こぼれた代謝
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
私たちは、一日一日、新しい存在へ生まれ変わっている。
別に気取って話しているわけじゃないよ。毎日毎日、私たちの身体は細胞分裂、新陳代謝を繰り返している。昨日の自分と今日の自分とじゃ、精神は同じかもしれないけど、別の生命体ってわけだ。
――ん? 意識が続いているのなら、それは同じ生命体じゃないのか?
うーん、確かにそういう考えはあるよね。
私たちが認識できているのは、この五感の及ぶ範囲のみ。それを感じられるなら、たとえガワがどのようになろうと、同じ……。
こう、中身が大切っていうの、人間らしい考えといえるかもね。実際には外見で評価されることが世の中だし、ちょっとでも中身を、本当の自分を見てほしいってところか。だからこそ、この生まれ変わりを感じてほしいけど……難しいものだよね。
……あ、そうそう。新陳代謝で思い出したけど、昔にこれをめぐって妙な目に遭ったことがあってさ。つぶらやくん、ネタを探していたと思うし、役にたつかな?
私がとっても小さいころ。幼稚園にあがるかどうかってときだったかな?
この頃の私って、なんでも口に入れてしまうくせがあってね。食べこぼしはもちろん、自分の身体から出てくるものに関して、いろいろと味わったことがある。
さすがにお通じとかは、親にめちゃんこ注意されて、自重したけどね。汗に始まり鼻水、鼻くそ、へそのごま。かさぶたに体のアカと、手に取れるものなら一通り口に入れたな。
特にお気に入りはアカでね。――まあ、当時は「アカ」という存在も概念も、わかっていなかったんだが――体をこするともりもり出てくる、消しごみのカスを思わせる物体。子供心に遊び道具として使わない手はなく、ぼりぼり全身をこすっては机の上にまとめて、粘土代わりにして遊んでいた。
見つかると親に叱られそうだから、私は最近、食べ終わったお菓子の箱を確保し、その中にアカを固めて、入れておいたんだ。
どうも身体を動かして、汗をかくと、アカが出てきやすいことを学んだ私は、外で積極的に遊ぶことにする。親も、外へ出る分には悪い顔はしないし、一石二鳥だ。
丸めたアカは、日々小さくなってきているように見えた。子供のころの私は、「誰かこのアカのありかをつきとめて、こっそり食べているんだ」と推理。毎回、あちらこちらに隠す場所を変えながら、ペットの面倒を見るかのような周到さで、新しいアカを「上塗り」続けていったのさ。
そんなある日曜日のこと。
思いがけず早くに目が覚めた私は、体を横にして眠っていた。それはいいんだが、視界に広がるのは、見慣れた机の脚と、その向こうに閉じているカーテンの足元じゃなかった。
メスシリンダー、分かるよね。
あの目もりのついた円筒で、液体の容積をはかるときとかに使う、理科の実験器具だ。あれの、私の顔いっぱいをふさぐほどに大きいサイズのものが、立ちはだかっていたんだ。
見えているのは、底にほど近い部分。ちょうど顔の前の目盛りまで、薄黒い物体が溜まっている。「アカだ」と思って、目をしばたたいたときには、もうあのメスシリンダーは消えてしまって、二度びっくりしたよ。
私は隠し場所へ急ぐ。誰かがアカを取り出して、あんな目に遭わせているのかと思ったけど、私の集めた結晶はちゃんとそこにあった。
薄く薄く引き伸ばして、箱の底面をほぼ覆うほどに集めたもの。誰かに手出しされるのは、我慢ならなかったよ。
しかし、あの奇妙なメスシリンダーは、それからもたびたび私の前に姿を現した。
いずれも目覚めるときだけだ。夜眠って起きるとき、うたた寝をしてから、ひょいと気がつくとき。その瞬間を狙って、ほんのわずかな間だけその姿を見せるんだ。
中に入っているのは、やはりアカ。それも日を追うごとに、かさはどんどん増していて、すぐ私の顔の高さを超えてしまった。
かいま見ることのできる一瞬で、見上げたメスシリンダーのてっぺんは、見えない。家の中で、天井がしっかりあるはずなのに、それを突き抜けているように思えた。
――どこまでが限界なのか。限界を迎えたらどうなるのか。
怖くなった私は、それから意識してアカをこそぎ落とすことをやめた。どうもこのかさ増しは、私の行為への当てつけのように思えたからだ。
そうしてしばらく過ごし、かのメスシリンダーを見なくなって、ほっとするのも束の間。
私が家の二階で、ふと外を見ようと窓へ寄ったとき、ちょうど家の前の道路で猫が一匹、はねられる瞬間を目の当たりにしてしまったんだ。
それなりに距離が離れていたが、それでも血がアスファルトを染めていることはわかった。見下ろす限り、猫の身体は思ったよりも形を整えているように感じられたよ。
でも微動だにしない身体は、ぺったんこにつぶれてしまっている。それ以上は見るに堪えるものじゃなく、部屋へ引っ込んで過ごしているうち、ついつい眠気に誘われるまま、横になったんだ。
完全に気を抜いていたね。
またも現れたメスシリンダー。しかし、今回詰まっていたのは、アカだけじゃなかった。
件のひかれた猫の身体が入っていたんだ。血こそ出ていないが、あの時に見下ろした白い毛を目盛りへふんだんにくっつけ、その尻尾で、先客だったアカたちをメスシリンダーの底へ追いやっている。
恐る恐る見上げた私は、この管の中で猫がとてつもなく細長い形で、収納されているのを知った。メスシリンダーへねじ込まれた体は、元の長さの数倍にも引き伸ばされ、数メートル先にある天井、その向こうへ抜けてしまい、顔はわからない。
ヘビの食事は、相手の骨をバキバキに折ってしまって、自らの身体へ取り入れやすくしながら行うものだという。もしかしたらこれも……と鳥肌を立てる私の前で、またもメスシリンダーは姿を消してしまったんだ。
それからメスシリンダーを見ることはなくなり、私も大きくなって、あのころの不思議な出来事は頭の片隅へ追いやりつつあった。
けれど、高校生くらいのとき。通学に使う最寄り駅の駐輪場前で、走る車の前に猫が飛び出したのを見て、「あっ」と思ったんだ。
タイミング的に、完全にひかれたと思ったんだ。けれども私に背を向ける格好で、車の影と重なったその猫は、車が去った後も悠然と道を渡っていく。
「うまくすり抜けられたのか」、と胸をなでおろす私を前に、道を渡り切った猫がぴたりと足を止め、振り返った。
そこには目も鼻も口もなかった。
ただその顔面を埋め尽くすのは、平べったく伸ばされた、あのときのアカのようなものだったのさ。