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私と彼の結婚

作者: 水流花

 14歳のある日。

 王立図書館裏の公園のベンチで本を読んでいた私は、その現場を目撃した。


「デュール様、もう無理です……!」


 大きな声とともに可憐な少女が泣き出し、目の前に立つ小柄な少年が慌てている。


 呆気に取られて見守っていると、泣いた少女が駆け出しお付きの人が追っていく。

 少年だけがその場に残された。仕立てのいい服を着ている。きっと貴族の子供だ。落ち込んだ様子の少年の背中に、ひゅうっと木枯らしが吹き抜けていく。


 暫くして顔を上げた少年と、目が合ってしまった。


「君は……」


 気まずそうに瞳が揺れる。

 短く切った金色の髪に茶色い瞳、日に焼けた肌、歳の頃は近そうだ。私より背が低そう。顔立ちは整ってる。美少年なのかもしれない。小柄だけど、とても健康そうな子だった。


「見てた?」


 ばつが悪そうに少年は言う。


「は、はぁ……」


 少年は私の元に歩いてくると、持っていた本を覗き込んだ。


「隣、座っていい?」

「は、はい」

「その本面白いの?」

「それなりに……流行りの恋愛小説ですが」

「恋愛小説かぁ……どんな男が書いてあるの?」

「え?」

「見合いしても、しても、上手くいかないんだよ。女心が分からない無神経なやつって振られる」

「はぁ……」

「でも俺だって、公園に来ただけで泣かれても何にも分からないんだよ……」


 少年は深くため息を吐いた。

 そんなことを言われても、見知らぬ少年の身の上話など知ったこっちゃない。


「俺も、恋愛小説読んだら参考になるのかなぁ?」

「それはどうでしょう……恋愛小説と言っても幅広いですし」

「幅広い?」

「まず、男性向け、女性向け、また各年齢層向けにも分かれた細かいジャンルがあります」

「そんなに内容違うの?」

「ええ!それはもう全く違います。ああ、敢えていうなら、違うからこそ色々なジャンルを読んでみることで勉強になるかもしれませんね」

「そ、そうなの?」

「そうです。男女ではまるで視点が違うと言うことに気が付くでしょう」

「視点?」

「視点……思考なのかもしれません。考えていることも感じていることも違います。恐らく生まれながらに回路が違うのでしょう。まずは、違いを認めるところが出発点かもしれませんね」

「違いを認めることが出発点」

「丁度良いですので、図書館でおすすめの本を教えましょうか?」

「宜しく頼む」


 王立図書館でお勧めの本を教え、お互いに名乗り合って別れた。


 彼は伯爵家の三男、デュール様。彼曰く、金銭的に余裕のない名ばかりの伯爵家の生まれであり、両親から婿入り先を早く決めるように言われているらしい。私はとりあえず、冬が近付く肌寒い公園で予告もなしに令嬢を長く歩かせるのは良くないですよ、とアドバイスをした。

 ちなみに私は、男爵家の、訳合って家に居場所がない娘キャサリンである。






 それから三月程経った頃、公園のベンチにデュール様が現れた。


「本を読んだ!あれから借りまくったぞ」

「まぁ、どうでした?」

「確かに視点が全然違ったな。女性向けは感情面の描写が多かった。異性に対してはしてくれた行動や台詞を重要視していた。男の俺には、相手の男は生々しくないというか理想的過ぎたな。こんな男いないだろう、みたいな。対して男性向けは、物理面の描写が多いな。心惹かれた女性を手に入れることや、可愛いとか、愛想が良いとか、触れたいとか……それでも受け入れられるからあれはきっと女性が見たら思うところあるのだろうな。どちらも違和感があった。そういうものだけではないだろうが」

「ああ……」

「ああ?……いや黙らないで。続きが聞きたいよ」

「感想に関しては恋愛小説を日頃必要としない方の正直なご意見かと」

「感想に関しては?」

「個人的見解は恨みつらみも含まれますので、あまり参考にならず、聞かれない方が良いと思います」

「恨みつらみ?逆に気になるから教えて……」

「私の母は愛人でして」

「……ほう」

「若く美しい時は父に寵愛されたのですが、歳を取ったらぽいっと捨てられました。心を病んで病気になって死にました」

「重いな。聞いて悪かった」

「母亡き後、正妻のいる本宅に引き取られたのですが、母そっくりの容姿の私は疎まれまして」

「だから帽子を深く被り眼鏡までしているのか」

「そんな感じです。つまりですね」

「いや、話させて悪かったな。辛い話ならもう……」

「いいえ、折角だから、聞いてください」

「お、おう」

「つまりですね……」

「緊張してきた」

「父は、女性を、ガワで見ているんです」

「ガワ」

「母に似て可愛かったから引き取ったけど、みすぼらしい私には興味も失いました。義母から綺麗に装える環境も奪われてはいるんですが」

「待ってガワってなに」

「外側です!見た目です!愛想とかもあるかもしれませんが」

「あー……」

「何を感じて、傷ついて、喜んで……とかではなくて、その外側が自分にとって、有益であるかどうかが大事で」

「有益」

「正妻の子供である、美しく着飾った愛されている自覚のある、いつも笑ってる妹たちは溺愛されています」

「辛いな……」

「母は、死ぬまで、何も変わらずとても美しい人だったんです。父はそれを知りません……」

「そうか……」

「もちろんこれは父の話です。人によって違いますよ。性別関係なくガワが重視の人もいますから」

「う、うん……」


 この後、年齢層高めの女性向け恋愛小説には、旦那に復讐するジャンルのものが山ほどあるのだと力説し、最後にお勧めのすっきりすかっとする本を教えて別れた。あれからまだ、新しいお見合いはされていないそうだった。






 数か月後。15歳の春になった。


「久しぶりだな!」

「デュール様」

「元気だった?」

「ええデュール様も……背が伸びましたね?」


 私より低い背丈であったはずなのに、もう見上げてしまう。少しだけ体が逞しくなっている気がする。


「今年から、騎士団の訓練生になったんだ」

「まぁ、騎士団ですか?」

「キャサリンに本を教えてもらって、気が付いた。俺は、致命的に、恋愛に向いていなかった」

「はぁ……」

「女性向けの、貴族令嬢の恋愛物語の男性になるのは、俺には無理だ。生まれ変わっても無理だ。復讐される夫になる未来しか見えてこない」

「あれは物語ですよ。結婚相手にそこまで求めている令嬢も居ないと思いますが……」

「なので、少年向け冒険小説の主人公の方向に舵を切ることにした」

「少年向け冒険小説」

「自分の力で、学び成長し、未来を掴むのだ」

「わぁ!なんだかカッコいいですね」

「つまり、継ぐ家もなく、婿入りも無理だと悟り、騎士爵を目指すことにした」

「素敵じゃないですか!」

「本当は目指したかったんだ。体が小さすぎると……向いていないのだと言われ続けて、何のとりえもないと兄弟に言われることもあって、挫けてた。でも……」

「なんですか?」

「たくさんの本を読んでいるうちに、少しだけ視野が広がった。自分の人生を考え直せた」

「まぁ……」

「きっと自分なんかよりずっと辛い逆境の中、未来を切り開こうと頑張る者も多いんだろうと。自分の力で切り開いてみたいと思った。出来なくても後悔したくないって。キャサリンのおかげだよ」

「素敵ですね!立派な考えです。応援してますよ」

「キャサリンはこれからどうする?学園には通うのか?」

「そうですね。来年から……でもきっと、愛人の娘なんて、学園でもあまり良い顔はされないでしょう。卒業までには父は私を高く売れる嫁ぎ先を見つけているでしょうね。お金にがめついですから」

「そうか……。俺も訓練所とともに学園にも通う。また学園で会おう」


 それからはあまりお会い出来なくなったけれど、学園で会えると思うと入学が楽しみになった。






 16歳。学園に入学した。

 私は肩身の狭い思いをしながらひっそりと通っていた。

 勉強は楽しい。成績はとても良かった。また図書室で本の虫。教授たちには可愛がられた。手伝う代わりに学べる手段を紹介してくれる。

 中庭で本を広げていると、時折デュール様がやってくる。


 背がとても高くなった。太い腕、鍛えた体。すでに大人の体格になっていた。


「また読んでいるのか」

「デュール様!また背が伸びました?」

「そうか?確かに君が小さく感じる気がする。男女はこうも違うんだな」

「頑張られてます。この間の大会も素敵でした。優勝おめでとうございます」

「……照れるな。でもまだまだだよ」

「デュール様なら大丈夫です」

「ありがとう。それは何の本?隣国の言語の本じゃないか。なんでも読むなぁ」

「いろいろなことを知るのが好きなのです」

「キャサリンの多彩な知識は、話しているだけで俺の思考を広げてくれて、すごく好きだよ」

「ふふ、私もなんでも興味を持って聞いてくれるデュール様と話すのが好きですよ」

「そうか。じゃあ、なにか新しい知識の話をしてよ」

「えっと、これは隣国の動植物の生態の本なんですけど……」


 学園に通う日々は、穏やかに時間が過ぎて行った。

 私に辛くあたる家族のいる屋敷から離れて、親しい人と頻繁に出逢える中庭で過ごすひとときは、私の人生の慰めでもあった。





 17歳。

 隣国との国境で小競合いが続いていた。ある時、争いが大きくなり、新しく騎士たちを増援して向かわせることになった。その機会にデュール様も騎士として叙任された。


「おめでとうございます、デュール様……!!」


 私はそれを聞いて喜んで、お祝いの言葉を並べた。デュール様も嬉しそうだ。


「キャサリンのおかげだよ。君に言ってもらえるのが一番嬉しい」


 小さな少年の体だったときからずっと、この日の為に頑張って来たのだ。今の彼の体はとても大きく、逞しい。全てが、彼が努力で勝ち取ってきた結果だ。


「暫く学園には来れなくなる。キャサリン。お願いだ。出来る限り、待っていてくれ」

「……はい」


 その台詞の含む意味までは分からない。けれど、私はいつだってずっと、彼の訪れを待っていた。いつまでも、時が許す限り私は彼を……。


「待っています」







 三か月後。

 我が国の優位で争いが終わった。けれど彼が戻って来ない。部隊が襲われ、隊長を庇った彼は行方不明になったのだと聞く。

 そんなある日、彼と同じ増援部隊にいた騎士の方が会いに来た。彼から預かったという手紙を持っていた。お互いに、帰れなかった時には渡して欲しい手紙を預け合ったのだと言う。


『キャサリン。俺とは違う小さな君が好きだ。美しい瞳も、綺麗な姿も、可愛い笑顔も、俺の心を喜ばせる。俺にはない、学ぶことを諦めない生き方が好きだ。好奇心旺盛で、何でも答えてくれる優しい性格は俺を助けてくれた。傷つきやすく寂しがりやの内面も、俺にはない繊細さも、何もかもがいつも眩しい。愛している。ありがとう』


 なんでこんなことを手紙に書くのだ。こんなものは、少年向け冒険小説の主人公にはふさわしくない。まるで悲恋小説の恋文ではないか。

 私は泣いた。泣いて泣いて、どうしても、受け入れられなくて。


 そんな時、学校の教師に声を掛けられた。隣国の調査に出なくてはいけないらしい。隣国の言語の出来る生徒に通訳で付いて来て欲しいと。隣国の言語は少し難しくまた関係も良くないため取得している人が少ない。父に反対されたけれど教師に説得を手伝ってもらった。私は教師とともに隣国に向かった。






 隣国の救護院にて。


「すまない」

「すまないじゃありませんよ。心配したのですから」

「意識がなかったんだ……」

「分かってます……分かってますから」

「すまない……」

「デュール様、私はここです」

「帰ったら……」

「ええ、帰りましょう」

「求婚を願い出るから……出来るかは分からないけど、断れない形にしても、いいだろうか。そうでもしないと、俺には」

「ええ、構いません。待ってますから」






 18歳。デュール様は隊長だった第二王子と親しくなっていて、その根回しもあり、褒賞として望んだ王命での婚姻を実現してくれた。


「生涯、愛することを誓います」

「誓います」


 そこは、王立図書館近くの、小さな教会で。

 私たちは少しの仲間たちに結婚を祝ってもらった。

 屋敷を出る時に最後に見た妹たちは、見目麗しく話題の騎士であるデュール様と結婚する私を妬んでいた。なぜあなたなんかが、と。本当になぜなんだろうか。


「少しは冒険小説の主人公に近付けただろうか」

「ふふふ」

「なんだ?」

「恋愛小説ですよ」

「……夫が復讐される?」

「結婚式の日に何言ってるんですか」

「結婚したからこそ……」

「全然違いますよ」

「なら……」

「それは……」


 私はこの人が、少年から大人になるのを見守った。

 少年の日。確かに冒険小説の主人公だった。

 学園の日。彼は恋愛小説のヒーローだった。


 彼に出逢えなかったなら、男性不信の私は……そんな物語の中の登場人物にはきっとなれなかったんだろう。


 今、彼は――。


 どんな名前を付けたらいいのかしら。

 私の物語と、彼の物語が交錯していく。それはきっと。


「私たちだけの物語ですよ」

「ああ、そうだな」


 長く続いていく、新しい物語の一ページ目が、始まったばかり。


「凄く綺麗でお姫様みたいだよ」

「あなたも。王子様みたいで、強い騎士様で、冒険譚の主人公です」

「心配になるくらい盛ってるなぁ」

「本当のことですし」

「君が綺麗で、素敵な内面を持ってるのも本当のことだよ」


 彼は私の心の傷を知っていて、あえてたくさん褒め言葉をくれる。


「あなたは素晴らしい人です」


 私はこの人の努力した過去を知っている。


「君も。素晴らしい人だよ」


 彼もきっと本心から言っている。


 誰かに語られる私たちの物語ではきっと描かれない、言葉に出来ない想いも、二人の心の中で紡いで行きながら。


 街角の、ただの若い夫婦として、小さな物語を描いていくのだろう。




END



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