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75 過ち

※人によっては不愉快となる表現が含まれます。

流血や生物を殺める描写が苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。予めご了承ください。

嫌な予感はしていた。

(ぜん)が目覚めなくなってすぐに、狼杏(ろうあん)の様子が変わった。

以前はそう容易く言葉を交わす仲では無かったが、佯狂(ようきょう)莫愁(もしゅう)づてに聞いていた印象とは違う。

狼杏が公私の別を(わきま)えず後宮を我が物顔で闊歩するようになってからは、莫愁に奴を監視しろと言われていた。

将軍という座につけられた手前、自分の下に付く者たちを放置する訳にはいかない。

時には壁の護りを確認に国境へと飛ぶ日もあれば、莫愁一人では抱えきれない仕事を慣れないながらも補佐し、なんとかこなしては、後宮へと適当な用事をつけ狼杏と接する機会を設けてきた。

佯狂は善に盲信的な者達を苦手とする分、狼杏は莫愁程実直では無く、非常にやりにくかった。

会話ひとつをとっても遠回りで偏屈で、分かりにくい。

素直に佯狂を嫌いだと言えば良いのに、殺意を持ちながらも好意があるような言葉をかけてくる。

莫愁から再三注意を受けていた手前、拳で解決するわけにもいかない。

佯狂の後宮への足取りは、いつも重かった。


その日は、変な事ばかり起きていた。

壁が何者かに破壊され、数名の死者が出た。

結界に関しては詳しい者を呼ぶ間、手練の武人をかき集め、誰一人としてそこを通すなと命じた。

それから莫愁と合流し、佯狂は話し合うつもりだった。

普段は善が座っていた私室の椅子の傍に、莫愁が立っていた。

傍らには火國(ヒノクニ)から来たという負けん気の強い女王。

佯狂の弱味を握ろうと常日頃から怪しい行動を取るので、こちらも狼杏とは違った意味で骨が折れた。

その女が何故か、莫愁と二人で話し込んでいる。

まさか親密な仲になる訳もあるまいと無作法に声をかける。

顔を青白くした女が、佯狂の姿を捉えると「侍女を見た!?」となりふり構わず問いかけてくる。


「レナ様、どうかお気を確かに」

「誰も彼女を見ていないの!貴方なら……っ」


侍女──ああ、ミコか。

佯狂の弱味を握っているが、特に悪用もせず隙だらけの女。侍女だと名乗っていたが王の妹だと名乗ったり、言動に筋が通っていない。

虚言ばかりだが、信頼できない訳でもない。

素直ではある分、佯狂はまだミコの方が接しやすい。

狼杏と会話する際に、無理やり巻き込んだこともある。

あの女は後宮からは出なくなったはずだが、なにかしたのだろうか。

首を振る佯狂に、レナと呼ばれた女が「そう」と唇を噛み締めた。


「あの妖玉を使えば良いだろう。莫愁なら在処を知っている」


それを使って探せば何とかなんのではないか。

そう投げ掛けた佯狂を睨むと、レナが首を振る。

莫愁が飛ばしたはずの蟲が帰ってくるのを確認すると、目を伏せた。


「無かった」

「あの子も、妖玉も全て消えたの……後宮を他の侍女と探して回ったけれど、何処にもいない。あとは、あの王の眠る部屋だけのはず」


なるほど。理解が出来た。

経過を診る為に、あの部屋へ足を踏み入れることは狼杏と莫愁以外禁じられていた。

もしミコがいるならば、そこのはずだと言いたい訳だ。

莫愁でなければあの部屋の居場所が分からない。

それでわざわざ莫愁に直談判しに来ていたらしい。

莫愁は隈の出来た虚ろな目で、レナを見ている。


「──行こう。陛下の元へ」


真横を、(むし)が飛んでいた。

いつの間に出したのか、複数の蟲が莫愁の傍を取り囲んでいる。


後宮へと歩みを進める中、何故か佯狂の足取りが重くなる。

本能が、これ以上進むなという。

血の臭いと、嗅ぎなれた戦場のそれによく似ている。
















扉を開いてすぐにした刺激臭に、鼻を覆う為の布を上げる。

呆然としたままの莫愁の肩を引くと、随分と軽くなった体が抵抗もせずに佯狂の後ろへと引かれる。

長身の佯狂が部屋を隠すように立つが、莫愁の瞳には、確かに焦げて崩れ落ちた黒い塊が映っていた。


「陛──」

「見るな。俺が確かめる」


レナを部屋に置いてきて良かったと心底佯狂は思った。

このように悲惨なものを、あの女に見せずに済んだ。

正直立っているのも苦痛だ。

本当にあの部屋なのかどうかも疑わしい程に全てが焼け落ち、跡形も無い。

すぐ側にある塊に近寄ると、佯狂がしゃがみこんで確認する。

こちらはまだ人の形を保ってはいるが、その中央に空いた穴に、目を背けたくなる。

ほとんどが黒焦げになってはいるが、黄色い皮膚がまだ残っている分目の毒だ。

戦場では、こういった死体はあまり見かけることがない。

そもそも、焼かれる前に自決することがほとんどだからだ。死体に火をつけるほど惨い輩はそう居ない。

その耳元についた耳飾りは、焼け落ちることなく既のところで形を保っている。

緑色の宝玉がついていた。


「駄目だ。もはや顔の判断がつかない。三つあるがこれは──」

「剣だ。剣を見ろ。それに貫かれているうちの一つが、……陛下の筈だ」

「は……?」

「その耳飾りは狼杏だろう。術が発動する前に、奴の手にかけられたか」


言われた通り、壁に寄り添うように重なった死体を見る。

確かにこちらの方が剣に貫かれている分、まだ区別が出来そうだ。

それに、あの男なら燃え尽きるはずがない。

佯狂が剣を抜く。

すると足であったろう部分が粉々になり、崩れ落ちた。

煤が舞う。手で覆いながら片方の顔を覗くと、善では無い目鼻立ちをしている。どこかで見たような顔に見えないこともないが、損傷が酷すぎる。

そもそも、顔で判別出来るかどうかすら怪しい。


「これじゃない……誰だ?」

「青龍だ」

「は──正気か?何故四神の死体がここにある」

「陛下は、青龍を仕留める為に王となってくださったのだ。これが、定められた天命……いや、運命なのだと」

「おい、莫愁。どうしてそう落ち着いていられる。奴が、死んでいるかもしれないんだぞ。もっと取り乱すなりなんなり」

「俺がッ!いくら取り乱そうと、陛下が生き返る訳ではあるまい!今日の為に、陛下に目をかけていただいたのだ……誰よりも冷静に、民のことを考え、国を守れと」


振り返った先にいた莫愁は、言葉とは裏腹に、触れれば倒れそうなほど危うかった。

自ら暗示をかけるように言葉を紡ぎ、胸元をきつく握り締める。


抱えた青龍の死体というそれは、想像よりもはるかに小さい。

まるで、女のようだ。

傍らの、恐らく狼杏の遺体の方がより男らしい体つきをしている。


最も恐ろしい予感に辿り着いた佯狂を他所に、莫愁が部屋に足を踏み入れる。


「おいっ」

「構わない。陛下の最期を見届ける事も、右丞相(うじょうしょう)たる私の仕事だろう」


佯狂は言葉もかけられない。

こういう時にかけるべき言葉を選別できるほど器用ではない。

泣くまいとするその男に触れずにいることが、唯一己にできる慰めだと思った。


「陛下──善様。悲願の日を迎えられた事を、心より……謹んでお慶び申し上げます。このような結果になることは、善様は知っていらっしゃったのでしょうね。でなければ、狼杏も剣を取ろうなどとは、思わなかったでしょう」


灰だらけのその場に膝をつき、莫愁が頭を下げる。

善の遺体であろうそれに語り掛ける莫愁の表情は窺えない。


武芸に長けていないことを常日頃から莫愁へと愚痴をこぼしていた狼杏のことだ。

傷を受け、朦朧とした意識の中では手元が緩み、楽には逝けなかっただろう。

恐らく陛下が手を貸してくれたに違いない。

最期の時には、莫愁か狼杏か。

それが約束だった。

莫愁は、それが自分だと信じて疑わなかったというのに。


壁際に立つそれには、生前から大切にされていたあの耳飾りがあった。

青龍の眼は、奪われることなく善の耳にある。

それが莫愁にとっては誇りだった。


どれだけ長く苦しい道程だったろう。

最後まで倒れずに立ったまま亡骸となったこの遺体が善だと、莫愁は信じた。


劉莫愁(りゅうもしゅう)、善様の命を受け、御言葉通り延国をお守り致します。争いの絶えない世から安寧へと──長く続く、善き御国へと。貴方の守ったここを、必ず……っ」


(ひざまず)く莫愁を佯狂が見下ろす。

どこまでも善に盲目で、実直で、愚かだ。

首に巻き付いていた善の置き土産を躊躇無く外すと、佯狂が放り投げる。


弾き飛ばされることは無かった。

本当に、善は死んだのだ。


自由の身だと喜ぶべき事の筈なのに、血の味がする口内に苦い思いが広がる。

舌打ちをして莫愁の腕を強引に引き立たせると、佯狂は平静を装った。


「死体は三つ。そのうちの一つは善。そして四神。それから狼杏。確かだな」

「そうだ」

「それなら、侍女はどこにいる?」

「……火國の、妹君か?」

「そうだ。おかしい。本当に、あの死体は青龍なのか?女のように細い体躯が?」

「──……」


信じられないような顔で寄せられた二つの遺体を視界に収めた莫愁の顔に、絶望の色が濃くなっていく。

善の遺体は間違いない。

けれど、もしもう一つが青龍でなかったとするならば。

そんなことは、あってはならない。

あんなにも尊い方の命を持って完成する術式だ。

幾重にも術式を重ね、必ず成功するようにと、あれほど。


しゃらんと、音が鳴る。

佯狂の傾けた遺体には、黄金の首飾りが恐ろしいほど綺麗なまま残っていた。


「ミコは、どこにいる?」


佯狂の問いに答えられるものは、無かった。

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