1話 帰還
「勇者様……どうしても行ってしまわれるのですか?」
「魔王は死んだ。もう俺の力は必要ない。この世界は、君たちの手で紡いでいくんだ」
「そんな勇者様! 私と…」
「俺は、元ある場所、元の世界に帰られなければならない。さようなら、美しい世界、そして、美しい姫様」
「勇者様!」
男は、宙にあった魔法陣に飛び込んだ。魔法陣は折りたたまれるように消えた。
「そなた、本当に言ってしまうのか?」
「魔王は死にました。世界の復興に、魔道の力は必要ありません」
「待つんだ! 俺と結婚してこの世界を…」
「私は、魔道の深淵にたどり着かなければなりません。さようなら、勇者様、いえ、王子様」
「行かないでくれ!」
女は、宙にあった魔法陣に飛び込んだ。魔法陣は折りたたまれるように消えた。
―――――
彼は、まず周囲を見回し、そして視線を下げ、自分の服装を確認した。
見覚えのある公園だった。確かここは……
彼は、そばの木に立て掛けられている自転車を見つけた。覚えている。間違いなく、自分の自転車だ。ジーンズのポケットに入っていた携帯で日付を確認すると、八月三十一日、午後六時で、覚えのある日付だが、時間が記憶と少し違った。
「戻って……来れたんだ。あの異世界から……本当の世界へ。三年間の冒険……長かったなぁ」
男は、はぁぁぁと、深いため息をつき、自分の膝に手を突いた。そして、顔を起こしたが、その目は誰もいない公園を睨みつけていた。歯をキリキリと噛み、拳を強く握っている。
「あんの我儘 姫様! いや、姫野郎! いっつも上から目線で物を言いやがって! 速く靴下を履かせろって俺の頭を踏みつけるの、こっちの世界なら、余裕でモラハラ・パワハラだからな! マジ何度引っ叩いてやろうと思ったか! つうか、こっちは我慢してるんだから、毎日のように引っ叩いてくんじゃねーよ! ああ、やり返さねーよ! だって、不敬罪で死刑だもん! 挙句、好きだとか、マジ異世界の文化わかんねーよ! 誰が好きになるかってバカ! 魔法陣に飛び込む時、顔面に蹴り入れてから逃げてやろうかと本気で思ったよ! あと、ふざけんな戦士! HPが高いばっかで、動きがのろいんだよ! 魔王の攻撃全食らいで、あげく攻撃力低すぎて空気だし! お前の代わりに、岩を置けばよかったわ! 回復も気にしなくて良いし、岩の方が完璧上位互換じゃねーか! あと、魔法使い! 極大呪文かなんかしらねーけど、二発撃って息切れってなんだよ! 魔王との戦闘なんだから、一時間は想定しろよ! 残りの五十五分、はぁはぁ言いながら老人の速度で回復役配りに徹しやがって! それなら、カルの街にいた宿屋の爺さんの方が使えたわ! 気の利いた冗談で楽しませてくれる分 お得だったよ!」
「あの色ボケ勇者! 宿屋で毎回迫ってくるんじゃないわよ! 臭っさいのよ! 魔獣の血と、自分の汗が混じった匂い、臭っさいのよ! 私がどうしていつも背を向けて寝てるのか気が付けっつーの! 尻を触らせるためじゃないのよ! 宿屋の窓から何度吹き飛ばしてやろうかと思ったか! でも、やらないわよ! だって、不敬罪で死刑だもん! 最後 魔法陣に飛び込むとき、ガチで頭焼いて天パにして逃げてやろうかと思ったわよ! あと、戦士! 魔王戦で早々に力尽きてんじゃないわよ! 知ってるのよ! 魔王戦前日、聖女と朝まで盛ってた事! 一睡もせずに魔王に挑んで「力が入らない。弱体化の魔法か」じゃないわよ! それはただの寝不足よ! お金に余裕あるのに、なんでいつも四人部屋なのよ! あと、聖女! なにちょっと乳が大きいくらいでマウント取りに来てるのよ! 勇者がなびかないのを私のせいにするんじゃないって! 勇者と戦士ばかりわざと回復を優先するし! 金と男が大好きって、最後教会に匿名で手紙送ってやったけどね! まだむかつく!」
前から何やら声が聞こえてきたので、彼ははっと我に返った。すると、正面から歩いてきた女の子と目が合った。
「大原……美雨……さん」
「間宮……太陽君」
二人は、同時に声を出した。そして、二人して笑う。
「何 フルネームで呼ぶんだよ!」
「そっちこそ! 久しぶりに会ったような顔しちゃって!」
ひとしきり笑ったあと、二人は見つめ合った。
「えっと、確か……今日……の午後三時に、ここで……待ち合わせしてたんだったよね」
「え……うん。どうしてそんなに説明口調なの? 太陽君面白い!」
二人はまた笑い合いながら、体の陰にした携帯電話で、現在の時刻を再度確認する。
「ごっ……ごめん。三時間も時間に遅れちゃって……。待たせたよね?」
「違うの。待ってない。えっと……」
二人は言葉に詰まるが、先に動き出したのは太陽の方だった。
木のそばに立て掛けていた自転車のハンドルを太陽は握り、木の幹へ自転車を押し付ける。
ぐにっ
「ちょっと……交通事故に合っちゃってさ。ほら……これ……」
太陽の自転車は、車体に対して、前輪が九十度に曲がり、タイヤも半分にひしゃげていた。
美雨は、両手を口に当てて驚いた。
「きゃぁ! 大変じゃない! 怪我は無かったの?」
「うん、奇跡的にね。でも気を失ってたみたいで、気が付いたら三時間経ってたんだ。本当にごめん!」
頭を下げる太陽の前で、美雨は素早く辺りを見回した。
「わ……私も、実は……、ほら、あの池! あの池に落ちちゃって! 今……這い上がって来たの!」
「ええっ!」
驚いた太陽が顔を上げると、美雨が指さす方に、薄暗いが確かに池が見える。
「落ちたの?」
そう言いながら美雨に向き直ると、美雨の全身から水が滴っているのに太陽は気が付いた。
「ほ……本当だ。さっきまで全然濡れているように見えなかったのに、良く見たらびっしょりだ」
「そうなの。ちょっと底なしの池だったらしくて、出るのに三時間くらいかかっちゃったみたい。だから、全然待ってないの!」
二人は、お互いに安堵した表情で、微笑み合った。
「えっと、今日は確か……僕が……この公園に呼び出したん……だったよね?」
「う……うん! もちろんそうよ! 話が……あるとか? 言ってたんだと思う。池の水を飲んじゃったからか、まるで三年前の事だったかのように、記憶が薄れちゃったけど!」
二人は何やら胡麻化すかのように、へらへらと愛想笑いに近い様子で笑う。
太陽は、一度ごくりと唾をのみ込むと、真剣な表情で美雨を見る。美雨の方も、すーっと息を深く吸い、そのまま息を止めて太陽の言葉を待つ。
「あの……、美雨! 俺と……」
そこで、太陽は一歩足を踏み出した。手を伸ばせば美雨に届きそうな距離だ。
しかし、二人の目は、その瞬間に、同時に大きく見開かれた。そして、二人同時に、後ろへと飛びのく。
「ごめん! びしょ濡れなんだから、早く乾かさないと風邪ひくね! 気が付かなくて、本当にごめん!」
「ごめんなさい! 交通事故に遭ったんだから、早くお医者さん行かないとね! 私も気が付かなくてごめんなさい!」
二人は、頬をひくひくさせながら、一歩、また一歩と下がり、距離を開けていく。
「ま……また連絡するよ!」
「う……うん! 私も! バイバイ!」
二人はお互いに手を振ると、太陽は自転車を小脇に抱えて背を向け、美雨もにっこりと笑ってから背を向けた。
「ふぅ……危ない」
太陽は、自転車を抱えながら、ビルからビル、家の屋根から家の屋根と、跳ねるように移動しながら言った。
「服は……三年前と同じみたいだけど、体はわかんないよな」
太陽は、自分の腕をくんくんと嗅いだ。
「ちょっとでもあの、魔獣の血と汗が混じった、鼻が曲がりそうな匂いがしたら大変だ。取り敢えず、風呂に入らないと。風呂も……確か一週間ぶりだし」
「ふぅ……危なかった」
美雨は、暗くなった空に舞い上がった。右手を軽く振ると、びしょ濡れだった全身が、綺麗に乾いた。
「桶一杯の水だけで、体を拭くのがお風呂って、異世界ってマジあたおかよね。取り敢えず、まずはシャワーを浴びて、お風呂に入らなきゃ!」
突風と共に、美雨は空へと消えた。
風呂から上がった太陽は、部屋に戻ると、机の上に置いてあった教科書を、何気なく開いた。ふむふむと言いながら、ベッドに座り、教科書をぺらりぺらりとめくる。そして、教科書をぽとりと床に落とした。
「やばい。全然分からないぞ……。嘘だろこれ……」
太陽は頭を抱えた。
「異世界に言ったのは三年間。戻ってきたら三時間経っていた。魔物にやられた傷も消えていたし、体は三年前のままだ。けど……まるで三年間遊んでいたかのように、授業の内容が思い出せない。……脳みそだけが三年経ったみたいになってるけど……異世界の記憶が三年分あるから……これは当然の事なのか?」
太陽は、ふらふらとベッドから立ち上がると、部屋から窓の外を見た。昔と同じような、街灯と家々の光が見える。
「三年間行方不明ってなって大騒ぎになっているよりはましか……。けど、やばい。俺、今年は大学受験だぞ……。あと五か月で、三年遊んでた分を取り返さないと……」
太陽は学習机に座り、また別の教科書を開いてみた。ものの十数秒で、ガンっと音をさせ、机に突っ伏した。
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