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ダレンは知らなかった

作者: まゆらん


令和2年12月11日、ジャンル別日間1位(異世界〔恋愛〕)になりました。

読んでくださりありがとうございます。

「だからあいつはただの幼馴染なんだよ」


 鬱陶しそうなダレンの声に、ユアは思わず足を止めた。


「ウチの親父があいつの親父の商会で働いているんだよ!その縁で、小さい頃から付き合いがあるってだけだ!あいつの親父に頼まれたんだよ。うちの娘はぼーっとしてるから、面倒見てくれって。昔っから小さいし鈍臭いから、虐められそうだって心配してさ」


 ユアは持っている本が落ちないようにしっかりと抱きしめた。知らずに、手が震えてる。


「そうじゃなきゃこの俺が、あんな可愛くもない暗いヤツ、相手にするわけないだろ?親父の仕事のためだよ。親父にもくれぐれも機嫌を損ねるなって言われてるからさ」


 ユアの父の商会で働くダレンの父は、豪快でガハハと気持ちいい笑い声をあげる男だ。陽気でムードメーカー、ユアと会えば冗談を言って笑わせてくれる。その男が、陰で息子に雇い主の娘のご機嫌とりをしろと言ってたなんて。


「あいつ、あのレスター商会の一人娘だろ?あいつの親父も心配なんだよ。あんな、なーんの取り柄もないヤツがあの大商会の跡を継ぐなんて、無理無理、絶対無理。だからさ、小さい頃から俺に慣れさせて、いずれはあいつの婿にして商会を継がせようって考えてるわけ。だからあいつの親父、俺にめちゃくちゃ優しいもん」


 確かにユアの父は、ダレンに優しい。酒に酔った父が、ダレンがユアと結婚して、商会を継いでくれたらと冗談混じりに何度も言っていた。


「まぁさ、俺も将来は商人になるつもりだし、そこでいったらレスター商会はこの国で勢いのある商会だし。継ぐのも良いかなぁーって思うんだけどさ。そうなると一生あいつの面倒見なくちゃならないんだよなぁ」


 はぁっとわざとらしい溜息が聞こえて、ユアは身体を震わせた。


「マジで滅入るよなー。今だって四六時中あいつに付き纏われてんのに、一生だぜ?俺、隣のクラスのシャインちゃんから告白されたのにさー、あいつに気を遣って断ったんだぜ?将来の入婿じゃ、浮気するわけにもいかないからさぁ」


 ダレンの相手をしているらしい男子生徒が、うそつけ、こないだシャインちゃんと歩いてるの見たぞ、と笑い混じりに返した。


「あ、バレたかー。そうそう、本当はシャインと付き合ってるの。マジで可愛いじゃん、シャイン。でもユアには言うなよ?バレたら鬱陶しいからさ。シャインは優しいからさ。ユアには内緒って納得してくれてるんだよ。可哀想ね、ダレン君。あんな子のお守りなんかしなきゃなんないなんてってさ」


 ユアは耳を塞ぎたかった。心が砕け散るような痛みを感じていたが、動くことも出来ずに本を抱えて立ち尽くす。


 ユアはいつも優しいダレンの声を思い出そうとしていた。

 同じ年頃の子よりも小さく、気も弱いユアを、ダレンはいつも優しく守ってくれていた。ちっとも成長しなくて自分を恥ずかしく思っていたユアに、可愛いと言ってくれたあの優しい声…。


「まあ、ユアと結婚したらさ。あのレスター商会の跡取りになれるわけだし。今は精々大人しくお守りしといて、結婚して俺が後を継いだら、ユアなんか放って妾でも作るさ。あいつ、本当に昔っから成長しねぇし、胸も尻もぺったんこ。伸ばしっぱなしのきったねぇ髪の隙間から、陰気な目でジーッとこっちを見てるんだぜ。不細工なら不細工なりに少しは手入れして気を遣えって思うよ。全然、女として魅力を感じねぇよなー」


 悪いヤツだなー、商会を乗っ取る気かよ、とダレンの相手が言うと、半笑いのダレンの声が返す。


「いいだろ、あんなお荷物女、引き取ってやるんだから。慈善事業だぜ」



◇◇◇



 家に帰ったユアは、まっすぐに父親の書斎に向かった。

 まだ父は帰っておらず、ユアは父の書斎のソファに座って待った。今日は母は出かけていたので、ユアは使用人に父の書斎にいることを伝え、誰も入ってこないようにと頼んだ。使用人たちはユアの思い詰めた様子に心配そうにしていたが、温かい飲み物を出してそっとしておいてくれた。


 そして夜もふけた頃、ユアの父、マルクが帰ってきた。


「ユア?」


 マルクはユアが明かりもない書斎で座っているのに驚き、慌てて近寄って来た。


「どうしたんだ、ユア。明かりも点けずに、…ユア、泣いていたのかい?」


 マルクは表情を変えぬまま、ただ涙を流すユアに驚き、顔を曇らせた。いつもと様子が違う。いつもなら、泣く時は悲しい顔や、甘えの含んだ顔で泣く。ただこんな風に、無表情に涙だけ流す娘を見たのは初めてだった。帰って来た時、使用人たちが落ち着かぬ様子だったのはこのせいかと、マルクは思った。


「どうしたんだ、ユア。学校で何かあったのかい?ダレンを呼ぼうか?」


 ユアが泣く時は、いつもダレンに学校での様子を確認している。マルクはいつものようにそう言うと、ユアの表情がピクリと動く。


「お父様…」


 マルクは内心ドキリとする。これが娘の声かと驚くぐらい、平坦な声だった。


「わたしを、ラルシュ叔父さまの家に行かせてください」


「ラルシュの?」


 ラルシュはマルクの弟だ。隣国でレスター商会の支部を切り盛りしている。元々レスター商会は、マルクとラルシュの父が始めた商会で、マルクが後を継ぎ、ラルシュが支部を隣国に開いた。2人の父はもう故人だが母は健在で、今は隣国でラルシュの一家と暮らしている。


「急にどうしたね?ラルシュの家に行ってどうするんだい?」


「隣国に留学させて下さい」


 ユアの言葉に、マルクはまた驚いた。確かにユアの留学の話は、以前ラルシュから持ちかけられていた。ラルシュ夫妻に子どもはなく、レスター商会の跡取りは支部も含めユアただ一人だ。商会の跡取りとしてはあまりに内向的なユアを心配して、世界を広げさせるため、隣国のラルシュの元に留学させてはどうかと。マルクも悪くないと考えていた。

 しかしユアが内気すぎ、ダレンと離れるのは不安だと嫌がるため、話は進まずにいたのだが。


「留学?本気かい?ユア?」


 ユアは静かに頷いた。


「私はいずれ商会を継ぎます。少し親元を離れて勉強したいです」


 今までのユアからは考えられぬ言葉だった。内気で弱く、いつもダレンの影に隠れていた娘の言葉とは。


「お前が本気なら、もちろんすぐに手筈を整えよう」


 マルクは戸惑いながら、しかし少し嬉しく思った。何があったか分からないが、娘が初めて、商会の跡取りとしての気持ちを示してくれたのだ。


「確認するが、お前一人で行くのかい?ダレンに付いて行ってもらうかい?」


 何があったかは知らないが、マルクはまさかユアが一人で隣国に行くまいと思っていた。当然、ダレンにも付いてきてもらうつもりだろう。幼い頃から共にいて、おそらく娘の初恋の相手であるダレン。彼の父は商会で長く働く男だ。一人息子なので多少ごねるかもしれないが、ユアのためといえば、留学の話をしても強く反対はされないだろう。

 いずれは彼を娘の婿にして、商会を任せるのも悪くないと思えるぐらい、マルクはダレンを信頼していた。


 しかし、娘の返事は違った。いつものような気弱な目ではなく、力強くマルクを見返す。


「いいえ、お父様。私は一人で行きます」



◇◇◇



 翌日から、ユアは学校を休んだ。そして休みが続いたかと思ったら、ある日いきなり学校の担任から、ユアが隣国に留学したため学校を辞めたと聞かされた。寝耳に水だったダレンは、何かあったのかと級友たちに質問攻めにされたが、ダレンの方が聞きたいぐらいだった。放課後、ダレンは慌ててレスター商会に駆け込んだ。


 しばし待たされた後、ようやくマルクに会え、ダレンは、心配そうにユアのことを聞いた。しかしマルクの返事は穏やかなものだった。


「ああ、ダレン。急なことですまないね。ユアは君に説明出来ずに行かせてしまったからね。実は隣国に住むユアの祖母の調子が悪くて、たった一人の孫であるユアと過ごしたいとごねているんだよ。それで、しばらくユアは弟の家で暮らすことになったんだ。私の母も歳のせいかワガママになっててね、どれぐらいで満足するかも分からないし、その間ユアに学校をずっと休ませる訳にも行かなくて、思い切って向こうに留学することになったんだよ。手続きの関係上、急ぐ必要があったから、先週からもう隣国に行ってるんだよ」


 マルクはダレンにニコニコとそう説明した。ユアからは何も聞かされていないが、頑なにダレンと会いたがらなかった娘の様子に少し思うところがあったため、ダレンには適当な理由を聞かせた。


「そうですか、ユアは一人で大丈夫ですか?」


 ダレンは心配そうな顔を作った。しかし内心は、しばらく子守から解放されそうだと小躍りしていた。殊勝な顔のダレンに、マルクは隣国には弟夫妻もいるから大丈夫だと説明して納得させた。


 それから一年が過ぎ、ダレンが学校を卒業してもユアは帰ってこなかった。卒業後、ダレンはレスター商会に就職し、父親と共に働き始めた。あれほど優しかったユアの父は、雇い主になると甘い顔は見せず、他の従業員と変わりなく厳しく接してくる。


 初めは真面目に働いていたダレンも、一年が過ぎる頃には段々と嫌気がさして来た。やらされる仕事は下っ端のやるような雑用ばかり。雑用といえど大事な仕事であり、商会に入ったばかりのダレンがやるのは当たり前だったが、いずれは自分が跡取りだと思っているダレンは気に食わなかった。

 

 また、ダレンより四年ばかり早く商会に入ったジャスという男も気に入らなかった。ジャスは隣国の支部に勤める男で、歳はダレンとほとんど変わらないのに、支部の取引をほとんど任されていた。ここ一、二年、支部では女性向けの化粧品の販売を始め、それが大当たりした。

 本店でも同じ路線の商品を取り扱うためにジャスが頻繁にこちらに訪れ、打ち合わせを行っていたが、それでは対応が追いつかず、結局数ヶ月前からずっと本店に勤めるようになった。

 スマートで容姿もよく、仕事も出来て、細やかな気配りの出来るジャスは顧客からも従業員からも一目置かれていて、ダレンは面白くない。


 しかし、あのつまらないユアさえ帰ってきたら、こんな状況は一変する。マルクも、ジャスばかり重用せずに、以前のようにユアの未来の伴侶として、ダレンを見てくれるだろう。


 ダレンは、ユアが隣国に行ってから、心配だとマルクの前では口にしていたが、一度だって手紙を書いたり会いに行ったりすることはなかった。ユアからも、一度も手紙を貰ったことはなかった。

 

 ダレンは思っていた。ユアが帰ってきたら、また優しく接してやろう。自分から離れていた彼女は、ダレンに会えただけで泣いて喜ぶだろうと。そしてユアの口からマルクに言わせるのだ。ダレンと結婚したい、ダレンを商会の跡取りにしてと。



◇◇◇



「ジャス、いつ頃着く予定だ?」


 その日は朝からマルクがソワソワしていた。ジャスに何度も同じことを聞いている。


「昼過ぎの予定ですよ、商会長。何件か取引先を回ってからいらっしゃるはずですから。朝から何度も同じことをもうしあげてますよね」


 呆れ顔のジャスに、マルクはしゅんと項垂れる。ジャスは苦笑いをした。


「お気持ち分かります。私も一月ぶりですから。早くいらっしゃると良いですね」


 ジャスも朝からウキウキしていた。何度も時計を見ては、気を紛らすように書類に目を向けていたが、今日は全く集中していないようだった。


「どなたかいらっしゃる予定なんですか?」


 常にないマルクとジャスの様子を見て、ダレンがそう聞くと、ジャスはニコリと儀礼的な笑みを浮かべた。


「ええ。今売れ筋の化粧品のもう一人の担当者です。いえ、あの人が本来の担当者で、私はお手伝いにすぎませんので、もう一人のというのは正しくないかもしれません」


「おいおい、謙遜しすぎだろう、ジャス」


 笑うマルクに、ジャスは手を振る。


「とんでもないですよ、会長。そもそもこの商品は、支部でも初めはコストがかかり過ぎるし収益も見込めるほど売れないだろうと支部長に大反対されてたんですよ。しかし彼女が絶対売れると啖呵を切って彼女の責任で販売を始めたんです。支部長と大喧嘩してまで押し切った商品です。私なんて、おまけみたいなものですよ」


 そっと化粧品を手に取り、ジャスは優しい笑みを浮かべる。華やかで精緻な模様がデザインされたパッケージも、人気の理由だ。


「本当に、この商品はあの人みたいです。パッと華やかな装いで周りの目を惹きつけて、中身は誰もを魅了する最高級品。人気が出ない訳がない。魅力的すぎて、奪われてしまわないか不安になりますね」


 ダレンは思わず口を挟んだ。


「彼女って、担当者って女性なんですか?」


 最近は王妃様を始めとする高貴な女性にも人気の化粧品の担当者が、女性とは。

 この国が女性の社会進出を推進するようになって数年経つ。もちろんレスター商会でも女性は働いているが、あくまでも事務や店頭販売など、男性の補助的な役目だ。


「女性の担当のままで大丈夫なんですか?男性に変えてはどうです?」


 ダレンは思わずそう言っていた。あわよくば自分が担当になりたかった。それぐらい勢いのある商品なのだ。


「その必要はない」


 マルクはダレンの思惑などお見通しだ。キッパリとその可能性を否定する。


「これは、レスター商会の跡取りが扱うのが相応しい、ウチの看板商品だからな」


 マルクの言葉に、ダレンは不思議そうな顔をする。跡取りだって?じゃあやっぱり、俺が扱うのが相応しいじゃないか。そんな誰だか分からない女の担当よりも!


「会長、いらっしゃいました」


 ジャスの言葉に、喜色が溢れている。マルクの顔にも、満面の笑みが浮かぶ。


「ジャス!帰ったよ!ただいまー」


 商会の空気がガラリと変わった。

 その女性の振りまくオーラが、清々しく活気に満ち溢れているようだった。

 少し小柄だが、流行のドレスを着こなし、豊かな黒髪を結い上げた可愛らしい容姿の女性だ。大きなエメラルドの瞳がキラキラと印象的に輝く。


 女性はジャスに飛びついてぎゅっと抱きつく。いつも女性に対しては一歩引いたような対応しかしないジャスが、女性を抱き返した。ピッタリと抱き合い、額を合わせて、ジャスが優しく囁く。


「お帰りなさい」


「ねぇジャス!また大口注文を頂いたのよ!それとね、前に話したシリーズ展開の件で、香りのシリーズも作るけど、若年層向けのシリーズも作りたいの。値段を少し落として、香りを軽めにして!どうかな?」


「おや、面白いですね。すぐに企画会議にかけましょう。しかし支部長がウンと言いますかね。香りのシリーズ化を先にと仰いそうです」


「今のうちに、もっと広げたいの。同じ若年層相手に別の企画もあってね!ねぇ、お願いジャス!私の味方になってくれるでしょう?」


 女性の甘えた声に、ジャスは蕩けた笑みを浮かべる。


「もちろん。私はいつでも貴女の味方ですよ」


 そっと頬に触れ、腰の砕けそうな低くて甘い声で囁くが、女性は慣れているのか、触れる指にチュッと口付け、ジャスを軽くあしらった。パチッと可愛らしくウィンクする。


「やった!ありがとうジャス!大好き!大丈夫よ!確かに叔父様は強敵だけど、もっと強敵を味方につけるわ!」


 女性はジャスからパッと離れると、クルッと振り返った。


「お父様!ただいま!」


 がばっと女性に抱きつかれ、マルクは力なく抱き返す。


「お帰り、ユア。ようやく父を思い出してくれたんだね。帰ってきたと思ったらジャス、ジャスって…」


「あら、ジャスとは一月ぶりよ。お父様には先週、支部で会ったじゃないの。私の大事なジャスを貸してあげているのに、お父様ったら欲張りよ」


 女性一ユアは、にっこりとマルクに微笑んだ。


「ねぇ、お父様」


 ユアの甘え声に、マルクは顔を引き攣らせる。


「や、やめておくれ、ユア。お前がその声を出すときは、碌な目に遭わないよ」


「まあ、酷いわお父様。さっきの話を聞いていたでしょう?私の企画、どう思って?」


「ああー。聞いてはいたけどね。うん、面白いと思うよ。若い子向けの商品は種類が少ないからねぇ。しかしラルシュから香りのシリーズ化も先週聞いたばかりで、展開としてはそちらが確実かと…。やはり商会としては確実な路線をだね…」


「もちろんよ!一緒に若年層向けのシリーズも!ね?」


 ユアが胸の前で手を組み、小首を傾げる様はとても可愛らしい。マルクは早々に白旗を上げた。


「………わかったよユア、但しキチンと企画書を書いて、収益も検討しなさい。話はそれからだ」


「お父様!大好き!」


 ぎゅうっと父親に抱きつき、ユアはチュッと頬に口付けた。マルクの顔がデレッとだらしなく緩む。


 ダレンがユアを指差し、目をまん丸にしている。ポカンと口を開け、信じられないのか、指がプルプル震えていた。


「ゆ、ゆ、ゆ、ユア?」


 ダレンが知るユアは、同じ年頃の少女たちと比べ、小さく、凹凸もなく、いつも俯いていて暗くて内向的で、ダレンの後ろに隠れ、ダレンがいなきゃ何も出来ない少女だった。


 しかし目の前にいるユアは、瞳をキラキラさせ、楽し気で、可愛らしく魅力的だった。ここに来てからほんの少ししか経っていないのに、周りの注目を一身に集め、溢れんばかりに魅力を振りまいている。会わない間に成長期を迎えたのか、身体付きも蛹が蝶に変わるように、豊かな胸と細い腰にまろやかな曲線の、色気のある女性に変化していた。


「き、綺麗になったね、ユア。会えない間、寂しかったよ」


 ダレンは昔のように、いや、昔よりも遥かに優しい声でユアに語りかけた。声に甘さも加わり、昔のユアなら顔を赤らめ、ダレンの胸に飛び込んでくるような、そんな声で。


 しかし今のユアは違った。きょとんと不思議そうな顔をして、じっとダレンを見つめる。


「あれ?ダレン?どうしてここにいるの?」


「ダレンはウチの商会に就職したんだよ。一昨年、支部で会ったとき、伝えたろ?」


 マルクが笑いを堪え、説明する。昔と違い、ユアの関心の薄さが笑える。

 

 マルクはとうの昔に、ダレンの二面性に気付いていた。こんな男に、大事な娘と商会を任せようと思っていたなんて、恥ずかしい限りだ。


「あら、そうだった?あの頃は工場とか取引先とか役場に飛び回ってて忙しかったからなぁ。お父様がジャスを連れて行ってしまうんですもの。大変だったのよ?」


「そうだったのかい?悪かったねぇ。ウチも商品の問い合わせが凄かったからね。確かにあの時のユアはあっちこっちに飛び回ってたねぇ。じゃあ改めて」


 そう言って、マルクはユアをダレンと引き合わせる。


「ユア。幼馴染みのダレンだよ。一昨年の春に学校を卒業してウチに入ったんだ」


「就職おめでとう、ダレン。お久しぶりね。貴方がこの商会に来てくれるなんて嬉しいわ!私は暫く支部で働いているので、本店で一緒に働くのはもう少し先になりそうね」


 にこっと笑ってダレンと握手を交わすユア。その瞳に、同僚への親しみ以外は何も浮かんでいない。


「ユア…。ダレン君と知り合いだったの?」


 フワリとユアを抱き寄せ、ジャスはニコニコしながら聞く。

 しかしダレンを見るジャスの目は、それまでの表面的な丁寧さを滲ませたものではなく、明らかにダレンを敵視している。まるで害虫を見ているようだ。


「そうよ!ダレンとは幼馴染みなの。留学するまでずっと、ダレンの後ろをくっついて歩いてたわ!」


 懐かしいわねと微笑むユアに、ダレンは嬉しそうに頷く。ユアの言葉と共に、ジャスの視線がますます冷たくなるが、ダレンは気づかない。


「そういえば、留学したのもダレンのおかげだったような…。何故だったかしら?ダレンにいつまでもお世話してもらっているだけじゃダメだと思って留学を決めたような…?」


 ユアは首を傾げる。留学してからこれまで、目が回るようなスピードで生活が変わった。留学前の人生の方が長いはずなのに、あまり思い出せない。ずっとダレンや両親に守られて、甘やかされて変化のない毎日だったせいだろうか?


「留学が俺のおかげ?え?お祖母さんの体調が悪かったんじゃないのか?」


「お祖母さま?ピンピンしてるわよ?」


 ユアは不思議そうな顔をする。祖母はユアと暮らすようになって、それまでも元気だったが、ますます元気になった。叔父家族の中で、間違いなく一番元気で頑丈で、人生を謳歌している。

 2人の噛み合わない会話を聞いて、マルクが気まずげに明後日の方向を見ているのに、ジャスだけは気づいていた。


 ダレンは混乱した。一体何が起こっているんだ?こんな、可愛くて華やかで色っぽくて、ダレンの好みど真ん中のユアなんて知らない。ダレンが知っている陰気な昔のユアとは全くの別人だ。

 そしてなぜユアはこんなにも自分に対して無関心なんだ?前はあんなにダレン、ダレンと纏わりついていたのに、今は自分を見る目に全く熱を感じない。ジャスとの親密さも気になる。ダレンは焦りで背中が冷たくなった。

 一体、離れている間に、彼女に何があったのだろう。


 そう、ダレンは知らなかった。

 

 隣国に渡ったユアが、学校に通いながら自分を変える為にレスター商会の支部で店頭に立って働き始めたことも。


 内気だった彼女が一生懸命に接客をし、失敗しながらも着々と顧客たちの心を掴み、看板娘になって支部の売り上げを跳ね上げさせたことも。


 そうして商品開発にも携わるようになり、姪には甘いが商売人としては厳しい叔父に鍛え上げられ、着々と成果を上げることで自信をもち、俯いていた顔を上げ、笑顔を浮かべると皆を魅了するようになったことも。


 初めはユアの方が指導係だったジャスに淡い恋心を持っていたはずが、逆に健気に成長していくユアにジャスがのめり込み、密かに他の男との出会いは排除され、メロメロに甘やかされて相思相愛になっていることも。


 外堀を埋め始めたジャスにマルク(商会長)ラルシュ(支部長)はとっくに攻略され、ユアが将来商会を継ぎ、ユアとジャスの子ども(2人以上は確定)を本店と支部の後継にすることまで決まっていることも。


 こんなに可愛いユアがもしかしたら昔みたいにダレンを頼り、商会を継げるかもなんて夢みたいなことを考えていることもジャスにはお見通しで、完膚なきまでに、徹底的に、完全に心を折られることになるということも。


 さらに本店に戻ったユアと再会した昔の同級生たちが、ユアの変わりように驚きながらも好意的に受け止め、その上で昔からダレンがいずれは俺がレスター商会の後継になるなんて吹聴していたことが全くのデタラメだったことがバレて、瞬く間に同級生たちに広まり、嘲笑の的になることも。


 なによりも。

 ユアが変わったのはダレンのせいでもあり、ダレンのおかげでもあったことを。


 当時のユアはダレンの暴言を恨みもせず、ただダレンの荷物になるより、共に歩めるよう強くなる為に留学を決意したことも。しかし留学後の生活が刺激的で魅力的すぎて、当のユアがそのことをサッパリ忘れてしまっていたことを。


 あの時ユアがダレンの暴言を聞いていなければ、今頃はダレンが思い描いたような跡取りとしての楽しい生活が待っていたのに、自分でぶち壊してしまっていたことを。


 ダレンは全く知らなかった。


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― 新着の感想 ―
恨まれてすらいない路傍の石扱いなのが最高ですね
[気になる点] 最後がただのあらすじ説明?感想でのネタバレ?のようなただの文字列だったのが残念
[一言] タイトル回収が気持ちいい!面白かったです!
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