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過度な期待と失望

漆黒の夜空のような深い藍色の髪は腰まで伸び、緩やかな波を描いていた。


その髪は朝日を浴びると青い光を放ち、見る者を魅了した。


透き通るような白磁の肌は、春の最初の花びらのように繊細で、頬には常に桜色の血色が漂っていた。


最も印象的だったのは、その瞳だ。深い海のようなサファイアブルーの瞳は、時に知性の光を宿し、時に優しさで満ちていた。


細い指先は魔法の杖を操るのに適しており、歩くときは、まるで地面に足が触れていないかのような軽やかさがあった。


これが、この物語の主人公――ビリー・グレイスの姿。


---


「お嬢様、本日は特別な日です。最高の装いでなくては」


侍女長のメアリーの言葉に、私は黙ってうなずいた。今日は私の17歳の誕生日。グレイス家の令嬢として、そして将来の王妃として、神から「ギフト」を授かる大切な儀式の日だった。


鏡の前に座り、メアリーが私の髪を丁寧に梳かしていく様子を眺めながら、私は深く息を吐いた。実を言うと、今朝から胸の奥がざわついていた。何かが...何かが起こる予感がしていたのだ。


「お嬢様、緊張されていますか?」メアリーが気遣いの言葉をかけてくれる。


「少し...ね」


そう答えたものの、事実は「少し」ではなかった。今日の儀式で私に与えられるスキルによって、私の将来が決まる。グレイス家は代々、強力な魔法のスキルを授かってきた。


そして私も、何か素晴らしいスキルを授かるはずだった。


少なくとも、皆そう思っていた。私自身も、そう信じていた。


-----


王宮の大広間は、国中の貴族や要人で埋め尽くされていた。キラキラと輝くシャンデリアの下、色とりどりのドレスを着た貴婦人たちが花のように咲き誇り、紳士たちも最上の正装に身を包んでいた。


「あれがグレイス家の令嬢か...」

「美しいな。アルバート王子と並ぶと、まるで絵画のようだ」

「グレイス家は代々、大賢者を輩出しているからな。きっと素晴らしいスキルを授かるだろう」


耳に入ってくる囁き声に、私は微笑みを保ちつつも内心では緊張を隠せなかった。王族や貴族の子女たちが次々と祭壇に上がり、光に包まれ、スキルを授かっていく。


「大精霊召喚」「聖剣の加護」...次々と輝かしいスキルが発表されるたびに、会場からは感嘆の声が上がった。


そして、ついに私の番が来た。


「次は、グレイス公爵家の令嬢、ビリー・グレイス」


大広間が静まり返る中、私はゆっくりと祭壇に歩み寄った。長いドレスの裾が床を撫で、胸元の宝石が光を反射する。心臓が早鐘を打つ音が、自分の耳にも響いた。


—落ち着いて、ビリー。あなたはグレイス家の娘。大賢者の血を引く者。きっと素晴らしいスキルを...


私は優雅に膝をつき、神に祈りを捧げた。「どうか、国と民のために役立つスキルを...」


一筋の光が天井から降り注ぎ、私を包み込む。体の芯から暖かさが広がり、そして...その光が消えると、空中に文字が浮かび上がった。


「『通信』」


会場が静まり返った。誰もがその意味を理解できず、困惑の声がささやかれ始めた。私自身も、自分の耳を疑った。


—通信...?それは一体どんなスキルなの?


「通信?何のスキルだ?」

「魔法でメッセージを送れるのか?」

「でも、それなら魔法の水晶球や伝書鳩でもできるじゃないか」

「グレイス家の人間にしては...何とも地味なスキルだな」


混乱の声が徐々に嘲笑に変わっていく。私は顔を上げ、会場を見渡した。そこには困惑と失望、そして哀れみの視線が溢れていた。


そして、最も恐れていた瞬間が訪れた。私の婚約者、アルバート王子が近づいてきた。彼の表情は厳しく、青い瞳には冷たさが宿っていた。


「ビリー」


彼の声は低く、そして決然としていた。私の名前を呼ぶ彼の口調に、すでに答えは含まれていた。


「アルバート様...」私の声は震えていた。


「申し訳ない、ビリー。だが婚約を解消させてもらう」


その言葉は、まるで鋭利な剣のように私の胸を貫いた。頭では予想していたものの、実際に言葉にされると、その悲しみは想像を超えていた。


「どうして...?」それでも私は聞かずにはいられなかった。


「王妃になる者には、それにふさわしい強力なスキルが必要だ。『通信』など...どう見ても役立たずのスキルだ。国民はそんな無能な王妃を認めないだろう」


アルバート王子の冷たい言葉は、大広間に響き渡った。


私は立ち尽くし、心の中で崩れ落ちていくものを感じた。夢、希望、そして未来...すべてが砂のように指の間からこぼれ落ちていった。


「そう...ですか」


それが私の精一杯の返答だった。涙を見せるわけにはいかない。グレイス家の娘として、最後の誇りだけは守り通すと。


その時、歓声が上がった。


「出たぞ!」


「賢者のスキルだ!」


「今代の賢者はモンゴメリー伯爵家からだ!」


祭壇には『賢者』のスキルを授かった伯爵令嬢のエリザベスが立っていた。彼女は私を少し見ると、王子の側に歩み寄った。


「殿下、微力ながらエリザベス・モンゴメリーが王家にお力添えを致します」


私はその光景をどこか別世界の映像のように見ていた。おとぎ話を観るように。


王子は何かエリザベスに対し言っていた。でも私の耳には届かなかった。


「ビリー!!!」


その時、大広間に響き渡る怒号に、振り向くと、そこには怒りで顔を真っ赤にした父上が立っていた。


「この恥さらしが!」父は私の手を掴み、大広間を急ぎ出るようにひっぱっていった。「お前などグレイス家の者でも何でもない!とっとと出ていけ!」


私はなんの抵抗も出来ず、ただ父に引っ張られるままに連れて行かれた。


体に全く力が入らなかった。


父は私をそのまま馬車に放り込み、御者のセバスにただ一言「連れて行け」と言い放った。


馬車が揺れると共に、私の視界はぼやけ、何も見えなくなった。



館に戻ると、私は鏡の前に立った。長い間、大切に育ててきた藍色の髪を見つめる。この髪は、かつて王子が「夜空のように美しい」と褒めてくれたもの。でも今は...その言葉も、この髪も、すべて過去のものになった。


決意を込めて鋏を手に取る。


さようなら、旧きビリー・グレイス


一房、また一房と、髪が床に落ちていく。切れ味の良い鋏が髪を切り裂く音だけが、静かな部屋に響いていた。


最後に鏡を見たとき、そこには首の後ろでわずかに揺れる髪の少女がいた。


翌日、私は荷物をまとめ、屋敷を後にした。行く当てはなかった。でもそういう人間が行く場所はわかっていた。冒険者ギルド。


公爵令嬢が冒険者になるなど、前代未聞のことだろう。でも、もはや私には選択肢はなかった。家に居場所はなく、もし残れたとしても父の怒りと周囲の嘲笑に耐え続けなければならない。


冒険者ギルドの扉を押し開けると、一瞬、喧騒が静まった。私は最も質素な服装を選んでいたが、それでも私の出で立ちは場違いだったのかもしれない。


—みんな見てる...気にしないで、ビリー。今は目の前に集中して。


「冒険者になりたいのですが」


受付で言うと、私の身長の倍はありそうな男が受付から顔を上げた。傷だらけの顔に鋭い目つき、胸板は分厚く、首筋には何かの獣に噛まれたような古傷が走っている。


「ほう、お嬢ちゃんが冒険者?」男は私をじろりと見て、その目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。「怪我しないうちに帰りな。ここは貴族のお遊びをする場所じゃねぇ」


周囲からは笑い声が上がった。


「あれはグレイス公爵の娘じゃないか?」

「聞いたぞ、昨日の婚約破棄の噂を」

「『通信』とかいうスキルだってな。何の役にも立たねぇだろ」


「お願いします」私は頭を下げた。「どうしても冒険者になりたいんです。なんでもやります」


受付の男は舌打ちをした。「剣を握ったことねえだろ?指の皮が剥けて血を流すのが関の山だ」


「それでも...」私は震える声を抑えながら、きっぱりと言った。「やってみせます」


「まあいいか」男は大きなため息をついた。「じゃあこの玉に手を置け。スキルを確認する」


私は差し出された水晶のような玉に恐る恐る手を置いた。すると玉が淡く光り、中に文字が浮かび上がる。


『通信』


「やっぱりな」男は鼻で笑った。「聞いたこともねえスキルじゃねぇか」


周囲の冒険者たちも一斉に嘲笑い始めた。


「なんだそれ!」

「メッセージ伝えるだけなら、伝書鳩の方がマシだぜ!」

「さっさと帰って、お父さんに泣きつけよ!」


嘲笑、侮蔑、哀れみ...様々な感情が交差する視線を受け、私の心は揺れた。悲しみ、怒り、屈辱...それらの感情が胸の中でぐるぐると渦を巻く。


私はゆっくりと目を閉じ、深呼吸をした。再び目を開けると、そこには冷たい決意の色が宿っていた。


—構わない。嘲笑うがいい。


「それでも、私は冒険者になりたいです」


受付の男は苦々しい表情で書類を出し、私は淡々と手続きを済ませ、冒険者カードを受け取った。しかし、ここからが本当の難関だった。冒険者は通常、パーティを組んで活動する。でも、私を受け入れるパーティはなかった。


「役立たずのスキルなど、荷物になるだけだ」

「そんな綺麗な顔して、野営生活なんてできるはずがない」

「貴族のお嬢様なんて、モンスターを前にしたら失神するに決まってる」


—ここでも私は必要とされていない。お願い。誰か...私に機会をください


私は静かに立ち尽くし、その目は次第に冷たさを増していった。心の中では焦りと不安が渦巻いていたが、表情には出さないよう必死に耐えていた。


そんな中、机につっぷして寝ていた一人の男が起き上がり私に近づいてきた。


「うるさくて、寝てらんねえぜ」


薄暗い酒場の中でも、彼の存在感は際立っていた。黒い軽装を身にまとい、腰に二本の細い剣を差している。


その顔は端正だが、異国的な雰囲気を漂わせていた。彼の瞳は鋭く、まるで私の心の奥底まで見透かされているようで、思わず身震いした。


「おいおい、大の男共がよってたかって陰口しかたたけねぇってのかよ。落ちたんもんだね、冒険者ってのも」彼は周囲を睨むように私に話しかけた。


「何だとテメー!」


「調子のってんじゃねえぞ!八つ裂きにすんぞ」


当然彼の発言に周囲は反発した。


「ガタガタうるせえんだよ!文句あんなら俺が相手になってやる。死にてえ奴から来な」


途端に周囲は静かになり、受付の職員も目を逸らしていた。


「弱い連中こそよく吠えるってね。気にすんな」


彼は私に向かって魅力的な笑顔を向けた。その笑顔に私は何か...危険な雰囲気を感じ取った。


「よお、もし当てがないなら、俺と組まねえか?」


—突然の申し出は驚きや戸惑いより嬉しさが優った


「本当ですか?」私は半信半疑で尋ねた。


「ああ、中途半端な連中と組むよりマシだと思うぜ」


—少なくとも冒険者としての第一歩を踏み出せる


「ありがとうございます。あの、お名前は...?」


「ジンだ。剣と忍術をメインにしてる」


—忍術...?聞いたことのないスキルだわ。


その時、声が割って入った。


「お嬢さん、その男には気をつけたほうがいい」


振り向くと、まぶしいほどの白銀の鎧を身につけた青年が立っていた。


彼の金髪は太陽の光を反射し、その碧眼は真実だけを映すかのように澄んでいた。


彼は優しく微笑んだ。「私はライト。『パラディン』です。この男は、これまで幾度となくパーティの女性たちを泣かせてきた。下心しかない男です」彼は声を低め、厳しい口調で続けた。「しかも世界出身という素性も怪しい。この国ではあまり知られていないが、東の大陸からきたという噂だ。使う技も我々の知る魔法とは全く異なる」


ジンさんは不満そうに舌打ちをした。「うるせえのが来やがった。余計なお世話だ、ライト。トレーニングが彼女な方がよっぽど不健全だろ」


二人の間に流れる敵意に、私は居心地の悪さを感じた。まるで二匹の獣が縄張りを争うかのような緊張感。


その時、ギルドの入り口が勢いよく開き、数人の女性騎士たちが怒りの形相で入ってきた。彼女たちの鎧は重そうだったが、それを物ともせず、猛烈な剣幕で部屋を見渡していた。


「ジンを見なかったか?あの変態、今度見つけたら許さない!」


—変態...?一体何をしたの!


女性騎士たちの怒号を聞き、ライトさんと私が反応する間に、ジンさんの姿は消えていた。まるで煙のように、何の音も立てずに。


—え?どこに...?さっきまでここにいたのに


ライトさんは溜息をつき、女性騎士たちに近づいた。「お嬢さん方、あんな男と関わってはいけない。彼は危険だ。今後何かあったら私に言いたまえ」


「ライト様がそうおっしゃるなら」


「ちょっといい男だからって、ジンに関わるのはやめよ!」


イケメンのライトさんに諭され、女性騎士たちは渋々引き下がった。彼女たちが去った後、驚くべきことにジンさんは再び私の背後に現れた。


「うわっ!」思わず小さな悲鳴を上げてしまった。


「おーこえー」ジンさんは悪びれた様子もなく笑った。


「これが…忍者?」私は驚きの声を上げた。


ジンさんは肩をすくめた。「ああ。隠密は得意なんだ」


彼の目は私をじっと見つめていた。その瞳には、さっきまでの下心とは別の気配があるような気がした。


—この人、本当に何を考えているのかわからない


「今日は生真面目な脳筋に免じて退散するぜ。だが、困ったことがあったら呼んでくれ。なんとかとハサミは使いようってね」


そう言い残し、ジンさんは再び姿を消した。彼の去り際の笑顔が、なぜか私の胸に焼き付いた。


「あの男に何かされなかったか?」ライトさんは心配そうに聞いてきた。


「大丈夫です。ありがとうございます、ライトさん」


「気をつけたほうがいい。あの男は女性と見ると見境ない。特にあなたのようなタイプには」ライトさんは真剣な表情で忠告した。


「はい...」


—でも、ジンさんの力は本物みたい。あんな風に姿を消せるなんて...一体どんな技術なのかしら


「君はスキルが『通信』だと聞いたが...それは一体どんな能力なのだ?」ライトさんが尋ねた。


「実は...私にもよくわからないんです」正直に答えた。「何かを伝えることができるらしいのですが、まだ使い方がわかりません」


ライトさんは考え込む様子を見せた。「そうか...もしよければ、私のパーティに来ないか?『通信』の能力を試してみるのも良いだろう」


「本当ですか?」思わず声が弾んでしまった。


「ああ。明日、この場所で会おう。朝九時だ」


「はい!必ず来ます!」


初めて、希望の光が見えた気がした。


その夜、私は安宿の一室で、今日の出来事を振り返っていた。ベッドは硬く、部屋は狭かったが、少なくとも安全だった。...と、思いたかった。


—父上は、私の行動を知ったらどう思うだろう...公爵家の娘が冒険者になるなんて、前代未聞だわ。


窓の外を見ると、闇夜の中、街の灯りが小さな星のように瞬いていた。実家の豪華な寝室と比べれば雲泥の差だが、不思議と心は穏やかだった。


—明日からは冒険者としての生活...不安だけど、ライトさんがいてくれるから大丈夫


そして、もう一人の顔が脳裏に浮かんだ。


—ジンさん...あの人は本当に何者なのかしら。危険な人なのは間違いないけど...


すると突然、私の頭に声が響いた。


『娘は我が家の恥だ。始末せよ』


私は飛び上がった。今の声は...父親のものだった。


え?何?今、父上の声が聞こえた...?どうして?


『はい、ハルトマン様。今夜、必ず』


別の声。これは父の側近、セバスの声だ。


離れた場所の会話や光景が頭に入って来る...?


驚きよりも、恐怖が背筋を走り抜けた。


信じられない...父上が私を...殺そうとしている!?


頭が真っ白になりかけたが、すぐに我に返った。今は考えている場合ではない。行動しなければ。


即座に荷物をまとめ、宿を飛び出した。闇の中を走りながら、頭の中で必死に考えた。


—どこに逃げよう?ライトさんを探すべき?でも全く当てがない。そうだ!ギルドなら。


私は街灯の薄暗い光を頼りに、冒険者ギルドを目指して走った。息が上がり、足に鈍い痛みを感じながらも、ただひたすら前へ。夜の闇に包まれた石畳の道を、命からがら駆け抜けた。


「あと少し...ギルドにさえたどり着けば...」

もうギルドの建物が見えてきた。大きな木製の看板が月明かりに照らされている。あと百歩ほどで


その時だった。

何者かに背後から強烈な一撃を受け、私は宙を舞った。体が空中でくるりと回転し、そのまま石畳に叩きつけられた。


「っ...!」


激痛が全身を走り、一瞬、意識が朦朧とする。顔から流れる温かい液体が石畳を伝う。血だ。


「お嬢様、どこへ行くつもりでしたか?」


冷たく、しかし愉しむような声色。ゆっくりと顔を上げると、黒装束の男が立っていた。顔は覆面で隠されているが、その目だけが月明かりに照らされて不気味に光っていた。


私はよろめきながら立ち上がろうとしたが、膝が震えて力が入らない。


「お前...父上に雇われた...」

「おや、なぜお父上だと…」男は低く笑った。「まあ知ったところで結末は変わりませんが」


暗殺者は私に近づき、短剣を抜いた。それを一振りすると、鋭い風切り音が夜空に響いた。


「さて、すぐに命を頂くのも味気ない。少しばかり...愉しませてもらおうか」


その言葉に、私の血の気が引いた。彼の目には残忍な喜びの色が宿っていた。


「私はね、ただ殺すだけなんて退屈でね」男は楽しげに言った。「ゆっくり、じわじわと...恐怖と絶望を味わってもらうのが好きなんだ」


絶望的な状況だったが、私は諦めなかった。振袖から、出立前に密かに持ち出していた短剣を取り出した。握りしめる手が震えている。


「ほう、抵抗するつもりか」暗殺者は面白そうに笑った。「いいだろう。それも愉しみを増してくれる」


彼が一歩踏み出した瞬間、私は必死に短剣を突き出した。しかし、彼はまるで予測していたかのように、軽く身をかわした。


「遅い、遅すぎる」


次の瞬間、手刀が鞭のように空気を切り裂き、私の手首を激しく打った。激痛と共に短剣が石畳に落ち、金属的な音が静かな夜に響いた。


「お嬢様にしては健闘と言えるでしょう」暗殺者は愉しむように言った。


彼の目の前から消えると、今度は私の足元を打った。バランスを崩し、私は再び地面に倒れ込む。

「立て。もう一度遊んでやる」


震える足で何とか立ち上がろうとした私に、暗殺者は容赦なく攻撃を続けた。


短剣が私の体を何度もかすめ、衣服が引き裂かれていく。痛みで意識が遠のきそうになるが、必死に耐えた。


露わになった肌に冷たい夜気が触れ、私は身を縮こませた。


「哀れな娘だ」暗殺者は嘲るような調子で言った。「何の才能もなく、誰からも必要とされず、人知れず死んでいく」


暗殺者の言葉に目の前が滲む。


「さて、そろそろ楽にしてやろう。死ぬ前に最後の言葉はあるか?」


—いやだ。いやだ。なぜ。何も悪いことをしてないのにどうして。死にたくない。誰か助けて。本当に死ぬの?いやだ。


「あ...う…」頭の中は混乱して、言葉は出てこなかった。


暗殺者の刃が不吉な光を放つ。全てがゆっくりに感じる


「さよなら、ビリー・グレイス嬢。失意の中死ぬんです」


彼が短刀を振り上げた瞬間、心の底から願った。


—誰か...助けて!


その瞬間、私の頭に浮かんだのは二人の顔。ライトさんとジンさん。特に、ジンさんの「困ったことがあったら呼んでくれ」という言葉が鮮明に蘇った。


次の瞬間、暗殺者の背後から何かが飛んできた。銀色の閃光。手裏剣が次々と暗殺者の周囲に突き刺さり、彼の動きを封じた。


「何だと?」


暗殺者が驚いた隙に、影から一人の男が飛び出した。それはジンさんだった。彼の動きは風のように速く、まるで踊るかのような優雅さで暗殺者に襲いかかった。


—どうして...?


「こんな時間に月のない夜を散歩するのは、襲ってくださいって言ってるようなもんだぜ。水くさいな。そういう気分の時は俺に頼みな」ジンさんは軽やかな口調で現れた。


まるで私を安心させるように。


彼は私の傷ついた腕を見て、表情が一変した。その目は氷のように冷たくなり、声音も低く危険なものに変わった。


「テメェ、誰の女に手を出したかわかってんだろうな」ジンさんの言葉には、これまで聞いたことのない怒りが込められていた。「ぶっ殺す!」


暗殺者は一瞬ひるんだが、すぐに冷笑を浮かべた。「邪魔をする気か? 余計なことをすると命はないぞ」


彼は短く鋭い口笛を三回吹いた。その合図に応えるように、周囲の影から三人の黒装束の人物が現れた。月明かりの下、彼らの持つ武器が不吉な輝きを放っていた。


一人目は長身の男で、二刀流の剣を構えている。二人目は小柄だが筋肉質の男で、金属の爪が装着された手袋をはめていた。三人目は女性らしき黒装束で、長い鎖の先に鎌が付いた武器を軽やかに回転させていた。


「お前は運が悪い」リーダーと思われる最初の暗殺者が言った。「我々の前に立ちはだかるとは」


「オトモダチがいねえと怖くてトイレにも行けなそうだな」ジンさんは興味深そうに眉を上げた。「アホ面ぶら下げていい気になってりゃ世話ねえぜ」


「その口二度とたたけぬようにしてくれる!」二刀流の男が低い声で言った。「我々の『十字陣』に囚われた者は、これまで生きて逃げ出した者はいない」


四人は完璧な連携で動き、私とジンさんを取り囲んだ。彼らは四つの方角に立ち、互いに目配せを交わすと、一斉に地面に何かを投げつけた。


黒い煙が立ち上り、四人を結ぶ線が地面に浮かび上がった—それは正確な十字形を描いていた。


「十字陣、発動」リーダーが唱えると、十字の線が光り始め、周囲の空気が重くなったように感じた。まるで見えない壁が私たちを閉じ込めたかのようだった。


「この結界内では、貴様の力は十分の一も出ない」鎖鎌の女が言った。「しかも外からの干渉は一切受けない」


「へー」ジンさんは状況を見回しながらも、驚くほど落ち着いていた。彼はまるで日常的な出来事を扱うかのような余裕があった。


彼はゆっくりと腰に差した刀に手をかけたが、まだ抜くことはしなかった。「なかなか手の込んだ手品じゃねえか」


「殺せ!」リーダーの命令とともに、四人が同時に動いた。


二刀流の男が猛烈な勢いで切り込んできた。その二本の刀が描く軌跡は、まるで見えない網のように空間を埋め尽くす。


同時に、爪の男が低い姿勢で地面を這うように接近し、足元を狙ってきた。


鎖鎌の女は距離を取りながら、長い鎖を操って不規則な角度から攻撃を仕掛ける。そしてリーダー自身は高く跳び上がり、上空から致命的な一撃を繰り出そうとしていた。


それは完璧な四方からの攻撃だった。逃げ場はなく、防御の隙間もない。普通の戦士なら、この状況で一人でも防ぎきれれば奇跡だろう。


しかし、ジンさんは違った。


彼は静かに目を閉じ、深く息を吸った。その瞬間、彼の周りの空気がわずかに震えたように感じた。


「どけ」


ジンさんの声は静かだったが、何か底知れぬ力が暴風と共に周囲に巻き起こった。


その瞬間に暗殺者達はバラバラの方向に吹っ飛ばされていた。


彼は落ち着いた様子で刀を鞘から引き抜くと、月の光が刀身に反射し、幽玄な青い光が辺りを照らした。


次の瞬間、彼の動きが変わった。


まるで重力から解放されたかのように、ジンさんの体が僅かに宙に浮かんだ。


即座に復帰した二刀流の男の攻撃がジンさんを貫こうとした瞬間、彼はまるで水が流れるように身をひねり、その攻撃をすべて回避した。


「なっ—!」


二刀流の男が驚きの声を上げる間もなく、ジンさんは完全に刀を抜いた。その一閃が空気を切り裂き、二刀流の男の両刀を同時に弾き飛ばした。


「一人目」


ジンさんの言葉が聞こえた直後、二刀流の男は床に倒れ込んだ。刀の柄で正確に急所を突かれたのだ。


爪の男が怒りの咆哮を上げながら跳びかかってきた。鋭い爪が月明かりを反射して光る。


爪の男の攻撃は目にも止まらぬ速さで繰り出された。十本の爪が同時に、あらゆる角度からジンさんを切り裂こうとする。それは人間離れした技だった。


しかし、ジンさんはさらに速かった。彼は刀を握ってない方の手で爪の男の攻撃を受け止めた。


「何!」爪の男が目を見開いた。「なぜ私の爪が...」


言い終わらないうちに、ジンさんの足が爪の男のみぞおちに入り、その勢いで、掴んでいた五本の爪が折れ曲がり、使い物にならなくなる。


「武器を抑えられた時のことを常に考えておけ」ジンさんは静かに言った。「二人目」


爪の男も意識を失い、倒れた。


「くっ!」鎖鎌の女が鎖を思い切り振り回し、ジンさんを包囲するように攻撃を仕掛けた。「死ね!」


鎖が蛇のように動き、あらゆる方向からジンさんを締め上げようとする。それは単なる物理的な攻撃ではなく、まるで生きているかのように複雑に動く鎖だった。


鎖が光の速さでジンさんを捕らえた瞬間、驚くべきことが起きた。ジンさんが刀を目にも止まらぬ早さで振られると、鎖は真っ二つに断ち切れた。


「どうして...」鎖鎌の女が驚愕の表情を浮かべる。「私の鎖が...」


「ままごとがしてえなら公園でも行くんだな」ジンさんは微笑んだ。彼は鍔ごと刀身で彼女の横面を殴打した。「三人目」


残るはリーダーだけだ。


「馬鹿な...」リーダーの声が震えていた。「お前は何者だ?」


リーダーはジンさんの顔をじっと見つめ、突然驚愕の表情を浮かべた。


「もしや...お前は—!」


「うるせえな」ジンさんは圧で彼を黙らせた。すると彼の周りの空気が変わり始めた。静電気が辺りに充満し、髪の毛が逆立つような感覚が広がる。


彼は手で印を結び始めたた。指が複雑な形を素早く作り上げていく。


暗殺者のリーダーは仲間を置いて逃げだようとしたが、ジンさんの低い声が先に響いた。


「万雷遁」


夜空が突然割れたように輝くと、次の瞬間、無数の魔法陣が天を埋め尽くし、青白い光が闇を引き裂いた。数えるのも嫌になるほどの雷が天から降り注ぎ、十字陣の中心に直撃した。


轟音と閃光が辺りを包み込み、私は目を閉じざるを得なかった。


光が収まった時、そこにはジンさんだけが立っていた。地面には黒い焦げ跡が広がり、四人の暗殺者の姿はなかった。彼らがどうなったのか、直接見ることはなかったが、それを想像するだけで背筋が凍りついた。


ジンさんはゆっくりと刀を鞘に収めた。その顔には少しの悔いも見えなかった。


彼は私の方へと歩み寄ってきた。さっきまでの冷たい眼差しと怒りは消え、普通の表情に戻っていた。まるで先ほどの出来事が幻だったかのように。


「大丈夫かよ?」ジンさんは私に問いかけた。彼の声には本当の心配が込められていた。


そして自分の衣服を脱ぐと私にかけた。


私は言葉も出ないほど驚愕していた。ギルドでの態度とはまるで別人のような真剣な眼差し、洗練された動き、そして圧倒的な破壊力。


—さっきまでの彼と同じ人とは思えない...これが本当のジンさん...?


「そういえば、あなたがなぜここに?」私は驚きを隠せなかった。心臓が早鐘を打っていた。それは恐怖からだけではなく、ジンさんの意外な一面を見た衝撃からでもあった。


「俺も聞きてーんだよ。お前の声と位置が突然、頭の中に飛び込んできてよ。『助けて』くれって」


ジンさんの言葉に、私は瞳を見開いた。


私の声が...?まさか...?


その時、遠くから足音が響いてきた。ライトさんだった。彼も息を切らしていた。


「ビリーさん!無事か?突然、君の声が頭に響いて...場所まで分かったんだ」


ライトさんにも...?


私はゆっくりと理解し始めた。


「これが...私のスキル『通信』なの?」


その夜、三人は事の成り行きを話し合った。私のスキルは、単なる「メッセージを送る」能力ではなかった。それは、私が望む相手の声を聞き、また自分の声や位置、さらには知らせたい情報までも相手に伝える、能力だった。


「これは凄い能力だぞ」ライトさんは感嘆した。「敵の作戦を事前に知り、仲間に危機を知らせる...冒険者としては最高の能力ではないか」


ジンさんも同意した。「確かに。バカにできないスキルだな」彼は私を見つめ、真摯な表情で言った。


その言葉に、私は思わず頬が熱くなるのを感じた。


やっと認めてくれる人に出会えた。


初めて希望の光が灯った気がした。「私...冒険者として生きていけますか」と思わず口に出ていた。


「自分を信じろ」

「なれますとも」


二人は私の目を見て言った。


幼い頃から「大賢者の血を引く者」として期待され、その期待に応えられなかったら罪悪感が私を苦しめていた。でも今、この「通信」というスキルこそが私だけの道を切り開くものなのだと理解できた。それは華やかさこそないが、人々の命を救い、絆を繋ぐ大切な力。かつての私なら気づけなかった価値だった。


「とにかくギルドで手当てと何か着るものをもらいましょう」ライトさんは私をギルドへ誘導した。


ジンさんは笑って「まっ、俺としちゃもう少しセクシーな衣装がいいけどな」


「お前という奴は!ビリーさんこんな奴に騙されてはいけませんよ」


「まっゆっくり俺好みに変えていきゃいいか」


ふと、この二人のやり取りに心の緊張が解きほぐされる気がした。


「いッ!」


「ほら、お前がそんなこと言うから」


二人が慌てた様子で私を見ている。


ライトさんが近づいてきてハンカチを差し出してくれた。


「こんな奴の言うことで心を痛めないで」


ハンカチを受け取ると、その手の上に雫が落ちた。


「ほんの冗談つもりだったんだ。悪かった」


ジンさんは、バツが悪そうに謝罪した。


彼の表情に真摯さを見た私は、突然の安堵感で笑い出してしまった。この数日間の出来事が走馬灯のように過ぎる—婚約破棄、家族からの拒絶、暗殺者の襲撃—そして今、まるで運命に導かれるように出会った二人の冒険者。


「どうかしましたか?」ライトさんが心配そうに尋ねる。


「ただ...不思議なんです」私は涙を拭いながら答えた。「数日前まで、私は全てを持っていると思っていました。...でも実は何も持っていなかった」


二人は静かに私の言葉に耳を傾けた。


「そして今、全てを失ったはずなのに」私は夜空を見上げ、星々が以前より明るく輝いているように感じた。「初めて本当に自分の生き方を手に入れた気がします」


ジンさんは小さく微笑んだ。「そうだな。お前は強いよ」


「確かに」ライトさんも頷いた。「その『通信』の力は、正しく使えば多くの命を救うでしょう」


夜風が私たちの間を吹き抜け、私の短く切った髪を揺らした。それはまるで新しい人生の始まりを告げるようだった。


「明日からはビシビシ冒険者として鍛えてやるからな」ジンさんが言った。「甘くはないぞ」


「私が基本を教えましょう」ライトさんが提案した。「剣の持ち方から始めて—」


「いやいや、まずは隠密だろ」ジンさんが口を挟む。


二人の言い争いを聞きながら、私はふと笑みがこぼれるのを感じた。これが私の新しい日常になるのだと思うと、不思議と胸が温かくなった。


「皆さん」私は決意を込めて言った。「私、きっと一人前の冒険者になります。そして...この力で、本当に必要とされる存在になりたいんです」


星明かりの下、私たちは三人で誓いを立てた。


かつての婚約者に捨てられ、家族に追われる身となったビリー・グレイス。そして彼女を認め、受け入れた二人の冒険者。まるで運命に導かれるように出会った三人の物語は、ここから始まったばかりだった。

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