67 手を離さないで
咄嗟に首飾りに空いた手を伸ばすと、曲がっては行けない方向へと向かっていた手首が、不思議とそれ以上の力に押さえつけられた。体を包む銀色の光に、ほっとして力が抜けそうになる。痛みに堪えて首飾りを握り締めるが、それ以上はどうにもならないようだった。
痛みに生理的な涙が出る。何とか歯を食いしばり引き抜こうとしたが、尋常ではない力でその手が握られる。
熱を持った首飾りのおかげで、何とか骨が折られることは無いのだと理解した。
けれど折れないだけで痛みは続く。
抵抗しようと体重をかけてみるが、ビクともしない。まさか意識を取り戻したのかと善の顔を見るが、苦しそうに寄せられた眉根と降りた瞼はそのままだ。
起きているようには見えない。
「ミコ!」
「善が起きたのか?」
「い、いいえ。起きてません、でも……」
背後の二人に見えるよう背を逸らしたところで、善に握られた手に稲妻が走った。
強い閃光の後に、焦げたような臭いが部屋を包み込む。
(これって……!)
今度は鳥の姿は現れない。けれど、その稲妻には見覚えがあった。
ナハトちゃんの妖力と同じだ。
「今のはなんだ?」
「神器の力です……」
佯狂さんに見せた神器はあくまで腕輪であって、首飾りでは無い。
稲妻は、ナハトちゃんの妖玉の力だった。敵意があるとみなされたのか、未だにバチバチと激しい音を立てて服を焦がすが、その腕が離れることは無い。嫌に煙たい空気が私と善の間に流れた。
善の容態を思い出してこれ以上は危険だと思うと紫の雷はすんなりと消えた。
「……延王は意識も無いのにミコを掴んでるのね。左手以外は動いてもいないわ」
「善を死なせる訳にもいかない。莫愁が遅い、少し応援を呼んでくる」
戸惑う私をよそに、レナがそう断言した。
確かに、意識があるとは思えないし、傷口から垂れる血はまだ少なくはない。このままでは本当に危険だと分かる。
武器を立てかけた佯狂さんが立ち上がると扉へと向かう。
振り返った佯狂さんが善に向かって手を伸ばすと、あの時と同じ赤いロープのような物が善に巻き付いて最低限の拘束をしたようだった。
「いざとなれば殺す気でいけ。どうせ死なない」
そう言い残すと、扉の向こうへと消えてしまった。
レナが労わるように名を呼んでくれる。
安心させるように笑顔を向けるが、善の拘束から逃れられそうには無かった。
(どうして耳飾りになんて触ろうとしたんだろう)
別に欲しかったわけじゃない。ただ、吸い寄せられそうになった。
触れて確かめたかった。
ドクンと強く心臓が鳴る。
かぶりを振って冷静に努めていると、レナがそう言えばと朗らかに話し始めた。
「色々あってちゃんと話せてなかったわね。無事で良かったわ、ミコ」
「あ、ありがとう!私もレナが無事で良かった……会えて嬉しいよ」
「ふふ、可愛いことを言うじゃない。延王──善は、一筋縄ではいかなそうね。青龍の眼はどこにあるのかしら」
「延、王……?」
照れたように髪を耳にかけたレナが、途端に真剣な顔付きで善を見つめる。
善を延王と呼んだことに引っ掛かりを覚えて鸚鵡返しに尋ね返すと、レナが善を見定めて告げた。
「この男が、白善西──善。私達が延に来た理由よ」
「善が、延王……?青龍の眼を盗んだ人……?」
どっと汗が吹き出た。
それは、善が天帝では無かったのだという安堵でもあり、州王の座についているという恐れからでもあった。
早くなる心臓の音に、耳を澄ませる。
どうしてもっと早く気付くことが出来なかったのか。
ジョクロウで、王の見分け方を聞いていたはずなのに。
──四国において、姓を持つ者はそう多くない。そういう奴は大概身分が保証される人間達だ。妖怪に好き好んで姓を持ちたがる奴もいない。妖怪達は、ただでさえ名に縛られる生き物だからだ。
四国の王達は皆、特別な姓を持つ。
その四つの姓は、王とその一族にしか許されていない物だ。
舜くんの教えてくれたこと。
白善西。確かに、白の姓は延の王族にしか許されないはずの姓だ。
善という名も、その中に含まれている。
私を掴んで離さない男を見下ろす。
延において日焼けしていないその肌は、身分の高さを示していた。王にしか許されないその純粋な白い衣装も。
あまりに血濡れになって分からなかったけれど。
嵌められた指輪は、王族の証だ。
愕然としている私に、レナが触れた。
「延王と知り合いなの?」
「い、いいえ。ただ……孔朱で妖魔に遭遇した時にいた人が、この善で」
私はこの男に殺された。何度もロードした末のここでは、会話もしたことが無いし、命を狙われるようなきっかけは無かったはずだ。
それでも、また善は──延王は、私目掛けて剣を振るった。そうして佯狂さんと争いになり、皆が負傷している。
頬を温かなものが伝っていく。
人差し指でそれを拭ってくれたレナが、善の指先に触れた。
「手強いわね」
善の握りしめた手の指を一本ずつ剥がしていく。震えの止まらない私を気遣ってか、早く離れたいと願う私の為にレナは力を貸してくれる。
「白虎のそれね、眠っている相手には効かないのよ」
「世界を思い通りに出来る力……っていう?」
「ふふ、そんな力があったら、四神に収まるわけないじゃない。本当はそこまででもないのよ。持ち主の使い方次第で神器に並ぶってだけ。白虎本人でもあるまいし、目くらましとか自白程度が限度よ。善にも、効きそうには無いもの」
諦めたように吐息を漏らしたレナが、小さな小瓶のようなものを取り出した。その中には、赤い液体が詰められている。
「それは?」
「白虎の血よ。結界で白虎が傷付いた時に、梦ヰが勿体無いからって回収して渡してくれたの。少しだけ使うわ」
あの時にそんな余裕はあったのだろうか。驚いている私をよそに、レナが小瓶の蓋をあけ、一滴だけ腕輪の真ん中の石に垂らす。
焼け石に水が落ちたように、蒸発するように白い煙をあげた血は、すぐに見えなくなった。
「これで少しは効力が上がった筈。後で右丞相にも使うわね」
「分かった」
レナはまだ情報を集めたいようだ。時がくればレナが導いてくれるようなので、今はただ頷くだけに留める。
かなり時間はかかったが、レナが力づくで手助けしてくれたおかげで、なんとか私を拘束していた善の指──最後の一本も取り除くことが出来た。
手には、赤黒く善の手の跡が残っている。
ずっと同じ体勢でいたからかどっと疲労に襲われた。後ずさったまま急に体の力が抜ける。
そのまま座り込みそうになった私を、誰かが受け止めた。
「嗚呼、これは酷い」
振り返り見上げると、狐のように目を細めた髪の長い人が私の肩を押し、立ち上がれるように助けてくれる。
鮮やかな光沢のある緑色の服は、その人が動くと独特な音を出す。まさに中華風の出で立ちだが、その手に握られた大きな鞄は古い西洋の物語に出てきそうな味のあるものだった。
慌てて距離を取り頭を下げると、胸の前で両手を合わせ、笑顔を向けられる。
後方から、鋭いレナの声が飛んだ。
「何者かしら?ここがどういう場所か知っているの」
「後宮に仕えるしがない医官見習いです。佯将軍にお声かけいただいたので来た次第ですが……その寝台の上の肉塊が我等が延王ですか?」
医官見習いだと名乗ったその人はてきぱきとそう答えながら善へと近づいて行く。
一番近い場所にいたレナが立ちはだかると、すんなりと膝をつき叩頭する。
(医官──お医者さん?)
レナのその身なりに、すぐ身分を理解したようだった。最も深い礼をし、レナが許可を下すまで身動きひとつしない。
頭を上げてと声をかけられやっとその人は、持っていた鞄の中身を見せた。
中身を見たレナが目を見開く。
「これは……」
「自慢ではありませんが、後宮の医術は群を抜いております。なにせ、王自らが生傷が絶えない御方ですから。貴女様は、火國の方ですね。それも身分の高い……王でしょうか。そのような方の手を煩わせるような事ではありません。こちらはどうか手を引いてくださいませ」
「任せても良いの?佯将軍とは?」
「貴女方が共に居た赤毛のノッポの男性です。無愛想で目付きの悪い」
「あ、もしかして佯狂さんですか?」
「そちらは……侍女ですか。その通り。名をそのまま呼ぶことは不敬に値しますので、皆一文字目を取って親しげに佯将軍と呼んでおります。まぁ、一部を除いてですが」
よく口の回るひとだ。
しかも、情報をぺらぺらと話しているが、そこに躊躇は無い。
(佯狂さん、将軍だったんだ)
あの身のこなしであれば、違和感は無い。それで城へ来てもあれだけ足止めを食らったわけだ。
将軍だったとしても、王に対しての態度は褒められたものでは無いけれど。何か色々と事情がありそうだ。
「私は狼杏と申します。将軍がいらっしゃるまで、私が延王の治療をいたします」
狼杏と名乗ったその人は、恐らく男性だ。声も低いようだし、何処と無く直感的に男性だと思うとすんなりと飲み込めた。
ただ裾が長くふんわりとした服装は、女性のようでもあり、その長い緑色の髪は男性にしてはかなり長いほうだ。一つ括りにされ後ろにされているが、緩くまとめられているからか何処と無く雰囲気も柔らかいものに見える。
瞳を閉じたような胡散臭い笑い方も、それと相まって不思議な雰囲気のする人だった。
レナと目を合わせ、どうするかを伺う。
佯狂さんが居なかったタイミングは眼を探すにはちょうど良かったが、彼がいてはどうしようもない。
首を振るレナ曰く、今のところは何もしなくていいということらしい。
頷いて、狼杏さんになにか手伝えることはないかと聞くと、的確に指示してくれる。
その通りに動いていると、いつの間にか、善の腹部に走っていたはずの傷は治療が終えられていた。
「凄い」
「ええ、凄いでしょう?私はこれが生き甲斐なのです」
思わず出た呟きを拾うと、狼杏さんは幸せそうに破顔した。けれど手元は相変わらず素早く的確に善の傷口を治療している。
見たことも無い道具が多かった。
レナが施す治療は塗り薬や薬湯など薬を使ったものが大半だ。どうしようもない程の傷を負った者は、火國では見捨てられるのが常だと嘆いていた。
善の容態は、恐らく火國では手の施しようがないものだった。
けれど、狼杏さんはそんな様子も無く、道具を手に、治療とやらを進めていく。
何処と無く、手術に近いようにも見えたが、不思議な光を放つ道具は、以前の世界では目にしたことがない。元々医学的な分野に詳しい訳でもないので、何が行われているのか、私にはさっぱりだった。
打って変わってレナは瞳を輝かせて、狼杏さんの助手を名乗り出た。一度断られたが、相手の身分も考慮してか、秘術のようなものなのか、直接善に触れるのは狼杏さんのみという約束を取り付けた上で、許して貰えた。
レナのよく知る医術とも法術とも違うそれにレナは興味津々なようで、後ろから覗き込んでは真剣に頷いていた。




