82 博学篤志
來くんと、遅れて参加した舜くんという少年の指導は私の想像を超えるスパルタだった。
來くんは人より少し間が多い話し方をする。本人にはその自覚はないようだが劉先生に遠回しにアドバイスされたようで、あらかじめ頭に叩き込んでおく事をびっしりと紙に書き連ねていてくれたのだが、いかんせん大きな問題があった。
「──字が、読めない?」
「うん……二人の話していることは分かるんだけど、文字が読めない」
「先生からお借りした……教典……………」
「ごめんね、來くん」
目をまん丸にして驚いている二人に申し訳なくなり頭を下げる。
善くんの言葉だって少し難しいだけで理解出来たし、文字が読めない可能性なんて考えてもいなかった。
確かに異世界なのだから使っている文字が違っていてもおかしくない。
(でもまさか、文字が読めないなんて……)
漢字のように複雑に絡み合った線は、どれだけ頑張ってみても解読出来そうにない。
よほど気合が入っていたのか、劉先生から借りてきたという巻物をいくつも手からこぼれ落としてあ然とする來くんの肩を、舜くんが叩いて慰めた。
「仕方ない。記憶喪失っていっても訳ありなんだろ?耳で聞いて覚えてくれ」
近くにあった椅子に両手をついた舜くんに、幾度も頷く。
「善くんからは、どれくらい話を聞いてるの?」
「ほとんど全部。太子が天法山の麓に新しい宮を作るってんで、天法山から借り出されたのが俺。てんほうざん。読めなくても、書けるんだよな?」
「え?」
「文字…………ユウの言い方なら……違う国……?」
「そうそう、來の言う通り」
「あっ。うん!それなら書けそう」
「じゃあはい」
そう言って一本、筆が手渡される。
使ったことがある筆よりも持ち手が細い分、書きやすそうだ。小さな容器に入っている墨をちょっとだけ付けて、筆先を滑らせていく。
(善くん、劉先生しか頼れる人はいないって言ってたけど、ちゃんと他にも事情を話せる人がいたんだ)
ゆっくりと一音一音念を押して説明してくれる二人に遅れをとらないように、渡されたざらざらの紙と筆を持ってメモをとる。
筆なんて滅多に使う機会が無かったので、震えを抑えるだけでも一苦労だ。
「うーん……ユウはその」
「悪筆」
「あくひつって何?」
「文字……ものすごく下手……汚い」
「酷い!筆なんて全然使ったこと無いんだもん」
「文字は読めなくても書けて、それなのに筆に馴染みはない。不思議だなあ」
「それには色々と……事情が」
もごもごと口ごもる。思わず目をそらすと、くすりと笑い声が飛んできた。
国の名前、簡単な成り立ち、善くん達の名前の読み方。例え書けなくとも形はなんとなくで良いから覚えろと言われ、今日の宿題はそれになった。
異世界へ来たという割には地味なことしかしていない気がする。
一気に詰め込んでも仕方が無いということで、日を分けて復習と、新しいことの指導というスケジュールに変更された。
ひとまず今日は初日ということもあり、日が傾きかけた頃に終わることとなった。
「国って他にも無いの?」
「あるよ。來は他所から来たんだよな」
「うん……もっと西……」
「へえ!なんて言う国?」
「……」
「來くん?」
ここは泰曄という国で、四つの州に分かれているうちの一つ、最西端にある宮らしい。
舜くんは天法山という国の中央にある聖地のような──普段は立ち入り禁止となっている山のお役人の見習いらしい。
善くんが天法山へ勝手に足を踏み入れた際に注意がてらに話しかけたところ、気に入られたらしく西州の後宮へと引き抜いたとか。
とは言っても善くんは忙しい人なので、形だけ劉先生の弟子ということで役職を据えて実質的には使いっ走りだと舜くんは言った。
來くんは正式なお弟子さんなので、舜くんよりも先輩にあたる。
劉先生はあまり誰かが自分にへりくだることを良しとしないそうなので、來くんは特別なのだそうだ。
劉先生と來くんがどうしてそんな仲になれたのか、興味があって深追いしてしまったのだが、來くんは困ったように眉を下げるだけで答えてはくれなかった。
「そろそろ時間だ。俺は夕餉をとりにいくけど、來とユウはどうする?」
重くなった空気を払拭するように、舜くんが手を叩いた。
朝餉というのは朝食だと説明を受けていたので、その応用で考えて夕食だと推測する。
朝は食欲が無かったし、かなり遅くに起きてしまったので食いっぱぐれていたのだ。
言われてみれば、確かにお腹の虫が鳴りそうなくらいには疲労していた。
「豆」
來くんが即答する。
やはり食べ物の話で間違いないようだ。
「好きなものが選べるの?」
「いや、そう上質なものは選べないな。運が良ければ先生か太子の毒味でいいものが食べれるけど、今日はどっちも居ないし。厨のおっさんの機嫌が良けりゃ饅頭に残り物くらいは入れてくれるんじゃないのか」
「ええ……」
(私、食べれるかな)
不安に思ってメモの端に私が想像する食べ物の絵を描いて見せると、來くんが引いたような顔でぶんぶんと首を振ったので、ますます先行きが不安になった。
「良かった……!ちゃんと美味しい……っ」
「今日は当たりだなあ。もう狩りの獲物が入ってきてるのかも」
舜くんが持ってきてくれたのは青菜の入ったスープに、湯気を立てている饅頭が幾つか。それからトウモロコシを茹でた物だった。
おやつ代わりにと胡麻がたっぷりと付いた一口サイズの団子のようなものも貰ってきたらしく、かなりメニューは豊富だ。
味はどれも薄味だけれど、饅頭が美味しい。
中には食感の良い野菜と、少しだけれどお肉も入っているようだった。皮がもちもちで食べやすい。
「獅子狩り……今回は……長くなるって」
來くんは甘い饅頭の方が好きなようで、舜くんと交換して甘い豆の入った饅頭をもぐもぐと咀嚼している。食べるのもゆっくりしていて、ちょっと可愛い。
「じゃあ腐る前に持って帰ってきてるのかな」
舜くんは育ち盛りという言葉がピッタリな量をテーブルに広げて凄いスピードで平らげていっている。最後の一つに手を伸ばして、そう言った。
「うん……」
「その獅子狩りって何なの?善くんが嫌そうにしてたけど」
朝が早いからとあの部屋で別れた善くんは、かなり不機嫌だった。
いかにも物騒な響きの言葉が気にかかり問いかけると、湯飲みを傾けていた舜くんが説明してくれる。
「さっき、神獣と四神の話はしたよな?」
「うん。守り神というか、妖怪とかともまた違うっていう」
「西州の四神は白虎なんだが、西州王は妖怪嫌いでさ。本来なら王になる前に、天法山に王となる人間とその州の四神を揃えて神獣と天に誓いを立てる儀式があるんだけど……今の州王はそれを蹴って王になったんだよ」
白虎は西州の四神で、妖怪。滅多に見ることは無いけれど、特に問題を起こしたことも無い大きな虎の姿をした妖怪だと教えてもらった。
「西州王は白虎が自分と同じ地位に居るのが許せないのさ。だから獅子狩りと銘打って虎を狩りに行く。稀に、本物の妖怪にも出くわすみたいだけど──それで太子は気が滅入ってるんだろう」
西州王は善くんの父親で──白紫苑という人。來くんが言うには劉先生の親友だったそうで、元々は王族でもなんでもないらしい。一緒に軍で働いていたそうだが、あまり詳しく聞いたことはないようだった。
以前の王様を殺して王になったなかなか野蛮な人だと聞いた。善くんが嫌な顔をする理由もわかる気がする。
「丸々すっぽかしたってこと……?」
「そう。陛下は……妖怪が……大嫌い」
「あんな州王は久々に見たな。仙の連中も結構あれで慌ててたんだぜ。上からはお叱りを受けるし、他の四神には笑われるわで」
「舜くん、四神を見たことがあるの!?」
「勿論。天法山には許された者しか入れない。普通は人と妖怪は立ち入りを許されてないから、まずその穢れを落として道士になる。そこで俗世から離れて修行を積んでようやく仙客、地仙、天仙と昇っていく。神獣を見るのは最も高い位の天仙でも許されてないが、俺みたいな道士でも四神くらいなら天法山にいれば一度くらいは見ることが出来るんだ」
「む、難しい……!」
舜くんの口から語られる難しい言葉の羅列に思わず耳を覆いたくなる。
天法山はどの州にも属していないから、手出し厳禁と言われているのにそこへ踏み入ったのが善くんたちだったようだ。
聞けば聞くほど善くんはわんぱく少年という印象が強まっていく。
「ん?道士って……確か、仙人の位だったよね。じゃあ舜くんって人間じゃないの?」
「うん。天法山にいると俗世とは違う時の中で過ごすことになる。まだ捨てきれてないけど、ほとんど人間とは違うかな。そのおかげで法術が得意なんだけど」
「す、凄い……!なんか凄いね」
「うんうん、ありがとうな。正しい反応は初めてだ」
「舜は……こういう性格だから……甘く見られる」
「一応後宮の誰よりも長く生きてるはずなんだけどなあ」
「えっ?」
「俺は前の王も四神も見てるよ。前に見たのは青龍だったけど」
「青龍はえーっと……」
「東州……………東の、龍……四神……」
「そう。前の青龍は厳つい男だったけど、今代は物凄い美人だったぞ」
「へー。いいなぁ。私も美人な妖怪さん見てみたい」
「じゃあ行くか?」
「え?」
「天法山に」
「……私、行けるの?」
「太子に頼めばいいんじゃないか?」
「どうして?」
「次の王になるだろうから」
「太子が………?」
「善くんが!?」
「俺の見立てだと間違いない。西州は荒れてきたから、そろそろ王が変わるだろう。その時は天法山に来れるから、一緒に四神を見に行こうぜ」
「えぇ……」
「先生が一緒なら……行く……」
「はいはい。じゃあ來と先生の分は門を開けとくよ」
來くんはその言葉を聞いて僅かに口角を上げた。
天法山は雲を突き抜けるほど高い山で、その中腹には大きな門が立っているらしい。新年と国に関わる儀式の時、特別な時にしかその門は開かれないらしく、その出入りを見張るのも舜くんたち仙人の仕事だと言っていた。
「來も向いてると思うけどなー」
「先生が一緒なら……」
「また先生も誘ってみるか。でもあの人、すぐに天仙になりそうで怖いんだよ」
「積んできた……徳が違う……………」
「きっぱり言うなあ」
無表情で残っていた胡麻団子の一個を舜くんの皿に乗せた來くんは、今日一番の上機嫌だった。




