第五話 擬(まがい)
***
長い階段を小さな足で一つひとつ上がっていく。その足は裸足で、長い距離を歩いたせいか、足の裏は黒く汚れている。時々とがったものを踏んだのか、中には血も混じっているようだ。
少女は疲れ果てているようで、階段を上がるペースがどんどん遅くなっている。肩で息をして、時々足を止めて呼吸を整える。だが、その足が完全に止まることはなかった。
視線をあげても、階段はまだ道をつくっている。もう半分くらいは上がったと思ったが、後ろを振り返ってもまだ三分の一に満たないほどだった。本当に、果てしないほど長い。もしかしたら頂上は雲の上なんじゃないかと思えてしまう。しかし、少女が目指しているのは、そんな極楽ではない。たしかに、神に近い場所ではあるが、極楽とは言えないような場所だった。
ふと、少女の隣から声がする。男のもので、優しげなそれは、少女に語りかける。
「大丈夫かい?」
しかし、声はしてもその姿はなかった。どこからか声がするが、それがどこから聞こえるのか、誰が話しているのかは分からない。
「うん。だいじょうぶ……もうちょっと、だから」
しかし、少女にはその姿が見えていた。
一人の男性。少し老けていて、たぶん六十歳くらいのおじいさん。その表情はまるで可愛い孫を見守っているようだ。しかし、彼には足がない。その部分だけ透けていて、そこだけ少女にも見えないのだ。
「無理しないで、ゆっくりでいいんだよ」
そのおじいさんは幽霊なのだ。少女には幽霊が見えて、一緒に会話ができる。差し出されたおじいさんの手を、しっかりと握ることだってできる。
「ほんとに、だいじょうぶだよ」
そう言って、少女は繋がれたおじいさんと自分の手を見つめた。
「おじいさんのて、おっきいね」
少女は、そう言って微笑んだ。まだあどけない幼い笑顔だが、まるで花が咲いたように明るくなる。その笑顔に、おじいさんは何度か救われたことがある。
少女がこの世に運命を背負って生まれたとき、彼女を守るように何人もの幽霊が集まってきた。彼らも一緒に旅をしていたが、途中で何度も妖怪に襲われ、少女を守るために皆が犠牲になった。残ったのは、おじいさんの幽霊だけだった。
彼女を守らなければ。そんな使命感に、彼は何度も涙を流した。その度に支えてくれたのが、少女だった。
しかし、一番苦しんでいるのは、きっと少女自身なのだろう。自分のために友達が消えていく。その苦しみは、少女にしか分からない。だから、もう少女を悲しませないように、自分がそばにいなければ。自分だけでも、彼女とずっと一緒にいなければ。
そう思った刹那。自分が消える感覚がした。
背後から、鋭い何かで切り裂かれるのを感じて、少女と繋いでいた手を自分から引き剥がした。その行動は正解だっただろう。振り返って少女の盾になり、やっと襲ってきたものを確認すると、案の定、それは妖怪だった。
だらしなく開けた口からはよだれが垂れ、階段に染みをつくる。どうやらお腹がすいているようだ。だから、こんな場所まで追いかけて来たのだろう。ここは、この階段の上は、妖怪たちにとって地獄同然の場所だというのに。しかし、それが分からないほど、この妖怪は飢えているのだ。
大きく両手を広げて、妖怪から少女を隠す。そのうちに何度も鋭い爪で攻撃を受けるが、痛みは少しも感じない。
「速く上に!そうすれば、君を守ってくれるものがあるから!」
それだけ言って、おじいさんの幽霊は妖怪と対峙した。少女は何も言わず、ただ涙を流しながら全力で階段を上って行った。
消える寸前、おじいさんの幽霊は涙を流していた。少女と一緒にいることは叶わなかったが、彼女を守れてよかった。そう、思っていた。
***
「私とつきあってよ」
唐突に、そう言われたのを覚えている。
「えっと、いいけど」
そして、すぐにそう返したのも覚えている。すると彼女は心底嬉しそうな笑顔になり、うさぎのように何度も跳ねて、そこら中を駆け回って、しまいには俺の手をぎゅっと握ってきた。それにはびっくりして、振りほどいてしまったが、別に気にしていない様子で彼女はずっと笑顔だった。
何か、そんなに嬉しいことがあったのだろうか。自分の行動と言動を振り返ってみても、彼女が舞い上がるようなことは言っていないはずだ。
彼女はどうして笑顔になったのだろうか?
その後、落ち着く間もなくメールアドレスを訊かれたり家の住所を訊かれたりとせわしなかったが、結局彼女の元気の要因は分からなかった。
それが、夏休みに入る何日か前の出来事だ。
そして、夏休みに入ってちょうど一週間たった今日。その彼女が、家に来た。
突然インターホンが鳴って、誰だろうと思いそのまま扉をあけ、いつものように門まで進もうとしたが、それができなかった。扉の前に、すでに人がいたのだ。
「来ちゃった」
そんな台詞を語尾にハートがつきそうな勢いで言って、彼女はウインクをした。瞬間、俺は嫌な汗を流した。
***
インターホンが鳴ったのは、ちょうど武瑠が昼食を食べ終えた時だった。
昼食をつくったのは、この家の居候である伊駒桧里だ。彼女はこの家の現在実質的家長である楮武瑠によって拾われた、武瑠のクラスメイトであり、妖怪である。妖怪でありながら、その妖力は今はほぼ封印された状態であり、彼女の左手首にある、黒い石の二連数珠――封印呪破りの数珠によってその力が少しだけ解放されているのだ。解放されている状態では、彼女の瞳は紅く、聡明で積極的だ。しかし、封印されている状態、つまり数珠を身につけていない状態ならば、彼女の体から妖力は消え、完全な人間の状態にされてしまう。その時の彼女はというと、妖怪の状態とは性格も運動神経も何もかもが正反対で、瞳は黒く染まり、頭脳はいいが消極的であり、異性への免疫を全くといって持ち合わせていない。
そんな人間状態の桧里を、二年間一途に想い続けたのが、武瑠の幼馴染の一人である佐治陵である。自称変態の変人であり、前々回で桧里に自分の気持ちをちゃんと伝えたあと、ふられはしたものの諦めずにアタックし続けると宣言した。その言葉を裏切らずに、人間桧里への愛情表現(という名のセクハラ行為)は始まり、陸上部のエースで勉強もまあまあできて……という想像とのギャップを見事につくって見せた。しかし、そんな彼は異能者であり、時間を操ることのできるtimerである。幽霊を目視することは不可能だが、彼らの怨念を、過去を見ることで解き明かし、邪心を取り除くための補助ができるのだ。
そして、度が過ぎる変態のストッパー的存在であるのが、これまた武瑠の幼馴染の一人である鴻上宗谷である。ただのちびで頭が良いというだけではない。彼の家系は代々陰陽術を継いでいる、由緒正しき陰陽師なのだ。宗谷もその一人である。と言っても、まだ妖怪の退治やお祓いや霊の成仏ぐらいしかできない、ひよっこである。
とりあえず、人物紹介はこれくらいにして、本題に戻ろうと思う。
人間桧里が昼食をつくり始めた頃に、宗谷と陵が武瑠の家を訪れた。実は昨日、陵が桧里の料理を食べたいと言い出したのだ。それなら、いつも勉強会をしているのだからついでに昼食を御馳走しよう、と提案したのが武瑠だった。桧里はそれを快く了承し、四人で昼食をする約束をした。場所は武瑠の家で、彼の両親は今タイへと長期の旅行中であるため、迷惑をかけるなどの問題はない。
「美味しい!」
まずそう言ったのは陵だった。顔をこれでもかというほど満面の笑顔にして、幸せそうに料理に手をつける。
「お口に合いますか?」
「うん!めちゃくちゃ美味しいよ!」
そう言われて、桧里は嬉しそうに顔をほころばせた。
「まあ、うちの親父のよりはうまいな」
「宗谷さんの家では、お父さんがつくってるんですか?」
宗谷の呟きに、桧里は首をかしげる。
「ああ、いつもはじいちゃんかばあちゃんだけど、時々な。親父は家にいない時のほうが多いから」
カボチャの煮物を食べながら、宗谷は淡々とした口調で言った。
「宗谷さんのお父さんって刑事だからね。仕方ないよ」
「そうなんですか!」
今まで知らなかった事実に、桧里は目を見開いた。
「でも、おじいさんは農家じゃありませんでしたっけ……」
小学校の頃に、一度畑にお邪魔したことがあったのを思い出す。その時は、農家の仕事を見学するためにクラス全員で出向いて、ちょうど収穫の時期だったトウモロコシを取る体験をさせてもらったのだ。その時に桧里は宗谷の祖父が農家を営んでいることを知った。
「あれ?でも、宗谷さんは陰陽師ですし……お父さんは警察官で?え、えっと」
そこで疑問に思う。祖父が農家で父が刑事なら、陰陽師は一体どこから出てきたのだろうか。農業も警察もどう考えたって陰陽師には全く関係ない。
「じいちゃんは表では農家をやってて、本職は陰陽師だ。親父はそれを継がずに刑事になったんだよ。それで俺が継ぐことになったってわけ」
「なるほど」
「なんか、複雑だね」
苦笑いする武瑠を一瞥して、宗谷は視線を手元に落とした。左手の茶碗には、絶えず湯気が立ち上る白米がつがれていて、あまり手をつけていないからか、量はそこまで減っていない。
自分の家族のことを細かく話したのは、多分これが初めてだった。陰陽師という職業は、昔は表立って営むものだったが、今ではその影は薄い。その上、最近では妖怪の存在すら知らない者の方が多いのだ。それをわざわざ教えるのもなんだか億劫で、幼い頃からの馴染みである武瑠と陵にさえ、そのことを話そうとは思わなかった。
「でも、すごいと思います。宗谷さんも、宗谷さんのお父さんも」
「え?」
「もちろん、おじいさんもですよ。陰陽術って、代々伝わるものなんですよね。それをちゃんと守り続けるのって、大変だと思うんです。でも、そんな存在があったとしても、自分の夢を実現させたいと思って、歴史という束縛を振り切ってまで叶えるのもすごいと思います。そして、時代を受け継ごうとするその姿勢も。だから、私はすごいと思うし、羨ましいです」
少し控えめな笑顔に、まっすぐで純粋で優しい目に、宗谷は吸い込まれる感覚に陥る。
「あ、ご、ごめんなさい!偉そうなことを言ってしまって!」
見開かれた宗谷の目に気づいて、桧里は慌てて頭を何度も下げる。それを見て、宗谷はふっと笑った。
「いや、ありがと」
「え……」
「そんなの言われたの、初めてだ」
少し照れたように笑う、その珍しい笑顔に今度は桧里が目を見開いた。
「ちょっとー、なーんかいい雰囲気なんだけどー」
箸を口に含んだまま、つまらなさそうにそう言うのはやっぱり陵だ。自分の想い人と幼馴染のとても良い雰囲気が面白くない様子。
「今くらいは暖かく見守ろうよ」
武瑠から見ればこの光景は実に微笑ましいものだった。宗谷がこんなふうに笑うのは最近はあまりなかったし、桧里も宗谷に対して少し怯えた一面があったから、尚更だ。
「ちぇ~」
しかし、面白くないものは面白くない。そりゃあ、桧里が笑顔になるのはとてもいいことだが、自分以外の男と良い雰囲気になるのは話が別だ。
頬を膨らませる陵に苦笑して、武瑠は最後の一口を口に入れる。相変わらず食べるスピードは速い。
ちょうどその時、インターホンが鳴った。それに皆がふと手を止める。
「誰だろう?ちょっと行ってくるね」
言って、武瑠は椅子を引いて玄関に向かった。
そして、その数分後。どこかで聞いたこのある高い声と慌ただしく廊下を走る音が重なってこちらに近づいてきた。どうしたのだろうと不思議に感じた宗谷が立ち上がって廊下に出ようとした瞬間、見覚えのある女子が姿を現した。
驚いたように表情を変えるその人物に、三人は唖然とした。
そして、彼女の後ろで頭をかかえる武瑠を振り返って、彼女は驚き半分、怒り半分に叫ぶ。
「どういうことよこれ!」
「いや、その……」
「説明しなさいよ武瑠!」
「あ、えっと~……」
ビシッと音が出そうなほど勢いよく桧里を指差して、次にこう怒鳴った。
「なんで伊駒さんが、ここで一緒にご飯食べてるわけ!」
***
突然武瑠の家を訪れ、制止の声も聞かずに家に上がりこんできたのは、陵と同じクラスの女子生徒――早坂 透穂だった。クラスでも目立っている存在で、その容姿も可愛らしく、いつもおしゃれには気を使っていて、毎日のように髪型も変えたりナチュラルに化粧をほどこしていたりと、とにかく女の子らしい子だ。そんな彼女の性格は、よく言えば明るく天真爛漫。しかし、悪く言えば強引で自分勝手だ。男子にモテてはいるが、これまでも何人かとつきあってその度に別れている。しかし、不思議なことに彼女の周りに男子がいないのを見たことがない。それほど男をとっかえひっかえしているということなのだろうか。
そんな彼女が、また相手にふられてしょぼくれていた頃に、次のターゲットになったのが武瑠だった。
透穂と武瑠は同じ美化委員で、清掃道具を一定の場所に設置しに行くのに、二人一組で分かれて行くことになったとき、偶然武瑠と透穂が一緒になったのだ。ふられたばかりで元気がない透穂を心配して、武瑠が元気を出すように励ました。それがよほど心に響いたのだろう。その一瞬で透穂は武瑠に心を奪われてしまい、勢いで告白したのだ。
ただ、その告白が「私とつきあってよ」と少し短かったのと、武瑠が鈍感なのがあって、告白した本人は嬉しさで舞い上がっていても、告白された武瑠は恋愛的意味で捉えることができず、終始頭上に疑問符を浮かべていた。
そのすれ違いで、この悲劇は生まれた。
***
いつの間にか溢れていた涙を拭うことができず走り続けていた。無我夢中で走って、走って、走っていた。走るのはそんなに得意じゃないし、今日は背伸びしてヒールの高い靴を履いてきたからそんなにスピードは出ていないだろうし、さっきから何度も転んでいるからそこまで武瑠の家から離れてはいない。
それでも、一刻も早くあの場から離れたかった。
あそこに、いたくなかった。
もう何度目かわからない転倒。その時足をひねったらしく、足首がじんじんと痛む。転んだまま立ち上がる気力もなく、ただ道路を睨んだ。流れ落ちた涙が、かわいた地面に吸い込まれてあとを作る。ひとつ、またひとつと、染みはどんどん増えていく。
座り込んだまま、顔を伏せたまま、ただ涙を流し続けた。
これまで何度も振られたことはあるのに、こんなに泣いたことはなかった。
なぜ、こんなにも涙があふれるのだろう。考えてみても、思考はほとんど働かなかった。
むしゃくしゃした。
いらついた。
くやしかった。
履いていたヒールを脱いで、乱暴に投げ捨てる。道路に音をたてて落ちる靴に、虚しさを感じた。
ゆっくりと立ち上がって、近くの公園まで足を引きずる。まだ昼過ぎだというのに、暑さのせいかそこには誰にもおらず、ただ時たま吹くぬるい風にブランコが揺られていた。その一つに座って、力なく鎖を握る。さびて茶色くなったそれは、太陽に照らされて鉄板のように熱くなっていた。
叩いて、しまった。
武瑠を、叩いてしまった。
きっと痛かっただろう。叩いた右手がまだ痛むのだから、彼の方は手の跡がついてしまっているだろうに。
赤く腫れてしまった片足を一瞥して足を浮かせた。前後に重心を動かせば、ブランコが前へ後ろへ揺れる。
自分の思い上がりだったのだろうか。武瑠に告白して、直ぐに肯定の返事が返ってきたから、舞い上がってしまったのだろうか。もしかしたら、あの時彼は勘違いをしていたのかもしれない。噂で聞いたことがあるが、武瑠は超のつく天然なのだ。天然で、優しくて、剣道も強くて、ある程度頭も良くて……。彼氏にするなら適任だったはずだ。しかし、自分が言った「つきあって」の言葉は、武瑠にとっては至極容易なことだったのだ。恋愛の意味で捉えられなかったのだ。だから武瑠は、自分の願いに答えてくれたのだろう。
ちゃんと考えれば、わかるようなことだったのに。
武瑠は伊駒さんとつきあっていたのだろう。あの場には彼の幼馴染らしい佐治と鴻上もいたし、四人で仲良くお昼ご飯を食べていたのだ。それを、自分が中断させて……。
さぞ、滑稽だっただろうな。
一人勘違いをして、武瑠とつきあっていると思い込んで、彼しかいない家に二人きりになれると思って、武瑠を驚かそうと連絡も入れずに上がり込んで。……彼女に、出くわして。
その時は、まさかと思った。武瑠は自分を好きでいてくれていると思っていたから、浮気とか、そんなことはないと思っていたのに。なのに、彼が選んだのは、自分じゃなく、伊駒さんだった。クラスでも地味な方で、話したこともなかったけど、名前だけ知っていて、いつも本を読んでいることぐらいしか覚えていない。そんな地味な彼女を武瑠は選んだんだ。自分よりも地味な彼女を。その事実が、悔しくてたまらない。
いつの間にか止まっていた涙に気づいて足をとめる。しだいに振りが浅くなるブランコに、また虚しさを感じる。足を地面に引きずって、無理やり揺れを止める。顔を伏せるとまた視界がぼやける。潤んだ目から、涙がひとしずく頬を伝った。
その時、誰かが後ろに立った気がした。振り返ると、しかしそこには誰もいない。気のせいか、と思って前に向くと、そこには何かが立っていた。逆光のせいでそれは黒い影でしかわからず、目を細めてはっと息を飲んだ。
人、ではない。すぐにそう思った。黒い影が映し出しているのは、地面についている三本の足と、腕か足かもわからないものが四、五本飛び出しているもの。胴体の部分は二人分の幅のものが途中で裂けて二つに分かれてしまっている。頭は、二つある。
そこまできて、目を見張った。自分は夢を見ているのだろうか。こんな、むごい、おぞましものが、自分の目の前にいるなんて。きっと夢なのだ。夢に違いない。
そう思いたかった。しかし、その目を背けたいものが一瞬でこちらに近づいてきて、黒い影が消えた。まるでつぎはぎに縫われたような裂け目に、無理やりくっつけられた頭や手足に、ぞっとした。ぬっと顔を近づけてくる。その焦点のあっていない両目が、ぎょろりとこちらを向いた。
「きゃああああああああああ!」
叫ぶことしかできなかった。
その光景が恐ろしすぎて、逃げることができなかった。
次の瞬間、何かが自分の体にぶつかって、視界が真っ暗になった。
***
叩かれた頬が未だに熱を帯びている。きっと鏡を見ればくっきりと手形がついているのだろう。桧里さんが用意してくれた濡れたタオルを当てて、先ほどのことを思い返す。
早坂さんが急に家に来て、桧里さんのことがばれて、説明しろと言われた。でも、説明といってもどうすればいいのかわからなかった。桧里さんのことでパニックになって、頭がうまく回らなくて……。しどろもどろに、説明に困っていると、早坂さんが確かめるように俺に言った。
「私たちつきあってるんだよね」
その言葉に、目を見開いた。
「……え?」
何が何だかわからない。俺と早坂さんが、つきあってる?
驚愕で声が出せなかった。金魚のように口をぱくぱくとさせていた。そして彼女は、何も言わずに、ただ悔しそうに下唇を噛んで、俺の頬を平手で叩いた。そしてそのまま家を出て行った。
なぜ彼女はあんなことを言ったのだろう。いつ俺は早坂さんとそんな関係になっていたんだ?自分のことなのに、全くわからない。そんな様子に、呆れたように陵がため息を吐いた。
「あーあ。まーた武瑠の悪い癖がでたのかー」
「え……」
陵は席に座ったまま、未だに料理を堪能しながら言った。
「どうせあれだろ?また告白されたのに、それが告白だと知らずにオッケーしちゃったパターンだろ?」
「ああ、それか。たしか、一年の時もあったな」
それに思い出すように言う宗谷さん。
「そうそう。告白した子にとっちゃ、かわいそうだよね~」
わざとだろうが、大げさにぐさりと刺さるような言い方をする。たしかに二人の言う通りこれまでも何度か同じようなことがあったが、三年にもなってまた起こるとは思わなかったのも事実。しかしこの通り、俺の勘違いという悪癖は未だに治っていないらしい。
その会話に、信じられないというような表情の桧里さん。そりゃそうだよね。女の子からしたら迷惑極まりない話だ。
とりあえず、こちらを驚愕の目で見る桧里さんに苦笑いで返しておく。すると、彼女から返ってきたのは意外な言葉だった。
「今までも、そんな風に流してきたんですか」
「え?」
彼女は、少し怪訝な顔をした。
「そんな風に、相手の気持ちを放棄したんですか」
自分が目を見張って、陵と宗谷さんが反応したのがわかった。
「放棄って、え?桧里さん?」
「私がこんなこと言ってもいけないんでしょうけど……武瑠さん、最低です」
言い放たれたその言葉に、まるで雷に打たれたような感覚があった。
「相手に気持ちを伝えるのって、すごく勇気がいることなんです。武瑠さんは、それを踏みにじっているんですよ?そんなの、あまりにもかわいそうです」
淡々と桧里さんの口から言葉が放たれる。俺は何も言えないまま、彼女の話をきいていた。二人も同じようで、驚愕半分だが、真剣な表情で俺と桧里さんを見ている。
「ちゃんと早坂さんに気持ちを伝えてください。そうでないと、早坂さんが報われません」
言われて、俺は彼女を追いかけたんだ。俺の今までの行為は相手にとっては酷い仕打ちなんだ。ようやく気づいた事実に、自分に対する怒りを覚えた。
でも、いざ追いかけようと靴をはいて扉を開けると、そこにはうつむいている早坂さんがいた。裸足で、膝をすりむいていて、足が赤く腫れてしまっている。驚いたが、意を決して彼女にちゃんと言おうとした。あの時の俺の言葉は、俺の勘違いだったのだと。誤解だったのだと謝ろうとした。
しかし、伏せられていた顔がこちらを向いた瞬間、妙な感じがした。なんだか、違うような気がしたのだ。その無表情の顔が、気だるげな表情が、早坂さんではないような気がした。
そして、次の瞬間、その無表情が不気味な笑みに変わった。
寒気がした。この感じ、前にも味わったことのある「恐怖」と似ている。細められた目に、にやりと上がった口角に、「恐怖」を感じた。そう、妖怪――八咫烏に殺されかけた、あの時の感覚と似ている。
まさか!
「武瑠!」
そう思った瞬間、早坂さんの手が俺の首めがけて伸びてきた。宗谷さんの声を後ろに聞いてすぐに、玄関に押し倒され、そのまま首を締められる。とても女子とは思えないほどの力だ。抵抗しようと首に伸ばされている早坂さんの手を引き剥がそうとするも、力が強すぎて剥がれる様子がない。こちらを見下ろすその目は狂気に満ちていて、笑っていた。
意識が遠のきそうになる寸前に、急に首への圧迫が消えた。同時に、真横に宗谷さんが来て錫杖を早坂さんに向けている。きんっという高い音に、早坂さんは怯えるように後ずさりをする。
「大丈夫か、武瑠」
視線は早坂さんに向けたまま、こちらに声をかけてくる。
「う、うん。なんとか……」
喉を圧迫された反動でむせたように咳を繰り返すが、なんとか大丈夫みたいだ。
「それより、早坂さんは」
「ああ、とり憑かれてるな」
妖怪か、はたまた悪霊か。どっちにしろ、とり憑かれているのは間違いないだろう。
「たぶん、悪霊だろうな。妖怪にしては妖気が小さい」
「いや」
宗谷の推測に水を差す声。それはいつの間にか武瑠のそばまで来ていた桧里だった。
「桧里!」
左手には数珠が見える。瞳も紅い。今の桧里は妖怪体なのだ。
「悪霊ではない。しかも、妖怪でもないな」
「え?」
「どういうことだ!」
悪霊でなく、妖怪でもないものとは、一体?
「……アヤカシだな」
「……まさか」
「ああ、そのまさかだ」
アヤカシ。そう桧里は言ったが、武瑠自身は聞いたことのないものだった。
「アヤカシって?」
そう桧里に尋ねると、帰ってきた声は桧里のものではなく、その後ろから来た陵のものだった。
「アヤカシってのはね、悪霊が力を求めたが故に妖怪へと進化しようとした途中の状態のことだよ。まあ簡単に言えば、悪霊と妖怪のちょうど中間ってとこ」
「悪霊なら邪心を祓えば成仏させることができるが、アヤカシになってしまうと手遅れになる」
付け足された桧里の言葉に、目を見開く。
「ってことは……もう成仏できないってこと?」
武瑠のその問に、桧里は小さく肯定した。
「それに、早く対処しないと取り返しのつかないことになるよ」
珍しく真面目な顔で、陵は静かに言う。
「アヤカシは人にとり憑いて、そのまま人間を吸収しちゃうからね」
「どういうこと?」
問いかける武瑠を一瞥して、陵は透穂を見る。
「はやく引き剥がさないと、早坂はあのままアヤカシにとりこまれて、死ぬ」
死ぬ。
その一言が頭の中に響いた。
目が落ちてしまうのではないかと思うくらい見開いて、武瑠は透穂を見る。その透穂と――否、透穂にとり憑いているアヤカシと目があった。
きっとあのアヤカシは自分を狙っているのだ。迷いなく殺そうとしてきたのがその証拠だろう。
「どうやったら、引き剥がせるの!」
目が離せないまま、武瑠は陵に問うた。その必死な言葉に、陵は場違いにもふっと笑った。
「そう言ってくれると思ったよ」
陵が武瑠の隣に付き、桧里と宗谷は外に出て早坂が門の外へと逃げないように囲む。
「まずはあいつの動きを止めないと。そして、宗谷さんの錫杖で叩く」
陰陽師の錫杖は妖怪のみならず、アヤカシに対しても絶大な威力がある。それを利用して、衝撃の反動でアヤカシと取り込まれた人間が離れるという。
手足に妖気をこめて、鋭い爪をつくる桧里。紅い瞳は常に標的から目を離さず、ぎらついている。地面を力強く蹴って、一瞬でアヤカシに迫る。さすがに元の体はただの人間なため、人離れした速さについていけず、あっさりと桧里に捕まってしまう。
できるだけ透穂の体を傷つけないように、爪を立てず羽交い絞めにする。そしてその透穂の目前には、既に錫杖を構えた宗谷が迫っていた。振り上げた錫杖を恐怖の目で見つめて、それが当たる瞬間まで錫杖から目を離せないでいた。
錫杖が透穂の肩に叩き込まれる瞬間、緑色の火花が散って透穂は苦しみのあまり叫んだ。光がおさまると、気絶するようにうなだれる。
その透穂の体が頭部から二つに分かれ始めた。桧里が羽交い絞めにしている方が、アヤカシなのだろう。分かれた先からおぞましいつぎはぎの体が見えた。そして、もう一方が透穂の体だった。これで透穂も安全だろう。しかし、そう息をつくのはまだ早かった。
動きが止まったのだ。まだ胴体が分かれている最中に、二つの体はその動きを止めた。
「動きが、止まった……?」
「なぜだ?」
その二人を囲む宗谷と桧里は、なぜこんなことが起きるのかがわからずに戸惑っている。しかし、驚くことに今度は二つの体がまた元に戻り始めたのだ。またアヤカシが、透穂を取り込もうとしている。
「まずい!」
その時、武瑠が飛び出した。陵の制止の声も振り切り、一直線に三人のもとへと駆けていく。そして、透穂の力なくぶら下がっている片手を掴んだ。
「武瑠!お前危ねえぞ!」
宗谷の言葉も聞かずに、武瑠はただ、透穂の腕を力いっぱい引っ張った。すると、戻り始めていた体が、その動きを再度止めた。
「そうか。宗谷、陵!武瑠と一緒にそっちの女を引っ張ってくれ!」
そう言うと、桧里は羽交い絞めにしているアヤカシをそのまま後ろへ引っ張った。言われるまま二人は武瑠とともに透穂の体を引っ張る。桧里の馬鹿力――この際怪力でいいだろう――怪力と男三人の綱引き状態で、動きを止めていた二つの体が一気に引き剥がされた。
そのままの勢いで透穂を受け止めて後方へ倒れる武瑠。透穂の身の安全が確信できて、よかった、と息をつく。
その武瑠の腕の中。透穂はまるで悪夢にうなされていたかのようにはっと目を覚ます。額には汗が流れ、顔色はよくない。
「大丈夫?早坂さん」
「……たけ、る、くん?」
「うん」
安心からの武瑠の笑顔に、正直救われた気がする。今の透穂の精神はぼろぼろだった。わけのわからないまま到底人とは言えない何かに体の自由を奪われ、なおかつ失恋したという事実から逃れられないのだ。案外、自分は武瑠に執着していたのかもしれない。自分に手を差し伸べてくれた彼を、「好き」という感情はもちろん「憧れ」というものも入っていたのだろう。だから、手放したくなかった。執着してしまった。彼の優しさが、自分にないものが、羨ましかったのだ。
「ありがとう」
「いや、お礼なら、みんなに言わないと」
「みんな?」
「うん、みんな……」
「武瑠伏せろ!」
突如聞こえた桧里の焦った声に反応できず、武瑠は声のした方に視線を向けた。そこには、目前に迫るアヤカシと思われる何かがいた。このままではぶつかると思った瞬間に、武瑠と透穂を後ろから引っ張った人物がいた。そのおかげでなんとかぶつからずに済んだが、その代わりまた転んでしまう。
二人を危機一髪で助けたのは、呆れた表情の陵だった。
「お前らな、イチャイチャするんならこれ終わってからにしてくれる?」
「陵くん!」
「ありがと陵」
「っていうか、イチャイチャとかしてないし!」
「はいはい」
ある程度透穂にも元気は戻ったようだ。それにまたほっとする武瑠。
「……ねえ、あれって……伊駒さん、だよね?」
アヤカシと戦う桧里を見て、恐る恐る言う。結局、透穂にはばれてしまった。
「うん、そうだよ。あれは、桧里さん」
「でもあるし、狐でもある」
「え?狐?」
武瑠の言葉に付け加えるように言う陵。彼のその余計な一言で、透穂はどういう意味かわからなくなった。
「これが終わったら、全部話すから。それまで待ってくれる?」
少し悲しそうな表情をする武瑠に目を見開く。これまで見たことのない表情だった。苦笑とかならあったけど、こんな、泣きそうな顔を見たのは、初めてだった。武瑠がそんな顔をするほど、これはきっと深刻なことなのだろう。そう思って、透穂は小さくうなずいた。
「ありがとう。……陵、あのアヤカシ」
「ああ、狐が言ってたよ。……嫐だって」
「嫐?」
ばらばらにつぎはぎにされた女と男の体。地についている足は三本あり、手足が四、五本いたるところから飛び出している。胴体は二つ分が途中までくっついているが、上の方で分かれていてそこから女の体と男の体になっている。焦点のあっていない目がぎょろりと動く頭は二つ。どちらも髪は無造作に長いが、片方が男なのはわかった。
「とりあえず言えるのは、嫉妬にまみれたあやかしだってこと」
「嫉妬……?」
男と女の間に生まれる愛情は、時に欲深く、独占欲へと変わり、裏切られ嫉妬へと変わる。そんな欲望に飲み込まれ、互いが互いを欲したが故に、その愛情は殺意へと変化する。ばらばらにされた死体は死んでもなお一緒でありたいと願い、体を寄せ合うというより、集めたようにいびつな形へと姿を変える。その末路が、嫐だった。
「妖怪になるには力が必要。そのために、同類者を求めて喰おうとしてるんだよ」
「同類者……それが、私だったんだ」
嫐と戦う、いつもの雰囲気とは違って勇ましい彼女を見て、下唇を噛む。
突き放されたような事実に、涙を流し、悔しさを覚え、怒りを覚えた。それが嫉妬。自分があの化物を引き寄せてしまったのだ。
「……ごめん、私のせいで……」
言って、顔を伏せる。その目から涙は流れないが、どうしようもない気持ちでいっぱいだった。
「自分が悪いって思ってんなら、謝るなよ」
背後から聞こえる陵の言葉。声色こそ厳しいが、言っていることは透穂の心を救うものだった。
「結局はみんなお前を助けたんだからさ、謝るよりもほかに言うことあるんじゃねえの」
「陵……」
「それに、ちゃんと顔上げろよ。狐も宗谷さんも、嫐と戦ってる。それがお前にはできないことだってわかってるんだろ。だったら、ちゃんと最後まで見届けるくらいしろ」
彼の言葉に、透穂はゆっくりと顔をあげる。視線の先には、逃げ惑う嫐を二人がかりで追い込んで、まさにとどめをさすところだった。宗谷の錫杖によってまた緑色の火花が散り、嫐はしびれたように動かなくなった。そこを、鋭く伸びた爪で切り裂く桧里。
切り裂かれた嫐は、最後に苦痛な悲鳴をあげて、黒い煙となって消えた。
一瞬の沈黙。力を抑えて手足の爪を元に戻す桧里に、息切れをしながら錫杖をしまう宗谷に、透穂が「あの!」と声をかける。
その声に透穂に集まる視線。意を決したように、透穂は声を出した。
「ありがとう、みんな」
その言葉に、桧里はふっと笑って、透穂のそばへと近寄る。
「武瑠の友人なんだろう。それなら、お前を助ける理由は十分あったからな」
地面に転んだままの透穂と目線を合わせるようにしゃがんで、桧里は彼女の頭に手を乗せた。
「無事でなによりだ」
きゅんっ。
「なんか今雰囲気ぶち壊すような音が聞こえ気がするんだけど」
陵の言葉通り、その音の発生源である透穂は、多分、桧里のその勇ましい振る舞いに胸をときめかせていた。一瞬で心を奪われたのだろう。
その様子に、桧里は頭上に疑問符を浮かべ、武瑠は苦笑いし、宗谷と陵は呆れていたという。唯一幸せそうな顔をしているのは、目をキラキラとさせる透穂だけだった。
***
「え?二人って、つきあってるんじゃないの?」
その言葉を発したのは透穂であり、向けられたのは武瑠と桧里だった。だが、その言葉にはもう悔しさや怒りは含んでいない。代わりに、いらつきを含んだ声が彼女の視線の先ではないところから聞こえる。
「つきあってるわけないでしょ馬鹿じゃないの!」
それを言ったのはやはり陵であり、透穂のその思考を断固拒否した。
「馬鹿とはなによ馬鹿とは!」
「そんなくだらない発想するお前が馬鹿だって言ってんの!」
始まった口喧嘩に、二人を止めようとする者は誰もいない。ただ、桧里と武瑠はそれを苦笑で見守り。宗谷は呆れてため息をついていた。
どうやら、透穂は武瑠のことを諦めたようだ。諦めたというか、彼女曰くきっと最初から恋ではなかったのだという。「好き」という感情からではなく、きっと憧れからきた羨望だったのだろうと。
「っていうか、お前今までの話聞いて最初の口がそれかよ!ほかにあるだろほかに」
ようやくおさまったかと思われる口喧嘩は、透穂への疑問へと変わった。
嫐が祓われて、透穂の腫れた足を手当したあと、まず武瑠が彼女に頭を下げた。その次に、先程まで起こっていたことや、桧里の性格や雰囲気ががらっと変わったことなど、ありのままを彼女に話した。もちろん、彼女が妖怪だということも。それを聞いて、透穂がどんな反応を示すか不安だったが、最初に彼女の口から出たのが、少し論点からずれたさっきの言葉だった。逆にそれにほっとしたのも事実だが、彼女は本当にわかっているのだろうかとまた違う不安が出てきたことに、武瑠は苦笑いする。
「そうだけど、ちゃんと理解してるから大丈夫よ。これでも私、頭の回転は早いから」
自信満々に言う透穂に、陵は呆れからため息をつく。もう何も言うまいと諦めたようだ。
「でも、妖怪とか幽霊とか、信じられるの?」
武瑠も最初は信じられなかった。今の今まで昔話でくらいしか出てこないような妖怪が本当に存在するなんて、信じられる方がどうかしているのだと思うくらいなのだから。
「そりゃ、普通に聞いたら信じられるわけないわよ。でも、あんな光景目の前で見たら、受け入れるしかないでしょ」
人とは到底言えないモノが目前に迫り、先程まで瞳の黒かった同級生が次に姿を現したときには瞳を紅く変え、急に勇ましくなり、手足の爪が驚きの速さで伸び縮みした。そして、切り裂かれた化物が黒い煙となって消えたのだ。どれも手品のような遊びでも幻でもなく、現実に起きていた。ここまで来るとどんなに頭の悪い人間でもわかるだろう。
「それに」
となりに座っている桧里の腕を引き寄せて抱きしめる。その行為は女の子同士がやるじゃれあいのような仕草だ。引き寄せられた桧里はびっくりして透穂を見つめている。
「私、狐さんのこと好きになっちゃったし!」
「え……」
その発言に、男三人は今日何度目かわからないため息をついた。
「懲りねえやつ」
「そこうるさい!」
「でも、今の桧里さんは……」
「わかってる。狐さんじゃなくて伊駒さんなんでしょ。さっき特徴とか聞いたからそのくらいわかるわよ」
「あ、そうですか……」
そろそろ透穂のテンションについていけない武瑠は、もう何を言っても無駄だろうと、口を閉めることにした。
「ねえ、伊駒さん」
「は、はい。なんでしょう」
腕を抱きしめた手はそのまま、透穂は桧里に声をかける。あまり話したことはないというのに、透穂のこの積極的な行動は正直すごいと思う。
「私、あなたと友達になりたいの。もちろん狐さんとも!だから、名前で呼んでもいいかな?」
透穂のその言葉によって、桧里は目を見開く。そして、次にはぱっと笑顔になった。
「はい!もちろんです」
「やった!」
(第五話 擬 終)