要塞のような防壁が形成された。ハイオークの爪や武器が光の壁に当たると、弾き返されて彼らの体勢が崩れる。
それでも、ハイオークの数は圧倒的だった。一体倒しても、二体、三体と現れてくる。
そんな中、一匹のハイオークが光の壁の隙間を縫って私に向かってきた。巨大な爪が私に向かって振り下ろされる—
しかし、鋭い風切り音と共に、ハイオークの首が宙に舞った。ジンさんの手裏剣が正確に急所を貫いていた。
ジンさんは私の方を見ることなく、次の敵と交戦していた。まるで背後に目があるかのような正確さ。
「おかしい」ライトさんが眉をひそめた。「ここまで力の差を見せれば撤退してもよさそうなのに」
確かに、ハイオークたちの動きには不自然さがあった。まるで何かに操られている人形のような...
その時だった。
地面に流れた血が、まるで生き物のように逆流し始めた。ジンさんが倒したはずのハイオークたちの傷口に血が戻り、致命傷だったはずの傷が塞がっていく。
「どうなってやがる」ジンさんが驚愕の声を上げた。
死んだはずのハイオークたちが、ゆらりと起き上がった。その目は先ほどよりもさらに血走り、まるで死者の瞳のように生気を失っていた。しかし、殺意だけは以前よりも増している。
「死霊術の類か」ライトさんが戦慄した。「どこかに術者がいるはずだ」
蘇ったハイオークたちが、一斉にジンさんに殺到した。生前よりも動きは鈍いが、痛みを感じない分、より執拗で恐ろしい攻撃を仕掛けてくる。
「ちっ!」ジンさんが舌打ちした。「キリがないぜ」
彼の刀が再び閃く。しかし、倒してもまた血が戻り、再生していく。まさに悪夢のような光景だった。
私は意識を集中させ、周囲の状況を『視る』ことにした。頭の中に浮かぶ地図上で、ハイオークたちが集まりつつあることが見えた。
そして—動かない人影が一つ。
その人物を意識に集中させて確認すると、そこには黒いローブを纏った人間がいた。彼は何かの魔法陣を形成しながら、不気味に呟いていた。
「進めオーク共...もっと激しく、もっと残虐に...」
魔法陣からは禍々しい光が発せられ、それがハイオークたちを操っているのが分かった。
しかし、その瞬間—彼が何かに気づいたかのように私の方を『見た』。
「誰だ?覗いている奴は!」
とたんに通信が強制的に遮断された。頭の中にキーンという耳鳴りが響く。
「操っている人がいます!」私は急いで二人に報告した。「黒いローブの人間が、魔法陣でハイオークを操って—」
その時だった。
突然、巨大な影が戦場を覆った。見上げると、そこには信じられない光景があった。
『そこにいけばいいんだな』
あの時の援軍の低い声、それはドラゴンだった。
その大きさは想像を絶していた。翼を広げただけで森を覆い尽くすほどの巨体。漆黒の鱗に覆われた体からは、圧倒的な威圧感が放たれている。
—まずいです!ジンさんすぐその場から離れてください!
遠くでジンさんの動きが止まり、ドラゴンとこちらを確認すると、目にも止まらぬスピードでその場から見えなくなった。
するとドラゴンは後方のハイオーク軍勢に向かって大きく息を吸い込んだ。その瞬間、周囲の空気が渦を巻き、まるで竜巻のように彼の口へと吸い寄せられていく。
胸部が赤熱し始めた。漆黒の鱗の隙間から、溶岩のような光が漏れ出している。空気が震え、熱気で大気が歪んで見えた。
口から放たれたのは、もはや炎などという生ぬるいものではなかった。
白熱した業火の奔流が、森を薙ぎ払った。その炎は太陽の核心部から切り取ってきたかのような純白の輝きを放ち、触れるものすべてを原子レベルで分解していく。
木々は一瞬で炭化し、岩石は溶けて溶岩となった。地面そのものが焼け焦げ、ガラス状に変化している。そして—ハイオークたちは文字通り蒸発した。
悲鳴を上げる間もなく、その巨体が消え去っていく。数百体いたハイオークの大軍が、わずか数秒で完全に消滅した。
炎の奔流が過ぎ去った後には、幅数百メートルにわたって焼け焦げた大地だけが残されていた。まるで天罰が降ったかのような、絶対的な破壊の痕跡。
空気は未だに熱く歪み、焼けた大地からは白い煙が立ち上っている。これが古の時代から恐れられてきた、真の竜の力だった。
—ジンさん返事してください!
『おい、あいつはなんだ?まさか味方なのか』
私は安堵して、再び地図を思い浮かべた。
ジンさんは、奔流のわずかに外れたところにいた。
「なんでドラゴン風情が!」黒いローブの人物の怒声が響いた。彼はハイオークを操ることをやめ、ドラゴンとの対峙に意識を向けた。
途端に、ハイオークたちの動きがちぐはぐになった。統制が取れなくなり、右往左往している。
私は通信でこれまでの状況を二人に伝えた。操り手の存在、そしてドラゴンの介入によって統制が乱れたこと。
『ってことは』ジンさんが遠くに見えるドラゴンを指差した。『あのドラゴンは味方ってことか』
ドラゴンは黒ローブの人物と激しい魔法戦を繰り広げていた。炎と闇の魔法がぶつかり合い、森全体が戦場と化している。
『ふん』ジンさんが不敵に笑った。『おいしいところは横取りさせねえぜ!』
そう言うと、ジンさんは信じられない速度でドラゴンの方へ駆け出していった。
—ジンさん!
私が叫んだが、彼の姿はもう消えていた。