はじめての依頼
朝日が昇り始める頃、私はギルドの前に着いた。昨晩の出来事から、わずか数時間しか眠れなかったが、不思議と体は軽かった。
「お早うございます、ビリーさん」
振り返ると、朝日に照らされて金髪が輝くライトさんの姿があった。彼は昨日と同じく白銀の鎧を身につけ、腰には大剣を下げている。その姿は神々しいほどだった。
「ライトさん、おはようございます」私は微笑んだ。「昨夜は本当にありがとうございました」
「いいえ、私は何も。ジンの奴を褒めてやってください」彼は優しく微笑み返した。「それにしても、あの時はビックリしましたよ。突然頭の中に『助けて』という声が響いてきて…」
「私も自分のスキルがどんなものか、まだよく分かっていないんです」
「その『通信』というスキル、本当に不思議な能力です」ライトさんは真剣な表情で言った。「今朝もビリーさんが出発する、という情報が頭に入ってきたんですから」
「えっ!そうなんですか?」
ー一体どこまで共有されるんだろう。少しずつ実験していかないと
二人で話しているうちに、ギルドの扉が開き、冒険者たちが次々と入っていった。朝の日課なのだろう、多くの者が依頼を受けるために並んでいた。
「ジンさんはまだ来ていないんですね」私は辺りを見回した。
ライトさんは少し不機嫌そうな表情を浮かべた。「あいつが時間通り来る可能性は0でしょう。その点においては全く信用してません」
その時、私の背後から声がした。
「誰が信用できないって?」
驚いて振り返ると、そこにはジンさんが立っていた。昨日と同じ黒い装束に、腰には二本の刀を差している。彼がいつの間にそこに立っていたのか、私には分からなかった。
「うわっ!」思わず小さな悲鳴を上げる。
ジンさんは軽く笑った。「おはよう、お姫様」
「お…おはようございます」緊張した様子で挨拶を返す。
ライトさんが二人の間に割って入った。「ジン、いい加減その忍術とかいう技で人を驚かすのはやめろ」
「うぜー、俺の動き方にケチつけんなよ。それより、今日はどんな依頼を受けるんだ?」
ライトさんは真面目な表情で答えた。「今日はビリーさんの初めての依頼だ。あまり危険なものは避けたいと思っている」
「なるほどね」ジンさんは納得した様子で頷いた。「じゃあ、薬草摘みか、ゴブリン退治あたりがいいな」
—ゴブリン退治…?本当に私にできるのかしら
「そんな不安そうな顔するなよ」ジンさんが私の表情を見て言った。「ゴブリンなんて弱いモンスターだ。ライトなら一人で百匹くらい相手にできるぜ」
「お前もセクハラしなければ、意外と頼りになる時もあるな」ライトさんは呆れたような表情を浮かべながらも、少し安心したように言った。
私たちは一緒にギルドの中へ入った。昨日と違い、今日は朝早いせいか、昨日ほど人は多くなかった。それでも私が入ると、何人かの冒険者が振り返り、昨日の「公爵令嬢」を見つめてきた。
「気にするな」ジンさんが私の肩に手を置いた。「連中もお前もそのうち慣れる」
受付には昨日とは違う職員がいた。若い女性で、明るい笑顔で私たちを迎えてくれた。
「おはようございます!何かお手伝いできることはありますか?」
ライトさんが一歩前に出た。「初心者向けの依頼を探しています。できれば危険度の低いものを」
「お二人の実力で、ですか…」受付の女性はいくつかの書類を取り出した。「そういえば今日入った依頼で、ちょうどいいものがありますよ。東の森でのゴブリン退治です。最近、農家の野菜や家畜を荒らすゴブリンが増えているそうです」
「そいつでいい」ジンさんが前のめりになった。「報酬はどれくらいだ?」
「三人分で銀貨30枚です」
「安いな」ジンさんは眉をひそめた。
「ジン!」ライトさんが制した。「初心者には十分な報酬です。我々は今日、ビリーさんが冒険者として一歩を踏み出すのを手伝うのが目的なのだから」
「わかってるよ」ジンさんは肩をすくめた。「じゃあ、その依頼をもらおうか」
手続きを済ませ、私たちは依頼書を受け取った。
「東の森まで歩いて一時間ほどです」受付の女性が説明した。「農家の方によると、ゴブリンは10体ほどで、特別強いものはいないとのことです」
—10体…
「心配しなくても大丈夫だ」ライトさんが優しく言った。「私たちがついています」
出発の準備をするため、私たちは町の商店街へ向かった。昨日の暗殺未遂以来、私は常に周囲を警戒していた。父が再び刺客を送ってくる可能性は高い。
ジンさんが私の緊張を察したのか、小声で言った。「大丈夫だ。昼間から暗殺なんてしないさ。それに俺たちがついてる」
「ありがとう…」私は少し安心した。
商店街は活気に満ちていた。様々な店が並び、多くの人々が行き交っている。食料品、武器、防具、薬…あらゆるものが売られていた。
ライトさんは真っ先に防具屋へ向かった。「ビリーさん、まずは簡単な防具を用意しましょう」
店内には様々な鎧や盾が飾られていた。私は目移りしてしまう。
「お嬢さん、冒険者になりたてかね?」店主の老人が話しかけてきた。「なら、まずは軽装がいいだろう。動きやすくて、それでいて最低限の防御力がある」
ライトさんが頷いた。「そうですね。レザーアーマーと、小さな盾はどうでしょう」
私は勧められるままに試着室へ入った。着替えながら、昨日までの生活との違いを実感する。豪華な衣装や宝石で飾られたドレスとは違い、冒険者の装備は実用的で質素だ。でも、それが不思議と心地よく感じられた。
試着室から出ると、ジンさんが口笛を吹いた。「おっ、似合ってるじゃないか」
私の頬が熱くなる。「本…本当ですか?」
「ああ」彼は珍しく真面目な表情で答えた。「尻のボリュームがはっきりわかる今の恰好の方がいい。公爵令嬢よりも冒険者の方が、お前に合ってる気がする」
—えっお尻!?
「ジン、そんな発言は品位を疑われる…といっても君には品位なんてものは備わってなかったか」ライトさんは私に向き直り言った。「あいつの発言は気にしないで、動きやすそうですね。これなら初めての冒険も安心です」
—むしろお尻の件は確認したくもあるけど
次に、武器屋へ向かった。
「剣か、槍か、弓…どれがいいと思う?」ライトさんが私に尋ねた。
「わ、私は…」迷ってしまう。これまで武器を持ったことはなかった。
「初心者なら短剣がいいんじゃねえか?」ジンさんが提案した。「軽くて扱いやすい」
「そうですね」ライトさんも同意した。「まずは基本から」
店主が様々な短剣を見せてくれた。その中から、シンプルだが丈夫そうな一振りを選んだ。
「これでいいと思います」私は決断した。
「いい選択です」ライトさんが言った。「それと、もう一つ大事なものがあります」
彼は小さな袋を取り出し、私に渡した。
「これは?」
「応急処置用の薬草だ」彼は説明した。「冒険者の基本装備の一つだよ」
ジンさんも何か小さな包みを私に手渡した。
「これは煙玉だ」彼は言った。「万が一の時は、これを地面に投げつけろ。逃げる時間稼ぎになる」
—万が一、そんな時が来ないといいけど
「ありがとう、二人とも」私は感謝の言葉を口にした。
最後に食料と水を買い、準備は整った。
「さて、行きましょう」ライトさんが言った。「最初の冒険の始まりです」
東の森へ向かう道中、私はずっと考えていた。スキルの「通信」をどう活かせるか。今のところ、私自身がそのスキルをコントロールする方法はわかっていない。昨夜は危機的状況で無意識に発動したのだ。
「ねえ、二人とも」私は歩きながら尋ねた。「私のスキル、どうやって使いこなせばいいと思いますか?」
「そうですね…」ライトさんは考え込んだ。「まず、昨晩何が起きたのか、正確に思い出してみるといいかもしれないですね」
「そうね…」私は記憶を辿った。「暗殺者に襲われて、絶望的な状況で『誰か助けて』と心の底から願った時…二人の顔が浮かんだの」
「俺の顔が?」ジンさんが意外そうに聞いた。「まさか、俺のこと好きになったのか?」
「ジン!」ライトさんが声を上げた。「真面目に話しているんだ」
私は赤面しながら急いで言った。「違うわ!そうじゃなくて…ただ、『困ったことがあったら呼んでくれ』って言ってくれたから…」
「へえ」ジンさんはニヤリと笑った。「まあ、冗談だよ」
「つまり」ライトさんが話を戻した。「強い感情と、明確な対象があれば発動するのかもしれないですね」
「そうかもしれませんね」私は頷いた。
「試しに、今やってみるか?」ジンさんが提案した。「俺たち二人に向けて、何か伝えてみろよ」
「え?でも、どうやって…」
「昨日のことを思い出してみて下さい」ライトさんが言った。「あの時の感覚を」
私は目を閉じ、昨夜の恐怖と絶望、そして二人を必要とした瞬間を思い出した。心の中で、二人の顔を思い浮かべる。
—二人に届いて…お願い…
「ッ!」「うわ!」
ジンさんが耳を塞ぎ、ライトさんも一歩下がった。
「すげー音だ。耳元ででけー声を出されたみたいだった」耳に手を充てながら驚いた表情をするジンさん。
「なんとなくわかって来ましたね」ライトさんが、声の出どころを探すように辺りを見回しながら言った。「送りたいと思う相手と内容をイメージすると、その相手に情報を送れる、と」
「すげーな」ジンさんが言った。「徐々に使い方も洗練されてくるだろう」
「そうですね。これからも練習します」
しばらく歩いた後、私たちは東の森の入り口に到着した。
「ここからが本番です」ライトさんが言った。「気をつけて行きましょう」
森は思ったより暗く、静かだった。日光が木々の隙間から差し込み、神秘的な雰囲気を醸し出している。鳥のさえずりや、小動物の気配を感じながら、私たちは警戒しつつ進んでいった。
「ゴブリンは敏感な生き物です」ライトさんが小声で説明した。「私たちの気配を感じたら、仲間を呼んで集まってくる」
ジンさんは無言で木々の間を見回していた。彼の動きは昨日よりもさらに静かで、まるで森の一部になったようだった。
突然、ジンさんが立ち止まり、低い声で言った。「いるぞ」
私たちも足を止め、彼の指差す方向を見た。木々の間に、小さな緑色の姿がちらりと見えた。
「ゴブリン…」私はつぶやいた。
「ああ」ライトさんが確認した。「一匹だけじゃない。あそこに集団でいます」
ジンさんが手で合図をした。「俺が先に行って様子を見てくる。二人はここで待ってろ」
彼はそう言うと、まるで影のように森の中へと溶け込んでいった。その姿は瞬く間に見えなくなり、完全に気配が消えた。
—すごい…これが忍者の力…
「ビリーさん」ライトさんが小声で私に言った。「いざという時は、私の後ろに隠れてください。初めての戦いで無理をする必要はありません」
「はい…」
数分後、ジンさんが音もなく戻ってきた。
「10匹以上いる」彼は報告した。「小さな洞窟を住処にしているようだ。中にはメスや子供もいるみたいだ」
「子供…?」私は驚いた。
「ゴブリンも社会を持っている」ライトさんが説明した。「しかし、人間の農作物を荒らすことはやめさせなければならない」
「殺るか?」ジンさんがライトさんに尋ねた。
「正面から向かって、討伐するしかないだろう」ライトさんは剣を手に取った。「ビリーさんは後方で待機してください」
「あの子供も殺すんですか?」私は恐る恐る尋ねた。